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 中ザワヒデ
 キ文献研究
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【留意事項】
本報告について中ザワヒデキは、事実誤認がさまざまなレベルで多々あることを了承の上で読んでいただく分 には公開しておく意義があるとし、公開している

第二期十八回

二〇〇八年十一月十九日

文献
「現代美術史日本篇 第四章」 pp.40-53#pp.407-413
「現代美術史日本篇 第五章」 pp.54-63#pp.414-419
「現代美術史日本篇 第六章」 pp.64-78#pp.419-426
「現代美術史日本篇 第七章」 pp.79-89#pp.426-433

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「現代美術史日本篇 第四章 もの派、概念派、美共闘(還元主義と多様性: 1964-1980頃)」
|4a 日本概念派(1) オブジェを消せ
|4b 日本概念派(2) トリックス・アンド・ヴィジョン
|4c もの派
|4d 美共闘、ポスト概念派、ポストもの派
|4e 絵画回帰

「現代美術史日本編 第五章 ヘタうま、パルコ、超少女(脱前衛: 1980-1985頃)」
|5a 日本のポストモダニズム
|5b 内部: インスタレーション、超少女、新表現主義
|5c 外部: ヘタうま、パルコ、反イラスト
|5d ポストモダニズムと循環史観

「現代美術史日本編 第六章 関西ニューウェーブから東京ポップへ(再現芸術: 1985-1995頃)」
|6a 森村泰昌と関西ニューウェーブ
|6b 東京ポップ前夜
|6c 東京ポップ(1)村上隆と中村政人
|6d 東京ポップ(2)小沢剛と会田誠

「現代美術史日本編 第七章 スーパーフラット、快楽と方法(マニエリスムと多様性: 1995頃-)」
|7a 快楽とマニエラの絵画、PC、私的写真と電脳美術
|7b ひそやか派、スタジオ食堂、昭和40年会
|7c スーパーフラット宣言、方法主義宣言
|7d 美と価値とインフラ
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中:第5章がへたウマ、パルコ、脱前衛で第2章と繋がる流れですね。

か:まず日本のポストモダニズムですが、80年代にポストモダニズムが流行してそれが日本にも輸入されてくるという形があります。

中:そうですね、その前に半田さんが「本書では」っていうのを「本書で私は」って言った方がいいと言っていましたが「本書で私は正史として扱います」と書き直そうか?(笑)「従来の日本美術では無視されていますが本書で私は正史として扱います」と。

た:「私」はいらないですよ。「本書の著者である所のこの私は正史として扱います。ご理解頂けますでしょうか?この私の意見ですが」とどんどん長くなっていきます。それは言葉に対する不信感ですね。そしてつきつめると何もしゃべらなくなる。それがサバルタン。

は:わかりました(笑)

中:でも本書以外でもその立場をとっているという言い方もありますからね。

か:でも中ザワヒデキの美術史以外の美術史では80年代は空白の様に扱われている事が多くて、その時代にパルコとかセゾングループとかその辺が文化を支えていたと。

中:文化またはサブカルチャーかな。

た:ここの記述は素晴らしいです。今はまさしく多様性の時代になっています。

中:僕の認識だとこの時期はまだかけ声だけで実質はなかったんだけど、それ無しに多様性になっているんだよね。

た:「ポストモダニズムは理論的には規範の欠如による多様性と平板化を惹起するはずですが、、、」というのが95年からで、その前はモデルで、一種の規範性をもっていた。

中:そうですね。

か:言葉通りのポストモダニズムは95年以降なんですね。そして80年代の日本の表現者たちは美術史としてみた中で面白いなと思ったんですが、イラストレーターをやめて自分の絵を描きたいと言っていた友人がいて、リアリティを感じました。

次はインスタレーション、超少女、新表現主義です。ここの最後の方で横尾忠則や大竹伸朗が取り上げられています。当時は美術界では無視されていたのでしょうか。

中:無視でもなかったりします。椹木野衣が取り上げたりもしています。美術内部には届かなかったり。西武美術館も買ったりしていますが、西武ひとまとめにしてちょっと違うっていう考え方もありました。

た:内部だけどもっとコアな所ですね。超少女はスケベオヤジなノリなんでしょうか。

中:前にも言っていましたね、半田さんが「ちょっと!」とつっこみを入れていましたね。ただ超少女はその前に神田のパレルゴンでも注目されていて、美術内部の問題なんだという意識はありましたね。

た:女流棋士とかのノリですかね。この頃ですよね流行っていたのは。

中:この頃は新人類とかも流行っていて、それに呼応するものかもね。でもこれは美術手帖で特集されたという記事ですからね。

た:ヘンタイよい子新聞もこの頃ですよね。

中:そうですね。ほぼ日の前にやっていました。

た:美術内部にもサブカルチャーのノリを持っていたんですね。ビックリハウスは強いですね。美術内部も外部も多様性の時代に入り込んでいく時代ですね。

中:多様性ではないです、主情主義の時代です。

た:Don't think,feelの時代か。

中:どういうこと?

