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二艘木洋行と第四表現主義前夜
Hiroyuki Nisougi and the Eve of the Fourth Expressionism
【本文確定】
インターネットのお絵かき掲示板で描いた画像を二艘木洋行が初めて作品として発表したのは、2005年9月に東京経堂のappelで開催された個展「PARADIGM SHIFT」でのことでした*8a1。この展覧会名が意味する劇的変化を美術界が体現するには、2010年4月のカオス*ラウンジ宣言まで待たねばなりません。長く続いた多様性の時代から、前衛の時代への移行のことです。pixivやTwitter等のSNSを駆使しつつ表現する大勢のハンドルネームの若者が可視化されましたが*8a2、その転換を2010年とするならば、二艘木洋行のデビューは5年遡ることになります*8a3。
二艘木洋行の独自な作風は*8a4、おたく文脈で主流の美少女キャラ系とはまるで無縁で、作品形式としてはアンチ・アンチエイリアスの系統の中解像度ビットマップでした*8a5。ビットマップとベクターの問題系については、2005年5月から私が「芸術特許」プロジェクトという形で再提出していました*8a6。同じ問題系を「ニューエイドス」というキーワードによって重視していた都築潤と私は、以降数多くの公開対談を重ねました*8a7。
2007年9月、イラストコミュニケーションサイトpixivがサービスを開始し、数週間で会員数が1万を突破、急成長しました*8a8。いくつかあったお絵かき掲示板カルチャーがpixivに統合され、描き手同士のつながりが加速しました。2008年5月、二艘木洋行が企画した「お絵かき座談会」のゲストには、pixiv開設2日目くらいで登録したというJNTHED[JNT]も呼ばれていました。座談会の印象は、おたく文脈のイラストがいろいろな意味でマニエリスム的なことと*8a9、それとはかけ離れた外観の二艘木洋行の作品が、ヘタうま的なピクセル描画の肯定感をかもし出していたことでした*8a10。
梅沢和木[梅ラボ]は、2007年にpixivを始めたときのことを次のように語っています。「最初は試しに『涼宮ハルヒの憂鬱』をモチーフにした絵を投稿したんですよ。そしたらすごい勢いで閲覧数が上がっていくから、これは面白いと思って。しかも、30分くらいで絵を見た嘘くんからメッセージが来たんです。ダーッとすごく長い文章でマイピク申請されて」*8a11。これをきっかけに、梅沢和木は藤城嘘が企画するポストポッパーズに参加することになるわけですが、こうした連帯以外に、pixivそのものをツールとすることによって、梅沢和木は自身の作風を確立しました。「完成度の高い萌え絵を描こうとも試みたんですが、どうしても抽象絵画っぽくなったりしてしまって描けなかった。それでこの美術っぽさと『ハルヒ』っぽさを融合できないものかといろいろ試した結果、(中略)どんどんキャラクターを増やしていく方法にたどり着いた」*8a12。キャラクターの集積は、絵の具のドリッピングの集積としての抽象表現主義絵画を凌ぐ強度と新しさを梅沢和木の画面にもたらしました。
1990年生まれの藤城嘘は、萌え画的なモチーフをアナログの絵の具で表現主義的に描きます*8a13。同時に彼は、仲間を集めることも創作のなかの編集行為と考え、まだ高校生だった2007年秋から「pixivなどでいいなと思った人たちにガンガン声をかけ」旺盛な活動を開始、人力SNS集団を称するポストポッパーズを立ち上げて2008年9月14日、GEISAI #11に最初の出展を果たしました*8a14。表現主義風作品の大量展示に加え、壁へのライブペインティング、さらには遊びに来た人たちが自然と集まり通路に輪になって座り皆で絵を描く光景も出現、画集や冊子も飛ぶように売れ、いくつかの画廊から引き合いもあり、大変な熱気がブログの日記に保存されています*8a15。比較的少人数だったポストポッパーズの展示は2010年までに5回行われましたが、大人数を集めた発展形として藤城嘘はカオス*ラウンジを始動、2009年3月に東京国分寺のmograg garageで第1回展、同2009年8月には東京南青山のビリケンギャラリーで第2回展を実施しました。展示の場としてのオフ会という基本コンセプトとライブペインティング有りのスタイルを引き継ぎながら、「世代も性別も国籍もメジャーもマイナーもアナログもデジタルも飛び越えて」参加者は50名程度、大勢の来場者に恵まれ「まさにカオス*でした」(『もぐらぐ日記』より*8a16)。
