- - - - - - - 中ザワヒデ キ文献研究 進行状況逐 次報告 - - - - - - -
【留意事項】
本報告について中ザワヒデキは、事実誤認がさまざまなレベルで多々あることを了承の上で読んでいただく分
には公開しておく意義があるとし、公開している
第二期九回
二〇〇八年七月二十三日
文献
「中ザワヒデキ以後11 光芸術論」『ガロ』1995年7月号 p.272-273, pp.275-276
「中ザワヒデキ以後12 (最終回)新大陸論」『ガロ』1995年8月号 p.272-273, pp.267-278
中ザワヒデキ以後11 光芸術論
|布袋寅泰のライヴに行った!
|この光を受けよ!〜観客を照らす
|この光を受けよ!〜マイケル・ジャクソン
|命令形としてのアート〜松澤宥発展形
|「モニター問題」をだしてみたが…
中ザワヒデキ以後12 新大陸論(最終回)
|今と言う時代の位置確認
|美術史をざっと外観(やおい見本)その1
|美術史をざっと外観(やおい見本)その2
|「そこに新大陸があるから」
|日常風景〜リアリズム論
|義務感としての表現主義
|「文脈替え」の可能性1〜イラストレーションの失敗
|「文脈替え」の可能性2〜ハード的な済み分け
|「文脈替え」の可能性3〜マルチメ・アート?
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中:それでは今日は中ザワヒデキ以後11の光芸術論ですね、扇風機の調子が悪いかな、まあいいや、じゃあ行きましょうか。
ひ:●布袋寅泰のライブに行った! では布袋とは別人格の照明に中ザワさんが驚いたんですよね、主役のミュージシャンに従属する引き立て役だけど近い将来に照明アートの氾濫が起こるでしょうという予言で始まっています。
中:これ起きてるかな、起きてないね、あ、ヒロヤマガタだ、あれは氾濫だね、ヒロヤマガタのイメージ変わったよね(笑)
か:オラファー・エリアソンとか、
中:ああ、光ですけどね、布袋の方が凄かったよ(笑)
ひ:というのも照明芸術が音楽に対して対等かそれ以上の存在をいずれ主張するようになるんじゃないか、マルチメディアライブという言葉もありますが、60年代、80年代的意味合あいで使われるその言葉はむしろフィルム、ビデオ映像と音楽という組み合わせで、ここで問題にしているラーとアートと音楽という組み合わせとは違う。それで映像ではなく単純に照明のみに徹底していた布袋のライブの方が光り芸術論としてははまっている。●この光を受けよ!観客を照らす では画家が絵の具を置く様に照明屋は光を置いている。しかし絵の具や映像とは違った特出があって、直接光を鑑賞者に浴びせることが出来るという事。キャンバス上の絵画では画家も鑑賞者も絵画に対して同じ側にいて、表現者対鑑賞者という対立構造があいまいで、そこが良い所でもあるけれど、音に例えるとやまびこを鑑賞しているようなものだと。
中:ここまでで何かありますか?
ひ:音楽の話で、照明の様にミュージシャンに従属する引き立て役っていうのはPAの存在でも同じ様な状態です。
か:PAっていうのは?
ひ:音楽家が音を出しているんですが、殆どの音楽会場ではボーカルや楽器、アンプにマイクが立てられて一旦ミキサーに繋がれてスピーカーから音を出しています。そのスピーカーやミキサーを司っている人の事です。ライブ会場では透明人間というか、結局はPAの人が音を出している。
中:制御感が似ていますね。違う点は、PAの人はコントロール力と最終決定力はあるけど、照明家は出力まである。ここでこの光を出すっていうね。バンドとPAが一体となった団体と、照明が対等になってくるね。
ひ:今後ライトアートが力を増した場合の音楽家の対応として、ひとつは”別人格の存在を認めない、これは自分で照明を制御してしまう方向性で「目をつぶって聞け!」という方向で、照明家が射なくなってしまえばOK”もう一つは同じ方向性の中で”自ら照明家を兼ねてしまうという方向性も考えられます。照明も他の楽器と同じ等価な表現手段の一つであると考え、主役自ら照明家を兼ねてもいいし、もしくはバンドメンバーの一員に照明家を加えることで解決されるわけですしね”で最後に”別人格の存在をそのままはっきり認めてしまうやり方です。ライブは必ずミュージシャン誰々、照明家誰々のコラボレーションとして成立することになります。”
中:演劇だと照明家誰々とか名前が出るけどね、でも照明とのコラボレーションという訳ではないのかな。
ひ:●この光を受けよ!〜マイケル・ジャクソン では先ほどの「この光を受けよ」という照明の在り方が、何か武器的なイメージを中ザワさんが持っていて、ここではマイケルジャクソンが出てきます。その後の現代アートの系譜としてダン・フレヴィン、フォンタナ、特にミニマルに蛍光灯に向ったのがダン・フレヴィン。
か:ジェームズタレルも光ですね、
中:そうですね、だけど武器じゃない方の光です、この光りを見よじゃないです。あとライトアートはメディアアート系にありますね、大阪万博系。山口勝弘とかね、どちらかというとテクノロジーかな。どう扱うかっていう問題がありますね、美術史で重視するかしないかっていうのは。
