現代美術史日本篇 1945-2014[7] 1995-2009 マニエリスムと多様性7a 7b 7c 7d 7e マイクロポップ、美術内美術、チン↑ポム

7e
マイクロポップ、美術内美術、チン↑ポム
Micropop, Art Within Art, Chim↑Pom

【本文確定】

1995年に始まった多様性の時代は快楽主義とマニエリスムを主調としながらも、私的な日常だったり、ひそやかだったり、ゆるかったりしました。2000年前後には中堅となった東京ポップ世代が気炎を上げましたが、「悪い場所」も「スーパーフラット」も結局はポストモダンの承認に働くものでした。いつしかコマーシャルギャラリーの時代が到来していましたが、それも規範の不在によるもので、2005年を過ぎてもなおゆるかったり、ひそやかだったり、私的な日常が続いたりしていました。それらを「マイクロポップ」と呼び、他方に「美術内美術」の存在を認め、チン↑ポムほかの固有名も挙げていけば一応2009年頃までの美術文脈については記述できそうです。が、非美術文脈のおたく文化、特にキャラ文化も同時代に共存していたことを忘れるべきではありません。美術文脈からはまだはっきりとは見えていなかったそれらについては、次章で記します。

2007年2月から5月にかけて、美術評論家の松井みどりの企画による「夏への扉:マイクロポップの時代」展が水戸芸術館で開催されました。参加作家は、島袋道浩、青木陵子、落合多武、野口里佳、杉戸洋、奈良美智、有馬かおる、タカノ綾、森千裕、泉太郎、國方真秀未、大木裕之、半田真規、田中功起、K.K.の15名。このうち1959年生まれの奈良美智は先駆者との位置づけで、残りの14名は1960年代後半から70年代の生まれです。松井みどりはマイクロポップの概念について、フランスの哲学者ジル・ドゥルーズとフェリックス・ガタリ、フランスの歴史学者ミシェル・ド・セルトーの名前を挙げながら、「制度的な倫理や主要なイデオロギーに頼らず、様々なところから集めた断片を総合して、独自の生き方の道筋や美学をつくり出す姿勢を意味している」「主要な文化に対して『マイナー』(周縁的)な位置にある人々の創造性である」等と説明し、マイクロポップの「ポップ」はアメリカのポップ・アートとは関係のない小文字のポップだとしました*7e1。すなわち、対アメリカ戦略に打って出た「スーパーフラット」や、日本美術史にリセットを仕掛けた「悪い場所」のようなあからさまなイデオロギー性からは距離を置き、前述の1995年からの諸傾向を弱者の立場に置いたまま、フランス思潮のオブラートで巧妙にくるんで承認したのです*7e2。「マイクロポップ」の語は応用域が広く口当たりのよい新語として、またたく間に盛んに使われるようになりました。

ところで一部の美術家たちにとっては、1995年に太田出版から発行された『批評空間1995臨時増刊号 モダニズムのハード・コア-現代美術批評の地平』(共同編集=浅田彰・岡崎乾二郎・松浦寿夫)が、普通に必読書だったようです。同書は磯崎新、柄谷行人、浅田彰、岡崎乾二郎による共同討議「モダニズム再考」を冒頭に据え、クレメント・グリーンバーグやマイケル・フリードほかの教科書的な1960年代の重要文献の邦訳を初めて掲載、ジョセフ・コスースへのインタビューのほか、岡崎乾二郎や松浦寿夫の評論等も盛り込まれていました。日本の美術界の内部には1980年代から90年代にかけてフォーマリズムが追求された文脈がありましたが*7e3、本書が読まれることによっても、引き続き2000年代にも遅れてきたモダニストたちが登場し続けました。共同編集者の一人である岡崎乾二郎自身はポストミニマルな作風ですが、1980年代から90年代にかけてはBゼミ(という美術学校、2004年閉校)、2000年代後半は四谷アート・ステュディウム(2004年-2013年)を拠点に、一定の影響力を美術内美術の場で発揮し続けています。

