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【留意事項】
本報告について中ザワヒデキは、事実誤認がさまざまなレベルで多々あることを了承の上で読んでいただく分 には公開しておく意義があるとし、公開している

第二期十六回

二〇〇八年九月十七日

文献
「中ザワヒデキ氏からのEメール」『現代美術、彼らにとっての存在理由』2001年1月 pp.372-381
「現代美術史日本篇 第一章」 pp.386-393
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「中ザワヒデキ氏からのEメール」
「現代美術史日本篇 第一章」
|■1a 美術家の戦争責任問題
|■1b ヴェネツィア・ビエンナーレへの参加
|■1c 「重い手」、リアリズム論争、岡本太郎
|■1d ルポルタージュ、密室、瀧口修造と実験工房
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中:先週は長くなってしまってすいませんでした、ついつい時間を忘れてしゃべってしまいました(笑)。それで僕の予定ですが、北京行は29日に決まりましたので、24日は開講します。来週は開講して、その次は11月19日の水曜日にしましょう。もし来れないとかあったらまだ融通ききますので相談しましょう。

今日は建畠ゼミの文献です。これは2000年の1月に発行されていて、911の前なんですね。911の前に僕はテロっていう言葉を何回も使っていて、911のあとに見ると感じも違うんですけど、まあ読んでいきましょう。

今日は「現代美術、彼らにとっての存在理由」です。

は:この文章はEメールインタビューなんですね。

中:そうです、この後に載っている村上隆さんもEメールインタビューですね。

は:様々なメディアで活動や作品発表をしているがメディアごとに発表の意味は変わってくるのかという質問に、作品の意味は変わらないと答えていますが、中ザワさんの場合はその通りだなと、作品のイデアが一番重要という事ですね、それは今も変わっていないと思います。そして、発表の場合に現前のさせかたの差異に意図的でないわけではありませんとそのあとに答えています。

中:そうですね、今でも変わっていません。しかし、「意図的でないわけではない」というのは「意図的です」という事です。このインタビューは2000年の秋のインタビューなんだけど、2000年と2001年は機関誌「方法」が日本語版しかなかった。でも2002年から英語になった。英語で書くようになってからこういう言い回しはやめました。このインタビューが2002年以降なら「意図的です」と答えているでしょうね。

は:中ザワさんは今油絵を描いていますね。「それぞれのメディア特性とメディアの社会的歴史的意味の甘受は不可避」と答えていますが、社会的歴史的意味というのは大きいですね。

か:僕も思いました。

中:さっきのところでいうと、灰色絵画でもそういう事は起こっていて、あの作品は一つづつしか出力していません。サイズも決まっています。でもあれをEメールで配信しても意味が変わるとは思っていない。作品の中にメディア的な条件が入っている、灰色絵画以降は。そこから本格絵画に移行しました。だからイデアのみが作品だっていうのは方法で終わりました。これについてはCG以降の話として#375に書いてありますね。CGによって美術の中で純粋美術であることと骨董であることを分離できるとか書いてありますが、そのことから、社会的歴史的な意味は、発表の段階だけでなく作品の中身にまで入ってくる。

だけど作品の中身には入ってこないんだっていう立場が方法主義でした。それ以降の本格絵画以降はメディアが持っている社会的歴史的意味も作品に入ってくるというフェーズに移行しました。

は:方法まではここで言っている通りということですね。5000文字で述べていたプリントアウトについての話ですね。

中:そうですね。

は:この文章も方法CGをやっているときは、音楽だったら作曲家と演奏家だったら作曲家になっていると。それが本格絵画になってからまた変わってきたという事ですね。

中:そうです。

は:次はメディアごとの受容者の違いについてですが、中ザワさんは純粋理性に対して制作をすると。イデア重視の姿勢を表明しています。今はどうでしょうか?

中:今は迎合的ですね(笑)

か:次の質問「想定する理想的支持者と現実の支持者は一致しているか?」の答えでも、「自分の思想やアイディアを真に人々にしてもらうために、直すべき自身の欠点は改善しあくまでも努力すること。もうひとつは誰にも理解されなくても、自分が重要であると信じるものの追及に邁進すること」を実践しているということですか?

中:理解が目的でもないですね、今は。今はもっと政治が目的です。もう中ザワヒデキは堕落した。このころは眩しいなぁ(笑)

は:そういいながらも計算はしていると。常識的にメディアと受容者層の計算もしていると。

中:まずはじめに思い浮かぶ単語があります。処世術です。

は:そういわれると何も、、、

中:僕はこのころ常識的だと思っていたことが非常識だったんだけど、効果はあるていど予想してはずれることもあります。Eメールで作品を配信したらあるだろうな、そしてやっぱりあった。でもひっかかる人もいるだろうと。

は:その理想的支持者と現実の支持者ですが、中ザワさん自身は期待を一切しにあいことから純粋美術家としての活動は始まっていると。今もそうでしょうか?

中:今?今はちょっと違うかな。支持者に期待はしていないけど、イラストレーターが受容を想定したものであるならば、僕は今はイラストレーターに戻っている。だって僕が理論的に油絵を描く必要ないもん。ないよどう考えても。手癖がいいとしても、パソコンの中でのマウスでの手癖とかの方が僕が最初にやってより誇るべきもののはずで、むしろそっちをやった方がいいと思うけど、単に現実的な問題ですね。コンピュータなんてビジネスの世界では使えなきゃいけないようなものなのに、美術の世界ではほとんどICC系とされてのけ者にされてしまう。それをきちんとした、たとえば値段がついて美術館に入ったりとかが、電脳系を使うんだっていう意気込みなしに普通に扱える状態にはなってないですね。その点に関しては時期尚早なんです。その場合は古いものと一緒に出していくっていうのが一つの手で、クラシックだとシュトックハウゼンなんかは、電子音学ですごくいいものがあるけど、評価されているのはオーケストラであったり室内楽であったりアナログのものがきちんと作れるということで、ただのICC系にはならずに聞こえるっていうのがあって、電子音楽のためにもアナログ作品が必要なのね。なので僕の作品体系のなかにもアナログ作品があった方がいいと。そしてその方が喜ばれたり売れたりもするわけです。

は:この後にはどちらにしろ支持者の数や質は結果の一つなのであまり関係ないと言っています。そして「方法絵画」は、通常の絵画の場合と同様の販売を想定しているかとの問いには、問題があるが一時期ちゃんと考えたことがあると答えていますが、どういう事でしょうか?

