- - - - - - - 中ザワヒデ キ文献研究 進行状況逐 次報告 - - - - - - -
【留意事項】
本報告について中ザワヒデキは、事実誤認がさまざまなレベルで多々あることを了承の上で読んでいただく分
には公開しておく意義があるとし、公開している
第二期十四回
二〇〇八年九月三日
文献
「その後のバカCG―HISTORY OF BAKA CG―第8回」『イラストレーション』1996年11月号 p.130-133, #pp.331-334
「その後のバカCG―HISTORY OF BAKA CG―第9回」『イラストレーション』1997年1月号 p.128-131, #pp.335-338
「その後のバカCG―HISTORY OF BAKA CG―第10回」『イラストレーション』1997年3月号 p.126-129, #pp.339-342
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「その後のバカCG―HISTORY OF BAKA CG―第8回」
|第12章 パッケージ変遷史(後半)
「その後のバカCG―HISTORY OF BAKA CG―第9回」
|第13章 マルチメディアアートの可能性と不可能性(前半)
「その後のバカCG―HISTORY OF BAKA CG―第10回」
|第14章 マルチメディアアートの可能性と不可能性(後半)
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中:ギャラリーセラーと予定を調整中なので14回以降の事については話しません。では皆藤さん旅行はどうでしたか?
か:大変でした。何が大変だったかっていうとまず飛行機で、行った初日、パリ経由でいったのですが、パリからワルシャワ行きで到着する直前で凄い嵐になって雷、雨がすごくてジェットコースターの様な感じで、それでもなんとか着陸して。
中:着陸ちゃんとしたときにみんなで拍手をワーっと
か:拍手しました(笑)
中:起きるよね、そういうの乗った事ある気がする。
か:パイロットと握手してきましたよ、グッジョブ!って。
は:移動が多かったの?
か:14日間で8都市回ってきたのでだいたい毎日移動、五時起きで7時の電車とか、で昼前にホテルについて歩き回るという感じで、15人。特にプラハが奇麗でした。その時丁度プラハの春40周年でいろいろ戦車とか写真の展示とかあって面白かったです。
中:今秋だけどね。プラハの秋っていう音楽祭があったかな。
か:毎日どこかの教会でコンサートをやってるんですよ。パイプオルガンとかで凄く良かったです。
中:曲はクラシック?
か:そうですね、バッハとかモーツァルトとか。あとはアウシュビッツとかも行って、凄かったです。
中:行ったことないやチェコ。今もチェコだよね。
か:チェコ共和国です。チェコ共和国、スロバキア共和国です。
中:プラハはチェコ?アウシュビッツはポーランドか。
か:プラハは凄く奇麗でした。おすすめです。もう一度行ってみたいと思いました。ドイツも良かったですが戦争で破壊された所ばかり行きましたがプラハは戦争逃れたので。ドイツの教会は一度壊されて再建しているのですが大理石だった所を漆喰とかだったり何にも絵が描かれていなかったり。。再建しているのは凄かったんですけど。
中:ご報告ありがとう、では皆藤さんに何があったかどう伝えましょう?公開対談があったりしましたね。そこでは平間さんの録音機材が何故か途中から記録できなかったということもあって、それでは平間さん自分のメモリーから喋ってください(笑)
ひ:録れてなかった部分を。。。アスペクトからの80年代のイラストレーションについての対談だったんですよね。
中:80年代イラストレーション検証みたいな本が出る。で僕としては当時イラストと美術があってイラストが差別されていた。逆にそこで差別されているのをよしとして自分たちをイラストと呼んでいた人もいた。という事を若い人達が知らない事がショックで、僕はその説明を終止していた(笑)
ひ:都築さんはそういう事はあまり話していませんでしたね。
中:都築さんはそれ以前にイラストレーションとは、っていう事を話していました。作家性をもつイラストはイラストレーションではない、とかそっちの方の話をしたかったらしいです。
か:田村さんもいらしたんですか?
中:うん。でも特に発言はしてないかな。今日後半くるかもしれない。
は:終わる頃に来るかもしれません。
中:さわやかな職場ですか?
は:ちゃんとやってくれていますよ。
中:毎日顔合わせてるの?
は:ほぼ毎日ですね。
は:同僚となったわけですね。
か:毎日話ができていいですね。
は:はい。。。まさみちだからマッチって呼ばれています。マッチは〜?という子供もいたり。子供に絵を描いてあげたりしていますよマッチは。
中:是非子供を文献研究に。。。そういえば来年も文献研究はあるらしいんだけど、読む文献がなくなったら映像をみたりMDを聴いてみたりしましょうかと漠然と思っています。で、公開対談が20日、そして27日がその後のバカCG第6回、7回と、そして今週に繋がっています。復習もかねて一分前後で説明して下さい。
か:だんだん注が増えて行っていますけど。
中:その話もしたよね。
は:本文がインデックスになっているという。。そして注を読む。
中:書いてありますね。
は:パソコンのハードが大事なのかソフトが大事なのかという話で、パソコンをたんなる道具と考えるのか、そうではないと考えるのかという話です。そこでデスクトップリビング論、ウォーホールのスーパーマーケットですね。人工知能の話もあって、、、
中:人工知能に芸術創造ができるかできないかという話を半田さんがいって、僕は「苦労させればそのうち芸術活動するんじゃないか」と言ったんですね。
は:コンピュータは苦労するんですか?
中:悲しい感情とかね。
は:そうなるのはもっと先だろうと思います。それを目指している。。。
中:そういうときにさ、いや、魂の無いものには絶対そういう事はできないとか言い出す人は一般的にはいるよね。
は:そのあとのパソコンツールの実験という所では、中ザワさんはソフトを自明として扱うのが重要だと。
中:重要とは言ってないかな、ソフトを自明なものとして僕が始めたのがバカCGだと。
は:このときはデジタルネンドの直前ですか?