そうでなくとも、あからさまなポストモダンには与しない立場の展覧会はいくつもありました。2006年、府中市美術館で行われた「第3回府中ビエンナーレ 美と価値:ポストバブル世代の7人」では、「自己に内在する感性(美)と、外在する論理(価値)との整合性をはかれるか」との観点から大竹敦人、窪田美樹、小林耕平、境澤邦泰、豊嶋康子、松井茂、森本太郎が紹介され、彼らの作品の中に1970年代美術と共通するコンセプチュアルな要素が存在することが示されました*7e4。2008年には、西武鉄道旧所沢車両工場で「所沢ビエンナーレ・プレ美術展2008 引込線」が美術家主導の企画として行われ(16名が出品)、2009年には第1回展(36名が出品)、2011年以後も会場や方式を変えつつ隔年継続中です。本展の特徴の一つは論文集を兼ねたカタログが会期後に出版されることです(プレ展カタログには15名、第1回展カタログには28名が寄稿)。また、アーティスト・ランという方式も美術内美術の追求を可能とします。写真家の北島敬三らが2001年に始めたphotographers’ galleryや、画家の境澤邦泰らが2002年に始めたART TRACEは、ギャラリー運営のほかに出版活動、林道郎や松浦寿夫を招いた講演会等を手がけます。2008年に展覧会の試みとして「組立」を開始した画家の永瀬恭一も出版活動を行いますが、彼らの出版物からは『モダニズムのハード・コア』の影響が見え隠れします*7e5。

ほかに多様性時代を形作った美術家や集団で、固有名を挙げておきたい筆頭は2005年に結成されたチン↑ポムです。頭の良い不良少年少女ぶりでニュータイプ・ゲリラ・アートを大規模に展開。そして2002年に「God Bless America」を発表した高嶺格、物理現象を用いる名和晃平、ネオ受験絵画のエッセンスもあるO JUNほか、挙げていけば枚挙にいとまがありません。

【未訳】1995年に始まった多様性の時代は・・・[固有名]The Door into Summer -The Age of Micropop, Contemporary Art Gallery, Art Tower Mito, The 3rd Fuchu Biennial - On Beauty and Value: Seven Artists of Post-Bubble Generation, Fuchu Art Museum, Pre-Exhibition Tokorozawa Biennial of Contemporary Art SIDING RAILROAD [訳者用資料] 7a_14100101.pdf
*7e1

【註確定】

*7e1
松井みどり「マイクロポップ宣言:マイクロポップとは何か」『マイクロポップの時代:夏への扉』株式会社パルコ、2007年、6-7ページ。
Midori Matsui "Micropop Manifesto: What Is Micropop?" The Age of Micropop: The New Generation of Japanese Artists. Parco Co., Ltd. 2007. pp. 8-9.

*7e2
日本のフォーマリズム→*6b1*7a6
【和文決定・英文未】

*7e3
コンセプチュアルという切り口からは、マイクロポップやひそやか系の一部作家たちも含めて考えることができます。ひそやか系→*4b5*7b1
【和文決定・英文未】

*7e4
ここでとりあえず「美術内美術」組と「ポストモダン」組の分断というふうに日本の現代美術界をとらえるならば、両者の間には埋めがたい溝が存在しているかもしれません。私が参加したある美術館のグループ展の会合で、担当学芸員が「(海外から見て)奈良美智や村上隆だけが2000年代の日本の美術ではないということを知らしめたい」というような意味の発言をしたところ、出席していた美術家の1人が、「そういうことを言うことさえ得策ではない。名前を出せば出すだけ奈良、村上側を利する。無視するのが一番良い。話題を変えましょう」と言い出したことがあり、根深いものを感じたことがあります。思えばこのようなやり方で、藤田嗣治も岡本太郎も、日比野克彦もタナカノリユキも横尾忠則も大竹伸朗も、日本の美術界から「無かったこと」にされてきたのではないでしょうか。そしてそれは現在進行形で今も、別の新たなプレーヤーに対して行われているのかもしれません。参考:中ザワヒデキ「割れ肌というコラージュ、敗戦国のコギト」『流政之作品論集』美術出版社、2008年、60-87ページ。国策芸術→*4b3
【和文決定・英文未】

