現代美術史日本篇 1945-2014[7] 1995-2009 マニエリスムと多様性7a 7b 7c 7d 美と価値とインフラ 7e

7d
美と価値とインフラ
Beauty, Value and the Infrastructure

【本文確定】

ところで同じ芸術でありながら、文学や音楽とは圧倒的に異なる点が美術にはあります。それは文学作品や音楽作品とは異なり、通常の美術作品には証券としての価値がついて回ることです。そして厄介なことに美術では、芸術としての価値と証券としての価値が、しばしば混同されます。たとえば美術作品の価格には、芸術としての価値と証券としての価値の二つが含まれているにもかかわらず、あたかも「美の価格」それ自体であるかのように錯覚されがちです。こういった状況は、2000年代にことさら加速したように私は思います。

まずは、芸術としての価値の純粋化に自覚的な系についてです。夏目漱石の『坊ちゃん』が文庫本なら数百円、ネットなら無料で読めるからといって、文学作品が含む芸術としての価値が低いわけではありません。むしろ人口に膾炙することによって、芸術としての価値がいっそう保全されると考えてもよいくらいです。1990年頃に始まるコンピューターを利用した美術作品の制作は、コンピューターデータが作品である場合、『坊ちゃん』と同等の作品存在の仕方を可能とするはずでした。コンピューターでは劣化の無い複製がいくらでも可能なため、芸術としての価値を減ずることなくフロッピーディスク等にパッケージして数百円で売ったり、ネットで無料公開したりできたからです。私が1990年代前半に打ち出した「バカCG」は、作品の一点性あるいは少数性に由来する証券としての価値や、物質性に由来する骨董としての価値を、反芸術的な観点から退けようとするものでした*7d1。そしてそれは、文学や音楽と対等に連繋しようとした2000年前後の私の「方法」作品にも受け継がれました*7d2。参照項としては、作品からアウラを駆逐しようとした1960年代の概念美術が挙げられます*7d3。とはいえこれらの試みは、結果的には失敗だったようでした。ヴァルター・ベンヤミンが1930年代にすでに非アウラ的芸術を歓迎していたようには、人々は芸術としての価値の純粋化を歓迎しなかったことが理由の一番目です。そしてコンピューター環境の変化が過去を切り捨てる形で進み、1990年代の作品データが2000年代の環境ではすでに鑑賞不能となっていたことが理由の二番目でした。

次に、芸術としての価値の純粋化という発想を持たない系についてです。簡単にいえばこの系には、芸術としての価値それ自体の弱体化から演繹された側面と、資本主義システムにおける商品価値こそが評価であるとみなす側面があります。

芸術としての価値の弱体化は、それを律する規範の不在に起因し、つまりは論理的な批評や一定の歴史観の後退によるものでした。逆に言えば、それらが健在だった頃には、美術作品の価格と価値はイコールではありませんでした*7d4。それどころか、「本当に良いものは売れない」「売れるものに真の価値はない」といったような行き過ぎた言説さえあり、東京ポップの時代、そういった風潮に対し元東京藝術大学の学生たちが「嘘ばっかり」と警戒していたことを私は思い出します。これを反面教師とし、「アート・ワールドは日本には存在しない」との中村信夫の言を「アート・マーケットは日本には存在しない」の意にとらえ*7d5、「だから日本に作らなければ」と奮起したのが村上隆や小山登美夫らだったように思います。結果を出すということは、作品が高く売れるということだと「普通に」考え実践したのだと思います。

2000年代中盤にこの系が圧倒的になったのには、さらに多くの要因が挙げられます。小山登美夫ギャラリーに引き続き数多くの若い世代のコマーシャルギャラリーが台頭し、海外のアートフェアに飛び込んでいったこと。それにより日本の美術作品が世界の価格体系の中に公正に参入していったこと。美術家は美術家で、特定の主義を掲げた集団活動をほとんど行わず、個人プレイヤーとしてコマーシャルギャラリーの傘下に行儀良く収まっていったこと。つまり美術家主体というよりは、コマーシャルギャラリーの時代が到来したこと。一方で、シンワアートオークションをはじめとする相次ぐ国内オークション会社の設立により、市場に透明性がもたらされたこと。そうしたインフラの整備がコレクターの増大につながり、市場の拡大に寄与したこと。日本と世界の好景気も、市場の拡大を後押ししたこと。そしてオークション主導の価格決定がなされるようになり、それによりいっそう価格と価値がイコールであるかのように見えたこと*7d6

