- - - - - - - 中ザワヒデ キ文献研究 進行状況逐 次報告 - - - - - - -
【留意事項】
本報告について中ザワヒデキは、事実誤認がさまざまなレベルで多々あることを了承の上で読んでいただく分
には公開しておく意義があるとし、公開している
第二期五回
二〇〇八年六月二十五日
文献
「想う芸術」『ガロ』1994年5月号 p.256-257, pp.249-250
「中ザワヒデキ以後3 幸福論その1『ガロ』1994年6月号 p.244-245, pp.251-252
「フロッピー●みにこみ JAPAN ART TODAY」『ガロ』1994年7月号 p.58-59, pp.253-254
想う芸術
|ニューエイジアートの先駆としての60年代日本のコ・アート
|小野洋子そして松澤宥
|そして中ザワの美術史解釈では…
中ザワヒデキ以後3 幸福論その1
|「どっちに行こう?」「どっちも行かずにいようよ」「どっちに行こう?」「どっちも同時に行こうよ」(コンスタンスタワーズ「無人駅伝」歌詞より[*1])
|さて肝心の音楽ですが、たとえばコンピューター音楽バンド「エキスポ」のコンセプトは、間違えること。
|さてコンスタンスタワーズの作曲を手がけるミント・リー氏のソロテープ「ブルースでなく」[*2]は、すでに意図されざる大事故だらけです。
|さて、そのミントリ氏が作曲を担当するコンスタンスタワーズの音楽については、ここでは京浜兄弟社の社長でもある岸野雄一氏による歌詞に言及しておきます。
*1 こーゆーふーに、2元論を簡単に乗り越えていくことが出来ることがコトバの素晴らしい点。コトバで幸福になれる!とゆのが一応本稿の主旨のつもりです。この歌詞以外にこのようにアウフヘーベンしてるものとしては、コワ〜イ声で「幸せに成りたがりやのお・ま・え。……幸せなのも幸せでないのも、奪うのも奪われるのも、憎むのも憎まれるのも、本当はどちらも好きなくせに。」(岸野雄一氏のライブでの語りより)」
*2 「ブルースでなく」/ミント・リー。……ブルース・リーでなくミント・リーなんだそうです。コトバあそびの恒例。
フロッピー●みにこみ JAPAN ART TODAY
|JAT from 中ザワヒデキ
|JAT from 原久子
|JAT from 吉田裕子
|JAT from 大岡寛典
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中:じゃ文献研究第5回、6月25日、今日は平間さんいなくて残念だけど、なるべくサクサクと行きましょう。考えてみたらこのペースだとイラストレーションの連載が結構あるのでそこまでなかなか行かないんじゃないかと思うので、あとガロを自分で読んでみて、この時代の文章は今までのと違うからちょっと戸惑ってるんだけど、まとめて読んでみてこれはサクサク行った方が良いかなと(笑)あんまりわからない所とかどうのこうの言うんじゃなくて。で前回はストリートアート入門のような、ですね。今までの所で何かありますか?
