現代美術史日本篇 1945-2014[8] 2010-2014 搾取前衛8a 8b 8c 8d フクシマ以後の反表現主義的動向

8d
フクシマ以後の反表現主義的動向
Anti-Expressionist Movement After Fukushima

【本文確定】

本節では2011年以降の反表現主義的もしくは非表現主義的な動向からいくつか拾います。

震災と原発事故の後、美術に何ができるかという議論や反原発デモが盛んとなりました。(元)現代美術家の小田マサノリ[イルコモンズ]による「アトミックサイト」シリーズや、音楽家の遠藤ミチロウ、ギタリストの大友良英、詩人の和合亮一が代表を務める「プロジェクトFUKUSHIMA!」等が立ち上がりました。あるいは、美術とは無関係にボランティア活動を行い、常連参加者は顔やせダイエット目的(笑)だったりした美術家タノタイガの「タノンティア」。毎週金曜日の官邸前反原発デモへの参加を呼びかける木曜深夜の一斉メールが、読み物としても面白かった元美共闘の堀浩哉。美術としての表現ならば、チン↑ポムや、指差し作業員(竹内公太)、キュンチョメの作品に見られるような直接的なものから*8d1、太陽光も核エネルギー由来であることから発想された河口龍夫の「太陽と描いた円」のような間接的なものまで、いくらでも挙げられそうです*8d2

始動時には表現主義の急先鋒だったカオス*ラウンジは、震災により方向を明確に転回したグループでした。ただし、伏線が二つありました。一つは2010年の宣言の内容がすでに反表現主義的、かつ、破滅*ラウンジがすでに反芸術的だったこと。もう一つは2011年5月19日に「きめこな騒動」が起きて炎上し、その後の対応も著しく不適切だったせいで、pixivその他の界隈から追放を食らったこと*8d3。それゆえ2011年10月に黒瀬陽平が発表した文章に、「10年代の日本は、『震災以後』の世界となってしまった。そして、価値転倒すべき文化全体の構図も、まるで変わってしまった」「『カオス*ラウンジ宣言』はもはや、批評としての効力を失った」とあったのは、ある意味当然だったかもしれません*8d4。以後は、表現主義ではなくてリアリズム、芸術のための芸術ではなくて人生のための芸術(もしくは社会のための芸術)を、はっきり打ち出すようになりました*8d5

ところで近代以降の芸術における規範とは、芸術のための芸術すなわち芸術の自律性とともに措定されてきたものですが、その喪失が、人生のための芸術すなわち芸術の多様性を惹起したのだと考えられます*8d6。1995年の規範の喪失以降、人生のための芸術の一翼に位置する「社会のための芸術」が、たとえば「取手アートプロジェクト」のようなアートプロジェクト的なアートとして*8d7、または「大地の芸術祭 越後妻有アートトリエンナーレ」のような地域アートとして*8d8、ずいぶん勢力を伸張しました*8d9。表現主義の新動向とは無関係なこの流れは、震災によって、新たな説得力を獲得したといってもよさそうです。東北の各地で大小さまざまなアートプロジェクトが立ち上がり、「東北を元気にするために」日本全国からのみならず、ジョルジュ・ルースやクリスチャン・ラッセンまで、世界中からアーティストが集まりました。

反芸術は、表現主義とは別様態の芸術のための芸術であると私は考えています*8d10。外山恒一が率いる福岡の政治結社「我々団」の芸術部門、ファシスト東野大地とダダイスト山本桜子は、芸術誌系弾圧機構として2011年9月に『メインストリーム』を創刊、創刊宣言で「我々はお前らの芸術に放水車を差し向け、ブルドーザーで踏みにじる者たちの一味である」「万国のブルドーザーよ、団結せよ!」と呼びかけました。2012年7月、メインストリーム別冊『ラール・プール・ラール』を発刊、日本語で「芸術のための芸術」です。その山本桜子が「明晰で快活で些かの暗さもましてやルサンチもなく全く無理なく非人間的である(ように見える)」と分析したのは*8d11、2012年2月に私が脱退し皆藤将が加入した新生「新・方法」でした。メンバーの平間貴大の「無作品作品」シリーズは、20世紀には作品が有り題名が無い「無題」という作品が数多く作られたことに鑑み、21世紀には題名が有り作品が無い「無作品」という作品を数多く作るというものでした。