そして何より、村上隆自身が作品価格の高騰という結果を出し、著書『芸術起業論』(2006年、幻冬舎)やGEISAIほかで盛んな啓蒙を行ったことが、「売れるものが良いものだ」という考え方の普遍化に貢献したように思われます。村上隆の「マイ・ロンサム・カウボーイ」(1998)が、2008年5月14日のサザビーズ春のオークションで1516万ドル(15億9200万円)で落札されたことは、日本の現代美術にとっても大きな快挙でした。お金の話は確かに、人々に夢を与えます。

ところが2008年9月15日、リーマン・ショックが発生しました。それまで拡大が続いた世界のアート・マーケットも打撃をまぬかれず、アートバブルがはじけました。オークションでは多くが不落、作品価格は一挙に下落しましたが、よく考えてみれば『坊ちゃん』の芸術としての価値が市場経済の浮沈にいちいち左右されるはずが無いのです*7d7。左右されたのは美術作品価格に含まれる、証券としての価値でした。となると、芸術としての価値はやはり論理的な批評や一定の歴史観の定立によって、もっと決定されているべきでした。そのためにはやはり規範の復権が欠かせないことになります。

【未訳】ところで同じ芸術でありながら、・・・
*7d1

【註確定】

*7d1
中ザワヒデキ「完全なるバカCGにはピンセット・手袋・マスクが必要」『美術手帖』1991年8月号、美術出版社、18-19ページ。中ザワヒデキ「その後のバカCG 第3回」『イラストレーション』NO.97 1996年1月号、玄光社、120-121ページ。
【和文決定済・英訳可】

*7d2
中ザワヒデキ「骨董としてのCG作品プリントアウト」『広告』1998年1-2月号、博報堂、65-69ページ。
【和文決定済・英訳可】

*7d3
松澤宥やジョセフ・コスースの作品を指しています。
【和文決定済・英訳可】

*7d4
「少なくとも、かつてアートの価値は、市場によって決定されるものではありませんでした。売れる作品というのは、たしかに目立ちます。けれども、売れる作品=よい作品というわけではない。それは自明のことでした」(椹木野衣『反アート入門』2010年、幻冬舎、190ページ)。椹木野衣も過去形で書いているように、いつ頃からか、「それは自明のこと」ではなくなってしまっているようです。
【和文決定済・英訳可】

*7d5
*6b5参照。
See *6b5.

*7d6
中国や新興のアジア市場が急成長したことも挙げられます。とはいえ中国人作家の価格高騰には、欧米における美術史をふまえた従来の価値決定システムでは通用しない論理が働いているようです。これは、従来の価値基準を弱体化させるものでもあります。*7a10参照。
【和文決定済・英訳可】

*7d7
そもそも『坊ちゃん』は作品自体の構成や思想や魅力に加え、夏目漱石の他の小説作品との関係性において、または前後の時代の他の文学者の作品との関係性において、すなわち批評や歴史の力によって、「芸術としての価値」が(通常は)決定されているのです。この「芸術としての価値」は、美術作品ならばもちろん「証券としての価値」に影響を及ぼします。このことを否定しているわけではありません。しかし「証券としての価値」が逆向きに「芸術としての価値」に影響を及ぼすということは、(通常は)考えにくいのです。ここで三点補足します。一点目は一番目の「(通常は)」に関わる注記です。前後の文脈を見ずその作品自体の形式しか考慮しない批評の方法(フォーマリズム批評)もあります。二点目は二番目の「(通常は)」に関わる注記です。たとえばアンディ・ウォーホルのように、証券としての価値が作品内容に確信犯的に含まれているような場合は、例外となります。三点目は読解上の注記です。批評の力が「芸術としての価値」を決定するということが本来の姿ですが、現実には批評家が、「証券としての価値」の追認にすぎない言動をすることがあります。これは「証券としての価値」が「芸術としての価値」に影響を及ぼした事例に該当するのではなく、批評と批評家が乖離したと考えるべきです。すなわち批評家が御用批評家に成り下がったとき、批評の力による「芸術としての価値」の決定は行われず、批評不在となるのです。
【和文決定済・英訳可】


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履歴(含自分用メモ)