人力SNSという言葉が象徴するようなアナログとデジタルの融合は、この時代にはpixivとGEISAIというアーキテクチャやインフラのみならず*8a17、個々人の活動スタイルや、個々の作品内部にまで及ぶようになっていました。梅沢和木は、デジタル出力物の上からラメを貼ったり絵の具を盛ったりしていましたが、2013年にはモニタ画面上にまでそれを施すに至りました*8a18。二艘木洋行は、2005年の展示以降アナログの手描きを封印していましたが、2010年の個展までには解禁、2014年のVOCA展出品作ではデジタル出力と手描きの混交を試みました。一方、ドローイングとペインティングの対比では、この時代には線描に着彩するタイプのドローイングが多数派でした。これは表現主義的傾向が出てきてはいても、おたく文脈のイラストが通奏低音となっていたことを示唆するものです。すなわち同人誌あるいはZINEにおける線描や*8a19、キャラ文化におけるキャラクター自体の成り立ちが、ペインティング=ビットマップ系ではなくドローイング=ベクター系であることと関係します*8a20。このためライブペインティングという言葉が使われてはいましたが、実態としてはライブドローイングの語のほうが適切な場合が少なくありませんでした。
【未訳】インターネットのお絵かき掲示板で描いた・・・
*8a1
【註確定】
*8a1
「お絵かき掲示板」はビットマップのペイントソフトが組み込まれた電子掲示板のサービス。すなわちウェブブラウザ上で絵が描け、その場で公開でき、交流できるというものです。その元祖「お絵かきBBS.com」は1999年8月にpoositeという名称で登場し、2000年1月にお絵かき交流サイトとして運営を開始、2002年6月にはお絵かき掲示板のレンタルサービスを開始しました。ほかにも何社か運営会社があり、また個人開設のサイトもあり、お絵かきツールも何種類かある、日本国内の文化のようです。二艘木洋行がお絵かき掲示板(poo「オリジナル・シンプル板」)を開始したのは2002年で、そこで描いた画像をキャンバス上に出力し、アート作品として現実空間に展示したのが2005年のappelでの個展でした。参考1:虎硬「昨今、お絵描き掲示板」『であ、しゅとぅるむ』展覧会カタログ、Review House編集室、2013年、114-117ページ。参考2:筒井宏樹編「年表 二艘木洋行とお絵かき掲示板展」同展カタログ、118-123ページ。参考3:神野智彦(gnck)「二艘木洋行論:お絵かき掲示板と(お)絵描き-画像の演算性の美学Ⅱ」『北加賀屋クロッシング2013:MOBILIS IN MOBILI-交錯する現在』展覧会カタログ、北加賀屋クロッシング実行委員会、2014年、53-55ページ。
【和文決定・英訳可】[固有名]Tomohiko Kannno (gnck) An Essay on Hiroyuki Nisougi and His Works: Oekaki BBS and Art (The Art of Digitalizing Images II) "Kitakagaya Crossing 2013: Mobilis in Mobili - Crossing Today" Kitakagaya Crossing Organaizing Committee
*8a2
SNS(ソーシャルネットワーキングサービス)とは、人と人とのつながりを促進しサポートする会員制のウェブサイトのサービス。その一つTwitterは140文字以内の短文を投稿できる(URLを貼れば画像等も共有できる)情報サービスで、2006年7月にアメリカのオブヴィアス社(現・ツイッター社)が開始、運営しています。pixivはイラストの投稿に特化し、自分の描いた絵と自分がブックマークした絵が自身のプロフィールを形成するSNSで、日本のピクシブ社が2007年に開始、運営しています。SNSにはほかにFacebook、LINE、mixiなどがあります。