か:ガロを読んでいって、やおいという言葉がでできて、やおいだったんだと。
中:やおいについてはmixiで誰かの日記で叩かれてて”美術館でやおいしてみる”っていう文章を昔週刊文春かどこかで書いたことがある、東京都現美のオープニング展だったかな。見た感想を書いたときに、本来美術館側が与えようとしている文脈と全然違う文脈で読んでみるみたいなやつでやおいって言葉使ったらこの前mixiの知らない一の日記で、やおいとは少年ホモマンガの事なのに何故中ザワヒデキは違う文脈に使ってるんだって怒ってて、ちゃんと読んでないけどこんな所に使うのはおかしいとかあって、ちゃんと読め〜!ちゃんとかいてあるからさぁ。やおいについては村上隆とかも美術に持ってくればそれだけで最強なコンセプトなはずだと思うのですとか言ってたよ。だから美少年ホモマンガという事じゃなくて、本来の”やまなしおちなしいみなし”という事で、今思い出したんだけど、この前話した中で複数性と多数性のどこが線引きかの話、その後思い出したんだけど、複数性っていうのは、同時に把握できる個数。だから例えば2人いっぺんに動いても両方別々に見える。4人位別々のメロディーを奏でていても、一応それぞれのメロディーが一本ずつ追えるとか、3人違う動きしてても、視界に入っていればわかる。でも数がきちんと数えられるのはどこまでかみたいな。例えば23っていう数を生理的にぱっとわからない。米粒だしてこれ何個?これ238個、とかわからない(笑)だけど4つとか5つとかならわかるじゃない。例えばカラスは7までは数えられて8からは数えられない。だからカラスにとっては7までが複数で、8からは多数。で人間はどこまでなのかっていうのとはカラスではぜんぜん違うという例があって、イージス鑑は同時に2048個だっけ?までの目標に対しての攻撃ができる。だからイージス鑑にとっては2048までが複数。だから複数単数は受け手の脳の問題に依存する。宇宙人とかで米粒がばらまかれてこれは578個だとかすぐにわかる宇宙人にとっては578個でも複数。
か:それは見る者が決めるっていうことですか。
中:そうね、それは芸術を鑑賞する側の立場からの複数性多数性になります。イージス鑑が良い例だな(笑)この一週間で気づいたので補足しました。
か:想うアートはガロのなかでは一番まともというか、そんな感じに見えました。
中:これはアートサミットメンバーズ第2号の為に書かれた物を、早く書いて下さいと言われていたにも関わらず、まだ出ないんですよみたいなのが永遠続いたからここに出したものです。だからガロの中ではというかアートサミットメンバーズの為に作ったというのが実はあります。ニューエイジアートは日本の60年代のコンセプチュアルアートに似ていると倉林靖さん、この人知っていますか?最近あんまり活動してないみたいですね、90年代はいろんな所で引っ張りだこでしたね、何でも対応できる感じがしました。女子美の先生とかやってそうだけどね。
か:ニューエイジアートが、前回やった心に働きかけることを商品戦略の主眼に据えた化粧品「ディシラ」を引き合いに前回ディシラ型美術と書いたものに似ている点が多くて、日本の60年代コンセプチュアルアート、この後出てくるオノヨーコとか松澤宥。オノヨーコは、どうですか?
中:スタジオボイスのオノヨーコ特集が911の一ヶ月後位に出た事があって、それは911があったからオノヨーコになったんじゃなくて、もともとオノヨーコ特集を出すつもりだったんだけど、その中に見開き2ページでいろんな人がメッセージをっていうページがあって、みんなオノヨーコの賛辞で、僕と西原みんだけが疑問をきちんと述べていた。ただ西原みんの場合は両面書いていたけどね、僕は明らかに反対意見だった。
か:911の頃はみんな反戦反戦言ってましたね。
中:言ってましたね、とても良くないと思っていました。それで全然脱線だけど、去年の8月から9月にかけて切手展をやってて、その時に手伝ってくれた学生がいて、その人が卒論でオノヨーコ書いてた。それで最初に、中ザワさんオノヨーコ嫌いっていうの読んだんですけど理由は、、、と言われた。でも今は大学院にいて、篠原資明さんの生徒で方法を研究するんですと言っていた。その後どうなってるんでしょうね。脱線でした。