中:それは五千文字で書いたことですね。

は:ホームページで不完全ながら実践していますというのは?

中:骨董としてのCGプリントっていうのを五千文字で書いて、「作品の公開保障」っていうページを作って、プリント番号を付けて管理するとか、大きくプリントしても小さくプリントしても僕としては同じなんだけど、番号がついている。だからその番号としては一点しかなくて、それをホームページに公開しておけば、例えば他に何点あるとか、いくつかあってもこの形態のものは一転しかないとか、同じ形態ものは五点あるけど一番初めなのはこれだとか、そういう事です。

は:不完全ながらというのは?

中:それはホームページの更新を僕が怠っていたからです。それだけ。理論は完全、実践は不完全。実際にはプリントアウトしたけどホームページに載せていない事とかが結構あってそのままになっている。あと署名をした現物を撮った写真がピンボケになっているとか、そういうのは不完全ですね。このページはかなりみにくいです(笑)

は:作品の販売についてはこの時点での最新作「金額シリーズ」(*1)がそういう問題じたいを作品にしていると答えています。

中:そうでうね、この時はビニール袋に入れていないときです。まだカードケースですね。

は:カードケースの方が先なんですね。

中:そう、そのあとに平面性もいらないからビニール袋にいれるようになりました。

か:カードケースはなにを使いましたか?

中:時刻表とか入れるようなプラスチックのケースです。でもとても重かったのでホチキスで止めたりしていました。

は:かなりの量でしたね。

中:でも本当の作品の意味的にはホチキスとか接着とかしたくない。そのまま取り出してお金として使用できる方がいい。お金の機能を持たせたまま展示する。最初は壁にかける平面で、座標値はきめてある。

は:そのあとにデータについての話になっていて、データ作品に課金したくない、一方で途方もない値段をつけてみたいとも言っています。その後本格絵画に入っていますが。

中:本格絵画に入ってからはこれはできませんね、本格絵画の成果を一通り成果を見てからならできますけど。イヴクラインの作品でセーヌ川に金を投げ入れる作品がありますね、あれは素晴らしいですね。データ作品に値段をつけることもできると思います、しかもコピーフリーのままね。しかし値段をつけたら売れることろまでやらなければなりません。

特許展というのをやったのですが、あそこで一番重要なのがあころに積みあがっていた特許全記録です。今までの特許のやりとりの全部の記録。だからそれを売りたかった。それはギャラリーとの兼ね合いですね。

は:方法絵画は民主主義と背反するとお考えですか?との質問には背反するかもしれないと答えています。最大幸福に合致しないものは淘汰されるとするならば、方法主義は淘汰されるものとなるでしょうと答えていますが、そう思いますか?

中:そうですね、そう思います。

は:先ほどの質問の答えですが、ここでもヒロヤマガタが出てきます。「私が実際の受容者を想定せずに、純粋理性に向けて制作するからです。ルネッサンスや新古典主義の時代は、ヒューマニティと純粋理性は一致していました。しかし現在それらは離反しています。ヒューマニティとはちょっと漠然としていますが、最大公約数の最大幸福ということだとしたら、それが民主主義や資本主義の原理です。現在、最大公約数の最大幸福にもっともよく奉仕している美術家は、ヒロヤマガタ(の一派)だろうと思います。純粋理性に向けて政策する私の方法絵画は、ヒロヤマガタ(の一派)の作品とは異なると考えています」

中:ヒロヤマガタ自身に対しては、今の若い人があまりよくわからないように、そういう状況はなくなっていますね。たった8年です。

は:ではもう問題ではないと。

中:解説付きでないといけません。この前田村さんは「でもヒロヤマガタといっても、スタジオボイスが特集すればokになるんじゃないですか」といったのですが、それが解説付きでないといけないと思った直接の原因ですが、スタジオボイスだったらスタジオボイスが勝つっていうことが前提だよね、でも我々にとってはスタジオボイスがそんなことしたら、スタジオボイスなんか誰も読まなくなるっていう事なのね。スタジオボイスが負けるのが当時の我々の感覚で、それはもう説明しないといけない。

か:そうなんですね。

中:というかそれ以上ですね、ヒロヤマガタ問題を書いてから僕は一度もスタジオボイスには呼ばれていないしね(笑)

この記事自体もスタジオボイスでヒロヤマガタ問題を村上さんと対談したときにそれをみて面白がってくれて始まった企画なんだよね。あと驚いたんだけど、この建畠ゼミの生徒で一人ヒロヤマガタ作品を持っている人がいた(笑)

は:次は作品価格の設定にはどのようにかかわっているのかという質問です。しかたなくかかわっていると言っていますが、積極的ではないという事ですね、これはCG作品についてでしょうか?

中:全部ですね。作品価格にはあまりかかわりたくないですね。

は:次はまた値段の話です。作品の適正価格についてです。骨董的にはつけられるが、作品部分にはつけられない、小説は数百円で買えるが、内容が一回の昼食代より低価値であることを意味しないと。それと作品と一緒に墓に入るという人にはどんなに金員をつまれても売りたくないといっています。これは作品が公の場にでないからという事ですか?