中:そうだね、96年5月だから直前です。出る事は決まっていたけどね、開発中のデジタルネンドって書いてますね。
半田さんは0と1でプログラミングして図形を書いた事があるという話をしていましたね、模造紙の上で。
は:話がずれましたかね。
か:どういうことですかね。
は:マイコンの時代だったらパソコンクラブなんて名前つかないですよね。
中:そうだね。
は:中学の時に部活に入らなくちゃいけなくて、第一希望じゃなくて第二希望か第三希望になってしまって入ったんだけど、30人に一台くらいしかパソコンがなくて、みんな使えない。だから模造紙に0と1のプログラムを書きました。
か:今ならパソコン上でできますよね。
中:今の文脈の中で言うと、まだペイントツールみたいなものはなかった。だからプログラミングで図形を出していた頃の時代を半田さんは知っていた。でもそのあとで描画用のパソコンツールは出来てきた。ペイントツール、ドローツール。そうするとプログラミングで0と1を打ち込まなくても、あるいは「図形を出すんだ」っていう感じじゃなくても描画できるようになってきた。その前の時代の話だね。
は:そうですね。
ここでは中ザワさんがドロー系、ペイント系のツールについて書いていてこれは前から何回か言っていることなんですが、ここでドットのギザギザが網膜にも存在している。
中:注の11かな。ギザギザの概念はプリンタやモニタだけでなく、実は眼にもあります、という話だね。これで網膜混色とかとつながりますね。
は:それを参照しながら、図版にはペイントツールでないと作れない作品が載っているんですね。
中:いや、ペイントツールでなと作れない作品ではなくて、もう少し正確に言うと、これはペインターというソフトを使っているんだけど、ペインターについて「アナログの各種画材の質感を正確にシミュレートすることを目的としており、、、」要するにシミュレーターソフトなのね、アナログ画材のシミュレーター。”ゴッホ”とかクリックするとゴッホタッチの絵が描けたり、”スーラ”って所をクリックするとスーラタッチの絵が描けたり、あるいは写真を取り込んで”ゴッホ”をタッチするとゴッホ風になったりね。そういうのだけでなくて色鉛筆風とか水彩風とか、それをただ代用として使うと開発者の思通りでぜんぜん面白くないんです。開発者は面白いかもしれないけどね。それを使ったのがこの「社長の春」っていう作品ね。
は:このサルとかそうですね。
中:そうですね、右下のベンツのマークとかね。これはね、白地に赤い色鉛筆で描くと色鉛筆で描いたみたいになるのね、そのあとに白い所にペンキ缶で黒を落とすと、そうするとあり得ない線が出てくる。赤い色鉛筆では白から赤のグラデーションがあって中心が赤くなっている線だから、黒がずうっと来ていきなり白がちょっと残って赤くなって行く、変な線が引けるんだよね。
あんまり納得していないようですね?
は:いや、ゴッホツールって始めからゴッホタッチなんですか?
中:ゴッホは2つ位やりかたがあって、一つは写真でもなんでも絵を入れて、範囲指定してその範囲がゴッホになる、もう一つはゴッホの筆を持ったような、例えば青いインクをつけてやると青の周りに青緑色とか色んなのがついてきたままにゅっと書ける訳です。
は:ありがとうございます、そっちの方が聞きたかったです(笑)で、後半は中ザワさんが今まで語ってきた事を再確認するような内容です。で最後は文体が自分の事を”彼”というようになります。
中:はい、ありがとうございます。それでは前回の復習をしましょうか。
か:僕は読んでみて解りにくかった事があって、パッケージといいう概念自体がちょと。
ひ:パッケージは作品を出すときの全体、、、
中:形態かな。
ひ:それひとつのものとして出すときの。
か:ジャンルとは違うんですか?
中:ジャンルとすごく密接な関係がある。でもジャンル自体、ジャンルとパッケージは使い方としては小文字のaというパッケージを使うジャンルは大文字のAであるという感じです。
か:ジャンルはジャンルであるけどパッケージはそれぞれジャンルにおさまらなくてもそれがパッケージとしてあるという事ですかね。
中:どうでしょう。例えば、キャンバスに油彩というのはジャンルでしょうかパッケージでしょうか?
それはパッケージです。では絵画、これはパッケージでしょうかジャンルでしょうか?
か:ジャンルです。
中:ジャンルですね。
か:もう少し例を出せませんか?
ひ:ナム・ジュン・パイクはパッケージをギャラリーとして発表しているんですね。
中:ビデオアーティストの話ね。
か:ビデオと展覧会をパッケージとしてっていう事ですか。
中:ビデオアートの場合、ビデオテープ自体がパッケージとなるジャンルっていうのはビデオテープそのままでいいっていうのは、ビデオドラッグ系かエロビデオ系しかなくて、ビル・ビオラとかナム・ジュン・パイクとかは、、ナム・ジュン・パイクは少し違うかな、ビル・ビオラとかは彼の経歴を見ると、どこの美術館で展示をしたかがその経歴を支えるものになっていて、いつに何ビデオを発表じゃない。だからビデオアーティストのパッケージはビデオテープじゃなくて、展覧会、ギャラリー、美術館がパッケージになっている。となると美術家と同じ。平間さんは音楽で解りやすかったと言ってたよね。
ひ:ジャズのパッケージはライブ会場、ロックのパッケージはCD、録音物でそれを売る為にツアーをやったり。ジャズは逆に、ライブがそのままパッケージになっている。
か:ビデオアーティストが展覧会がパッケージになっていると。少し解った気がします。
中:例えばロックミュージシャンのライブに行った時に「あ〜彼らはCDと同じような音でライブが出来てる、凄いな」っていう褒め方がある。録音物の方が無意識のうちに本体になってる。それは今までと逆で、ジャズとかだと「このCDは凄いよね、ライブの音を余す事無く再現できてる」
っていって、録音物がライブに近づけば近づくほど録音物を褒める。
か:絵の場合は何がパッケージなんですか?絵ですか?