【和文決定・英訳可】
*8a3
この段落にも顕著な、歴史記述特有の文(アーサー・C・ダントーが「物語文」と呼ぶところの)は、確信犯的なところがありますのでご注意ください。なお本章タイトルの「搾取前衛」は、本書改訂版のための私の造語です。参考:貫成人『歴史の哲学 物語を超えて』勁草書房、2010年、1-5ページ。循環史観→5d。
【和文決定・英訳可】[固有名]Arthur C. Danto「narrative sentence」
*8a4
「二艘木の作品は、基本的には絵画などの『アート』や、同人カルチャーの『イラスト』ではなく、商業イラストレーションの系譜に位置するといっていいだろう。10代の頃の購読雑誌は『美術手帖』ではなく『イラストレーション』であり、公募にも応募している」(gnck、前掲書、53ページ)。作品は確かにその通りかもしれません。しかし肩書も商業イラストレーターかというと違和感があります。もっとも二艘木洋行に限らず、この系譜の作品の作者は、肩書に違和感がある場合が少なくありません。あるいは二艘木洋行の場合は、お絵かき掲示板なのだから肩書は「絵かき」というのでしたらしっくりきます。しかしそれでも「二艘木は、お絵かき掲示板を含むウェブイラストというフィールドの中では、決してメジャーな存在でも画風でもない」(同書、同ページ)。2005年のappelでの個展案内状が送られてきた時の私の新鮮な驚きを、敢えて昔の似た経験から思い起こすなら、日比野克彦の第3回日本グラフィック展大賞受賞作を初めて印刷物で目にした時や、伊東淳の第1回日本グラフィック展大賞受賞作を後から見た時の、言葉よりも目が先行して喜んでいた感覚です。伊東淳、日比野克彦→*5c8、*5c9。日本語のイラストレーション→*7a2。
【和文決定・英訳可】
*8a5
gnckは「中解像度における美」を論ずるにあたり、お絵かき掲示板などの「400x400ピクセル程度の、ドット絵とはもはや呼べない程度に巨大だが、ピクセルがあからさまに見えるサイズの解像度の画像を問題としたい」と述べ、さらにジャギー(ピクセルのギザギザ)は通常は汚いものとされるという一般通念に触れた後で、次のように記しています。「隣接するピクセルを中間的な色調にすることで、ジャギーを目立たせなくする方法があり、これをアンチエイリアスという。しかしどうだろうか。ジャギーは、この作品がまさに画像でしかないことを、高らかに宣言している。中ザワヒデキはアンチエイリアスに対し、『アンチ・アンチエイリアスの立場をとっている』としている。中ザワの問題意識を引き継ぐ画家ともいえる二艘木洋行は、中ザワのようなアンチ・アンチエイリアス的な作品を発表した時期の後に、あえてアンチエイリアスが自動でかかるエアブラシツールとバケツツールを組み合わせ、アンチエイリアス部だけが汚なく目立つような画面をつくり始める。二艘木はこの時期の制作意識を、『アンチ・アンチ・アンチエイリアスくらいになった』としている」(gnck「画像の問題系 演算性の美学」『美術手帖』2014年10月号、165-174ページ)。バカCG→*6b12。芸術評論第1席→*8c9。
【和文決定・英訳可】
*8a6
ビットマップは画素の表組的配置により画素間の差分からヴェネツィア派的な色彩の感覚が惹起する点描画的で原子論的なコンピューター上の画像記述方式、ベクターは曲線の方程式的定義により意味性の生成からフィレンツェ派的な形態の理念が屹立する線描画的でイデア論的なコンピューター上の画像記述方式です。私の場合、1990-1995年は「バカCG」として2Dビットマップ、1996年は「特許出願」として3Dビットマップ、1997-2004年は「方法芸術」として抽象ビットマップと抽象ベクターを追究しました。2005年5月、個展「芸術特許」の開催により1996年の発明を芸術であると主張するプロジェクトを開始しましたが、それは、ビットマップとベクターのそれまでの追究の成果を総合して再提出するという側面を伴いました。都築潤の場合、2001年に個展「VERVE」で2Dベクターの追究を開始、すぐに「ニューエイドス」と呼び直し、2010年の同名の個展へと至ります。都築潤の2Dベクターの特徴は線の集積による多数性の獲得で、村上隆の塗り絵的2Dベクターとはだいぶ異なります。参考:中ザワヒデキ『芸術特許』3331 Arts Chiyoda、2010。ビットマップとベクター→*4c2、*7c8。塗り絵ベクター→*7c5。キャラベクター→*8a16。ニューエイドス→*8b6。