か:でその後は何で60年代コンセプチュアルアートとニューエイジアートが似ているんだという話があって、歴史は繰り返す、循環史観が出てきてそれを現代美術で表すと表の様になっていて、コンセプチュアルアートが2期目の死後の時期でニューエイジが3期目の死後だから似ている、で中沢さん的には死後よりも死に向かう、モダニズムは必ずどこかの時点で「死」を希求するものと見ていています。
中:それと同じのがどこかにあったね、反則技その栄光と挫折か。今日行くかな、まあそこに繋がります。ええと循環史観によって、60年代コンセプチュアルアートとこの94年か、この第三期におけるニューエイジ時代の始まりを95年に置いているんだけど、それまではここはまだ斜線で何も書いてなかったんだよね、美術美術一日大学の時は91年位で。94年になって初めてニューエイジが入った。その後2008年の現代美術日本編では明確に95年からにしている。それを予見してのものですね。注14の下の、3番目の中にネオミニマルやネオコンセプチュアルの中に感覚的じゃなくて理論的な方が出てくるはずなのに出てこないと思ってやったのが方法主義だった。94年の3月ですね。
は:ニューエイジアートには興味がないとも書いていますね。
中:そうですね。シュールレアリスムには興味がないとも中ザワヒデキ以後6でもはっきり書いています。昔からかな、ガロに書いてあるのは忘れてたけど。あとシュールレアリスムの所に抽象芸術も入れておきたかった、デ・ステイルとか。例えば岡本太郎が20年代30年代にパリにいてずっと感じていた対極主義を生み出すものがあったのは、当時のフランスの美術会が2分されていたからで、片方がシュールレアリスムで片方が抽象芸術だった。だから両方あったのね、死後の世界は。でそううするとジオメトリカルな抽象はそのままコンセプチュルアートとミニマルアートに繋がってて、でシュールレアリスムはサイケムーブメントと繋がってる図式が引きやすかった。それに繋がるのがニューエイジで、それが裏側としたら表側に抽象美術の流れを汲むコンセプチュアルアート、あるいはミニマルアートの流れを汲む理知的な方向。その都度理知的な方向と感覚的な方向があるわけね。感覚がシュールレアリスムで理知的が抽象だとすると、この3番目のニューエイジは感覚的なものとすると、理知的なものがない。僕がそこをやんなきゃいけないというのが方法主義のきっかけです。この表に乗っ取るとこれが足りないというやり方でこれは実は2度目で、最初はデジタルネンドの時で、2次元ではビットマップとベクター両方ある。3次元はベクターしかない、3次元のビットマップはどうしてないんだろうと最初は思ってただけなんだけど、そのうちじゃあ僕が作れってことかと。で3番目の死後の所に、理知的方向と感覚的方向を当てはめて、感覚的方向ばっかりだ、どうして理知的なものが出てこないんだと、それだけですね。バカCGもそう、バカCGの前の類似的なものは、音楽におけるシンセサイザーの在り方だったんだけど、最初富田勲が出てきて、シンセサイザーっていうだけでありがたや〜、ってかんじだったんだけど、数年してあっとゆうまに雑貨になって、それにマッチしたものがプラスチクスとかチープなテクノポップが生まれるのを見て、89年はパソコンが出てきて、macが100万円とかしてて、ようやく100万円きった時に僕は買ったんだけど、コンピューターグラフィックスが作るありがたい世界みたいなのをNHKでやってて、富田勲と同じ状態がコンピューターグラフィックスでも起きていて、これはあっとゆうまに雑貨になって、プラスチックスに相当する事が主流になるはずなのになんでみんなやらないんだろうと、じゃあ僕がやらせていただきます(笑)とやったのがバカCGです。でこの3番目の次のの4番目の表現主義に僕は関わりたいと思ってます。まだきてないと思うけど。ただその時に関わるやり方としては僕はある一定以上歳を取っていて、あと美術界の中にいてからそこに立ち会う事になるので、純粋にその時に何も知らない若者として関わる事はもうできないですから、そうするとそれなりに関わるやり方があって、ジョナサン・ボロフスキー。僕が子供の頃は巨匠だった、東京都現美がでいる前、東京都美術館で86、7年に個展をやって、展示の為に天井を壊したりして、その時にナショナリスト的な意見だとボロフスキーじゃなくて管木志雄をやるべきだとかあって、オペラシティの真ん中に大きい人の彫刻、あれボロフスキーね。