か:神奈川近代美術館でやってました、ビデオアートの創始者みたいな感じの扱いでした。
こ:うんうん、オブジェとかもありましたね。
中:実験工房という名前に合っていたのはテクノロジー系メディア系で、山口勝弘と北代省三がやってて、北代は美術家というよりは技師の意識が高かったから山口勝弘が美術家としてはやっていたのかな。実験工房は他のジャンルの人から見るとヘゲモニーを握っていたように見える。大阪万博の頃はもうご意見番位になってた。逆に言うと大阪万博がタブーになったから、実験工房が微妙な位置にいるままになっている。
ひ:田中敦子の電気服を取り上げて、攻撃用の武器ではないが鎧甲冑的な武具感があると言っています。
中:田中敦子のその後の絵画作品は、電気服との関係があって、電気服の配線図を見て絵としても見れ得るといって発展していったんです。その前はカレンダーの作品もあります。カタログがあって、良いものですよ。
ひ:それで武道館ライブの出来るこの時点でのライト・アートとは、時間軸上にのった概念で、もっとも考えやすいのはMMディレクター(*1)のようなスコアのソフトと、キーボードの組み合わせで照明機器類の動きをリアルタイムに指示し、照明器具をプリンタの概念で制御されるべきものとしています。
中:僕の不可視関数試論(*2)はMMDの一部のリンゴで書きました。ディレクターのスコア上でできる事はリンゴで書き換え出来たりしました。当時マックで操作する音楽作品はリンゴかmaxでしたね、macはオブジェクト指向が高くて、リンゴは一行ずつ書く感じですね。
ひ:ここでのライト・アートの概念に合っている例として宇治野宗輝の電飾オルガン。
中:宇治野さんはその後ラブアームになったのかな、ピカッと光る(笑)音と映像の同期となると蒲郡の映像装置としてのピアノと似てるかな。
ひ:あとデコトラの電飾は他を照らすのが目的ではなく派手な絵の具の延長線上にある「見られる」ためのもの。
中:蛍光塗料の延長線と言った方がいいかな。
ひ:●命令形としてのライトアート〜松澤宥発展系 では”ヒカリモノの場合注意しなければなrないのはそれが「相手を照らす」ためのものか、絵の具の延長で「自分の装飾の極限」としてのものかが、判別しにくくなってしまう”そしてフレヴィンは「ありがままの光」、田中敦子の電気服はややあいまい、村上隆の「シーブリーズ」は照らす側、宇治野宗輝はデコトラと同じ様に絵の具の延長線上と解釈していますね。そしてこの論の問題は「この光を受けよ」の方向なので、ミニマルよりはコンセプチュアリズムとしてのライトアートという事を考えて行きます。そしてはっきりと「この光を受けよ」と言い切って光を鑑賞者に照射するアーティストがまだ現れていない。命令形としてのライトアートをきちんとやるなら、松澤宥の90年代型発展継承タイプのアートとなるでしょう。
か:オラファー・エリアソンでこの光を受けよ系みたいな作品がテートモダンにありましたね。
中:へえ、じゃあそんな作品が、出た、という事だね(笑)村上隆のシーブリーズは凄い眩しかったな。
ひ:音の話だとキャンバスが反射光というのは場所によって声の聴こえ方が違うという事に似ています。
か:ダンフレヴィンの作品で四角い枠の周りに電球が色々付いてる作品があります。
ひ:松澤宥の作品で「この白紙を見よ 松澤宥」とだけかかれた作品があり、そのままやればいいともいっていて、「この光りを見よ 中ザワヒデキ」とすればいい、さらに松澤宥が本というインターフェイスで発表してきた作品は、パソコンモニターという発光するインターフェイスでこそリメイクされ発表しなおされるべきだと考えていて、理由は一つが反射光より透過光の方がより徹底感があるということ。命令形にも説得力が増すはずです。そしてもう一つ、儀式感が断然高まること。モニターvs鑑賞者の図式は、本vs読書人の図式より全然儀式感が強いです。もともち松澤宥h「物質消滅儀式」と称して消滅して行くキャンバスを眺める鑑賞者のパフォーマンスをやってるくらいですから、儀式度は高いほうが良いと思うのです。
中:透過光というよりそれ自体が光源だという事が言いたい訳ですね、あとここで当時はまだノートパソコンがあまり無かった。薄型モニタもあんまり無くて、ごつくてありがたいものとして机の上に鎮座してた。モニターは凄くエラい存在で、エラさはこういう作品では大事なのね、モニターはエラそうで儀式感があったという事です。
ひ:●「モニター問題」を出してみたが… では実際に「先見ゼミ」で出してみたんですね。
中:そうですね生徒からは「ばかばかしい」とか「寝てしまった」とか「邪悪な問題だ」とかの反応で、なかなか「この光を受けよ」というこちらの意を通すのは難しかったですね。このあとに例を出してるP・MODELの「another game」は、一曲目のに「あなたはリラックスしています」とか「目を閉じて、、、」とか言って、「あなたはリラックスしています、、、」になって最後に「それでは、音楽をお楽しみ下さい」って2曲目から普通に始まる(笑)
ひ:今は結構語りかけてきたりリラックスさせようとするCDありますけど、当時は新しかったんですか?