中:そうですね。
か:解りました。
中:でも僕も最初パケージのこういう使い方を知らなくて、松本玄人さんにパッケージの話されて最初チンプンカンプンだったんだけど、きっとこういうことだなと思って、これでいいんだろうと思って書き始めている文章です。だけどその後他の人もこういう使い方してるから間違ってないと思います。
ひ:フロッケ展とマッキントッ書展は、フロッケ展が先ですか?
中:いやマッキントッ書が先。
ひ:中ザワさんが出品した所はフロッピーがずらっと並んでいたんですね。
中:フロッピーに作品を詰めて売るっていう考え方自体が無かった、当時。
ひ:フロッピーをパッケージとして作品発表する。
中:だけどマッキントッ書、フロッケ展によってそういう考え方が出来た。そしてそこに立ち会ったという事が記録されています。バカビデオドラッグ持ってくれば良かったね、カラーで見たい。
は:3D眼鏡も見たいしお香も見たいですね。イエローインクの香りとか(笑)
中:例があります。3D眼鏡とお香を使用しながらバカビデオドラッグを見ている写真です。
か:3D眼鏡って本当に3Dなんですか?
中:実際の3Dの風景が3Dに見えます。
か:あ、つけてもつけなくても。。。
中:注がついていて、モニタ画面の様に本来2Dのものが3Dに見えるわけではございません。(笑)
は:バカビデオドラッグはデータが圧縮してフロッピーに入れているんじゃなくて、データがそのまま入っている、そしてフロッピーをパソコンに入れてそのまま再生するという。それまでの作品は圧縮してフロッピーに入っていたんですか?
中:うん。それでハードディスクにコピーしてそれを解凍して見てた。そうするともうフロッピーがいらなくなる。
はんださんは前に凄く安いCDを見つけて買ってみたら中に暗証番号が入っていて、それをホームページで入れたら確かにダウンロードできた。そしたらこの私が買ったCDジャケットとかいらなくなるの?えー!って言ってましたね。
は:そうです、フロッピーがいらなくなるのもそういう感じですね。
中:フロッピーの場合は逆で、始めはみんなコピーしたらいらなくなっちゃった。で僕がCDに中身があるようにフロッピーをずっと持ってるようなものを登場させた。
は:私はいまだにそのCD持ってますけどね。
ひ:普通のCDも今はパソコンにいれたらそんな感じですよね。
中:今はそうなってきた。昔はさ、2枚組とか割安なはずなんだけどなんかやだったな(笑)3枚とかでもね、なんか釈然としないものがあった。パッケージ的に弱かったね。だけどパソコンに入れるようになってから2枚組3枚組別にどうでもよくなった。
は:レコードからCDに変わるときもそうでしたね。それまではシングル買う時は、買うぞ!って感じがあったんですけど。。。
中:自分の誕生日に自分で買ったりね。
は:そうそう、傷がつかないように持ったりね。でもCDになったら傷がついても大丈夫とかね。
中:レコードは両面でせいぜい1時間いかないかな、CDは74分入るじゃないですか、それで初期の頃のCDは、LPと同じものが入っている場合に、それでは意味が無いといって、もともとLPに40分だとしたら、必ずボーナストラックとか入っていました。でもだんだんそれも無くなってきて、たんに昔のLPと同じものが聞きたいのに、ボーナストラックとか入ってるとコンセプトが違うよなとか、同じ曲の別バージョンとか違うよなとかなってきて、だんだん40分のものでもそのまま40分のCDとして出すとか、そういうふうになってきた。それで今ですね。新しいメディアになる過渡期があります。
あとCD傷ついても大丈夫とか言ってたのにだんだん聞けなくなってきて、え〜大丈夫って言ってたのになぁという事もあります。
ひ:傷がついても大丈夫とか、そんなことあったんですか?
は:CDが出たばっかりの時にNHKで特集が組まれていて、CDとレコードはどう違うかっていうので、カッターで傷をつけてみましょうって、縦にカッターで傷をつけてそのまま再生されていましたよ。
中:やってましたよ。傷を入れた方が音が良くなるっていう噂もありましたよ。あと特定のどこかで作ったCDは音がいいとかデジタルなのにあるんですかね。アナログなら分かるよ。でもデジタルでもそういう事ってあるのかな。
ひ:CDには傷がついても大丈夫な部分が少しあって、そこが薄い方が音が良いとか。
中:なんでよ、01の信号が盤面に入ってるんでしょ、そこに薄いのがあって、読み込みにくいとか、でも01になるよね。もともとのデータが変わったとしても受け取り方もデジタルだから同じはずですけどね。
ひ:韓国のどこどこは安いけど音が良くないとかありますね、エラーが多いとかはあります。
中:エラーの話なのかな。
ひ:最近も新しいCD規格みたいなのが出て、その層が薄い、そして丈夫っていうやつです。
中:本当はデータがあってエラー率の問題なのかな、何割エラーでも無視して進めるとか。
ひ:そいういう事はあります。数値のうちにいくつかの数値が消えても音が出る。
中:エラーが少ないと音がいいって言う話なのかな。
ひ:mp3の音質とかはその数値が少ないから音が悪いっていう話ですからね。
中:だから分かる人には縦の傷も分かるのかな。
ひ:刀根康尚 とかその傷で演奏しますね。
は:そうなんだ。
中:色々ありますね。復習としてはそんな所ですかね。パソコンでは聴けないCDとかね(笑)では進みましょうか。*1
こ:その後のバカCGメバカCDからマルチメまで第8回です。第十二章から始まっていて、パッケージ変遷史の後半です。●自主制作としてのフロッピーディスク出版 では、ここで気になったのが、フロッピーを一般の店に納品というのは、どういうお店に納品していたんでしょうか?