た:考えるな、感じろという事です。抑圧に対する自由というような。

中:そうそう。

た:面白いのが両方とも西武が絡んでいる。

中:そうですね。その時に、ミニマリズムから表現主義の繋がりが組まれていたりして、全然ちがう様に見えるんだけど、ミニマリズムの中のある部分を取り出してみると表現主義に向かう回路があるというのをジェニファー・バートレットがミニマリズムとして、一つの風景を文体練習みたいに印象派風とかいろんなタッチで描くというのをやっていたりして、それがそのままレトロスペクティブな事やミニマルな事をやっていくように見えるんだけどそのまま主情主義に繋がっていく。

た:それはデジャブ解禁ですね。前に進まなければならないという近代主義からポスト・モダンへ向かう道です。

中:そうね、ここにも描いてあるけどそれはデジャブ解禁という名のメジャブなんだよね。

た:あらゆる規範はないんだという人類史初のお祭り騒ぎですね。それこそ消費社会が作りだしたスーパーマーケット的な感性です。重要な指摘だと思います。一番最初の無礼講です。本文には書かれていないですね。

中:そうですね、書かなきゃな。岩波哲学でも書こうとしていて削除しちゃった部分なんだよね。でも重要。懐古主義が新しいという。

か:こんなにも商品があるぞ、しかも過去にっていう。

中:それと呼応するものがあるんだけど忘れた(笑)

か:もう一つ、インスタレーションと超少女と新表現主義を並べています。インスタレーションは表現形式だと思うのですが、それは何故だったんですか?

た:それは6行目に書いてあるかな、「彫刻とならぶもう一つの進行をジャンル名のように使われ始めました」。表現形式ではなくて、もっとジャンルとしての傾向として扱う。

中:インスタレーションは設置や展示という意味ですが、70年代後半から場を意識した展示形態を美術用語として使用するようになりました。日本ではジャンル名として使われるようになりました。

た:額縁、平面等単一の形式が多様化したものとして考えても良いですか?アクションではなくて作品として置く場合に絵画というのは単一の形式ですが、その額縁を組み合わせたり壊したり繋げてみたり、その枠組みを工夫して多様化していく。

中:空間が額縁になったという感じですね。

か:空間に対する態度の根本的な違いはなんですか?

中:もの派から来ているんだけど、もの派の時はインスタレーションは展示形式だったんだけど、それが80年代になると何が変わったかというと、「この時期に時自由で奔放な色彩レリーフがインスタレーションの構成要素として登場してきた」からで、もの派やポストもの派における立体という文脈から派生したインスタレーションとは違いがあった。

た:ステラの影響もあるんですかね。

中:あるはず。それは5b1に書いてあります。

た:パブリックアートができてきたのもこの時期ですよね。都市開発があって、この時代の自由で曲線的なオブジェみたいなものは結構あります。

中:それはちょっと前からかな、万博芸術の生き残りから始まっているから。位相ー大地が発表された他のものはみんなパブリックアート。その中にあった。

か:次に行きます。

こ:5b2のアスタリスクの位置が間違っていますね、第2版では修正お願いします。

中:そうですね、ありがとうございます。

か:次はヘタウマ、パルコ、反イラストです。ここではイラスト、日グラが出てきます。この辺は文献研究ではずっとやってきていることでもあります。

中:そうですね、夏の都築さんとのトークではこれが中心でした。

た:この記述なんですが、ヘタうま、ヘタへた、ウマへた、ウマうまの順番なんですが、基準が書いていなくてよくわかりません。どういう順番なんでしょう?優先順位が書かれていません。

中:なるほどね。RHのインタビューではきちんと説明できなかったのですが、マニエリスムはウマうまとうまへたの事ではなくて、本当はウマへたの事だと思っていますが、そこまで説明していないです。「ウマうまとウマへたはマニエリスムなんですけど」とか「ヘタうまはヘタうまとヘタへたです」と説明しています。

か:日グラの第一回展ではスーパーリアルの作品が多かったんですね。

た:エアブラシはこの頃出てきたんですか?

中:エアブラシはもっと前からあった。さっき特に話さなかったけど、絵画回帰の所、上田薫の所ですね。「スーパーリアリズムは美術とデザインの両分野で一世を風靡しました」 

た:エアブラシによるものと考えても良いですか?