中:そうですね。

は:売りたくないとも答えています。

中:それはCG以前の作品のことです。

は:価格設定は相手を選ぶ、そして中ザワさんは適正価格の存在する商品として一点ものの作品を作ったことがないと。これは今はどうでしょう?

中:今は最初から商品として、、、灰色絵画は商品として作っています。それ以前はないです。イラストレーションとして作っているものを別として。それは美術だと思っていないです。

は:次は経済的ない自立についての理想です。理想は経済的なことは考えなくても金がはいいてくる状況ですが、最後には経済を度返しすることによって可能かもしれないと言っています。例として革命家が出てきます。「本来の姿は革命家の活動のようなものであるべきだと思っています。革命家は、それが合法にしろ非合法にしろ、金儲けのために活動するのではありません。むしろ自分(たち)の信じる真理や正義のため、どこからか資金を調達して、場合によってはテロを含むような活動をするわけです。」革命家がいるとそれに対して支援する人があると。

中:現れたり現れなかったりします。それは結果であって目的ではありません。

は:それが言ってみれば経済を度返しするという事ですね。

中:銀行強盗が起きていて、それは革命家がやっている事だってありますね、赤軍の頃とかありますね。動機の中では度返しですね、処世術としては敢行したと。革命家が銀行強盗は経済を度返ししてないからね、処世術としてやっているわけです。無いなりに工夫しているわけです。

は:ずいぶんリスクが多い工夫ですね。

中:でもこの組織ならできるなとかあるわけですね。

は:この質問群は建畠ゼミの方が考えているのですね。

中:そうです。建畠さんはそんなにからんではいないと後に書かれていますね。

は:経済に興味があったのでしょうか。

中:というか普通の社会では浮いて見えることをどうなんだってことでしょうね、存在という言葉はこの前の千葉さんのインタビューの時も言いましたが、僕はこれを存在させるのだと。たとえば文字座標絵画でもそうだけど、受けない。それで受けないままだと、世の中から淘汰されてしまう。それを僕がこれは大事だといって存在させている。それに対して普通の資本主義からの行動原理からすると不思議なのかもしれない。でそれを不思議のままではなくてきちんと解明しようと考えているんじゃないでしょうか。この前も存在してしまう理由とかいってたけど、存在させるんです。ほっとけば淘汰されるんです。無かったことになるんです。なにか強力な意図とともに、不自然な力を働かせるわけです。なぜ不自然な力を働かせているか、誰かが得をするんだったらわかる、では誰が得をしているんだと解明していくと、誰も得している人がいない。でも実際は目にはみえていないけど得をしているんじゃないか、たとえば企業のメセナ活動からお金を得ているのかとかね。「金と芸術」っていう本がこの前でて、この記事と似た問題意識で作られていると思います。オランダから出た本で、あれの訳本に僕の作品が使われています。中扉に僕の金額の作品が使われています。

か:内容とからんでいるわけではないんですか?

中:金を使っているからね。

は:後書きにはよくゼミ生の問題意識が書かれています。9つめの質問では、様々な表現手段のなかでなぜ美術を選択しているのかと問われていて、答えとして「主体が先にある、とすればたしかにこの問題は成り立ちますが、どちらかというと私は『美術という観念』がいつのまにか私の頭にインストールされてしまったような感覚です」と言っています。

中:これは文献研究では海上さんとの往復書簡で答えていてこの記事で初めてつかったのですが、この話は千の風の話ですね。遺伝子の話。生物は遺伝子の乗り物であるっていう話があります。利己的な遺伝子っていうよく売れた本もあります。ドーキンスです。親が子のために命を捨てたり、他人のために命を捨てたりする。ようするに生物単位で考えると。自分が死んでしまうのは不利だけど、主体を固体単位で考えるとそれだけでは説明できない。主体を遺伝子で考えると、遺伝子の乗り物として自分があって、次のコピーが子供にある。そういった関係ね、自分が属する遺伝子は人類全体の一部だと考えると、遺伝子全体を守るためには自分の乗り物は捨てることができる。そうすると、遺伝子は利己的であると説明できる。だから観念単位で進化論を考えることができる。イデア単位での進化論ですね。それがミームですねと田村さんは言った。だから美術という遺伝子がぼくのなかに入ったとすると考えやすい。自分は美術に乗っ取られた。観念が入ってしまったと解釈しています。ということを説明した文章ですね。

ひ:千の風はどこからでてきたんですか?

中:有名な詩ですね、それで僕がその詩が好きだっていうのではなくて、詩を主体とすると、次はこの脳に取り付いてみようとね、そう解釈すると、脳に親和力が高い方が強いんですよ、それで僕が話してそれを聞いた人に入ったりね。自分からみてこれが好きだから人に勧めるっていうふうにも見れるけど、千の風からみると、これはいい媒体だっていって、次に行ってみようといって次に行く。誰かに言わせて増幅していくようなね。素晴らしいシステムです。こういう事がしたいですね(笑)美術というミームがあるとして、僕に取り付いたと、それで方法主義とかいって活動していると、そう考えると僕が美術をえらんだというよりは、美術が僕をえらんだと。そいういう事です。コンピュータとOSの関係でいうと、日本語OSをいれると日本語で立ち上がるけど韓国語のOSを入れると韓国語で立ち上がりますね。そういうふうにコンピュータの箱が中ザワであり、美術というOSをインストールしていると。だから他のものをみても美術では…と考えるようになっているということです。

は:つぎの質問です。中ザワさんの作品は社会状況と直接的にかかわっていると考えているか、その場合は社会状況が変われば作品も変わるのか。その答えには、いろいろな意味で直接あるいは原理的に社会状況や時代とかかわっていると考えていると。これはおおきなスパンでみると関係あると。そして後半には

中:作品の提示の段階では関わっているけど、それ以外の内容があるとすればかわらない。ピタゴラスの定理も内容はかわらないけど呈示が社会状況ごとに違った意味を持つという事です。同じように自分の作品も時代によって変わるけど中身が変わるのではなくて、周りからの意味がかわるという事です。

は:次の質問は「制作活動の目的はどこにおいていらっしゃるのでしょうか?そのためには美術以外の手段も有効であるとお考えですか?」との質問に「私の考える美術は美術としての美術、美術のための美術ですから、美術の外部に目的があって、そのための手段として美術を利用しているわけではありません。」と答えています。これは意識的にこうしているということでしょうか?