中:マニュアル・オブ・エラーズとかですね、わかりますか?
ひ:レコード屋さんですね。珍しいものがいっぱいあります。
中:あとショップ330とかね、あとタコシェとか。
こ:音楽関係が多いですか?
中:タコシェはガロ関係かな。
か:ガロ関係とはどういう感じですか?
中:池松さんのグッズがあったりね(笑)今はブローウェイにあります。当時は西早稲田にあって、たこ焼き屋を改装して、その看板をそのまま使ってタコシェってできて、その後マニュアル・オブエラーズと同じ店舗に入って、その後分離してブロードウェイに入った。そこに来てから長いですね。素晴らしいですよちゃんと存続してて。
こ:「さるすべりFD」っていうのはフロッピーディスクですね。
中:そうですね、覚えてないですね(笑)ここに記録しているもので覚えてないものもありますね。
こ:デスクトップファインダーというのは?
中:デスクトップファインダーはわかりますか?
か:ウィンドウズではマイコンピュータをクリックすると出てくるものですね。マックのほうがわかりやすいですね。
中:フォトショップとかイラストレータとかワードとかエクセルはツールだけど、ファインダーはツールに行く前のもので、そこで作業する訳ではない。そういうものを面白がっていたんですね。フォルダ、ディレクトリをクリックするとウィンウが出てくるけど、ウィンドウズでは自分で変えられるよね、でその大きさを自分で決めて、フォルダを開いて、次のフォルダを少し小さく開いて、それをずっと30個位繰り返すと等高線のように見える(笑)
でフロッピーディスクにはフォルダを開いた状態で保存する事が出来た。そうするとフロッピーをパソコンに入れると、ガチガチガチガチと開いて積み上がって行くんですね。そういう作品を作りました。
か:そういうものは今は見れなくなってしまっているので残念ですね。
中:今の機種ではできないですね、OSが違いますから。そのデスクトップファインダー自体が違いますから。昔の機械じゃないと見れません。僕はそういう作品がいっぱいあります。
こ:ウィンドウズでは作品作らなかったんですか?
中:ウィンドウズ3.1を使った作品がありますけどね。でもウィンドウズでそういうものを作る人はあまりいませんでしたね。そういうのを一番やっていたのはアミーガーという人達とかPC88の人だったりするんだけど、それはオタク過ぎて淘汰されかけている。
こ:●強力パッケージメディアCD-ROMの登場 では、フロッピーディスクドライブはパソコン初期から標準で本体に付属していたのに対して、CD-ROMドライブは91、2年位にやっと出回り始めて、しかもそれはリードオンリーのメディアだったという事が記されています。リライタブルな方が良さそうな感じもしますけど。
中:そうですね、しかしパッケージ的にはその方が良かったんですね、ビデオが出たときも編集が出来るとか色々取ってとかいってたんだけど、ほとんどの人はソフトを見るだけで、作る人はあまりいなかった。フロッピーもそうで、そこで鑑賞しているだけの人の方がよっぽど多かったんですね。
か:CD-Rのリライタブルのものはいつ頃でたのでしょうか?
中:いつ頃でしょうね、3、4年後の事ですね。
こ:ここで五味彬が出てきていますが、僕は知りませんでした。
中:そうか、この頃はネコも嫡子もYELLOWSでしたよ、追随するものもいっぱい出ていましたよ。
は:始めは本だったんですよね。
中;そう、どこかの出版社から出る予定だったんだけど、ヘア解禁の辺りでね、発売直前に断裁になったんです。ヘア解禁は宮沢りえ。
は:篠山紀信ですね。
中:僕バカCGでかいたよ、ボッティチェリのビーナスが手を外してるやつ(笑)それ91、2年ですね。
こ:ヘア解禁というのは法律的なものですか?
中:法律の警察からの解釈ですね、「ヘア」とか法律に書いてないですからね。猥褻物です。どこまでが猥褻かっていうのはその運用者の話なんだけどその運用者は警察。だけど篠山紀信と宮沢りえ、それを新潮社が出す、それに対して警察の反応も話題になった。
は:マドンナの写真集、「SEX」もそうですね。
中:その前はヘルムート・ニュートンがだめだった。
は:たまにありますよね、写真誌で写ってて摘発とか。で図書館行くとあったりする(笑)
中:自主回収とかしますね。
は:「SEX」と「サンタフェ」は同じ時期で、テレビでそれを比較して話したりしてました。
中:あったね、コメントするひとが「でもいやらしい感じはしませんね」とか言い合うんですよね。ヘアはだめだったんだけどYELLOWSは「自分はきちんとした写真家で写真が出来る事は日本人の体をきちんと記録する」と。で日本人女性の写真を撮る。で目的が猥褻じゃなかったんで出版までいって、でも前日に裁断、でCD-Roms出版できないかといってデジタローグからでた、そしたらYELLOWSを見る為にパソコンを買うという事が起った。そしてそれはVHSの時もそうだった。みんなエロモノを見るためだったんだ!ってなってその後ORENGESとかたくさん出てきた。
か:いくら位したんですか?