中:今あるね、リラックスCDみたいなの。でもこれはリラックスCDとは違うかな。
ひ:人が語りかけてくる様な音源は、瞑想のためのものや、宗教関係のものにもありますね。
中:あるある。ラジオ体操はすばらしいね、ヨガの時もなんか聞いたりするね。この頃にラジオ体操にはまってたんですが、それは書いてないですね、あとバッハの曲をたどたどしく弾くのがはまってて、練習っていうのは練習論で書いてるけどもう一つポリフォニーにもはまってて、それはその後五十音ポリフォニー(*3)になったりしてるんだけど、ラジオ体操は何にもなってないですね。でも方法舞踊につながってるかな。
か:方法マシンは違いますか?
中:違いますね。
こ:ライトアートの作品で、ネオン管の作品は多くありますよね。
中:そうです、ネオン管の作品が多く出てきたのが大阪万博の頃で、その頃にコスースも使ってたんだけど、その頃はネオン管を曲げられるっていうテクノロジーを使ったアートという感じがあります。では次にまいりましょうか。
こ:中ザワヒデキ以後12の新大陸論です。ここで●今という時代の位置確認 ではこれから述べる事は外れているかもしれないが、「想う芸術」で一度書いている様に本来歴史なんて「やおい」的思考の産物に過ぎないので、外すも何も歴史という考え方時代無意味なものかもしれない、しかし「やおい」は楽しいのでやってみるという立場で論が進められています。
中:歴史が無意味というのはポストモダンの時代は歴史の馬鹿バカしいという意見を持っている人が結構いたり、学ぶ事に意味は無いみないな人がいて、そういう事をふまえてとりあえずやおいしてみると。僕は97年以降保守反動化して、その時から歴史は大事だという事になって、方法主義も歴史認識を全面に持ってきて「やおい」的に楽しいとは言わなくなった。95年の時点ではポストモダンに配慮した言い訳をわざわざしている訳です。
こ:美術史観の概説では諸芸術、文学、数学、経済等は、近代主義の歴史として相同な歩みをたどっているとしていますが、これは方法主義に繋がる事ですよね。
中:まったくその通りです。95年の時点で文章になっていましたね。
こ:・モダニズム第一期(前期モダニズム);今世紀初頭〜第二次世界大戦頃まで。ヨーロッパ型。・モダニズム第二期(後期モダニズム);〜70年頃まで。アメリカ型。・モダニズム第三期(ポストモダニズム):〜今世紀末まで(?)。過去解禁型。(*4)と近代主義の三期を想定しています。
中:ここに(?)がありますね。どうですかね、2000年代もまだ引きずったままだと思いますね僕は。
こ:(はなはだ誤解を招きやすいので注を一言。ポストモダニズムとはもともとモダニズムではない、モダニズムとは終わったという考え方でした。が、その言葉とともに実際に起きた現象としては、それは結局、単に新たなモダニズムにすぎなかったのではないかというのが、ここでの解釈です。)と長い注釈がありますが。
中:ここでの記述は記憶にありますか、近代美術史テキストですね、89年の段階でそういう考え方に達しています、ポストモダニズムもモダニズムであったという事ですね。そこでは表では書いていないけど、新表現主義がどういう風にみられるかというのがネオジオが出てきてから解ったんだと。それも書いてあります。「表現主義は常に打ち上げ花火の様に短命です。」「新しいモダニズムはつねに表現主義で始まるのです」でも近代美術史でテキストの時はシュールレアリスムを過小評価している。表現主義とダダばかり書いていて、生と死ばかりで死後というのが無かった。でもコンセプチュアルアートとかミニマルアート、シュールレアリスムをどう繋げるか、要するにダダの後の時代というのが結構長いから、ずっとダダではない時代をどう考えるかという時に「死後」という概念を出すとオサマリがつくというのに気づいていなかった。
か:イラストレーションの一日美術美術大学の時は死後の所は斜線が引いてあって、西洋画人列伝ではPC等が記載されていました。反芸術の後に死の時代が来ていますね。死の概念がまだ違っていた時です。
こ:その後にこの歴史の図式化について、このようにいろいろな「やおい」ができて大変便利だが、この「便利」という事自体を疑問視するのであれば必ずしも有意義ではない。しかしその単なる便利批判それこそが真の意味での価値あるポストモダンであり、それをやってみたいという誘惑すら同居している。しかし現状は便利批判以前に「便利」で世界を埋めて行かなければならない。それは「目の前にまだ新大陸がどうしようもなくある」という言い回しで語って行きたいと考えていて、便利化というのは言葉化の力という様なニュアンスがあるのですが、それをオブジェクト指向と呼んだ場合、その言葉自体のオブジェクトで世界を満たしていこうとする衝動それ自体がモダニズムなのかもしれないと説明があります。