中:本当にこう思っています。松沢宥論論の時に半田さんがわかりやすいっていったところがあって、松沢の作品は美術なのか詩なのかっていう所で、僕は詩や美術などの上位概念として芸術があると思っている。

でその上位概念を現在扱うのにもっともやりやすいのが下位概念としての美術、だからその上位概念として芸術があるんだけど、その程度にしか考えていないと言ったんだけど、覚えていますか?

は:なんとなく覚えています。

中:そのはなしですね、この時点では上位概念や下位概念という説明はしていないけど、そういう事です。

は:音楽のための音楽や詩のための詩と結果的に同じことを追及しているというのが上位概念ということですか?

中:そうです、富士山があって、山中湖のほうから登るのか河口湖の方から登るのかみたいな事で、途中の見える風景は全部ちがうんだけど、目指すところは一つという例えもできます。

は:次です。自身の作品の、社会における現実の機能についてどのようにお考えですか?との問いに、一義的には、自分の考える美術は社会において機能しないと。

中:そうですね。機能しないかもしれませんとかではなくて、機能しませんという事です(笑)

は:しかし2義的にいは機能しないことが機能であるといえます。ここでは数学の例が出てきています。工業に応用できる応用数学と、純粋に数学研究に邁進する純粋数学です。

中:そういう事ですね。自分ではフェルマーの定理が解けた!とおもって作った作品もあるわけですよ、そうすると経済の問題とかはどうでもよくなってて来るということです。

は:最後には、工業に応用できるからこそ数学は大事だという考えは工業の方が大事だということを意味し、そうではなく、工業に応用できるかどうかよりも、それいぜんに数学それ自体で大事であるとするならば、数学は数学のための数学であるべきだ、それが「機能しないことが機能である」の意味であって、それは「美術としての美術こそ美術である(ラインハート)」と考え、自分の作品もそういうものであるつもりだと述べています。

中:そうですね、先ほどの機能しないことが機能であるというのはアイロニーですね。アイロニーはいろいろあって、僕に対する批判で結構あるのは、中ザワヒデキはアイロニーだから結局先に進まないっていう事なんだけど、あえてモダニズムをやっているとか、自分の作品は快楽がない、快楽がないことをあえてやっているのが快楽だとか、はいはいわかりましたアイロニーですね、っていう感じでね。RHのインタビューでもそういう問題がありました。僕も最初ピンとこなかったのですが、わかりやすい例は、寅さんです。「男はつらいよ」あ〜寅さんつらいのか、つらいのは見たくない、さよならっていうのは普通の対処ね、でも「男はつらいよ」にたいして「男ってかっこいいな、寅さんかっこいいな」ってなりますよね、否定語を言っているのに肯定に働く。アイロニーです。反語です。アイロニーと最近言われたものの典型は椹木野衣の「日本・現代・美術」の「悪い場所」ですね。ロマン主義的アイロニーっていうのは、結局自分は求めても敗北することがわかっていても求め続けるのだっていう肯定性なんだけどそれが問題になったのが足立智美と僕の方法主義での戦いです。大一宣言でアイロニーが立ち現われているのを嫌がって、絶対の衰弱へと向かえといっているんだけど、僕はアイロニー容認の立場です。アイロニー否定の立場の人は多いです。現代美術に限らず、戦後の主張は肯定性を否定するっていう事に立脚していて、肯定性の批判をいえば様になると、その一つがアイロニーの批判ですね。「機能しないことが機能である」っていうのはアイロニーを引っ張ってこないですが、これをみて「アイロニーじゃん、つまんないよ」っていう人は多いです。これは結果と目的の話だと、僕はアイロニーが結果だった場合は容認するけど、目的としてはいけないと思っている。でも批判する人はアイロニーが目的だろっていう批判の仕方なんだよね。

は:社会とのかかわりを重視した質問群でした。

中:学生主体ですね。後書きに建畠さんの「私の授業では美術家をめぐる言説を批評的に読みなおすという作業を行ってきた。ボードレールの芸術家礼賛からいわゆるホワイトキューブ論に至るまでさまざまなテキストを読んでいったのだが、それはアンチメディオロジーを含めたメディオロジーの再検証であると同時に美術と社会の関係を制度面からとらえようとする試みでもあったと言える。2年間のゼミのしめくくりとして学生からでた提案は、現代美術における後者であった。これを美術館以外の具体的事例に即して考えていくというものであった。リサーチが欠かせないテーマだが、私はインタビュー先の選定に側面からアドバイスをしただけで、現実の作業はすべて彼らによって自主的に進められた。」これ以上に建畠さん自身が放任主義ですから(笑)

は:聞きたかったのは横浜トリエンナーレのシンポジウムで磯崎新が辞めると公の場で言った事があって、そのシンポジウムは建畠ゼミがやったんですね、噂では仕掛けたんじゃないかとか出たのですが、どういう事だったんでしょうか。