中:いいですね。ここにはエアブラシの語は入っていないですけど、入れることによってわかりやすい人もいますね。

た:「エアブラシによって可能になったスーパーリアリズム」という感じでしょうか。

は:全員エアブラシを使っていたわけではないと思いますけど、どうなんでしょう。

中:その辺もぼかした感じにしないとね(笑)エアブラシ”等”とかかな。

た:ただ文章に”等”と入れたとたんに弱くなりますけど。

中:そうですね。

は:この頃にエアブラシが普及しました。

中:そうです。長岡秀星、ペーター佐藤、山口はるみ。たくさんいます。NASAの「アポロのドッキングの画像(想像図)」とか「未来のエアステーション(想像図)」とかに使われたりしています。

た:未来を想像する上での的確なタッチだったんですね。いわゆる油絵的なストロークを残さない、CGの走りです。

中:そうそう、没個性的で物質を感じさせない技法です。

た:5章では日比野克彦がアーティストと自称しはじめた事について書かれていますが、美術とアートとの関係に言及があっても良いかなと思いました。

中:それは5a4に書いたかな、「晦渋なイメージの「美術」の話が当時格好悪く聞こえました。自国の過去の美術史を引き受けようとする事自体がサルトル的で鬱陶しく感じられ、片仮名で「アート」と呼び替えたり、サブカルチャーとしてのイラストレーションの話が自覚的に選択されていたりして「逃走」が図られました。ニューアカのバイブル「逃走論」の影響です。ちなみにこの時代以降、西洋語を漢字を用いて翻訳せずに音声ごと外来語として取り入れる片仮名語が急増しました。」

た:美術手帖がBTになったのは何年でしたっけ。

中:89年の終わりかな。

た:それも書いても良いかもしれません。美術手帖は日本の美術の承認機関のように働いていて、そこが面白いです。

中:それは時期としてはここではなくてシミュレーショニズムの時代です。

た:会田誠のBTという作品は素晴らしいですね。

中:ブルータスを描いたものですね。

は:私の周りは意見が分かれます。美大受験をくぐってきた人達で「なんだあれは」という人もいます。おれはこんなに描けるんだという技量をみせやがってという感じです。

中:そういうノリなんだ。

た:美術予備校生って感じですね。

中:きちんと機能しているという事ですね(笑)

た:おれのブルータスの方がうまいみたいな感じですね(笑)

は:受験が終わるとブルータスはもう見たくないんですよね。

中:思うつぼです。批評もそうです。藤田嗣治と岡本太郎を並べるとは何事!というのが良いんです。

た:対話を生み出すというのは大事な発話の要素です。しかしケンカは無いですね。対話してお互い納得すれば近代が始まります。対立、対立の克服、対立、対立の克服、として国家、そして絶対精神にたどり着くというモダニズムの夢があるのですが、対話がないと自分の中で弁証法をやるしかないという事になってしまう。

か:5dはポストモダニズムと循環史観です。

た:ここではポストモダンの既視感もそういう未史観だったとまとめられています。しかし今回のポストモダンは近代初の既視感解禁だったという事はかいていないです。

中:ここに入れてもいいんだね、それでは第2版のここに入れようか。

た:ここで使っている「快楽絵画」っていうのは普通に使われていた言葉ですか?

中:BTでそういう特集が組まれていました。そこで奈良美智が取り上げられていました。

た:女性イラストレーター系もいました。

中:その後スタジオボイスが「ハニーペインティング」という特集を組んでいました。戻るけど#415の5aですが、「ポストモダニズムは理論的には規範の欠如による多様性と平板化を惹起するはずですが、実際にそうなったのは1995年以降の事です。1980年代初等の脱前衛は「前衛という名の前衛」、サブカルチャーは「サブカルチャーという名のハイカルチャー」、そしてポストモダニズムは「ポストモダニズムという名のモダニズム」という要素を併せ持っていました」と言っています。ここに「デジャヴというジャメヴと言っていいかもしれません」と付け加えることができます。ありましたね(笑)。

た:最後の事件なんですよね、近代芸術にとって。その後はデジャヴとしてのデジャヴになってしまう。ジャメヴとしてのデジャヴとそれ以後との対応が面白い。

中:そしてそのうちデジャヴは嫌だとなってジャメヴを求めるようになる。

た:ただその求める事自体が前衛というデジャヴになるんですよね。

中:その通り。

た:そこからローカルチャー掘り進めていく訳です。漫画、ニコニコ動画にせよ。そして身体を神秘化する流れにも今あるわけです。いわゆる舞踏。舞踏評論は多様性の言語ですから、こう言う風にも解釈できる、こう言う風にも解釈できるという。とりあえずオリンピック的な近代的な規範の身体ではない。そこから体をエサにいろんなポエムを引用してくのが今の舞踏批評です。身体を神秘の源泉としている。無くなった神秘をいろいろ掘り進めているんです。そこは結局モダニズムなんですけどね。

中:そうね、「what's new」が続くんだよね。でもこのときはwhat's newを求めなくていいんだっていうのがwhat's newだった。

た:what's newを求め続けるという流れはテクノロジーに向かっていて、それによって開拓される新しい技術の可能性に意識が向かっています。

中:それはずっとありますね。

た:特にメディアアートが一連の流れになったのはいつくらいですか。

中:古いものでは大阪万博から続いていて、その前から実験工房があったりテープレコーダーもあるし。そして5dにもどりましょう。

か:本文の内容とは少し違うのですが、図では「日本のポストモダニズム」に当たる表現主義の時代がヘタうまになっています。

中:そうだね、パルコの方が良いかな(笑)。表現主義、具体、パルコ。そうなのか?