あとへたくそなペインティングとかたくさんあって、それは何故かというとニューペインティングの時代だった。それも大きな人も仕掛けがあって、ナンバーが必ず書いてある。それはどこからきているかというと、彼は3番目のニューペインティングの時代に作風を変貌させてそうなったのであって、彼は前の時代の作家なのね、コンセプチュアルの時代に出てきた作家で、一番最初の個展はカウンティングという作品で、数を数えるっていう作品だった。でずっと数を数えている最中にニューペインティングの時代になった。それで絵を描いて、絵にもカウンティングをしていた。超現実主義の作家が華麗に次の時代の作家に転身を遂げるという話ね、でもやっぱりバスキアとかキースヘリングとか若者の方が派手なのね、でいくらおじさんボロフスキーがんばっても過去との繋がりを言いたい為、どんなニューペインティング作品にもカウンティングされていて、過去からの決別ではないね、僕も第4期のネオエクスプレッショニズムみたいなのがあったとしても、何らかの方法を持ち込むのか、どうなるんでしょう(笑)何にも作風変わらないかもしれないけどね。
か:4クール目とかあるんですかね。
中:あると思いますよ。今はまさにマニエリスムの時代ですからね。この一番最初の表現主義の時代は、へたうまの分類でいうとへたうまね、へたへた、へたうま、うまへた、うまうまの4つがあるわけなんだけど、その中で、へたへたとへたうまは同じになるのかな、ヘタがメッセージになる事がある。それが表現主義のエネルギーになるんだと思うんだけど、それが超現実主義の時代っていうのは、シュールレアリストがマニエリスム芸術を高く評価したみたいに、マニエリスムっていうのは、上手い。盛期ルネッサンスがいわゆるうまうまだとすると、コンセプトも動機も技術も分離してなくて、上手い技術を変なことに使ったりしない。だけどマニエリスムは変なことに上手い技術を使う。変なっていうのは例えばアルチンボルドだとしたら、野菜で皇帝の絵を描くとか、何かトリックね。単に技巧に走るとか。それはへたうまの反対ね。一見うまだけど、むしろ精神的にはトリックに頼ってるんじゃないかと言うと、そうなると今はうまへたの時代になると思う。細密画すごく流行ってるし、その細密画もけしてプラスの精神からできているものではなくて、むしろ自分の負の感情をアートなら許せるみたいな感じで出してるものが流行ってる。今はうまへたの時代だからいつかへたうまの時代がくると思いますけどね。
は:これ読んであらためて面白いとおもったのはコスース流のコンセプチュアルアートと日本のコンセプチュアルアートは違うと倉林さんが指摘したのがすごく納得がいきました。ちょっと違いますよね。
中:オノヨーコの所に書いてあったよね、”オノにとってコンセプトとイマジンが同義であった”
は:なんですかね、その方がアメリカで受けたとかあるんですかね。彼女がアメリカで東洋的な感覚が魅力的に映ったとか。
か:当時鈴木大拙の授業に出てたとか聞いたことあるんですけど。
中:当時鈴木大拙はみんなはまってたよ。特にジョン・ケージ。
か:コンセプチュアルアートの日本とアメリカの違いは面白いですよね。
中:違うんだけどむしろ今コスースが負けてますよね。今はアメリカでさえオノヨーコの方が評価高いかもしれない。評価かどうか、理論的な所と一般的な所は違うけど、コスースの事よりも単にコンセプチュアルアート、単にイマジンみたいなものがコンセプチュアルアートと思われているふしがあります。
か:コスースは歴史に残ってオノヨーコは記憶に残るってかんじですかね。
中:コスースの1つと3つの椅子は当然知ってたんだけど、なるほどと思った程度で、でもさっきの美術館でやおいしてみるを書いた時の展示で1つと3つのシャベルが出てた。それを見たときに考えてしまって、それ以来コスースが一番好きになってしまった。
か:生では見たことないです。
中:2002年位に千葉市立美術館でやってましたね。2000年位かな。
こ:デュシャンの展覧会で出してたような。
中:出してた出してた。横浜。あのときはシャベルだったっけ?
こ:多分シャベルです。
中:じゃあ、記憶にあったという事で(笑)
は:図版のナムジュンパイクの「TV Buddha」どんな作品でしたっけ?