中:ここの所はオブジェクト指向の話にしなければ、言葉化の力と便利の話は幽体離脱論でやったよね。「テレパシー/テクノロジー系は幽を増殖すべき方向に目下のトコロ突き進んでおり羽、それが私の使う意味での近代主義であるならば、幽は人間など生まれる太古の以前から、拡大再生産を原理とする近代主義の体系であるのです。(逆か、幽の体系が近代主義と呼ばれるのか)」。あんまり近代主義という言い方はしないですね。カタカナを訳さないという事が別の意味を持ち始めるっていうのは椹木野依が「スキゾフレニックな日本の私」とか「日本・現代・美術」で言っていて、僕の「不可視関数試論」はその頃できた作品で、そのなかに「スキゾフレニックな」というのがある(笑)
か:「アナーキーな」「トポロジーなる」と一緒にありましたね(笑)子どもはどう思ってるんでしょう。
か:子ども向けに作ってる訳じゃないんだけどね。
こ:●美術史をざっと外観 では循環史観の表の説明がされています。
中:この表は西洋画人列伝の方が良く出来ています。
か:キュビズムが”死”の時代に括られていますが。
中:それはどう考えようかと思ったんだけど、フォービズムとか表現主義に対するアンチという事ですね。色を謳歌したり描きなぐったり、生命力に溢れる感じだとすると、それに対してクールでニヒルで色が無い。フォービズムとキュビズムと断絶を重視するのとキュビズムとダダの断絶を重視するか。両方できるんだけどこの時は反芸術の方に入れたという形ですね。
か:ダダの区分に入れられていますが、僕はポップアートの中で発展性があるという点ではシュールレアリスム的な肯定性に近い感じがありました。
中:それはミニマルミュージックが初期は本当にミニマルで最小限の素材から出来ていたのが今はミニマルミュージックイコールヒーリングミュージックになってしまっている所に似ているかな。最小限に切り詰めていく考えでは無くなってきている。ジム・ダインをポップアートと呼ぶと特にそうなってきます。僕は断絶の方が重要だと思っているんだけど、抽象表現主義の関係している文献を調べているとシュルレアリスムとの関連ばかりいっているのね、あまり良いとは思わないんだけど、多分権威付けとか、シュールレアリスムの読み替えによる正統的な継承があるんだよね。それと同じ様な事が第二モダニズムから第三モダニズムに行く時にあった。それはこの文献に書いてあります。●義務感としての表現主義 で、ジョナサン・ボロフスキーとジェニファー・バートレットとあるけど、彼ら自身がシュールレアリスム〜表現主義連関を具現しています。ボロフスキーは前も話しましたね、90年代初頭はスターでした。日本の美術でシュールレアリスムから表現主義の連関は美術手帳の95年7月号に日本現代美術史号に僕がかいて、還元主義から新表現主義へと題した記事があるんだけど、あれはその日本版で、連続としてとらえると、もの派からポストもの派の所で前本彰子とか吉澤美香とかを入れちゃうとそこが繋がっちゃうんだけど、そうじゃなくてそこの断絶をこそ観るべきだろうというのが僕の視点で、でも連続として観ようという力がある。
こ:さて、「シュールレアリスム〜表現主義」連関というものを想定したいと考えているのですが、超現実主義の時代に実は次のモダニズムの世代が育成されています。後期モダニズムはポロックら、アメリカの抽象表現主義として、ふたたび表現主義から出発したのです。これがモダニズムの2クール目です。
中:じつはもちろん欧州ではアンフォルメルというそれと相同な運動が当時あり、日本の具体美術運動も同時期だったように、概念的な意味での「新大陸」とは第二次世界対戦後のこの地球上すべての土地だったかもしれません。しかしやっぱり第二次世界大戦というわかりやすい区切りとともに、社会的には「新大陸・アメリカ」の時代になったように、美術もアメリカの時代となったと言うのがやはり適当と考えられます。これは美術の場合で、軍事的なものと関係してると図式的に解りやすく書いているんだけど、音楽の場合、ドイツ、フランス、ヨーロッパが強いみたいですね、そうなると軍事が必ず新大陸のあるべき場所とシンクロする訳ではないという事になります。思想とかもフランス強いしね。
表現主義から反芸術の時代は5年位ずつなんだけど、その後、死後の時代がいつもながいんですよね、だいたい20年位かな。今も死後の時代で抜け出てないかな。