た:多様性の時代に方法も入ってきますが、そうなんですか?

中:そうです、多様性の中に還元主義も入ってきます。

た:そういう位置づけなんですね。ヒロヤマガタ問題を徹底すると多様性の美学にたどりつくんですよ。快楽主義というのは快楽という単一原理にしたわけです。その原理は複数でかまわない、それを肯定するという事が多様性を肯定することになる。原理の複数制を中ザワさんは求めているわけです。商業的なコントロールのある原理主義とは別の。そして中ザワさんは多様性の美学を持った原理主義者という事になります。

中:そうですね、それは4dの美共闘の所にも書いてあります。「還元主義を継承した美共闘や、還元主義にとどまり続けた他の作家たちも、この時代の多様性の一角を形成したことになります。」

た:ということはこれは揶揄ではなくて事実の確認として書かれているんですね。ヒロヤマガタ問題は展開すると多様性に繋がるんです。

中:そうです、民主主義という原理と、そうではない場合とで語っています。

た:今ある快楽肯定の多様性は商業主義の構造を含む多様性です。

中:あと支配的なイズムが無くなるという事でもあります。共存できてしまう。

た:浅田彰的なポストモダニズムではないけれど、リオタール的なポストモダニズムなんですよそれは。ニューアカ的なポストモダニズムは多数のものが調和する、平和に共存するというものなんですが、元々ポストモダニズムという言葉を作ったのはリオタールで、その内容はマルクス主義の人類解放という目標、ないしヘーゲルの持っていた科学的知識の蓄積による絶対精神、完璧な知への到達という単一原理が無くなったので複数の原理が存在するようになった。そしてそれは調和するのではなく、お互いに抗争しあうものだというものでした。かつその中で商業主義が強い力をもっていて、単一原理が生まれようとしている。それがポストモダニズムのコアな部分なんですが、その後でポストモダンには規範がない、自由だという事で多様性イコール快楽、多様性は調和だという風に誤読されていくわけです。だから非常にオリジナルに近い、緊張関係を孕むものとしての多様性の擁護者になるわけですね。

中:そうです。

た:前から気になっている問題でした。理詰めで考えていくと多様性になるんです。

か:5章はそんな所です。

中:もう1章くらい行きましょうか、今日で最後です。6行きましょうか。

ひ:6章は関西ニューウェーヴから東京ポップへ(再現芸術:1985-1995頃)です。この辺から人名が多くなってきます。そして中ザワさん本人もでてきます。

中:そうですね。

た:中ザワさん自身も当事者として参加していたせいで、解像度が上がっています。

中:そうですね、当事者は強いぞという事をやってしまっていますね。堀浩哉さんからは、6章に自分が出てくるのはどうなんでしょうかといわれました。

ひ:6aは森村泰昌と関西ニューウェーヴです。

た:独立した一人のアーチストと関西ニューウェーヴという運動は分けた方がいいですか?

中:関西ニューウェーヴの代表的な一人なんですが、それは技法としてはシミュレーショニズムでした。そしてニューウェーヴが何をさすかというと、表現主義的な技法を指すとするとそこで齟齬がでてきます。しかしムーヴメントとしては同じ所から出てきています。ここできちんと言及しておきたいという裏テーマがあって、それは石原友明です。いろいろなものの核が石原友明なんだけど、それはあんまり僕もしらないし、美術史にも出ていないんだけど、森村泰昌も石原友明とのキャッチボールで作品ができているし、中原浩大もそう。ただそれはわかりにくいし石原友明もあまり知られていない感じだしね。

た:森村泰昌の本は学生からも人気です。今はドラッグクイーンも人気ですし。

中:そうなんだ、1990年代前半の関西ニューウエーブは全部ドラッグクイーンな感じでしたね。

た:それが今はもっと消費主義の方に引き寄せられていて、ジェンダー的な視点からみると問題もあるんですが、人気ですね。

中:関西ニューウエーブの方はエイズ問題とかですね。

た:今のドラッグクイーンは男と女を超越したアーティスティックで個性的で面白いといった感じでダムタイプとは別ですね。その流れで森村泰昌も人気ですね。

ひ:ドラッグクイーンは多様性の時代のものですか?