中:この記事のメンバーは入れ替わっているのでわかりませんね。

は:過激なシンポジウムでした。初めはトリエンナーレについてはなしていて、横浜市に案が何回も通らずに、そのままだから辞めることにしたという事になりました。トークの前から横トリについて聞きたいという雰囲気が出ていたのですが、これを企画した建畠ゼミは過激な集団なのかという印象がありました。

中:そうですね、どうなんでしょうか。ヒロヤマガタの絵を持っている人がいるのはすごいですね。

か:久しぶりに割と最近の文章を読みました。そして今は油絵を描いているではないですか、なのでその対比ができました。これまでのガロなどの文章とは少し語り口が違います。

中:僕自身はこの記事の言っている事の方が正しいと思います(笑)だけど一定のところまではやったという自負もあります。今よりも2000年の方が面白い、しかし2000の活動を対象化するためにも今の状況は違った方がいいのかもしれない。

は:素材として油絵をえらんだ理由はありますか?

中:一つは本格絵画だから、それに忠実なのは社会的歴史的意味でももっとも言い訳なしでストレートに入れるのが油絵なんですね、それが一つ。二つ目の理由は、デジタルでやってきたことの良い解説になるとおもっている。そう補完的に両方ある方がいいだろう、先ほどのシュトックハウゼンの例にもあるように、電子音学とアナログはお互いの良い解説になっています。そういう事ですね。

ひ:それは美術史を語ることによって代わりになると思うのですが、一人でやらなければいけないのでしょうか?

中:そうですね、しかし一人でやった方がより強いと思います。面白い美術史を書いたとしても同時並行的に油絵を描いていたとすると見え方も変わると思います。

は:アクリルでは駄目だったのですか?

中:考えたんですけど、本格絵画に忠実なのは油絵ということになりました。だからシッカチーフも使いません。マチスの作品にひび割れが多いのはシッカチーフ使いすぎだっていううわさも聞いたのですが。

それでは休憩しましょうか。

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中:それでは始めましょうか、現代美術史日本編ですね。

か:ガロやイラストレーションを読んで、凄く注がいっぱいあったのですが、この現代美術史日本編も、本文があって注があるという構造だと思いました。序の所では一番意見が集約されているのが四段落目です。日本美術が現在はローカル・アートだと、それで鑑賞者はその地方色ゆえに面白がったりする、それは中心の視点からの植民地主義に他ならない。地方色ゆえにつまらないと言うのは中心の視点からの排他主義にほかならない。そしてローカル・アートにはオリジナリティがないというのは無意識に期待した地方色の不在か、彼らが抱く美術の観念の無意識の強制であることが多いと。ジレンマが発生してしまう状況にあることが伝えられています。

中:そうですね。しかしこれはローカル・アートと規定した時のみですね、ローカル・アートかそうではないかを決めるのは何かというと、例えばもともとローカル・アートであったアメリカがそうではなくなったのは、第二次世界大戦のおかげですね、そういう美術とは一見関係ないようなことが、美術には起こりうるんです。リーマンショックとかドル破たんとか、それによって日本がいつも間にか中心になる可能性もあるわけですね。

か:日本の中世とか、浮世絵とかはローカル・アートなんですかね。

中:ふつうは同時代のものに対してつかいますね、浮世絵とかは伝統美術ですね。これは機関誌「方法」でもかいていますね、英語版はかなり手を加えました。

か:目次は、中ザワさんが現代美術史日本編をどのように組み立てているかが表れています。第一章は戦後からです。その後のアンフォルメル、その辺の前衛、そしてネオダダ、ハイレッドセンターの反芸術、そしてもの派、概念派、美共闘の還元主義と多様性、そしてここが一番特徴的だとおもうんですけど、ヘタうま、パルコ、超少女の脱前衛、ここに峰村さんだとポストもの派が入ると思います。そして関西ニューウェーブから東京ポップ、そしてスーパーフラット、マニエリスムと多様性の時代です。

中:この目次を作るのが一番の仕事でした。80年くらいから美術史が全然整理されていないのね、それ以前はされているんだけど。そこからが僕の一番の創作でした。章のなかでのカッコの中のもの、シュルレアリスムと多様性とか、前衛、反芸術っていうのはかなり僕の見方を表せています。多様性とかね。前衛っていうのは今までの西洋美術の循環史観では表現主義と呼んでいたもの、それを前衛と読んでみようとか、そのあとは反芸術、そして還元主義と多様性、これは先のシュルレアリスムと多様性っていうのと呼応したものにしています。それから第五章の脱前衛、これはわざわざ前衛っていう言葉を付けて表現主義を表しています。表現主義は前衛か脱前衛かっていう事ですね。東京ポップっていうのは少しめずらしいかもしれないけど関西ニューウェーブと対応させるのにわかりやすいんじゃないかという事です。平塚市美術館であった展覧会での名前なんだけど、それ以来あまり使われない言葉でもあります。そのあとに再現芸術っていう言葉をいれたのは自分のなかではかなり冒険だったと思います。反芸術は、次はシミュレーショニズムなんだけど、それが日本では再現芸術として現れたとしています。第七章のマニエリスムと多様性っていうのはシュルレアリスムと対応しています。第二章のシュルレアリスムと多様性、第四章の還元主義と多様性、第七章のマニエリスムと多様性ですね、かなり循環史観にのっとった美術史だというのがこの目次で現れるようになっています。ただデザインがあまり強調されていませんね。そして右側の第一章の1945年、政府、文展復活を決議っていうのはなかなか難しくて、だけどどこかにメルクマールを入れないとなかなか