こ:95年をメルクマールとすると次は2015年ですね
中:そうですが、そのメルクマールをどこにするのかという問題もあります。
か:●義務感としての表現主義 の前半では”「そこに山があるから」としか説明できないのと同じ様な義務感で、「そこに新大陸があるから」しょうがなくそのような作品を作っているのです。というか、作品を作らなくて済ませるような理由が,今、無いわけですね”の後に”普通は手つかずの新大陸があったならそれはアーティストにとって喜ぶべき事かもしれません。オリジナリティーが発揮できるのですから。しかし、このことに無邪気に喜べない理由はなんでしょう?もし一般論として成立するなら、それは輪廻転生の苦しみに気付いてしまったからかもしれません。”とありますが。
中:そんな事ばかりだよね。西洋画人列伝はそういう考え方で書いています。第六章の終わりに。
か:それに対してアウトサイドの立場でやってる人もいるじゃないですか、意識的にせよ無意識的にせよ。ネオダダの時代に全然違う事をやっていたり。
中:ただマイペースでやってる人とかかな。例えば1964年展ていうのを東京都現代美術館でやった時に、64年に描かれた絵を展示するというコンセプトで、僕とか美学校に居る人とかだったら、64年といったらハイレッドセンターが大変な事になってる時代だよね、それは現代美術が凄い熱かった時代として捉えているんだけど、ところが64年に描かれた絵を全部集めると、梅原龍三郎が絵を描いていたり日本画の画家が絵を描いていたり、その中のほんの一角に前衛美術のコーナーがあって、タイガー立石だとかハイレッドセンターがちょこっと紹介されてるだけなんです。ある意味それは正しいんだよね。編集がなされない状態っていうのはそういう状態。歴史っていうのは編集していく作業だから。だからそういう意味ではやおいでしかないという自覚が一方でありますl。だからこういうやおいをしてみたらこうなった。という様なことで、そのやおいにあてはまらない方がリアル。だけど歴史という物語じゃなくて、あとから語るものではなくて、事実の羅列になってしまう。歴史というのは語ろうとする意欲があって初めて語られる。語ろうとする意欲自体が欺瞞だろうという立場からは、それはそうという事です。
か:ではこれとは違った歴史をつくろうとしたらつくれてしまうということですか?
中:作れる作れる。歴史化するっていうのはそういう事です。現代美術日本編ではそういうつもりで出しています。今までの現代美術史は、へたウマとかイラストの方向性を一切無視して成り立たせようとして、ポストもの派を入れている。僕はそこに断絶があって、むしろ大竹伸朗や日比野克彦、湯村輝彦の方であって、そっちをきちんと述べた方が、よりおもしろいやおいが出来るだろうとしてやっています。所謂モダニズムっていうのはただの進歩史観だから実は循環史観とはちょっと違うんだけど、僕はその意味では循環史観の立場なので、進歩主義的なモダニズムとは違うんですよね。循環史観だと、全部それで説明できるじゃないかという風になる。この先も同じだと。そうすると輪廻転生であって。モダニズムが起きてきて、理性中心主義的なものとか、時々美術の中でも出てくるわけだけど、それに対する批判として、文学的なものを持ち出したり、すなわち超現実主義が出てくる系統っていうのが周期的に起きていく訳だけど、超現実を歌っておきながら、次のモダニズムを呼び起こす力にしかなっていない。歴史を観ると明らかですけど。過去を観ればね。
こ:●「文脈替え」の可能性1〜イラストレーションの失敗 では第4期モダニズムの新大陸が、デジタル情報〜パソコン環境だとして、それを受け入れる側からの「文脈替え」の話から論を進めています。
中:印象派の時代は町の郊外が新たな風景だった。それまでは国土は国王のものだったから市民が自分達の風景だと思える様なものではなかった。市民革命が起こって国民主権になって、それでフランス人達は日曜日になるとグランドジャッド島に出かけて楽しんだりしていた。それは自分達の国土を楽しむという新たな風景で、それをジョルジュ・スーラだとか当時の印象派の画家たちは、これがおれたちの風景だといって描いていた訳です。それがアメリカの時代になると大量生産、大量消費、ベルトコンベアとか、郊外に行くと巨大なスーパーマーケットに商品群がだーっとあって、それが自分達の生きる場所、新たな風景が出てきた。そのスーパーマーケットに即した方法で描こうとする時に、印象派は郊外の風景を描く時に適した書き方でやる時にチューブ入り絵の具とイーゼルを郊外に立てて描くのが郊外に適した方法。