た:また別なものです。歴史的にいうと60年代にアメリカで出てきたもので、ジェンダー、規範に対する対抗としてでてきた。それはジェンダーっていうのはもう役割によって構成されているから、セックスよりもジェンダーが先行する、後にジュディス・バトラーが理論化してポストフェミニズムを牽引する理論の先駆けなんですけど、そういう多様性ではなくて、中ザワさんが言う多様性ですね。男女かくあるべしで一対ではなくて男も無数、女も無数にあるという。そのあとすぐに商業主義にとりこまれる。古橋がやったものはそういうものに対しての反発。そして今はもう一度消費主義がきています。ゴールデンタイムでスペシャル番組でやってましたからね、非常に規範的なジェンダーモデルを女が押しつけるっていう新しいものなのですが、そういう感じですね。

中:でも表層的には道具としてはどれも同じ様に使えるよね。ルネッサンスの頃はソドム問題はたくさんあったし、80年代以降だったら表現主義の時代のニューウェーブはまさにカルチャークラブだったし、その後今。だからどの場合でも使えるものですね。

た:男女の対極っていうのは人間が作り出した体系の一番象徴的なもので、中世神学では神の存在証明をしようとしていたもの、今でいうとアートの存在証明みたいなものですが、それは陰と陽とか男と女とか対極の一致だというもので、対極っていう概念は人間が勝手に作り出した物で、言語ゲームですね、でそれを超えたものを神とすると。今なら人間が作り出したものを超えたものとしてアート的に見られるというのはあります。いわゆる超越的なものですね。

中:なるほど、背理法をやるという事ですね。

た:そうです。それで背理法をやることによってパラドックスが証明されて、かつパラドックスが存在しても世界が崩壊しないっていう自律が我々がルールだと思っていた言語の体系がすべてではない、超越的なものが存在するという存在証明になるんです。それが中世神学がやったことで、今はなにげなくアートの世界で便利に使われている事ですね。

藤川(校長):なんだ田村の意見はもう言い終わったのか、平間なんか言え

ひ:この本に関西ニューウエーブと東京ポップを入れることは中村信夫の「少年アート」とBゼミの表現主義はだめだっていう事に対立しているものですね。

中:中村信夫に関してはもうニューウエーブ以前にヘタウマからいれているのが中村信夫的ではないですね、5章以降はもう違います。Bゼミ的なものもそうですね。Bゼミと中村信夫はこの本では4章の辺りでとどまっている、そしてそこから派生していくっていうものですね。

は:西高東低っていうのはこの辺りから言われているんですね。

中:そう。それで村上が出てきてから西高東低の地図に変化が現れてきた。これは英訳難しいですね。

藤川:中ザワさんはダムタイプはどう思うの?

中:展示のものしか見ていないので何とも言えないですが、今の所不感症ですね。

た:PCっぽ所も凄くあるんですよ。

中:そうですね。

た:ん〜、ポストコロニアリズムとか構造主義のエッセンスをちりばめたバライティ演劇ですね、多様性の。かちっかちっと場面が切り替わって、フーコーだとかまた違うものに変わっていくランダム的なものが素晴らしいという。それこそメモランダムとかあるいは”or”ですね、単一のメッセージがあるのではなくて解釈は自由だという言葉の自由、クリステヴァ的です。近代的な言語ではなくて多様性の快楽のテキストですね。

中:そういうものならば見やすいのだけど、僕にとっては身体が邪魔だな。

は:ICCのイメージがあります。

中:東京ではそうかもね。

た:バライティ番組の高尚な感じですかね、それこそメッセージはシリアスですけど。いろんな私的な干渉を呼び起こすようなエッセンスがちりばめられているんですね。

中:次の6bを東京ポップにしているんだけど、ここに引っ張るために関西ニューウェーブを書いているんですね。4章を読めばわかるかもしれないけど、表層は違っても、ダダとポップを同一視してるんですね、反芸術の次のフェーズとして出てきたのがポップ。牧陽一さんの本を読むとダダとポップを区別して書いたりしているのですが、僕はポップはダダというつもりで書いたりしています。

た:ここは東京ポップという新しい独自のものとして書いてあるように読めるので、「ダダの再来としての」と入れた方が良いですね。そこで循環の話になる。

中:逆にそれだけ入れればわかるか。図にはあるんですけどね。

ひ:そうするとヘタうまと関西ニューウエーブも同じ様に見えますね。

中:そこが難しくて、森村を筆頭にだすとむしろポップなんだよね、関西ニューウエーブという名前だけど次なるダダを抱えているんだよね。

た:ニューウエーブはダダではないんですよね。

中:そうです。ヘタうまです。いわゆるニューウエーブ風味(表現主義)と書けばいいのか。第二版で改訂が出来ます。関西の80年代前半からニューウェーブが出てきて、その中で森村泰昌が出てきてニューウエーブ風味からポップ風味に変換した。