*7e5
別の例としては、2007年に上野の森美術館で発表された会田誠の長いタイトルの作品「美術に限っていえば、浅田彰は下らないものを誉めそやし、大切なものを貶め、日本の美術界をさんざん停滞させた責任を、いつ、どのような形で取るのだろうか。」があります。筒井宏樹が『Review House』創刊号(2008年2月)の後記に書いた文章を引用します。「いま、日本の美術の状況はどうだろうか? この問いについて考えるとき、去年発表された会田誠の浅田彰・岡崎乾二郎批判の作品を思い起こす。岡崎の絵画を彷彿させるその作品は、タイトルによって名指しで批判が示されており、その露骨さからアイロニーともユーモアとも受け止められず、もはや笑えないような不気味さだけが感じられた。(中略)浅田・岡崎の組み合わせは、村上隆によって企画されたイベント、原宿フラット(2000)の座談会に招かれたふたりであることを想起させる。この討議を岡崎・浅田組と村上・椹木組によるタッグマッチと考えるのは『下司の勘ぐり』であるとして浅田彰によって予め予防線が張られていたが、(中略)現状はもはや対立構図どころか原宿フラットのような対話さえなく、棲み分けされた状況がいっそう加速化しているように感じられる」(75ページ)。そして椹木野衣の『シミュレーショニズム』と浅田・岡崎編集の『モダニズムのハードコア』の2冊に共に興味を抱く筒井宏樹自身の引き裂かれた立場からの、編集者としての態度表明へと続けられています。ニューアカ→*5a5。美術に属する表現と大衆文化に属する表現→*8c4
【和文決定・英文未】


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履歴(含自分用メモ)

2014-09-07
- 言えます→いえます に統一
- おこなわれ→行われ に統一
- ×年ころ ○年頃
- ×オタク ○おたく
- ×ひとつ ○一つ
- ×とは言え ○とはいえ
- ×を得ない ○をえない
- ×いちおう ○一応
- 未完ながら公開。

20140930
- タイトル改変しました…旧:マイクロポップ、チン↑ポム、遅れてきたモダニスト Micropop, Chim↑Pom, Late Modernists
20141001【和文本文決定】【和文注記決定<取消】(作品解説はありません)
- 本文…新訳となります。[訳者用資料] 7a_14100101.pdf
- 注記…新訳となりますが、記入済です。
20141001の2【和文注記決定の取消】
- 注記に7e4追加予定となりました。和文注記決定を取り消します。内容は本文には影響しません。和文本文決定は変わりません。
20141012【和文本文決定後、注記箇所追加】
- 7e4さらに新設、旧7e4は新7e5。英訳には影響しません。
20141019【和文注記決定】
■初校時改変(本文第1段落語句)[2英文に影響]:中堅となった東京ポップ世代>>中堅となった東京シミュレーショニズム世代
■初校時改変(本文第2段落注記箇所)[2英文に影響]:したのです*7e2。「マイクロ>>したのです。「マイクロ
■初校時改変(本文第3段落注記箇所)[2英文に影響]:ありましたが*7e3、本書>>ありましたが*7e2、本書
■初校時改変(本文第4段落注記箇所)[2英文に影響]:示されました*7e4。2008年>>示されました*7e3。2008年
■初校時改変(本文第4段落注記箇所)[2英文に影響]:見え隠れします*7e5。>>見え隠れします*7e4 *7e5
■初校時改変(注記*7e1参照先)[2英文に影響]:ページ。>>ページ。マイクロポリティカル→*8d2