中:8500円位してましたよ。
こ:その次は●パッケージとしてのパソコン通信 です。パソコン通信とインターネットは違うんですね。
中:そうです。その次の●パッケージとしてのインターネット と見比べればわかりやすいですね。ここでパソコン通信とインターネットの違いは一応書いてあって、まあイメージ的にはパソコン通信の大きいものがインターネットかな。
こ:ソフトを持っている人達が
中:パソコン通信に接続するためのパスワードを持っている人ですね、インターネットができてからパソコン通信はいらなくなった。逆にいうとインターネットがでるまではパソコン通信が無かった。テキストベースからGUIの強いものがいっぱい出てきて、このタイガーマウンテンっていうのは今のMIXIにちょっと似ています。規模は小さいですけど、掲示板があって。
こ:パソコン通信は文章が中心なんですね。
中:最初はマックはNinjaっていうソフトを使ってて、普通は正式バージョンは1.0とか2.0とかなんだけど、0.98bとかなかなか1にならなかった(笑)フリーウェアでした。
こ:ここではパソコン通信をパッケージとしたアーティストの作品発表とどう繋がるかを既に、a掲示板の機能を利用してギャラリーを運営している人が、アーティストの作品のデータをそのままギャラリー上にアップする場合、b決められた掲示板スペースに自らが自分のデータ作品をアップする、cユーザ自ら自分の作品として掲示板自体を立ち上げるの3つに分類しています。今だとYoutubeとかいろいろありますね。
か:それはbに入るものですね。
中:aはインターネット上でいろんなイラストレーターがやっています。美術家もだけど。僕もあります。ポートフォリオのようにね。実際のアナログの写真をスキャンしてアップしたりね。cは掲示板っていう言い方だけど自分の作品として頁を作品にするという事ですね。webデザイナーとしての作品は少し変わってきますけどね。
か:技術者はそうですね。
中:そういうのやってましたよ僕。印種実験室。「ロシア人はヒゲがソ連」とか書いてあってクリックできるようになっている。でね、該当するデータがないときに404 not foundって表示されるんだけど、その表示の出し方を変えたりしています。
は:わかりにくくなっている所もありますよね。「押さないで下さい」っていう頁はいまいちどうなっているのかわかりません。
中:その頁は今見れません。あれは今無理で、ジャンプ機能を使っているんですけど、0秒後にここに行って下さいっていうのをループさせているんだけど、その指定が効かなくなったものなんです。サーバを引っ越して書き換えがおこなわれていません。他にも頁の下の方だけにCGIで文字が流れるだけの頁とか。今はあんまりないですけどねそういう頁。
は:ありますね。
中:一日一品にもあります。それはページ自体が作品だっていう例ですね。
こ:334では、パソコン本体の低価格化が進んだのもこのちょっと前あたりからで、マッキントッシュでは初心者への普及を目的としたものがあいついて発売されました、とありますが。。
中:そうですね、95年位かな。
は:なんかCMで「ピザを買う感覚でマックを買う」とかやってましたね。
中:マクドナルドじゃなくて?(笑)そういえばこの前小池君と行った藤野でモスドっていうのを見たよ、ミスドとモスバーガーがマルチメディアになっていました。
は:違いますよ!ッキンショッシュです。そういえばファミリーマートみたいなお店でファミリーファッションっていう名前もありました。
中:まあそれでだんだん安くなってきて学生に一人一台っていう時代になって行くんですね。
は:そして色も増えたりしましたね。
中:iMACで変わりましたね。でもそれからフロッピーが無くなって、ぼくはどうでも良くなってきました。
こ:アロアロフロッピーというのは、作品が入っているフロッピーなんですね。
中:そうです、作品パッケージとしての商品です。パッケージは形、アートの形ですね。池松江美さんとかとやっていました。
か:このフロッピーはアロアロインターナショナルから発売されていますが、会社はいつ頃つくったんですか?
中:92年4月です。東京工作クラブという二人組のアーティストがいるんだけど、その二人が会社をつくってそれが凄く楽しそうだった。ぼくは当時シミュレーショニズムかぶれで、自分の名前を消して匿名性でやろう、個人じゃなくて会社の歯車的にやっていこうっていう感じでした。
は:有限会社ですね、今は株式会社も安くつくれますね。
中:そうなんだよね、でも当時は資本金一千万とかで有限会社の方が簡単につくれた。でもいまはあまり興味が無くなっているので詳しくはわかりません。
こ:334では、インターネット上での課金システムの問題を話題にしています。
中:そうですね、でも今はADS by googleになった為解決しています。webを立ち上げるのにはwebデザイナーにたのんだりいろいろお金をどっかから持ってこなければいけませんね、自力でなんとかする以外の人ですね、今は凄く多いですけどね。赤字でもいいから作品を発表するという人がいればそれで良いんですけど、当初からインターネット上での作品発表は、お金の問題があったんだけど、パソコン通信の場合は、会員登録料を毎月払ったりしていました、だけどインターネットの場合は無いじゃないですか。そうするとどこからもってくるか。そうするとパスワードをつくって会員制にするとか、いろいろ当時考えたんだけどそういう事をしている人はあまりいない。で、最初はインターネットで広告だしてもあまり意味が無いといわれていた。だけど徐々に意味があるようになってきた。で企業もだんだんお金を出すようになってきて、そして広告の企業と連動する事によって直接ユーザからお金をもらうんじゃなくてもお金を得れるようになった。その広告もADS by googleで進んできて、そこを使うようになってきました。
は:ニフティサーブっていうのはパソコン通信なんですね。インターネットと違うというのを最近知りました。
中:そうです。
こ:中ザワさんは96年7月に「逃網」という作品を制作していますね。
中:そうです。志半ばで終わっているのであまり思った効果が現れていないものなのですが、こういうものをちゃんとやっているという手もありました。
は:しりとりとかですね。
中:しりとりではないですが、それっぽい作りです。浅田彰の「逃走論」をパロっています。なので浅田彰から始まっています。これは英語にするとNet Escapeなんだけど当時一番有名なブラウザはnet scapeだった。今は説明しないとわからなくなってしまいました。
このイラストレーション誌の連載はグーグルが出てくる前の話なので状況が違いますね。検索という発想はあまりないです。最初の検索は自分で登録したものしか検索できませんでした。ロボットが探しに行くというのはなかった。
は:検索はほとんど当てにならないという感じだったのですが、ある時期を境に一気に精度があがりましたね。
中;そうですね、グーグルですね。そんなところですかね、何か他に質問などありますか?