同じ様にスーパーマーケットにイーゼルを立ててっていうのはそぐわないのね、スーパーマーケットにあるキャンベルスープ缶の集まりを描くのは、こちらもシルクスクリーンで大量生産して描いた方がそぐう訳です。なのでウォーホルが風景画家として現れたという様な意味で書いています。第三の郊外っていうのが過去で、過去のいろんなものが入っていて、磯崎新の建築みたいなのが出てくるという事です。ファインアートでもデジルデータを自分の作品として展示している人っていないよね、出力した形態が作品をいう人はいるけど。発表しているかどうか忘れたけどパッケージ論というのがあって、ビデオアーティストはたくさん居るけど、ファインアートの文脈じゃなくてじゃなくて、ただのビデオ作家が居るとしたら、ビデオテープを商品として売るべきじゃないですか。美術家で発表される必要はない。そういう事をちゃんとやった人達は、ビデオが最終形態であり商品であり作品である訳ですね、そういうのをちゃんとやっているのは、エロビデオの文脈と、ビデオドラッグの文脈で、ビデオドラッグは90年位にあって、株式会社アスクが、ビデオドラッッグという概念をだして、今のサイケデリックビデオみたいな、トリップ出来るというものがあった(笑)。それにお香が付いていたりね。ロックミュージックの系統だと最終的なパッケージはレコードだと思っている。記録メディアが作品。バンドの略歴を観ると何年にLPが出たとかアルバムが出たとか。だからさっき言った様に、ビデオアーティストが本当にいるならば、ファーストビデオがどこどこから出たとか、そういう風になるのが正しい略歴、ところがビル・ヴィオラとかの略歴を観ると何年に釜山美術館とか何年に画廊とか、画廊とか美術館とか、正しいビデオアーティストの本来の姿では無いだろうと。そういう様な事はあります。そういう意味ではパソコンで観る、パソコンで済むファインアートっていうのはまだ無いかもしれない。でもニコニコ動画の中でちゃんとした作家とかが、その中のスターでというだけはなくて、尊敬される作家になったりするとその可能性はある。
か:ニコニコ動画のアマチュアリズムが面白いという所もあって、ちゃんとしてしまうとつまらなくなってしまう所もあります。
中:なる程ね、素人感が面白いとかね。でも僕がフロッピーレーベルを立ち上げたのはそういう理由です。不可視関数試論とかもそういう事です。でもこの状況は30年は変わらないなと思って保守反動して97年からファインアートを作って画廊で発表して略歴には何年にどこどこで展示とちゃんと書いてある。第四のモダニズムがパソコン環境じゃないかという様な事は、それこそ95年の段階ではその状況がまだまだ続くと思ってあきらめていたのかもしれない。
か:その前の”義務感として”中ザワさんが作品を作っているのがいかにも中ザワさんらしいと思いました。この中に出てくる美術家もこの文章の理論の流れで義務感としての表現主義として作品を作っているのかどうなのかと思うんですけど。
中:そうですね、ボロフスキーもバートレットは楽しそうですけどね、この時は。だけど装っている様にも見えたんですね。”ピカソよりも背が高い夢を見た”なんていうのもずるいっていうかひどいよね(笑)Tシャツになったりしてるからね。
か:日比野克にも似た感覚があります。奈良美智もその中に入りますか?
中:奈良は能天気じゃないですね、作風も。奈良はそういう意味ではマニエリスムですよ。マイナスの感情がもてはやされるみたいな時期です。義務感として作品を作るみたいのは、「イントロ」という雑誌で連載してた時に書いていて、抽象自動初期アニメという作品を作ってったときに MMDで作ったんだけど、無目的にどうなるかわからないままとにかく早く無意識的に作るってい言う事をやってた。それはシュールレアリスム的でしかも表現をする。義務感ですね。義務感があってマイナス感情もあったんだけど、今観るととても面白い(笑)その余力が不可視関数試論にもなっています。
こ:文脈替えの所ではイラストレーションについて、ハード的な住み分けが難しかったと書いています。”美術/イラスト方面においては、パソコンで絵/イラストを書くという自体がかなり状況的に遅れてしまったわけなので、パソコンで絵/イラストはハード的にも旧来の美術との差異化、住み分けが難しかったといえるでしょう。”
中:グラフィティアートがもう少し独立して力が出てくると文脈替えになるかもね。でもあれがメディア、街中とかじゃなくなったらどうかな、あれはメディア特性あるね(笑)
か:キースへリングはグラフィティとは違いますか?