た:そうするとその後の多様性、スーパーフラットなどに繋がりやすいんですよ。多様性よりも複数性の方がキーワードとしてはわかりやすいですけどね。

中:なるほどね。

た:多様性っていうのはダイバーシティなんですよ。複数性っていうのはプルーアリティ。多様性は調和的なもので、西洋思想がポストコロニアリズムと従属理論で突っ込まれたときに多様性は調和的なんだといったのですが、その前は複数性でプルーアリティなんですよ。それは原理は複数であるという。多様性は調和という単一原理に従う多様性。だから複数性の方が抗争的なニュアンスが出る。リオタール的には複数性っていう方が使っているんですけどね。多様性っていうのは調和的な印象を受けるし、ポストコロニアリズムでは多様性という言葉は結構使うのですが、それは抗争の可能性を含まない多様性なので、調和前提の多様性と緊張を孕む多様性は分けて使った方が良いですね。

中:そこで問題なのは、僕は複数性っていうのは2でも複数と言っているのですが、それをどうするかですね。

た:そうですね、単数、複数、多数というものですね、中ザワ用語を社会全体の言語ゲームに合わせるのか、中ザワ用語で突き進むのかという政治的な緊張なんですね。そうすると中ザワ用語が根底から覆される可能性があるので、「調和を孕む」「緊張を孕む」というのを付け加えた方が良いですね。

中:それは循環史観の所に入れた方がよさそうですね。

た:多様性というのはポストコロニアルスローガンなんですよ。多様性と対話かな。誤解を招きやすいです。

中:今の話で言うと5dの2段落目には注を出すと。

た:地の文で出した方が良いですよ、異なる原理の間の緊張を孕む多様性と。

中:それはこの文章ではわかるはずだけどね、「否定性の内在化に向かう還元主義的動向と、否定されてしまった現実の外側に逃避しようとするシュルレアリスム的動向とが共存する長い時間」と。ここに「対立しつつ共存する長い時間」と書けばいいのか。

た:シュルレアリスムと抽象主義は統合されないですよね、互いに統合可能な共通原理に還元されなかった二つの原理がある。

中:本文では対立しつつという言葉をいれて、多様性という言葉が出てきたところでダイバーシティとプルーアリティという言葉を入れつつ注を入れると。

た:そうですね、英語だと特にダイバーシティは調和を前提としている所がありますから。そこがあると最終的に中ザワさんのいう多様性にたどり着きます。単一原理の元の多様性ではなくて、原理の多様性という。そこは大事です。

中:ハーモニーの原理だね、ベートーベンの機能和声の原理だね、一度にたくさんの音が鳴るけれど、一つの思想を表せると。それがダイバーシティ。

た:お互いに共通のものに還元しきれないものが同時にあって、緊張を孕んでいるのか、最終的に一つの原理に従っているのか。

中:そういうところが関西ニューウエーブと東京ポップの所の言葉の使い方ですね。なのでダダもポップだという事ですね。

ひ:表現主義も多様性の時代に入るのですか?

た:ハーモニー側の多様性ですか。

中:時代支配的なイズムになっているときは違います。

た:ヘゲモニーが存在するのかしないのかという問題ですね。

中:そうですね。

ひ:91年の第5回東京イラストレータラーズソソサエアエティ展があります。

中:そうですね、元ネタの方の東京イラストレーターズソサエティの方にも表紙を描いたりしました。そして方法始めてからやめました。2000年か2001年ですね。

ひ:6cの東京ポップですが村上隆のポリリズムとかランドセルとか、この時期の作品を入れた理由はありますか?

中:今の時代の作品と違うから入れました。というかダダイズム的な作品です。いわゆるダダとは違いますけど。

た:ニヒリズム的な視点でいうと似ていますが。

中:その点では同じなんですけどね。

た:GEISAIの活動はまたちょと違いますね。

中:そうですね。あと森村と村上をそれ以前の超少女とかといかに違うかという良い解説になると思います。コンセプトありきの強靱な技術という風に書いてありますね。後半の英訳がちょと雑になってるんですよね。では6章はいいですね。

た:次は最終章ですね。

中:第7章です。全体的に最近の動向というか、95年以降の事が書かれています。自分的にはこれ以前の事は知らないことが多かったので、この章はわりとすらすら読めました。マニエリスムの章では小谷元彦さんが出てくるのですが、どの辺がマニエリスムなんでしょうか。