歴史とつなげて語れないぞっていう所でどれを代表にするかは凄く考えています、だけど読み飛ばすよね(笑)読み飛ばさないでほしいっていうのが作者の言葉でした。

か:45年は敗戦、戦争終結という事ですね。

中:どこから始めるか、現代美術をどこから始めるかっていうのが最初のトピック、それが45年の9月ですね。

か:それでは進めていきましょうか、1a美術家の戦争責任問題です。戦後文展が復活して戦時中は美術家達は戦争に加担していたんですが、そのご藤田嗣治をスケープゴートとして画壇を復活させたと。藤田はここに書いてあるように、「絵描きは絵だけ描いてください。仲間喧嘩をしないでください。日本画壇は早く世界水準になってください」と皮肉を述べて日本を去ったと。

中:これはどの程度有名なんでしょう。

は:アメリカでもいじめられたんですよね。

中:そういう話は聞きますね。アメリカにいってそのあとフランスに行きました。藤田嗣治もだいぶ良くなりましたね、いつごろからでしょう、今は結構いいですよね。

か:この前の展示でもかなりいい扱いでした。

は:岡本太郎は問題が最近もあると。藤田の場合は過去の美術史の中で敗戦の中で批判されて、最後はフランスで死ぬという事情があって、もう歴史の中での問題でした。

中:1986年千葉茂夫の美術史本をみても明らかに扱いは低いですけどね。一刀両断な感じでしたよ。

は:私が学生の時に水戸芸術館で柳幸典と戦争画を一緒に展示するっていう事があって、その辺ではもう大丈夫な感じでした。

中:その辺ですね。柳 幸典が出てくるまではダメでしたね。東京シミュレーショニズムの成果です。前本彰子、吉澤美香の時代はだめだった。

か:今では団体系の人たちのなかでは大丈夫なんですか?

は:巨匠っていう感じだと思います。

中:普通に好きな人は多いですね。僕は戦争画は好きですが、エコールド・パリのものは好きではありません。ちなみにこのページには図版がありません。それに関してみなさんなにか思いましたか?

か:あった方がいい気がしますが。

は:本文に出てて見たいものがあまり図版になかったです。

中:それをどう思いましたか?

は:いろいろ都合がありそうですが。

中:そうですね、その通りです。まあ要するに東京都現代美術館に所蔵されているものですね載っているのは。あとはパフォーマンスの記録というのは所蔵されないですから、そういう事です。アロアロインターナショナルから出る限りこれ以上は無理ですね。

か:1bヴェネツィア・ビエンナーレの参加です。1951年にサンフランシスコ平和条約があって、それによって日本が西側世界への国際社会復帰の果たしたと。そこでは団体からそれぞれの代表者11名が呼ばれたけれども世界的な表現とは全く違うものでほかの国では有力な新人を出してきたけど日本は年功序列で出てきたので無視されたと。そして2回目からは岡田謙三などをだしてきたと。ウィキペディアには載っていませんでした。

中:西武美術館では岡田謙三展とかあったんですけどね。優等生的な画家です。

は:日本を代表する11名だったんですけどね。続いて1c、「重い手」、リアリズム論争、岡本太郎です。戦前を引き継いだ画壇の芸術は、世界の現状ばかりでなくて、国民の精神状態からも遊離していた。そして当時の閉塞的状態を表していたのは鶴岡政男や阿部展也によるシュルレアリストだった。その現実をつかまえること、リアリズムに関してはリアリズム論争が当時なされていて、そこでは印象派以降のアヴァンギャルドが否定されていた。

最近はリアリズム的な状態がまた起きていると思います。

中:そうですね、似てる所あるとおもいます。この辺の人たちと今の人たちの色使いがかなり似ていたりします。

か:今あることも昔の現象と似ていることがおこっていると思いました。

それで岡本太郎が出てくると。で「今日の芸術は、うまくあってはならない。きれいであってはならない。心地よくあってはならない」が引用されています。

中:これは少なくとも今日の芸術という本の中ではなんども言われていますね。

か:二科会にも携わったんですね。

中:二科会内部の改革にも携わって、アンフォルメルの美術家を今日の美術展として海外の動向を日本にも見せるんだっていうことで呼んで展示をしたら今度はそれがきっかけでアンフォルメル旋風が起きてしまった。岡本太郎はこれでどうだって持ってきたらみんなが真似をする元凶を作ってしまった。加担してしまったんだね。それでそれまでの試みが無いに等しくなってしまったんだけど、そのなかに岡本太郎の試みも入っていたということが起きてきます。

か:そこから盛り上がったりもすると。そして1d、ルポルタージュ、密室、滝口修造と実験工房です。岡本太郎の影響と、他方ではリアリズム論争があつかった問題を継承して、現実社会の緊迫した状況を描く画家が現れてきた。1953年の第一回ニッポン展には山下菊二、中村宏、池田龍雄らが出展して「ルポルタージュ絵画」と呼ばれた。

中:そうですね、山下菊二の絵は最近の若い人たちの絵に似ていますね。それだけではないですけど。

は:共産党系の人ですね。

か:間所沙織や石井茂雄も出てきています。

中:桂ゆきの図版がありますが、さまり繋がっていないかもしれませんね。間所沙織はメキシコ美術展が出てきますがそこで繋がっています。メキシコ美術展は重要だったらしですね、河原温がメキシコ行ったり、岡本太郎の絵がメキシコにあってそれが見つかったりしたのもメキシコ美術展のおかげですね。あとメキシコの芸術家はメキシコの欧化政策を阻止してたのね、主題主義的で土着的な絵をかいたりして。で日本も欧米化していて、それを阻止しようとして土着的な絵を描いていました。

か:たまに展覧会でありますよね、メキシコの50年代のものを扱うことが。北大省三は美術家ですね、実験工房に参加していた。

中:桂ゆきの河童の絵は河童コレクターに買われたという話がありますね。最近です。美術のコレクターではなくて、河童のコレクターです。例えば桂ゆき展を開いたときに、河童コレクターには声がかからないかもしれません。

は:中村政人もそうですか?