最後に、ハイアートの逆襲ともとれる抽象絵画の新傾向です。細密なマニエラでも情熱のストロークでもない手順的なペインティングで、絵の具の筆致にスプレー(青木豊)、五芒星の手描き反復(小佐誠一郎)、紐状の絵の具を積層(草刈ミカ)、塊状の絵の具を重層(高橋大輔)、あるいはキャンバスを組み合わせて自立させたり(南川史門)、ストライプを歪ませ組み合わせたりします(今井俊介)。額田宣彦や岡崎乾二郎、中村一美といった先行世代の絵画の仕事が、表現主義的にではなく、ポップ風味に継承されているかもしれません。「絵画の在りか」展(2014年、東京オペラシティアートギャラリー)を企画した堀元彰によれば、「具象絵画一辺倒だった2000年代と比較すれば、抽象絵画への回帰は徐々に増しつつある」とのことです*8d12。ポストモダンへの反撃が、美術内美術の側から、始められているのかもしれません。

【未訳】本節では2011年以降の反表現主義的あるいは・・・[訳者用参考URL]「絵画の在りか」http://aloalo.co.jp/arthistoryjapan/8d_14100401.pdf
*8d1

【註確定】

*8d1
岡本太郎現代芸術賞(通称TARO賞)は社会言及型のインスタレーションがもともと多い印象ですが、キュンチョメの『まっかにながれる』が岡本太郎賞(最高賞)を受賞した2014年の第17回展ではその傾向がいっそう強まり、また、キュンチョメのみならずサエボーグ、じゃぽにか、アートホーリーメンといった上位入賞者の作家名にある種の時代傾向が垣間見られた気がします。
【和文決定・英訳可】[固有名]Kyun-chome Saeborg arthorymen Japonica

*8d2
2013年、第55回ヴェネチア・ビエンナーレ国際美術展日本館での田中功起の展示が特別表彰に輝いたことも記憶に新しいところです。「田中功起『abstract speaking - sharing uncertainly and collective acts(抽象的に話すこと-不確かなものの共有とコレクティブ・アクト)』は、複数の人々が共同で一つの課題に取り組む様子を捉えた映像と写真によって構成 されており、テーマは『東日本大震災』ですが、一見すぐには読み取れません。しかし、反発したり歩み寄ったりする人々の姿を見るうちに、震災後の社会をどのように共同で作って行けるのか、という問いが、見る人それぞれの中にゆっくりと浮かび上がってくる内容となっています」(国際交流基金 PRESS RELEASE No.902 2013年6月1日)。松井みどりの「『マイクロポップ』は、マイクロポリティカルでもある」との一文を思い出してもよいのかもしれません。マイクロポップ宣言→*7e1
【和文決定・英訳可】「abstract speaking - sharing uncertainty and collective acts」「Micropop is micropolitical.」

*8d3
梅沢和木が自作に「キメラこなた」のキャラクターを使用したことに端を発する騒動。ネット住民はおたくコミュニティ内で築き上げられてきたn次創作における暗黙のルールを踏みにじられたと感じ、梅沢和木ならびにカオス*ラウンジに非難が殺到しました。黒瀬陽平の「ネット上の画像を転載、無断利用することはこれからも続ける」「ゴメンねはない」等の発言がいっそうの炎上をあおり、pixiv側も初期対応を誤り大量の会員離れが起きました。キャラクターの集積から成る梅沢和木の作品はもともと著作権に抵触していましたが、震災という「主題」を表現するためには、それまでのように多数のキャラクターを等価に扱う抽象表現主義的な画面処理では間に合わないため、単独のキャラクターを中心に据えリアリズム的な画面構成を導入しようとしたことが、何よりもこの騒動の始まりでした。著作権→*6a3。多数のキャラクター→*8a10。キャラベクター→*8a16
【和文決定・英訳可】

*8d4
黒瀬陽平「震災後、ふりかえって」『CHAOS*LOUNGE』2011年10月、2-4ページ。
Yohei Kurose "After the Earthquake, Looking Back" CHAOS*LOUNGE. October 2011. pp.2-4.