中:作品のうまさと、死のイメージですね。強烈な不の感情をうまさで描くとか彫刻をつくるとか。生に向かうっていうのは古典主義的なんですと。それに対して不の感情とかを技巧的につくるものがマニエリスムですね、会田誠の雲古蜚?図とかそうですね、技巧を使って描くという。マニエリスムは最初は揶揄です。ルネッサンスの時に単に技巧にはしっていると。

た:それを否定的にマニエリスムと言って本人達が引き受けたと。

中:いや引き受けてない。バロックの頃に一つ前の世代の人たちをマニエリスタと言っていた。要するに心が伴っていないといいうものですね。技巧に走っても芸術としてはだめなんだよみたいなね。奇をてらってはいけないみたいな。

この辺は同年代の作家を批判する様な形になってしまう所もあるので苦しいですね。

た:全部批判するというポリシーを立てると楽ですよ。どれも意味がない物として書くと平等になります。

中:そうだね。

た:政治をやるのには不向きですけどね。

中:ここら辺から自分が登場してきますね。ここでは自分の事を私と書いています。

こ:7cにはオウムが出てきますが。

中:そうかそうか、オウム真理教事件は原理主義だっていわれて、解説すると、オウム真理教は選挙に出て落選するんです。アニメなどを使っていたんです。

た:最初は対話を試みたんですね、異なる原理に基づく人々が対話を求めた。そして最終的には暴力になった。最初はおもちゃとしてサブカルとして消費社会に取り込まれていたものが異なる原理として立ち現れる瞬間がきた。

中:僕の話だと自分の作品は民主主義的に打って出た。そうすると民主主義的にもっと出てるのはヒロヤマガタだった。でもヒロヤマガタは自分の行く方向性とはちがう。で民主主義的に行こうとするとヒロヤマガタにならなければならない。どうしよう。民主主義の道を捨てて暴力に打って出る。それが方法主義だった。

た:いわゆる手続き的民主主義と根本的民主主義と二つあるんですが、選挙という手続きによって多数派にゆだねるのが手続き的民主主義。そして根本的民主主義はどうしても残る異なる原理が存在するのでその間で抗争を孕むだろうと言っていて、でその緊張が対話の可能性だと言っているのですが、一方で対話は成立せずに暴力に向かうのは社会的に証明されているけど手続きによってハーモニーの元に押しつけるのは哲学的に認めない。だからこそ不可能なものだと知っていても対話を試みようというものです。基本的にはアナキズムで、それぞれの人間は異なる文脈を持っていて、自治的な社会に完全に馴致されない権利を持つべきだと。そこで悲観的なラディカルデモクラシーと楽観的なラディカルデモクラシーがあって、対話すれば平和になるだろうっていう事だったのですが結局テロとかがあって、そこでまた世界共通の規範を持たなければならないんじゃないかっていうモダニズム的な実験が持ち上げられています。

中:それでオウム真理教を説明するとどうなりますか?

た:オウム真理教はラディカルデモクラシーの楽観的な形式に対するしっぺ返しですね。

中:要するに手続き的な民主主義に失敗したと。そしてラディカル民主主義に移行した。

た:ラディカル民主主義の一つの主体として異なる原理を持っていて、かつ対話を試みたんですね。

中:その現れは手続きに行ったんですね。

た:相手側の原理に妥協してチャンネルを合わせたのが失敗した。そしてラディカルデモクラティックなエゴとしての社会に馴致しない存在が何をしたかというと社会に底辺として生きるのではなくて、暴力に向かった。それがラディカルデモクラシーの楽観的な物に対するしっぺ返しです。それは911でもそうです。

藤川:でもオウムは宗教でしょ、宗教の言語と政治の言語が同じになってないか?

た:交わらないんですが、交わる余地があるだろうっていうのが楽観的な面です。そこで面白いのはオウムトライしたんです。しかもかなり工夫したんて。そしてその実践の結果は自分たちは対話は不可能だろうっていう結論に達した。そこで自分を曲げるのが手続き的民主主義におけるマイノリティのやり方だったのですが、原理を優先するときに相手ではなくて自分達を優先して、それが暴力に繋がる可能性があるっていうのが90年代に世界各地で起こった。そして911が起こった。

藤川:信仰っていうのは絶対ですよ、しかし政治は妥協性を持たなければならない。

た:絶対言語であったはずのオウムが、対話をしようとしたという事実ですね、しかし絶対言語だったと後からあきらかになったという事です。

は:少なくともオウムは政治的な意識で活動してきた時期はありました。

た:政治という方法をとったんですよ。特に手続き的な正当性をとろうとしたんだけど、破れた。そこで負けたら普通のマイノリティなんですよ。でもそこでラディカルデモクラシーが最終的に肯定するのは暴力はokだというか、禁止できないんですね。肯定しなくても禁止はできない。そこで道徳的な問いに走るわけですね。