中:床屋マークコレクターに買われましたから。美術としての適正価格とは違うものがあるんですね。

か:あとは実験工房と読売アンデパンダン展が出てきます。読売アンデパンダンの仕掛け人、海藤日出男は他に何かしていますね。

中:岡本太郎に「痛ましき腕」を再制作させていますね。この人への取材を行った人は赤瀬川源平「今やアクションあるのみ」改題して「反芸術アンパン」、どちらがいいんでしょうね、アクションっていう言葉が新しかったんだろうね、テレビであいつがしゃべったぞっていう事でそうなったこともそういう時代を勉強しないとわかりませんね。反芸術の話が書いてあるかどうかは題ではわかりませんね。その本に海藤さんの取材が載っていますね。

か:この頃から団体系の公募展には若い人は興味がなかったんですかね。なぜ今も続いているんでしょう、これからどうなるんですかね。

は:天皇が続くまで終わりません。

中:するどいですね、天皇のことを考えないとわかりません。

か:団塊の世代が退職して、その人たちが絵を描き始めたときに、権威を求めた場合に団体系の公募展に向かってまた盛り上がってくる可能性も考えられます。

は:政治家も絡んでいますし、国立新美術館なんて団体展のためにできたようなものですし。

中:しかしだいぶ弱まったですけどね、僕が子供の頃なんかもっと強かったです。むしろ今は応援しないといけない気もします(笑)

は:私が学生の時は出すのが当たり前でした。私が「村上隆っていう人がいて、面白いんですよ!」といったら「知っている人は知っている、けど知らない人は知らないでしょ」っていう感じでした。

中:でもそれにも理由があって、暗黙の了解として教授の枠もあるという事ですね、それによって成り立っているというような。それはどこでもある話ですね。

中:普通に育って普通に出展してという人もいるでしょうね。団体展の作品が面白ければ、役割もあるんでしょう。

か:注には実験工房について書かれています。

は:写真史では実験工房はあまり注目されていない事もあります。

か:僕は舞台のイメージが強いです。美術系では、、、

は:山口勝弘とか。

中:そうですね、それで山口勝弘の問題は?

か:メディアアート?

中:そうです。ICCの産みの親扱いで、美術から他人扱いされているところもあるという事です。コンピューターアートの問題のはしりです。

は:瀧口修造もいます。大人気です。実験工房は美術史上での扱いはどうなんでしょうか。

中:マイナーだったりきっちり出ていたりしますが、ICCでは偉大なグループという扱いですね。実験工房での問題は万博とのつながりですね。万博の準備をしたのは実験工房です。この段階では若手ですが、万博は実験工房を教授に祭り上げました。その後万博はタブーになったわけです。それと、メディアアートは美術ではないっていう人たちの関係の出発点でもあるわけです。椹木野衣の「戦争と万博」にそういう事が書かれています。面白いです。実験工房は社会的には勝ったわけです。山口勝弘は美術では尊敬されつつ他人みたいな感じですが、政府から声がかかるような位置でもあります。2つ目の問題は、文献研究的には方法主義との関連で考えてほしいです。「方法の活動と終焉」で方法と実験工房が出てくる件が書かれているところがあるんですが、松井茂が中ザワに方法主義を作ろうと打診されているところで、初めは「僕みたいな若者ではなくて、藤井貞和とかじゃなくていいのか?」「いや、これからの人にやってもらいたい」という所があるんだけど、後に松井は「方法主義は勝たなければならない」と発言するようになるんだけど、そこで「松井は方法主義は実験工房のようなものとイメージし、後に方法主義は勝たなければならない」といっているんだよね、要するに他ジャンルとの連携を考えると、日本でそういうのが少ないんだよね。方法主義は今は弱小ながらそういう事をやろうとした。なので実験工房と似ているところ、違うところはとても自覚的に活動していたんですね。それを明記する場ではないが植えつけておこうという感じですね。褒めつつ批判もしていると。褒めているところは「ジャンル間での連携を推し進めた彼らの活動は、貴重なものでした」という所です。

は:実験工房を批判した所は「しかし主体的な創造と西洋文化の研究を混同し、ジャンル間の排他性にも無自覚な、優等生的な欠点も併せ持っていました」ですね。

中:美術と音楽の幸福な結婚とかそういう文章が結構あるのね、瀧口修造には。だけど幸福な結婚はあるはずがない、排他性によってジャンルがジャンルを保っていて、存在してしまうんじゃなくて、存在しようと努力して存在しているんですよ。なので幸福な結婚なんて能天気なものではないんですよ。だけどそこでどういう連携を考えるか、排他性を自覚しつつどうやって連携していくかっていうのは方法主義ではかんがえているんだけど、実験工房はその点は無自覚ですと書いています。そして3番目は現代美術史日本編そのものに関わるものですね。単に海外の最新の動向の受け入れでいいのか、過度なオリジナリティの主張はローカリズムになってくるとかそういう序で述べたような問題ですね。その問題が現れたのが実験工房でもあるんですね、海外からの情報は僅少だった、だからその紹介っていうのは素晴らしい意義があったんだけど、海外の動向が勉強の対象になっていて、勉強の成果みたいなね、感じだった。北大とかも文献で読んだモビールを日本の和紙で作ってみるというような、勉強としては素晴らしけれども、それはローカルアートともいえるんですね。オリジナリティに対して無自覚でしたね。美術は勉強するようなものではないんじゃないかっていう僕の心理ともつながるんですが、この人達にとっては芸術は学ぶものなのではないかという批判にも繋がるわけです。そういう問題があって、もうすこし大きく取り上げてもよかったのですが、この注に詰めてみました。

この本自体が近代美術史テキストのつもりでかかないかという感じだったのですが、初めはもっと小さくて、自費出版すると言って図版を借りたから、あんまり逸脱できないんです。それでなるべく少なくといってこうなっています。

は:確かにICCのメディアアートの歴史の展示を見たときは初めに実験工房でした。

中:明和電機やグラインダーマンにしろみんな山口勝弘の弟子です。は:そうだったんですか。

中:そしてその明和電機やグラインダーマンも美術史とちょっと外れた扱いを受けているではないですか、その問題もこのICCの問題と繋がっているわけです。美術史面白いね!