中:モニターカメラがテレビに付いてて、それがテレビからそのまま流れてる。その前に仏像が置かれている。で仏像が映ってる。単にそれだけなんだけど、後ろに鑑賞者が通ったりするとちょっと映る。結構笑える作品。パイクの中で一番良い作品だと思うけど。何個か見た事あるからたくさんあるんだと思う。良いですかね。次に行きましょう。
こ:はい、中ザワヒデキ以後3の幸福論です。幸福論が書いてあるのかと思ったら音楽の話とか言葉の優位の話とか、面白い。
は:初めの、フォーマットもリニューアルとあって、確かに読みやすくなってる。ガロになって凄く読みにくかったけど。
中:この頃は行間を開けると読みやすいっていう事に気づいていなかった(笑)クオークエクスプレスで作ったんだけど、字が小さいとかいつも言われてたから、字を大きくして、行間を狭くしてしまって、結局読みにくくなってしまった(笑)当時の写真の話だけど、これはデジカメの話じゃないから、一枚一枚これで何十円とかの時の話ね。でなにが幸福論かっていうのは、写真の見方としてはピンぼけだとよくないとか、構図が悪いとか、シャッターチャンスが悪いとかで良い写真悪い写真が出来てしまうじゃないですか。でもピンぼけでも構図が悪かったりしても、幸福でいられる(笑)と思うよ。
か:でもこれで笑えるっていうのはパラダイスですよ。
こ:言葉で幸福になれるっていうのが幸福論の中心ですよね。
中:一番最初のコンスタンスタワーズの歌詞は、要するに二者択一の話で、迫られてるんですよ。就職するか、大学院生やるかみたいに。でもどっちも行きたくないけどそれはあり得ないし、だから現実は不幸、だけど言葉の中では可能、どっちもやめよう、とかどっちも行こうとか言える訳ですね、ああ解決できた(笑)論理の話かな。
は:その後にデペイズマンが出てきてなるほどとわかりました。
こ:前回の自虐論のシアワセっていうのと関係あるんですかね。
中:それとは関係ないでですね。でね、これは幸福論その1で、その2がないのよ(笑)何を書こうとしていたのか。これは94年6月号で、5月号の予告で幸福論その1と予告しているからそのときは何かあったんだろうね。
は:ゆるい感じが幸せっていうことですか?
中:ちょっと違うんだよね、取り上げているのはゆるいものなんだけど、それが幸せっていうよりも、普通にはつまらないものも面白く出来てしまえるって事なんだよね。例えばそれがでているのはレコード屋の話で、マニュアル・オブ・エラーズの話で、コーナーのタイトルがヨーロッパプログレッシブとかフランクザッパとかなら普通ですけど、大人の男性が好きなレコジャケっていうコーナーがある。そうするとセクシーな女がジャケになってるんでしょう(笑)あとパンダのジャケットのコーナーがあった。京浜兄弟社にどっぷりと浸かっていた西村さんという人と話してて思いついた記事ですね。
こ:後半に、言葉で語れないからこそ芸術でありさらにはそれが天才性だということですねとあるんですが。
中:ここはあまり掘り下げていないですけど、僕の今の意見とは違いますね。一般的な意見だと思うんですね、説明できないからこそ芸術というのは、ロマン主義的な芸術の在り方だと思うけど、後に全部言葉で説明出来る芸術の方こそやんなきゃいけないんじゃないかという事でやったのが方法主義の立場になります。僕の場合は。ここに出てるミントリさんはきちんとさんをやってる人ね、素晴らしいですよ。がつんと才能があります。あとこのシャッグスはへたうまと書いてあるけど、へたへたバンドですね。これも素晴らしいです。ジャケットにフランクザッパがビートルズよりも素晴らしいと書いている。
こ:図版の「誓い空しく」のジャイアンツのマークが見えないんですけど。
中:見えないね、入ってる。ここに明らかにホメイニーの顔がある。
こ:?
