2000(方法絵画)

2007年03月27日

異種画素配置第七番 (バンフ・Eメール・ピース第二番)

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異種画素配置第七番 (バンフ・Eメール・ピース第二番)
2000
67.4×120.6cm(2001 レントゲンクンストラウムでの展示)
塩ビフィルム、壁
池内務撮影
発表歴:2000 Eメールアート「バンフ・Eメール・ピース」、2000 バンフ・アートセンター(カナダ)「アーティスト・イン・レジデンス オープンスタジオ」、2001 「第六回北九州ビエンナーレ〜ことのはじまり」北九州市立美術館、2001 個展「質量」レントゲンクンストラウム、2001 「ダイアローグ2001」カナダ大使館ギャラリー(東京)

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イシュガソハイチ、って言いにくいですよね。
“異”なる“種”類のものを“配置”している、という意味のものです。
本日の一品は、「元素記号」という種類と、「素数」という種類が配置されています。

そして、この作品はバンフ・Eメール・ピースというシリーズのひとつで、
中ザワさんが2000年にカナダのバンフにいたときに、
Eメールアートとして制作された作品です。

なんでEメール作品なのに、壁に書いてあるの?というと、
Eメールアートを壁に出力したからです。
当時の中ザワさんは、データで作って、
出力形態は額装と同じで、作品と考えてない時期でした。
従って、Eメールの中でも、パソコンでも、A4の紙に出力しても、
壁にカッティングシートで展示しても、
同じ作品を違った形態で額装している、と考えていたからだそうです。

2007年02月06日

1107枚の硬貨から成る20523円(金額第一番)

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1107枚の硬貨から成る20523円(金額第一番)
2000
62.5×88.8cm
硬貨、ホチキス、硬化ビニルケース
発表歴:2000 個展 佐野画廊(香川)、2001 病院ギャラリー(愛媛)

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打ち合わせをするため、香川・佐野画廊の佐野さんにお会いました。
佐野さんについては、去年の「美術手帖」8月号で取材させていただいてます。
すっごい田舎のご自宅を画廊にしたり、
もうないけど愛媛の元・病院を展示スペース「病院ギャラリー」にしたり。
ネオ・ダダから中ザワさんのような現代美術作家までを扱う、
地方で活発に面白いことをしている佐野さんです。

今日の一品は、そんな佐野さんが運営している(していた)、
「佐野画廊」および「病院ギャラリー」でしか発表していない作品です。

私はこの「病院ギャラリー」に行ったことがあります。
たしか元・整形外科で、手術台の上に四谷シモンさんの作品があって
ちょっとホラーだったり、
篠原有司男さんの作品がボンッボンッと並べられて
贅沢だなーって感じたり、
中ザワさんのアクリル絵画がだーっとあって
人に歴史アリだなと思った記憶アリ。
そんな中にこの「金額第一番」があったのでした。

左下から右に向かって見てください。
1円・5円・1円・5円・10円・5円・1円・5円・1円・・・
おおっ!規則的だぁぁ!と驚きながらも、
つい「贅沢!」と思ってしまう、ビンボー性の藤田でした。

ポートフォリオ


nakazawa_hideki at 21:41コメント(0)トラックバック(0)  この記事をクリップ!

2007年01月09日

方法絵画、方法詩、方法音楽(方法主義宣言)

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方法絵画、方法詩、方法音楽(方法主義宣言)
by中ザワヒデキ(美術家)、松井茂(詩人)、足立智美(音楽家)
2000

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中ザワさんの美術家人生を語る上で、
決してはずしてはいけないこと・・・それが「方法」です。
「方法」は、美術家の中ザワヒデキ、詩人の松井茂、音楽家の足立智美の
3人によって、2000年に始められました。

この「方法絵画、方法詩、方法音楽(方法主義宣言)」は、
年賀状で少なくとも500通以上、Eメールで少なくとも1000通以上、
2000年1月1日に発送されました(と詩誌「妃」に書いてあります)。
発送当時、年賀状には「方法主義宣言」の文字はないですが、
Eメールには「方法絵画、方法詩、方法音楽(方法主義宣言)」と書かれていました。
2000年1月1日当時は想定されなかったのですが、
その後、「方法主義第二宣言」など、続いて発表していくものとの違いがあるため、
いまは「方法主義第一宣言」という名前で呼ばれています。