か:注が凄く長い事は、編集の方にはなにも言われなかったんですか?
中:特にいわれませんでしたね、見た人からもあまり突っ込まれませんでした。それについてはどこかに書いてありますが、ハイパーテキストっていう事ですね。
か:第10回とか文字も凄く小さくなっています。読むのがつらいほどに。
中:注の中に注がありますからね。
は:読みにくいです。注の注があってまたページをめくって。。。
中:今までに無い特殊体験。。。「逃網」は注だけで出来ているようなものです、だけど説明しようともしていないから、一行の注が五個くらいあってというものが永遠と続く、本文がないです。
か:用語解説にしてしまうのもいいかもしれません。
この連載は半端に本文がある状態ですね。辞書にするとかできそうですね(笑)今回は「あ〜き」とかね。「あ」はアイコンとかね。でもそうすると関連用語でいっぱいでてきたり、「ここを見よ」でいっぱいあったりね。
は:以前a, b, c,...を使ったものもありました。
中:マックワールドでペイントツールとドローツールについて書いた文章なんですが、事例を出して、a, b, c...と振り分けて、aの場合はどうなる、bの場合はどうなる、cの場合にこうなるとhになるかもしれませんとか書いている文章があってとても見ずらい文章なんですけど、その記号を使わないと凄く長くなってしまう。それでa, b, c...に入れている、オブジェクト化しているんですね、それがオブジェクト指向型言語。だから注もそうですね。だからオブジェクトよりもビットマップの方がいいという事ですね。そういう事はいってないか(笑)
は:いってません。
中:それでオブジェクト方式とオブジェクト図形方式は同じ言葉を使いますが違います。ビッとマップとの対比がその時点で間違っているという突っ込みがあっても良かったですが自分で突っ込みました。
は:この注がいっぱい有るのはなんとなくクリスタルですね。
中:そうです、そのつもりです。東京工作クラブの前田さんが、「注がいっぱいあって面白い〜!」といっていて、僕もやってみたくなって書いたものです。
それでは少し休憩しましょうか。
は:それではバカCGからマルチメまで第9回第13章マルチメディアアートの可能性と不可能性(前半)です。ここでは総合芸術とマルチメディアアートを比較していますが。●成功してきたとは言えない総合芸術 では、テッド・ネルソンが提唱した「ハイパーテキスト」の概念の同義語としてのマルチメディアと述べています。そして、本来人間の思考様式は(この稿に注釈が多くなってしまうように)シーケンシャルではないため、思考をそのまま記述するには単なる一本線のテキストでない形式が必要であるという立場が、大まかな「ハイパーテキスト」の概念です。そしてテキストではない事を強調するための「ハイパーメディア」であり、その同義語として「マルチメディア」を考えると。
中:そうですね。
は:ここでは後に、テレパシー研究にも繋がる話でしょうという流れになります。
中:それはガロの幽体離脱論でも少し話していて、全ての技術は最終的にテレパシーを目指していて、マルチメディアも本当は、嗅覚では匂い、視覚では見た目みたいなベクトルではなくて、伝えたいものをそのままメディアに頼らずに伝えることができないかという所までいくならば、音に載せたり視覚情報に乗せたりしないでそういう話が出来ないか、その時に無国籍料理と多国籍料理が似ているように、感覚を使わないのとマルチメディアは繋がるのではないかという事です。
は:料理の話が凄くわかりやすいです(笑)その後に、多くの総合芸術は総合芸術としての歴史的意味に於いてはあまり成功してきたとは言えないというのがかねてからの見解ですと述べていますが、中ザワさんは総合芸術批判として方法主義をおこなったんですよね。
中:そうですね。
は:この頃(97’)から言っていたんですね。
中:そうですね、しかも「かねてからの」とか言っていますね。(笑)いつからだかは覚えていませんけど。
は:あるいは総合芸術であることを脱し、シングルメディアと化した時に、はじめて成功すると言える事もあるとありますが。
中:それはこの後半に少し書いてあって、§4の●マルチメディアからシングルメディアへ ですね。そこには注12、342頁ですね、シングルメディアの具体例としての漫画。漫画は絵と言葉があるからマルチメディアだとか当時言われていましたが、それに僕はすごい反発していて、漫画は絵という言葉という文学があるのではなくて、漫画は漫画なんだと思っていた。だから漫画はシングルメディアだと、そういう事ですね。
は:総合芸術があまり成功していない事の例で、総合芸術が、本来人々の期待によって生み出された概念であることを前提とする必要がある、すなわち、素晴らしいaと素晴らしいbを足せばもっと素晴らしくなるだろうと述べていて、なるほどと読ませて頂きました。その失敗の原因で、aとbの文脈で、どちらかの文脈からしか語られない事を上げています。その後歴史化されにくいものだという事も言っていて、338にもあるように、敬して遠ざけられていると、ちなみにこの言葉は松沢宥にも使っていますが、批判や影響からではなく、それそのものに対して素晴らしいと言われたりされてしまうのが問題であると。
中:そうですね、その事については松沢と同じですけど。
は:初めは総合芸術が成功していないという事について理解しがたかったのですが、後半を読んで理解できました。
中:映画でいえば2001年宇宙の旅は映画史上でも素晴らしいと言われている作品だけど、ワルキューレだっけ、ダーダーダー、ダダーっていうあの曲は有名だけど、リゲティのアトモスフェールが使われていることは有名ではなくて、アトモスフェールが使われている事が面白いんだけど、現代音楽の話になると、リゲティのその曲のはとても記念碑的な作品です。話題にもなったしね、でも、2001年宇宙の旅に使われているかどうかは現代音楽からは関係ないのね。だからリゲティのアトモスフェールはそれとは関係なく評価されていると。
は:その後には、少なくとも映画は総合芸術として音楽を含んでいるという風には必ずしも言えないと述べています。
中:そうそう、音楽を含んでいるとは映画から見た音楽の利用の仕方で、現代音楽からしたらそれが映画に使われようが使われまいが関係ない。音楽史の中ではね。「アトモスフェール」はハンガリーから亡命してやってきたリゲティの代表作品です。クラスター技法の記念碑的作品です。
は:その後には「あらゆる芸術作品は歴史との関数でもある歴史的作品なのですが、その作品が総合芸術に導入されたとたん、その作品が本来持っていた歴史性はまったく剥奪されてしまうのです」といって総合芸術を否定しています。
中:そうです。
は:335には「aからみてもbからみてもアウトサイダー的立場のものと化してしまうのです」と書いていますが、これは今文脈と歴史性の問題がありましたが、ここには肩書きが問題とされています、これはジャンルの事でもあるんですか?