*8d5
この視点を導入するといっそう面白く見えた展覧会がありました。2014年に武蔵野市立吉祥寺美術館で開催された「われわれは『リアル』である 1920s-1950s プロレタリア美術運動からルポルタージュ絵画運動まで:記録された民衆と労働」です。展示には戦争画も含まれていました。なおこういったリアリズム絵画が「社会のための芸術」だとすれば、それは作品内容すなわち作品の主題が「社会のため」であるということが、アートプロジェクト的なアートとの相違点となります。主題を描き大衆に訴える→*1c2。アートプロジェクト→*8d7
【和文決定・英訳可】

*8d6
「時代区分としての近代は、中世における神や近世における君主を主役の座から引きずり降ろしたところから始まった。中世や近世における芸術は神や君主を讃える技術のことであったが、近代における芸術は神権や王権という規範を喪失している。これら外的な規範の喪失から、二つの態度が導かれた。ひとつは規範を自らの内に求める態度で、芸術の自律性のことである。もうひとつは規範を自らの内に求めず、エントロピーの増大にまかせる態度で、芸術の多様性のことである。それゆえ近代以降の芸術史は、自律性と多様性の振幅として語られる。(中略)芸術の自律性は、芸術のための芸術と関係がある。純粋化の徹底から還元主義が導かれるが、これは美学の文脈におけるモダニズムのことである」(中ザワヒデキ「芸術の方法と方法の芸術」『岩波講座 哲学7:芸術/創造性の哲学』岩波書店、2008年、156ページ)。「芸術の多様性は、人生のための芸術と関係がある。雑多な思想の許容が、エントロピーの増大の承認すなわち『なんでもあり』を惹起するが、これは広義のポストモダニズムのことである」(同書、160ページ)。ポストモダンとポストモダニズム→*5a2。芸術のための芸術と反芸術→*8d10。循環史観→5d
【和文決定・英訳可】

*8d7
アートプロジェクトは、アートは無批判的に善であるとの前提で展開される場合がほとんどで、それゆえ芸術としての自己批判が成り立ちにくいという問題が存在します。さらに2点追記します。(1)一貫してアートプロジェクト的なアートを肯定的に展開しているように見える中村政人は、メタ・アートプロジェクトの立ち位置において他とは一線を画しているかもしれません。アーティスト・イニシアティブ コマンドNの主催により2005年から2006年にかけて東京神田のプロジェクトスペースKANDADAで開催された「KANDADA / project collective commandN」は、全国で展開されている進行形のアートプロジェクトを束ねて紹介するというアートプロジェクトでした。中村政人という作者名が冠されることこそありませんが、こうしたメタ性に潜む良い意味での創造的な搾取こそが、「行為の絶対的肯定精神を軸に企画された展覧会」であったギンブラートから3331 Arts Chiyodaそして「Trans Art Tokyo」に至るまで、一貫した彼の表現であるといった見方も可能です。(2)アートプロジェクト的なアートが「社会のための芸術」だとすれば、それはたいてい、作品内容すなわち作品の主題がではなく、作品や作者の存在の仕方や、「リレーショナル・アート」的な周囲の人びととの関係性が、「社会のため」となっているということです。これがリアリズム絵画との相違点となります。ギンブラート→*6d3。3331 Arts Chiyoda→*8b4。リアリズム絵画→*8d5
【和文決定・英訳可】