当時の中ザワさんは36歳。
美術家として新しい活動をはじめるには、きっと勇気も必要だったはず。
美術以外のジャンルの人との活動をすることも、きっと決断があったはず。
私は現在32歳ですが、中ザワさんがどうしてこんなことをはじめたのか、気になります。
詩誌「妃」には、中ザワさんが詩人の松井さんとランチをともにしたときに、
方法の活動をしようと思った、という当時の状況が書いてあります。

ところで、難しい言い回しの「方法主義第一宣言」は分かりにくいですね。

「同語反復」とは、「美術は美術である」というように、同じ言葉を繰り返す言い方。
内容には意味がないのですが、論理はあります。
快楽を求める考え方でないので、方法主義は禁欲主義です。
つまり、美術にとっての快楽である「色」を使いません。
その代わりに、すでに昨日などにも紹介していますが、
中ザワさんの当時の作品を見ると、文字、お金など「違う物質」で作られています。
快楽がないので、しかたなくツマラナイものになる、
というか、ツマラナイものを作るだけになる。
という論理なので、単調だったり、パターンになっている作品になります。

・・・ということを、
2000年の元旦に宣言された「方法主義」。
途中で音楽家が足立さんから三輪眞弘さんに代わり、
活動自体は2004年12月31日で終わっています。

バブル崩壊後、不況と言われ続けた時代に生まれた運動らしいと思います。
しかし、この5年間の活動で発表した作品群は、数が多く、本当に退屈。
中ザワさんの美術家人生の一時期やイメージを形づくった活動でもあり、
もちろん中ザワさん以外の詩人、音楽家の当時およびその後の活動にも
着目すべきことは多いです。
私個人は、その退屈で単調なものを、とても面白く感じていました。
ジャンルを横断しようとする試みも、うらやましく見えたものです。

1月8日に紹介した「903個の回文的造語から成る文章第一番」
朝日新聞あるいは1月6日7日に紹介した「金額」のシリーズなどもそうですし、
今後も小出しに「方法」時代の作品は紹介していきます。
そのたび、この「方法主義第一宣言」を読み直してもらえればと思います。

方法 詩誌「妃」


nakazawa_hideki at 23:14コメント(0)トラックバック(0)  この記事をクリップ!

2007年01月05日

縦三七横七五の異種画素配置第一番

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より見やすいデータはこちら

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縦三七横七五の異種画素配置第一番
2000
81×162cm
塩ビフィルム、アクリルパネル
撮影:黒川未来夫
発表歴:2000 個展 佐野画廊(香川)、2001 病院ギャラリー(愛媛)
佐野画廊蔵

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「たてさんじゅうなな よこななじゅうご の いしゅがそはいち だいいちばん」
と読みます。

中ザワさんが2000年から2004年までしていた「方法」の活動。
「方法」の記念すべき第一回目の機関紙(といってもメール)に
この作品について、以下のような説明があります。

 「快楽に直結する色彩の画素をモノクロのJIS記号に置換した色彩絵画。
  木・火・土・金・水いずれかの部首を持つ漢字が形づくる線と、
  黒または白の碁石が形づくる線は、
  囲碁では「セキ」と呼ばれる拮抗状態となっている。
  ちなみに、囲碁は点を連ねて線として面を囲う視覚抽象ゲーム。
  仮名は倒立させることもある。」

「ほほー」と言ったアナタ、すばらしい。
そうじゃないアナタも私も、実はこれ、難しいことではないらしい。
さ、何度もこの文章を読み直して、クリックして拡大画像で確認してください。
あるいは、パソコンから遠ざかって見るのも、左右対称っぽく&細胞みたいで面白いですよ。
ぜひいろんな見方で楽しんでみてください!

中ザワヒデキポートフォリオ


nakazawa_hideki at 22:57コメント(0)トラックバック(0)  この記事をクリップ!
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