中:そう、ジャンルです。ジャンルと繋がっている話が今日二つ出てきましたが、その一つがパッケージ、もう一つが肩書きです。作品の形態について言うときはパッケージ、作者の立場に対して言うときは肩書きです。
は:ここでは情熱のペンギンごはんが例にだされています。
中:情熱のペンギンごはんは素晴らしいです。漫画なんですが、イラストレーターの湯村輝彦が絵を担当してて、コピーライターの糸井重里が台詞を担当しています。名台詞がたくさんあります。変なペンギンが最初いろんな事やって、その後ペンギンがいろいろ海に行ったり夕日を見たりする。
は:そのペンギンごはんの例がでてきた後に、「肩書きの問題は、どこまでも否応なく表現について回ります。作品から歴史性と、肩書きを含む人称性を剥奪するのは、意図的にコラージュ(さらにはリミックス等)の方向性に持って行かない限り不可能ですす」と続きます。音楽ではリミックスはそうだよなと。
中:ネタとして等価ですね、DJにとってはクラシックも商業音楽も。
は:総合芸術の失敗の理由に、aもbも行う訳ではないと。そうではなく、多方面に活躍する表現者が輩出し、そこで正当な総合芸術作品がでてくると。そこで思い出されるのが寺山修司ですが、しかし寺山は傑作はつくらなかったと言われたりもしている事を同時に思い出しました。
中:そうですか、まあ関係しているかもしれませんね。
は:シンガーソングライターがメロディーと歌詞が同時に浮かぶという事がその立場を押し進めているという所では、「人間がマルチメディアだ」というコピーを引き合いにしています。
中:そうだね、どこか忘れたけど、これは今はわからないね。
か:96年11月ですね。
は:中ザワさんはコラボレーション作品はありますか?
中:方法カクテルですね。
は:方法ババ抜きとかもそうですか?
中:そうです。
は:そして●§2テクノ総合芸術としてのマルチメディアアート では、総合芸術を引き合いに、マルチメディアアートはコンピュータ上ではaもbもできるからすごいに違いないといった意味において本質的には変わらないと断った上で、しかし、大抵のテクノアートに希望的楽観要因があるように、マルチメディアアートにも楽観要因があると。
中:ここはすんなり読めますか?
は;マルチメディアアートに対する期待ですか?
中:というよりはコンピュータができたときから、あるいはシンセサイザーができたときも、これからは全く違うのだ!っていう期待がある。いままでは美術、音楽、クラシックとかいろいろ別れていたけど、これから違う、ジャンルなんか関係ないんだ、、、っていうような気分にさせるのよ、コンピュータとかね。
か:そこが希望的楽観要因。
中:今迄の総合芸術はうまく行かなかったけど、コンピュータは違うよ、みたいな(笑)本当にあるのよ。それにうんちくがつくのよ。各種等価性とかね。
は:ここで出てくるハイパーカードとはなんですか?
中:もうないですからね、知らない人の方が多いです。例えばワードの書類はフォトショップでは開かない、フォトショップで作ったものはワードでは開かない、でもハイパーカードで作ったものは文書も音楽も全部ハイパーカードで開く。それで音に画像を付けたりもできる。それはアニメーションソフトでも作れるんだけど、アニメーションが目的ではない。いろんなメディアを同じ環境で使う事ができる。
は:そこにはテキストもあれば音楽もある。
中:そうです、でも今はインターネットのブラウザがありますね、ブラウザはハイパーカード的です。全部扱えるけど、インターネットっていう目的がありますね、インターネットの目的を取り去ればハイパーカードになります。池松江美とかが素晴らしいハイパーカード作品を作っていましたよ。ハイパーカード作品は素晴らしいものがありましたねそういえば。ゲームも作れます。アマンダさんっていうハイパーカードを作る主婦がいたりもしましたよ。
か:目的は使う人が決めるんですね、その形式がハイパーカード。
は:今はもうないんですね。パソコンが出てきて映像の世界は裾野が広がりましたね、アニメーションもそうですね。
中:映画になって公開もしたりしています。オタク達は自分でアニメーションが作れるっていうのは気付いていて、僕もそこで抽象自動書記アニメを作ったりしていました。その流れで不可視関数試論が出来たりしました。
は:それで新しい分野が出来てきたりしたと思いますが?
中:分野はあるんだけど、歴史化があまりされていなかったり、権威化されていなかったりですね。
は:成功していないと。
中:そうでしょうね、成功の可能性はありますよ。そういうものをもっと紹介するべきですね。
か:自動書記アニメはソフトですか?