中:キース・ヘリングはグラフィティだよ、その頃。でグラフィティアートがキース・ヘリングの方向じゃない方向に独自に進化を遂げた。どうなんでしょう、メディア特性が大きい気がします。水戸芸術館でやっていましたね、でもそれを美術館が持ってきてもアウトサイダーアートを持ってくるやりかたになって、美術館の延命になってしまう。それ以上にいかない可能性があります。文脈替えは対等になれば良いんだから、美術館で飾ってある様な絵が街の壁に展示されれば良い。でもファインアートが取り込む形になってしまうのかな。
クラシックがロックを取り込んでな訳です。クラシックが出てきた時にジャスの手法で作曲したストラヴィンスキーとかラヴェルとかいる。でもクラシック側の延命になってない。でも逆にロックというジャンルが、クラシックがあるないにかかわらず、あるみたいに、美術の方はなってないですね。ファインアートは取り込み力が優れたメディア特性があります。クラシックだとオーケストラとかピアノ、既成の楽器、楽譜の存在っていうのが結構ありますが、ファインアートはそういう存在がないから取り込み力が優れています。
その後の僕の活動とこれを合わせてみるとどうですか。文脈替えをしたくて第四の新大陸が来た方が面白いだろうと95年8月の段階で書いています。その後、95年の暮にキッズボックスが発表されています。義務感としての表現主義としてです。96年2月に一連の特許出願しています。特許を出願した時に、来るべき第四のモダニズム文脈のアートの名前が解らなくて、それを名乗る事は難しい訳です。とりあえずイラストレーターだったんですが、特許を取った時に、これは美術の話に落とさないと意味がないんですね。で特許を取った時に保守反動が始まる。先取権の主張、フロンティアのありかはここだということだからまさに特許というはモダニズムで、それをやんなきゃと強く思った時に、それを最終的にどこに持っていくかという時に第四モダニズムじゃなくてファインアートだろうという考えた。96年7月にデジタルネンドが発売されて、その時もいろんな軋轢があった。その頃やってたのが不可視関数試論、96年の12月。そこまで96年の一年間で、95年8月号のガロの方向性は僕は止めた。そして第四モダニズムを希求する方向を止めて保守反動に走る。で97年に画廊で、ギャラリーNWハウスで作品を発表する。それまでの僕ではありえない事を行った。その時に僕としては退行と思えるような壁にかければ済む様な作品とか作ったりしてた。新大陸論を書いていたときは一番遠くを見ていて、この頃は保守ではなかった。「やおい」のまま遠くに行けるんじゃないかと思ってた。それだと無理だろっていうのが96年の判断で97年から保守反動。97年からが義務感としてのファインアートですね、もう能天気ではあり得ない。現代美術史日本編では死後の所に方法が入っていますね。
か:シュールレアリスムと対をなすのが抽象芸術です。
中:モンドリアンとか、デ・ステイルとかね。で岡本太郎の対極主義っていうのがどこから生まれているかっていうのは、戦前のシュルレアリスム対抽象芸術っていう対立がフランスであって、その渦中に岡本太郎がいた。だから二つのどっちだとかじゃなくて、対極したものがぶつかるのだ、という事で唱えた訳です。だから対等に書いてあげないと岡本太郎もうかばれない(笑)それについては2000年の岡本太郎論に書きました。
ひ:方法主義は保守反動として始めたんですよね。
中:そうです、でもまだ過激すぎた。文字を色だとか言う様にね。今は本格絵画と名乗っています。僕はアクリル画を83年から89年まで、90年から96年までバカCG、97年から方法絵画。2005年までかな、で2006年から本格絵画。方法の時は文字は色だとか言ってるけど、実際の色は使わない。今は保守反動がすすんで油絵を描いています。能天気じゃなくてつまんないなぁ(笑)ってことで能天気にやってくれみたいな事もここで若者達に伝えときます。どうでしょう、ガロを読み進めてきたけど。
な:今と言う時代の位置確認をするのに、歴史から考えないと相対化できないしとらえられません。なので「やおい」という訳でもない様に見えたのですが。
中:そうね、ここで「やおい」という言葉を使った別の理由があって、この時代はポストモダンの時代で、ポストモダニズムの当時の理論の中では、歴史を考える事自体モダニズム的でばかばかしい、他を支配しようとする男根中心主義の西洋中心主義悪の権化なのだ、歴史について考えるとか過去に対して今を捉えるみたいな事で位置確認とかそこから何か見いだそうとかいう考えが悪の権化なのだ、みたいな時代だった。そういう中で歴史について考えましょうというのは反感を買うだろうからフィルターをかけなければいけない。そこで「やおい」というフィルターをかけました。であんまり正面から歴史について述べるのは正しいとかは言ってない。もしくは僕はまだ悪役になりきれてない。保守反動してからは僕は悪役だ、ダースベーダーみたいな感じでやってるけどまだそこまでいってない。だからまだ「やおい」とかいってちゃかしています。保守反動になってからはわざわざ新古典主義だと自分で言っている。でもまだまだ僕に対してこんなのは新古典主義だろと揶揄する人もいる。今とは温度差がありますね、文献研究で当時の事を説明しないと伝わらない事もありますね。