2014-09-03
- ×年ころ ○年頃
- 本頁作成。第一版全文削除(以下)。
- 2006年、府中市美術館で開催された第3回府中ビエンナーレは「美と価値 ポストバブル世代の7人」と題され、豊嶋康子や詩人の松井茂等、ネオ・コンセプチュアル系の作品が展覧されました*7d1。快楽一辺倒に見える2000年代美術の中にも1970年代的な禁欲的傾向が潜むことが明らかにされ、美あるいは快楽が、価値とは直結しないことが再確認されました。
 とはいえ概念的価値の拠り所となる規範の無い今日にあっては、作品の商品としての経済的価値のみが取り沙汰されることになります。その意味で、近年の美術がオークション主導型に見えるのは故無きことではありません。
 かつて日本はオークションに対する法規制が厳しく、コマーシャルギャラリーは美術館を相手にするしかありませんでした。小山登美夫と、続く若手世代の画廊が海外のアートフェアに活路を求めるようになって、初めて日本の美術が世界の価格体系の中に参入しました。その後の法改正でオークション時代が到来しましたが、市場に出るということは他国の情勢にも晒されることを意味します。中国や韓国、台湾はここ数年アートバブルです。日本もその煽りを受けています。
 本書は2004年に東京都現代美術館で行われたMOTアニュアル2004「私はどこからきたのか/そしてどこへ行くのか」出品作として書き始められました。完成まで時間がかかりましたが、歴史認識も価値を形成するもう一つのインフラであるとの考えから書き進めました。
The third Fuchu Biennale, held at Fuchu Art Museum in 2006, was titled as "On Beauty and Value: Seven Artists of Post-Bubble Generation," and Neo-Conceptual artworks including works of Toyoshima Yasuko, and works of Matsui Shigeru (a poet) were exhibited. Although art of 2000s might look only pleasure or hedonism, it was now clear that asceticism from 1970s lurked. We reaffirmed that beauty or pleasure did not directly connect with values.
And yet, the commercial value of an art piece is the only point of reference and stressed in this world where there are few other criteria of conceptual value. Hence the current art seems to be lead by auctions.
The legislation governing auctions in Japan used to be very strict and commercial galleries had to deal mainly with museums. Eventually Koyama Tomio and other commercial galleries from young generation found a way out in art fairs abroad, and then Japanese artworks became recognized in the international price system for the first time. The period of auctions has now arrived since the amendment of the law was made. Coming into market naturally means exposing itself in competition internationally. Art Bubble in China, Korea, and Taiwan in recent years has made an impact on the Japanese art world.
Writing of this book was started in 2003 as the exhibit for MOT Annual 2004 "From Where Did I come? / To Where Will I Go?" which was held at The Museum of Contemporary Art, Tokyo in 2004. It was a time-consuming task to be completed, but it was carried on as I believed understanding of history is another infrastructure that creates an intrinsic value.
*7d1 同展会期中、私は公開制作室で頭に直接電極を装着し「脳波ドローイング」を行いました。
I fitted an electrode directly on my head and made a performance "Brainwaves Drawing" during the exhibition.

2014-09-05
- 数カ所手直し。

2014-09-11
- 7d8を改変し7d9を新規追加。旧7d8: そもそも『坊ちゃん』は作品自体の構造や思想や魅力に加え、夏目漱石の他の小説作品との関係性において、または前後の時代の他の文学者の作品との関係性において、すなわち批評や歴史の力によって、芸術としての価値が決定されているのです。この「芸術としての価値」は、美術作品ならばもちろん「証券としての価値」に影響を及ぼします。このことを否定しているわけではありません。しかし「証券としての価値」が「芸術としての価値」に影響を及ぼすということは、アンディ・ウォーホルのような確信犯を別とするならば、普通には考えにくいのです。

20140930【和文本文決定】【和文注記決定】(作品解説無し)
- 全て第一版とは無関係の新規テキストです。
■初校時改変(注記*7d1出典)[2英文に影響]:8月号、美術出版社、18>>8月号、18
■初校時改変(注記*7d1出典)[2英文に影響]:1月号、玄光社、120>>1月号、120
■初校時改変(注記*7d2出典)[2英文に影響]:2月号、博報堂、65>>2月号、65
■初校時改変(注記*7d5参照先)[2英文に影響]:*6b5参照。>>少年アート→*6b5
■初校時改変(注記*7d6参照先)[2英文に影響]:あります。*7a10参照。>>あります。中国現代美術→*7a10
■初校時改変(注記*7d7表記)[1英文無関係]:下がったとき、批評>>下がった時、批評