*8d8
2014年の時点においては、アートプロジェクトと地域アートはほぼ重なりますが、前者はもともと、クリスト&ジャンヌ=クロードによる1960年代の梱包芸術にあった反体制の精神や、反対に国策芸術であるところの岡本太郎による「太陽の塔」建設プロジェクトまでをも含めることができる語です。それに対して後者は、「芸術は善」の無自覚的な押しつけと、「若者離れ対策」という地域行政における需要とが、めでたくも一致するような構造を典型とし、さらには「他所がやってるからうちも」といった、なしくずし的な流行さえ言い当てるような語のようです。「地域アート」の語は、それが跋扈する現状を批判する意図で書かれた藤田直哉の論説「前衛のゾンビたち:地域アートの諸問題」(『すばる』2014年10月号、240-253ページ)の提出によって定着した感があります。ちなみにこの分野においても、大文字のART的な漢字の「美術」ではなく、歴史から自由な片仮名の「アート」の表記が無自覚的に選択され、「芸術は善」の無自覚性が守られているようです。「芸術は悪」については、2001年のアメリカ同時多発テロの後に書かれた私の「芸術原理主義者の処世術」(機関誌『方法』第11号、2001年11月)を参照。国策芸術→*4b3。片仮名の「アート」→*5c12*8b2
【和文決定・英訳可】

*8d9
社会的正義 (ポリティカル・コレクトネス) の頭文字からPCアートと呼ばれる動向もあった1990年代以降、社会言及型の美術も追求され続けています。会田誠の「戦争画リターンズ」シリーズ(1995年開始)は、当時の私には彼の転向のようにも見えました。2000年代には「アートセラピー」の可能性が語られた時期もあります。2014年1月には東京神保町の「路地と人」で「楽しい反戦」展が、2014年9月には東京世田谷のSNOW Contemporaryで「反戦:来るべき戦争に抗うために」展が開催されました。前者は小田島等が若者たちに声をかけて実現したもので、従来の「反戦」イメージが払拭されました。後者は集団的自衛権の行使容認の閣議決定を受けて、美術評論家の土屋誠一が美術関係者たちに呼びかけて実現、ノーキューレーション方式が採られたため、これが「社会のためのアート」とするなら、戦争画やリアリズム絵画のように内容や主題が「社会のため」なわけではなく、アートプロジェクトのように作品や作者の存在の仕方(作品が壁の一部を実際に占有し作者名がリストに載ること自体)が「社会のため」であるというタイプとなりました。アートセラピーと循環史観については、中ザワヒデキ「第三の超現実主義、その矛盾:アートセラピーの『可能性』」『アート×セラピー潮流』フィルムアート社、2002年、178-185ページ参照。PCアート→7a
【和文決定・英訳可】

*8d10
芸術のための芸術と反芸術→*3b8。ポストモダンとポストモダニズム→*5a2。芸術の自律性と多様性→*8d6。循環史観→5d
【和文決定・英訳可】

*8d11
山本桜子の2012年10月18日のツイートより。 https://twitter.com/saqrako/status/255117293154078720
【和文決定・英訳可】

*8d12
堀元彰「絵画の在りか」『絵画の在りか』展覧会カタログ、東京オペラシティアートギャラリー、2014年、8ページ。
Motoaki Hori "The Way of Painting" The Way of Painting. exhibition catalog. Tokyo Opera City Art Gallery. 2014. p. 13.


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履歴(含自分用メモ)

2014-09-12
- 言えます→いえます に統一
- おこなわれ→行われ に統一
- ×年ころ ○年頃
- ×オタク ○おたく
- ×ひとつ ○一つ
- ×とは言え ○とはいえ
- ×を得ない ○をえない
- ×いちおう ○一応
- 本頁作成。

20141004【和文本文決定】
- 新訳となります。
- [訳者用参考URL]「絵画の在りか」http://aloalo.co.jp/arthistoryjapan/8d_14100401.pdf
20141022【和文注記決定】
■初校時改変(注記*8d2表記)[1英文無関係]:第55回ヴェネチア>>第55回ヴェネツィア
■初校時改変(注記*8d5参照先)[2英文に影響]:。アート>>。日本アンデパンダン展→*3b10。アート