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美と価値とインフラ
Beauty, Value and the Infrastructure
【本文確定】
ところで同じ芸術でありながら、文学や音楽とは圧倒的に異なる点が美術にはあります。それは文学作品や音楽作品とは異なり、通常の美術作品には証券としての価値がついて回ることです。そして厄介なことに美術では、芸術としての価値と証券としての価値が、しばしば混同されます。たとえば美術作品の価格には、芸術としての価値と証券としての価値の二つが含まれているにもかかわらず、あたかも「美の価格」それ自体であるかのように錯覚されがちです。こういった状況は、2000年代にことさら加速したように私は思います。
まずは、芸術としての価値の純粋化に自覚的な系についてです。夏目漱石の『坊ちゃん』が文庫本なら数百円、ネットなら無料で読めるからといって、文学作品が含む芸術としての価値が低いわけではありません。むしろ人口に膾炙することによって、芸術としての価値がいっそう保全されると考えてもよいくらいです。1990年頃に始まるコンピューターを利用した美術作品の制作は、コンピューターデータが作品である場合、『坊ちゃん』と同等の作品存在の仕方を可能とするはずでした。コンピューターでは劣化の無い複製がいくらでも可能なため、芸術としての価値を減ずることなくフロッピーディスク等にパッケージして数百円で売ったり、ネットで無料公開したりできたからです。私が1990年代前半に打ち出した「バカCG」は、作品の一点性あるいは少数性に由来する証券としての価値や、物質性に由来する骨董としての価値を、反芸術的な観点から退けようとするものでした*7d1。そしてそれは、文学や音楽と対等に連繋しようとした2000年前後の私の「方法」作品にも受け継がれました*7d2。参照項としては、作品からアウラを駆逐しようとした1960年代の概念美術が挙げられます*7d3。とはいえこれらの試みは、結果的には失敗だったようでした。ヴァルター・ベンヤミンが1930年代にすでに非アウラ的芸術を歓迎していたようには、人々は芸術としての価値の純粋化を歓迎しなかったことが理由の一番目です。そしてコンピューター環境の変化が過去を切り捨てる形で進み、1990年代の作品データが2000年代の環境ではすでに鑑賞不能となっていたことが理由の二番目でした。
次に、芸術としての価値の純粋化という発想を持たない系についてです。簡単にいえばこの系には、芸術としての価値それ自体の弱体化から演繹された側面と、資本主義システムにおける商品価値こそが評価であるとみなす側面があります。
芸術としての価値の弱体化は、それを律する規範の不在に起因し、つまりは論理的な批評や一定の歴史観の後退によるものでした。逆に言えば、それらが健在だった頃には、美術作品の価格と価値はイコールではありませんでした*7d4。それどころか、「本当に良いものは売れない」「売れるものに真の価値はない」といったような行き過ぎた言説さえあり、東京ポップの時代、そういった風潮に対し元東京藝術大学の学生たちが「嘘ばっかり」と警戒していたことを私は思い出します。これを反面教師とし、「アート・ワールドは日本には存在しない」との中村信夫の言を「アート・マーケットは日本には存在しない」の意にとらえ*7d5、「だから日本に作らなければ」と奮起したのが村上隆や小山登美夫らだったように思います。結果を出すということは、作品が高く売れるということだと「普通に」考え実践したのだと思います。
2000年代中盤にこの系が圧倒的になったのには、さらに多くの要因が挙げられます。小山登美夫ギャラリーに引き続き数多くの若い世代のコマーシャルギャラリーが台頭し、海外のアートフェアに飛び込んでいったこと。それにより日本の美術作品が世界の価格体系の中に公正に参入していったこと。美術家は美術家で、特定の主義を掲げた集団活動をほとんど行わず、個人プレイヤーとしてコマーシャルギャラリーの傘下に行儀良く収まっていったこと。つまり美術家主体というよりは、コマーシャルギャラリーの時代が到来したこと。一方で、シンワアートオークションをはじめとする相次ぐ国内オークション会社の設立により、市場に透明性がもたらされたこと。そうしたインフラの整備がコレクターの増大につながり、市場の拡大に寄与したこと。日本と世界の好景気も、市場の拡大を後押ししたこと。そしてオークション主導の価格決定がなされるようになり、それによりいっそう価格と価値がイコールであるかのように見えたこと*7d6。
そして何より、村上隆自身が作品価格の高騰という結果を出し、著書『芸術起業論』(2006年、幻冬舎)やGEISAIほかで盛んな啓蒙を行ったことが、「売れるものが良いものだ」という考え方の普遍化に貢献したように思われます。村上隆の「マイ・ロンサム・カウボーイ」(1998)が、2008年5月14日のサザビーズ春のオークションで1516万ドル(15億9200万円)で落札されたことは、日本の現代美術にとっても大きな快挙でした。お金の話は確かに、人々に夢を与えます。
ところが2008年9月15日、リーマン・ショックが発生しました。それまで拡大が続いた世界のアート・マーケットも打撃をまぬかれず、アートバブルがはじけました。オークションでは多くが不落、作品価格は一挙に下落しましたが、よく考えてみれば『坊ちゃん』の芸術としての価値が市場経済の浮沈にいちいち左右されるはずが無いのです*7d7。左右されたのは美術作品価格に含まれる、証券としての価値でした。となると、芸術としての価値はやはり論理的な批評や一定の歴史観の定立によって、もっと決定されているべきでした。そのためにはやはり規範の復権が欠かせないことになります。
【未訳】ところで同じ芸術でありながら、・・・
*7d1