な:考えるために物語を作って、そのために「やおい」を使ったんでしょうか。そうするとどこにも出られなくなってしまいませんか。
中:どこかに出るのは二の次の話で、それ以前の話として、清原が今内野ゴロを取れなかったのは、、(*5)とかありもしない理由を考え続けていくっていうのを僕はおこなっているに過ぎないんじゃないかという事を言っています。表現主義の後にはすぐに反芸術が来ます。とか言ってるのが、そんなの偶然だってば、清原が内野ゴロを取れなかったのは単に取れなかっただけだから、という突っ込みに対しての「やおい」。もう一つは自分で牽強付会な事を言っているんじゃないかという自覚があります。やっぱり編集しないと歴史は見えてくる物語性を持たない。でも物語に合わせて事実を観る、事実をニュートラルに観ると、64年展の様にあああれもありこれもありますね、という事になる。でも読売アンデパンダンが終わってネオダダがあって今はハイレッドセンターがあるという文脈がある。でもそれはニュートラルな見方じゃないかもしれない、というニュートラルじゃなさの自覚を「やおい」という言葉を使って表している側面の方が強いかな。強引な論を展開している自覚です。
な:社会学では強引な論を展開するって言う事に対しての反動があって、言い切る事をしないまま論が進んだりしますね。
中:美術史学とかでもそういうのがあるらしい、表を勝手に作ったり言い切ったりする事は。それで美術手帖2005年7月号の「還元主義から新表現主義」では言い切っている。それを近代美術を先攻していた石井香絵さんが見て、それまで現代美術は分からないけど美術手帖を読めばわかるかもしれないと思って読んでたら僕の文章に当たって凄くよく分かったらしくて、こういうこと言い切る人がいるんだと思って僕に興味を持ってくれた。
な:近代美術史テキストもすごく分かりやすいです。主観的だからというのもあるけど、図式化したり言い切ったりするのを避ける人たちがあまりにも多いから。
中:直接「やおい」とは関係ありませんが言いたい事は分かる、歴史というのは物語であって、物語というのは自分で捏造したりする部分もあるはず。物語に即して現実を見ると現実が違った物語を語るものとして見えてくる。みんなだまされるなよ(笑)近代美術史テキストの序の所の後日談があります。”誰の言葉だったかすっかり忘れてしまいましたが、ある現代美術家が「あなたが影響を受けた過去の美術家は?」と質問され、「私は過去の美術家に影響されたのではない、過去の美術家に影響を与えているのだ」とのたまったという話があります。”これね、本当に忘れてて書く時に探したの、でもどこにもなくて書けないと思ったけど、誰の言葉だったかすっかり忘れてしまいましたが、という書き出しにして乗り越えた。でも後で、松平頼暁さんという現代音楽の作曲家なんだけど、千葉大にレクチャーに来た事があって、それに僕はモグってた。でその時に松平頼暁さんがしゃべった事だった。デ・クーニングがピカソに対して喋った言葉だった。デ・クーニングがジャーナリストに「あなたが影響を受けた過去の美術家は?例えばピカソとかですか?」と聞かれて「私がピカソに影響を受けたのではない、私がピカソに影響するのだ」といったのね。それを松平頼暁さんが「現代音楽のパサージュ」という本を出して、なつかしいと思って買ったら一番最初にそれが書いてあった(笑)という事で来週は松澤宥ですかね。ではありがとうございました。
*1:MMD マクロメディア・ディレクターの略。中ザワヒデキ以後5の悲しき肉体論5にもちらっとでてきたアニメーション制作ソフト。現在のAdobe director。中ザワヒデキ以後5はこちらの中盤から→http://www.geocities.jp/bunkenkenkyu/20080702.html
*2:不可視関数試論(カンタン・アブストラクト) 蒲郡生命の海科学館に常設されていたインタラクティブアニメーション作品。7月21日の文献研究合宿の目的の一つ。
生命の海科学館にある紹介ページ→http://www.nrc.gamagori.aichi.jp/w_muse/enjoy/monthly/200609.html
一日一品2007年02月26日→http://www.aloalo.co.jp/nakazawa/ippin/archives/cat_50093686.html
*3:五十音ポリフォニー 中ザワヒデキ音楽作品集に収録されている。文献では中ザワヒデキの5000文字第四回、「音響詩を超えた五十音ポリフォニー」で触れられている。
*4:モダニズム第一期(前期モダニズム)を今世紀初頭〜第二次世界大戦頃までと表記しているが、この文献は1995年8月号のガロなのでまだ20世紀なのだ。
*5 清原が今内野ゴロを取れなかったのは、、 「やおい」とは山なしオチなし意味なしの略語で、当時美少年ホモ漫画を当時書いていた作者達が謙遜語として“またやおいいてしまいました”の様に自分達で使い始めたものでした。山がないまま美少年が出てきたりクライマックスも特になく終わったり、そういう漫画がたくさん出てきました。それを「やおい」と言っていたのがだんだんそのジャンルを指す言葉になっていきました。それで例えばプロ野球を見る。そうすると男ばかり出てくるので彼らは大変!あそこでゴロを取り損ねたのは彼が彼の事を好きだから、とか彼は片思いなので、、、という風に独自の見方が出来る訳です。
20090528 文責:平間貴大