中:いえ、僕がそういう造語を作ってかけ声をかけてやっていました。音は僕のCDに入っています。ああゆうことは昔の僕はやりませんでしたけどね、アニメーションと連動した音を独立して聴くような事は。でも96年に音だけ録音してCDに焼いてしまった。
は:中ザワヒデキ(マウス)っていうのが意味がわかりませんでした。
中:さかいれいしう(声)、中ザワヒデキ(マウス)ていうのね。
は:音を聴いてわかりました。ああクリックしているのだなと。あと「たこすみ」ですが、中身と曲が関係あるのが凄いと思いました。
中:マルチメディアライブですね(笑)絵描き歌のようになっています。
〜中ザワ歌いながら説明♪〜
か:それで絵が書けるんですね、コマンドZとかありますね。
は:これは当時流行っていた映像と音楽を一緒に流しているだけのマルチメディアライブへのアンチテーゼだったんですね。
中:そうそう。ただ雰囲気が似ているだけで一緒にやる必然性がないからね、マウスのパートも楽器である、譜面に書いてあるというアイディアですね。
は:そこで「たこすみ」のイメージがかわりました
ひ:時々自動の話が出てきますが、僕は今井次郎のソロしか見たことがないのですがどう思いますか?
中:僕は尊敬しています(笑)昔の作品は見ましたが、作風が今と違うと言いますね。
は:そうですね、中の人も入れ替わったりしていますし。
中:素晴らしいですね時々自動は。今井次郎は時々自動ではパフォーマーではないですね。半年に1回くらい今も活動しています。
中:さて次に行きましょうか。
か:はい、バカCGからマルチメまで第10回は第13章マルチメディアアートの可能性と不可能性(後半)からはじまります。この章ではクリックについて述べられていて、マルチメディアアートはクリックする事にこだわらなければならないと。僕はこれを読んでなるほどと思ったのは、前も出てきた話ですが、パソコンに向かうとマウスをもってクリックをすると。昔のマックはクリックボタンが一つしかありませんでしたね、今はいくつかあるものがありますけど。
中:僕はまだ一つのものを使っています。初めはPC88使っていて、macにしてボタン一つかよと思った。
か:ぼくもwinからmacにした時にはじめは不便だったんですけど今は一つの方が使いやすくなってしまって。でパソコンを使う時にはクリックする事からは逃れられない。そしてクリックがあるという事はインタラクティブになっていくと。そしてそれをクリック主義と読んで論を進めて行きます。●マルチメディアからシングルメディアへ では、マルチメディアはクリックを主体としたシングルメディアへと移行するべきかもしれない、a+bをそのままにするのではなく、axb=cのような操作によってcという単一のメディアを生み出すべきであると考えています。
中:ええと、絵というジャンルと言葉というジャンルを足して漫画が出来た。でもその漫画をいつまでも美術と文学と考えるのではなくて、美術としてはこの絵は良くないとか、文学としてはこの言葉は良くないではなくて、漫画としては素晴らしいと、漫画だから素晴らしいという事ですね。
か:そのジャンルは今新しく出来たものだとどんなものになるんですかね、例えばコンピュータを使ったものなどで。
中:ゲーム的なものは多いかもしれないですね、でもそれだと今はICCの中にはいってしまって、ICCのままだと今は美術の中では疎外されているけどとりあえず美術の中に入ったみたいなそういう位置になっていて、そういう意味では歴史的には成功していないんじゃないですかね。絶対ありえるんですけどね。
か:僕はさっきのハイパーカードとかは全然知らなかったし、そういう現場があったんだと。
中:そうね、そういうシングルメディアがあったんです。でもまだ負けている状態。
か:そういうのがwebとかでいろいろ出てきたら良いんですけどね、フラッシュに吸収されているような。ただのツールとして。
中:いや、フラッシュならフラッシュで発展すれば言いわけで、例えば手塚治虫が出てアンチ手塚が出て、それで漫画史ができているように、そいういう事が起らないとですね。
か:パソコン自体がシングルメディアみたいになっているような気もします。
中:そうですね、パソコン自体シングルメディアですね。
は:今回の文献では、注の中にさらに注aとかbとかがあります。
中:そう、チューチューしてる。そうだ、皆藤さんはキッズボックス見てるよね、ああゆうのを一緒に呼ぶジャンルがあればシングルメディアと呼べますね。
か:確かにインタラクティブなものですね。
は:クリックしたいというのは凄く良くわかります。クリックしてはいけない所までそれでクリックしてしまったり。。。
中:この当時、鑑賞者はクリックがしたいんだって言う事がわかっていないCD-Romが多過ぎた。クリックすると次が起るっていうのではなくて、ただ単に物語が進んで行くようなものね。一つ思い出したのが、全部写真で物語が構成されているもので、重過ぎて全然進まない(笑)というかマウスの初期デザインが素晴らしいよね、出来たものを見て、”ネズミ”と思ったんだろうね。それが今まで続いている。1968年のGUI型コンピューターのデモンストレーションにおいてはじめてマウスが登場しました。
は:マウスの形は変わりませんね。
中:そうですね、マウスの代わりもあるけどマウスの方が正確ですね。僕も絵を書くときはマウスの方が断然正確で、ペンも使いません。ペン型の方がいいという人もいます。
か:最近は紙に書いたものがそのままディスプレイに描けるというものもあります。
中:マウスだと1ピクセルずつ動かすという事ができるんですね、ペンだと浮いてしまうからできません。アナログみたいにつかうなペンの方が良いかもしれないけど、デジタルの中の話だとマウスの方が使いやすいです。
か:トラックパッドありますね。
中:僕のトラックパッドは今右下の方が反応しなくなってしまいました。文章の時は問題ありませんが、ピクセル単位で絵を描くときはマウスですね。
それでは今日はこれくらいにしましょうか。
(*1)パソコンでは聴けないCD…平間の作品でそういうものがある。
20101014 文責:平間貴大