中:イラン革命の最高指導者。世代ですね。
か:イランイラク戦争も受験勉強です。
中:そしたらそうか。原理主義の初めの人ですね。原理主義で国内統一してしまって、ターバン巻いてて。でそのターバンの所に図版ではジャイアンツのマークがある。
は:リアリタイムのホメイニーと歴史化された後は印象がぜんぜん違いますね。
中:時代が変わると地図も惑星の数も変わりますね。
は:最初のお金も和銅開陳も富本賃になりました。
中:考古学では偽物もあったし。いいですかね、後半の「ふぐ大学」という曲は素晴らしい曲です。コンスタンス・タワーズの曲で岸野雄一作詞です。14年前ですね。こういうのは記録しておかないとね。休憩しましょう。
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こ:「東京直接表現小史」では中西夏之の早稲田の赤い便器を再現とありますが、ここで”再現しようとすればするほど遠ざかる”と言っていますね。
中:そうなのよ、マラリアアートショウだから原宿でやったんだけど、赤いペンキが見つからなくて茶色っぽい色のペンキでやった。もうその建物自体ないかな。再現芸術っていうのはその時に僕が配ったビラで初めて使った。それまではそういう言葉自体なかった。でその”再現しようとすればするほど遠ざかる”っていうのは中西の便器は舞台芸術として行われたもので、本人は会場に現れずにまさに前衛として出来た訳ですね、ついに来なかった見たいに。そしたら実は来てて、トイレがあんなになってた。
所が、”これから中西夏之の赤い便器を再現します”って言ってやったら全然違う。何もしない以上に違うから、”再現しようとすればするほど遠ざかる”。そういう事をやるという自覚の元にやっていました。
こ:これは行為的な作品ですよね。
中:そうですね、パフォーマンスに関するものです。作品に関するものだと、マイク・ビドロとか、森村泰昌のものもそう。あと僕の近代美術テキストの一つ一つの図版もそう。でその図版に当たるものだけをやたのがハマルコン91っていう展覧会で物としての再現はやってます。でこの当時の行為としての再現芸術は村上隆の紙破りから始まっています。でその後がスモールヴィレッジセンター。ではガロに戻りましょうか。
は:フロッピー●ミニコミJAPAN ART TODAYですが、読んで面白かったのですが、私が初めて見たアート系のミニコミはボイドでした。
中:あれはボイドチキンとは関係ないのかな。
は:本気の遊びって書いてあるように、コピーフリーで書き換えokってあって、そして名古屋で「非公認JAT名古屋支部」が出てきたんですよね。
中:そう、大岡寛典君が現れて僕にとっての僕にとってのジャパンアートトゥディは完成されたのでした。大岡君は今女子美でデザインを教えています。
は:大岡さんが言ってるのは、”ある種のいいかげんさ”っていうのはどんな感じだったんですか?
中:単にデータを入れただけだったんです。メニュー画面とかなしに。途中からちょっと変わったけど、僕は初期のやり方の方が良いと思う。あとその後JATはコピーフリーをやめました、改竄自由も。これの一年くらい後です。
は:コピーフリーっていうと、「一日一品」で画像に”禁転載”って入っていますよね。
中:あれも入れたくないんだよね。この前RHのインタビューで原始共産制の話をしたんだけど、デジタルデータの登場で、原始共産制が可能だと思われていた時代があったのね、91年位に。コピーだから劣化しないし、権利を主張する必要もないし。でシュミレーショニズムの理論と相まって、それを一時期僕も信じてたわけですよ。で前読んだBT90年の「シュミレーショニズム」と「新表現主義」っていう文章があったんだけど、シュミレーショニズムの方の末尾で”新たな裁判が行わなければいけない。盗作が盗作じゃない時代にならなければならない”ってあるんだけどそれは原始共産制の考え方です。それに基づけば禁転載もなしで、署名も入れたくなかった。で実現したのがJATだと思ってた、世界がハードディククだと思ってたし、最初の頃は。フロッピーもただじゃないから手作業代くらいのすごい安い価格で出してたんですけどね、その後値上げしてコピーフリーも無しにしてどんどんつまらなくなっていった。
は:それは必要に迫られてって事ですか?