【旧*8a7】【和文決定・英訳可】
*8a7
2008年末には会員数50万、1日の投稿1万枚に達しました。この時期のネット文化の飛躍的な隆盛としては、こうしたpixivの盛り上がりのほか、2005年登場のYouTubeと2007年登場のニコニコ動画により「MADムーヴィー」(音声や動画素材等をコラージュしたもの)が爆発的に増殖したこと、「東方Project」の二次創作がきわめて盛んになったことなどが挙げられます。
【旧*8a8】【和文決定・英訳可】
*8a8
マニエリスム問題→*7a10、*7a11。二艘木洋行の独自な作風→*8a4。
【旧*8a10】【和文決定・英訳可】
*8a9
「片桐社長が聞く! プラットフォーム『pixiv』とは何か? カオス*ラウンジ編」『美術手帖』2011年6月号、69ページ。なお、マイピクとは簡単に言えばpixiv上の友達機能による友達。
【旧*8a11】【和文決定・英訳可】
*8a10
同書、71ページ。多数のキャラクター→*8d3。
【旧*8a12】【和文決定・英訳可】
*8a11
古田雄介「顔の見えるインターネット第95回:ネットの『熱さ』、現代アートに-藤城嘘とカオス*ラウンジ」『ASCII.jpxデジタル』2011年6月9日、http://ascii.jp/elem/000/000/611/611133/ 2014年10月20日に訪問。
【旧*8a14】【和文決定・英訳可】
*8a12
藤城嘘「2008年09月18日 GEISAI#11を終えて、レポート、感想」『ねこべぇす』http://blog.livedoor.jp/nyammta/archives/51212489.html 2014年10月20日に訪問。表現主義→*5a4、*5b9、*8c7。
【旧*8a15】【和文決定・英訳可】
*8a13
「2009.03.19 Thursday カオス*ラウンジ始まります!」『もぐらぐ日記』http://mograg-garage.ohta-motoko.com/?eid=1188729 2014年10月20日に訪問。
【旧*8a16】【和文決定・英訳可】
*8a14
「北加賀屋クロッシング2013:MOBILIS IN MOBILI-交錯する現在」での展示。神野智彦(gnck)「梅沢和木論:キャラと画像とインターネット-画像の演算性の美学Ⅰ」同展カタログ、北加賀屋クロッシング実行委員会、2014年、41ページ。
【旧*8a18】【和文決定・英訳可】[固有名]Tomohiko Kannno (gnck) An Essay on Kazuki Umezawa and His Works: Characters, Images, and Internet (The Art of Digitalizing Images I) "Kitakagaya Crossing 2013: Mobilis in Mobili - Crossing Today" Kitakagaya Crossing Organaizing Committee
*8a15
「21世紀に入り、国内で俄かに興隆をみせてきたZINEというサブカルチャー。コピーとホチキスで作られたセルフパブリッシングというフォーマットは、ZINEを知る大方の人たちに共有されているイメージだろう」(ばるぼらx野中モモ「日本のZINEについて知ってることすべて第0回:ZINEのABC」『アイデア』2014年11月号、192ページ)。
【旧*8a19】【和文決定・英訳可】
*8a16
簡単にいえば、キャラクターは特徴や性質すなわちイデアを表徴する線であり記号であるため、ベクターすなわちドローイングということになります。なおここでのドローイングとペインティングの対比はエスキスとタブローの対比ではなく形態と色彩の対比のことで、ここでの文脈としては形態派がマニエリスムに、色彩派が表現主義に対応しています。(別の文脈では形態派はキュビスムを介して反芸術に対応するとされることもあります。)塗り絵ベクター→*7c5。ビットマップとベクター→*8a6。
【旧*8a20】【和文決定・英訳可】