あとは最後の頁に瑛九が載っていますが松濤美術館でやった展覧会には行きましたか?なんかお宝鑑定団に出てたらしいですね、その回はマックの古いやつと瑛九でどちらも高価な値段がついてなんだこの回はという感じだったらしいですね。

は:瑛九は物語もあって、パトロンの人たちがいて、一か月にいくつか作品を作ると。それで持っている人がいるらしいですね。

中:違った話で僕が聞いたのは、瑛九が絵を描いていて、美術のことを知らない会社員が、描きかけなんだけどこれは凄いと思って、これを売ってくれと瑛九に言って、初めは売らないとかだったんだけど、百万円とか言ってそれで売ってくれることになって、頑張って当時百万円っていったらすごいお金だけど貯めて、それで買ったという話。

は:私が見たのは違う回ですね。物語の方がドラマチックに語られていました。そんなに大きくない作品です。

中:僕が見たのはかなり大きな作品で、もう最晩年のものでした。美術業界からみたら最後の個展の写真があってそれに映っている作品がどこにあるかわからない状態で、それが出た。でも持っている人は美術的な価値はわからないけどとにかく自分が凄いと思っていたから百万円とかで買ったという話だった。司会者は、何が描いてあるかわからないという感じでした。今は瑛九をしらない人も多いみたいですが、面白いですね。

か:フォトグラムでは結構扱われたりしています。

こ:もの派展で出展されていました。

中:瑛九は最後点描に行きつくんですね、少し僕も被るところがあるなとか思ったりしています。晩年になって点描を描いているんですね、そして早死している。

は:あの絵は寿命が縮みそうな感じですね。

中:そうだね、縮みますね、良いものを見せてもらったという気持ちになります。20代でフォトグラムを作って、そのあとあまり良い作品がないまま40代になって、点描に行きつく。いろいろ遠回りをしているんですね。あとそれから図式的な事を言うと、1dの所にシュルレアリスムの所で抽象主義的な運動もあったと書かれていますが、2段落目です。「ルポルタージュ絵画も密室の絵画も手法的にはシュルレアリスムの延長でしたが、同時代には山口長男や村井正誠など、抽象芸術系の画家たちの活動も見られました。その中でも特異な存在は、1951年に若手の美術家や音楽家、文学者の総合芸術グループとして東京で結成された実験工房でした」っていう事ですぐに実験工房の話になってしまうんだけど、要するにシュルレアリスムと抽象芸術は同時代的に存在すると。これは戦前の多様性の時代の続きとしての多様性なんだけど、この後70年代に還元主義と多様性の時代が来るんだけど、その時は抽象の方が還元主義としては強い。今も多様性の時代だけど、マニエリスムがシュルレアリスム系だとするとマニエリスムの方が強い。抽象系はごくわずかではあるが方法主義はそのつもりであるという図式を一応解説しておきます。

ひ:瑛九は本名ですかね。

中:違うと思うよ。この時代の人はエスペラント語とかやっていますよね。細野晴臣の父親は大家だったりしますね。エスペラント語に繋がる話としては松沢宥ですね、日本人にしか通じない日本語で詩を書いていてはだめだといって彼は記号詩にいくわけだけど、英語でもないんだよね。だから今よりもそういう風潮は自然だったのかもしれませんね。

こ:エスペラント語っていうのはどこで使われているんですか?

中:人工言語です、公用語を特定せずに、どこの言葉でもない言葉を作ろうという事で作った言語です。しかし無国籍料理と多国籍料理がにているように、エスペラント語もいろんな言語の寄せ集めのようになっています。

は:最近趣味はエスペラント語ですっていうのは聞きませんね。

中:僕聞いたことないや。

か:なんか30分位講習を受ければあとは語彙があれば話せる位簡単らしいですね。

中:そうなんだ、けど今は英語ですよね。僕エスペラント語は知らなかったですね。坂本隆一にそいういうアルバムがありますね。未来派の大回顧展があったときは未来派野郎を出したりネオジオを出したりね、だいたい千のナイフから始まっているんですね。今日はこんなところでそれではおしまいです。





(*1)金額シリーズ - http://www.aloalo.co.jp/nakazawa/portfolio/index_j.html頁の上から6番目と、http://www.aloalo.co.jp/nakazawa/ippin/archives/2007-06.html頁の上から8番目にある。硬貨からなるドットでの色彩平面としての絵画作品である。多数性と同一性を扱っている。


後書き

今回は後書きをつけてみようと思う。文字起こしをしていて今までは言ったことはすべて言い間違いもそのまま記述していったのだが、今回は余計な話は省いてみた。余計な話というのは文献に書いてあることとは関係のない話のことで、しかし今になって「あった方がいいかも、、、」と思い直す事もあり、それをここで書いてみる。2つあるが1つ目は、半田は「天皇誕生日」を「天のお誕生日」だと高3の夏休みまで思っていたという話、もう一つはこの日中ザワはフロッピーの絵が描いてあるTシャツを着ていて、皆藤に「そのTシャツ何ですか?」と聞かれ「これね、フロッピー(笑)」と答えたという話だ。

20101107  文責:平間貴大

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