中:社会に負けたんです。(笑)でもそれはモラルの問題も関わってきて、「反則技その栄光と挫折」も書いてある、RHのインタビューでも言ってたけど、原始共産制って出し抜く人がいたら全部その人に持ってかれるんだよね。そのときにもう少しはっきり言えば良かったのは、村上隆に持ってかれたんだよね、あるいは中村政人に。今タイムリーな話だとビデオのコピーが1回から10回になっったとかね。
は:2年位続きましたけど、内容的には現在の立場から言うと魅力的なものが多いんじゃないですかね。
中:そう、この頃の90年代ネオポップ、東京ポップを追ってるメディアになってるよね。フロッピーだから早くCD-romとかにしたいけどね。
は:大岡さんはこの改竄自由っていうのはどう思ってたんでしょう。
中:むしろ改竄よりもコピー自由の方が先だと思う。
中:原久子さんは有名ですね、アートスケープのライターを最近やめましたね。大岡さんは美術展のカタログもやっていて、個人事務所を作ってやっています。
は:”JAPAN ART TODAYというエラそーなネーミングはもちろん冗談だったんだけど、一部には誤解を招いたよーです”っていうのはどんな誤解でしょう。
中:僕も今はっきりわからないんだけど、なんか公式な感じしてエラそーじゃないですか、そういうのが面白そうで付けたんだけど、どういう誤解を招いたんでしょうね(笑)でも今となっては良いラインナップですよね。この頃は美術でmacとか言うとすぐメディアアート見たいになっちゃって、メディアアートじゃなくてパソコンを使ってたのは森村さんと横尾忠則位かな、森村さんはメディアアートと言われるのを懸念してあまりパソコンを使ってとは言わなかった。JATは13号の新宿少年アート号が良くできているんですがここではあまり書いてないですね。オープニングパフォーマンスに参加してその日のうちに発行しました。当時はデジカメが無かったんですよ皆さん!(笑)フロッピーカメラというのがあった。ガロの中ザワヒデキ以後になる連載の前にいくつかやった連載の前に、デジカメが欲しいっていう連載をやった時に、僕の勘なんだけど、デジカメっていう省略語を作ったのは僕が初めだと思う(笑)その連載では亀の絵を描いた。でフロッピーカメラはそれに記録されるんだけどアナログ方式だから、それがオリジナルになってしまう。でそのカメラで大阪ミキサー計画から撮って、そのビデオ信号をパソコンに取り込んで次々と作っていった。新宿少年アート号では、これは一日だけのお祭りで、JAT編集部として参加して、フロッピーカメラを3台調達して、僕のと吉田裕子さんのともう一つは宇治野宗輝さんのやつを借りて、火縄銃三段方式(笑)をあみだして、僕がパソコンの所にいて、フロッピーを取り込むのに20分掛かるから、40分取材して、カメラを僕の所に持ってきて取り込む、の繰り返し。そうすると僕の休みがない(笑)被写体の名前の照合が大変だった。
この頃の僕の個人史としてはイラストレーターとして仕事が忙しくなってしまって、反芸術だと思ってイラストレーターを選んだのを何もしらなくてただのイラストレーターだと思って仕事を僕に頼んできて、最初はそれが楽しくてそれが正しいと思ってたけどだんだん疑問を持ち始めてきた所です。だからガロの連載では今後字がまた細かくなっていくけど、やりたいことと実際にやっている事のギャップで文字が多くなってしまっているという結果です。という所にしましょうか。ありがとうございました。
今日は打ち上げはここですか。
か:今日刺身を買ったので食べましょう。録音は止めちゃっていいんですかね。
中:テープ終わるまでそのままでいいんじゃないですかね、最後まで文字起こししてもらいましょう(笑)
か:先週買っておいたジャガイ
20090528 文責:平間貴大