中:「オウム真理教事件で明らかにされたようなある種の原理主義性こそ芸術のもうひとつの使命だと私は考えています」からですね。

た:「ある種の」っていうのが大事ですね。一つの原理主義という事です。

中:ここは注もないから注でもつけますか。つけないとわからないもんね確かに。特に外国人はわからない。

た:オウムも普通に書いてありますしね。

中:松井みどり批判ももう少し必要かな、作家の説明にかこつけて書いているだけです。

た:この前少し話したのですが、80年代後半のPCを今やっているっていう事ですね。

中:マイクロポップっていうのはどれくらい潰せばいいのだろうね。ひそやか系を述べて、マイクロポップはその言い換えなんだとという事くらいにしていますけど。

た:でもいわゆるひそやか系のマイクロポップって、権力を誘惑することに成功した言葉ですね。ハーモニー的な多様性の一つの表明であるとか、そういう事ですね、それこそ多様性が暴力に発展しないという前提で、堂々と公共圏をあるけるようになったひそやかなものです。でも堂々と歩いているかと思いきや周りにはボディーガードがいっぱい居たみたいな。本当にひそやかなものを駆逐というか代表して存在しているんですから。

中:なるほどそっちの方か。まあこれはいいです。次は美と価値とインフラです。

た:ネオコンセプチュアリズムという言葉が出てきますが、これは還元主義の輪廻というか新しい形のものとして見て良いんですよね。新しいモダニズムの再来の可能性ですね。

中:そうですね、この辺は豊島康子ですね。ミニ投資とか、凄く長いそろばんとかね、たくさんあります。

た:インフラの部分の説明が少ないですね。

中:そうですね、インフラっていうのは売れるかどうかとか、オークションとか、美術作品の値段の事とかですね。それによって美術館がつぶれたりするわけですからね。画廊が増えたり減ったり。

た:そうですね、僕は凄く興味あります。ただこの感じだといきなり出てくる感じですね。

中:そうですね。下部構造。制度におけるインフラとか言えばいいかな。

た:例えば交通機関とか水道ですよね、それこそ流通システムとかお金の流れ方とか。歴史認識も価値を決定する一つのインフラであるとするという一つの考え方から始めましたと書いてあるのですが。

中:これは強引だよね(笑)インフラに影響すると書けばいいのかな。

た:歴史認識がある程度揺るがしがたいものとして社会的に肯定されていて、それがアート作品を形成するインフラであるっていう。ここだと歴史認識が個人の何でもない認識にも見えてしまうので、美術史の中で社会的に肯定され蓄積されてきた象徴体系としての歴史認識がインフラだという風に言えばわかります。

中:歴史認識すなわち大文字の美術史と書くか。

た:そうですね、アートヒストリーです。そうするとわかりますね。

中:そうです。

た:経済的なインフラが揺るいでいる中でも芸術の価値を規定する強いインフラとして歴史認識を捉える事ができるという事ですね。

中:そうです。ただ歴史認識っていうのは変わるからね。でもこちらも変えることが出来る。そこで戦いが起こるわけですね。

た:それがはっきりうするとこの本の戦いの場がわかるわけですね。

中:でもそれは無理かもしれなくて、経済や軍事に揺り動かされない歴史認識っていうのは無理かもしれないけど、少なくともその振幅を大きくしたり小さくしたりするくらいの抵抗は出来ます、それを利用したりね。波に乗る準備をしたりね。

た:西洋の美学の支配的なヘゲモニーによって階層化されてしまうものに対して複数の表現の原理を打ち立てる上では現時点での歴史認識は大事ですね。

中:複数のものを作ろうとしてるかどうかは僕はわからないんですけれども。

た:もうひとつの美術史を作るのは目的ではないけど、今の単一の美術史とされているものを、そうではないという一つの証明として?

中:西洋美術史をそのまま肯定するにしても加えることすらされていない。日本の美術史には。それを加えるためのものではあって、そこにはへたウマも書いて欲しい。

た:あるいは現時点での支配的なものである西洋美術史は実は日本の美術史を素材として書かれた循環史観の一つの表現でしかないという立場もひとつの方法としてあります。

中:しかしそれほどナショナリスティックではない。

た:それはナショナリズムではなくてそれぞれの国が平等にあるイデアの陰でしかないという事が言える。日本はアメリカの陰ではない。歴史のイデアの陰でしかないという。

中:なるほどね。

た:戦いです。バトルピクチャー。

中:はい。この本に関しては英語の監修をもっと進めていくという課題があります。5月から始まった文献研究は今日で終わりです。おつかれさまでした。また次期もあると思いますので、もしよかったらまあよろしくお願いします。文献もまだ残っています。これまでに読んだ物の読み直しもしたいと思います。それではよろしくお願いします。




20110308  文責:平間貴大

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