- - - - - - - 中ザワヒデ キ文献研究 進行状況逐 次報告 - - - - - - -
【留意事項】
本報告について中ザワヒデキは、事実誤認がさまざまなレベルで多々あることを了承の上で読んでいただく分
には公開しておく意義があるとし、公開している
二〇〇八年二月二十日
文献
「方法主義確認、アイロニー」 方法機関紙 第七号
「間芸術・多芸術・単芸術」 方法機関紙 第八号
「大根と分銅と筆触」 方法機関紙 第九号
「大根と分銅と筆触・その二」 方法機関紙 第十号
「芸術原理主義者の処世術」 方法機関紙 第十一号
「単数性の屹立」 方法機関紙 第十二号
この日の文献研究は前回に引き続いて方法機関紙の通読のため「方法主義確認、アイロニー」、 「間芸術・多芸術・単芸術」、「大根と分銅と筆触」、「大根と分銅と筆触・その二」、「芸術原理主義者の処世術」 「単数性の屹立」の七本を扱った。各文献についての中ザワ自身による注釈と研究内容を以下に整理していく。
「方法主義確認、アイロニー」は北九州で方法芸術祭が開催される最中に配信された方法機関紙に掲載されている。 本文献の「確認」は、同年七月に銀座のペッパーズギャラリーで方法同人・松井茂が開催したイベントに対する高橋悠治 の「方法主義は新古典主義だ」というWeb上での反応に対するものである。中ザワ自身は方法主義を新古典主義である と認識しており、中ザワの循環史観によれば、新古典主義は、ロココ美術という 多様性=快楽主義の極が禁欲主義という対極へと移行する過程の顕れである。この歴史的過程において、ロココ美術の 多様性を保証していた神秘的王権に対する革命原理として用いられたのが理性的思考であり、それはフランス革命という 政治上の移行と併行している。
表題にも用いられている「アイロニー」は、主張の定立はつねに同語反復に陥っているというソクラテス的アイロニー を指している。そして、言論の本質的な同語反復性を容認する中ザワは、「アイロニー」を 「力」「マッチョイズム」「権威」といった概念と共存可能なものとして位置づけている。中ザワは「アイロニー」の 徹底によりそれを主義として権威化を試みる立場だが、方法同人の足立は「アイロニー」の徹底によって「アイロニー」を 衰弱させるという権威否定の立場を取っている。こうした方法内部における立場の違いによって生まれうる誤解を 牽制するための文献がこの方法主義確認であった。
中ザワは方法主義の禁欲性について誤解されることが多いことに触れた。禁欲主義すなわち「楽しくなりすぎないこと」は、 それ自体が禁欲の悦びを伴う可能性を残している。そして、方法主義の信奉する禁欲主義は禁欲の悦びを禁じるものだが、 当の方法の活動さえもが禁欲に悦びを見出すという状況に陥っているというのが中ザワの懸念であった。こうした認識から、 第二宣言において禁欲の厳格性について再度言明し、さらには本文献でも再確認している。
本文献における各記述の参照文献は以下のとおりである。中ザワの新古典主義についての見解は『西洋画人列伝』のアングルと ダビッドの項目、原理=権威を肯定するロジックは方法機関紙第一号「方法主義宣言」ならびに方法機関紙第二号「ヒロヤマガタ問題」、 「瞬間」というレトリックの詳細は『BT』2001年1月号の「方法鼎談」、そしてモダニズム=還元主義とポストモダニズムの対置関係は ミニコミ『妃』の「方法の活動と終焉」に詳しい。
本文に対する中ザワ自身の注釈は以下のとおりである。まず、「肯定するために存在する。」の後には本来ならば 改行が入るはずであった。また、五行目の「ところで」に始まる文章は、方法に対する当時の反応に配慮した譲歩であって、 改めて読むと中ザワ自身「これ書かなくていいよね」というものだという。なお、方法機関紙はこれまで「平成」という年号と 西暦を併記してきたが、足立の提案によりこの号から西暦に統一されている。 年号と西暦の併記によって西暦=西洋の中心性を交換可能性という普遍の中へ溶かし込む意図のあった中ザワにとって不本意な 変更だったと中ザワは語った。
「間芸術・多芸術・単芸術」は方法芸術祭の作品に触れながら中ザワの造語による「単芸術」概念を紹介するものであり、 表題のうち「間芸術」は「インターメディア」、「多芸術」は「マルチメディア」の中ザワ訳である。中ザワによれば方法の活動は「単芸術」を 目指すものであり、「単芸術」理論については当文献がすべて解説しているためにここでは割愛する。
文中で触れられている方法カクテルという「単芸術」についての中ザワ自身の解説は以下の通りである。 中ザワによれば、文学は語の単なる並列ではなく、語をメイン/サブの主従関係に配置することを本質的な構造とする。 そしてその主従の関係をカクテルという別の形式で表現したものが方法カクテルである。カクテルの構成要素は アルコール=主語/名詞とノンアルコール=述語/形容詞と定義され、そこにはメイン/サブの主従関係だけが残される。 こうして文学という表現形式に見出しうる一定の構造を他の形式を用いて再現することで、複数なメディアを 横断してなお残る単一性を描き出す試みが方法カクテルであった。
形式間の交換可能性を提示することが単芸術を表現しうる 唯一の方法であり、詩・音楽・美術という諸形式で方法主義という単一性を表現する方法の活動はまさにそうした試みである。 つまり単芸術は、メディアの多様性を美化する多芸術=マルチメディアとも、メディアの多様性を成立させるジャンルの自明性 を攪拌する移行性・中間性を美化する間芸術=インターメディアとも異なる美学である。メディア・ジャンルの横断は、多芸術 では試みられず、間芸術にとってはそれ自体が美の対象であり、単芸術にとっては横断の末に残されるはずの単一性という美に たどり着くための手続きである。
本文に関する中ザワ自身の注釈は以下のとおりである。まず、「単芸術のまま追求されるべき、統一原理抽出の可能性」 は「単芸術のまま追及される諸芸術の連携可能性」の方がとり理解しやすいだろうとのことだった。また、文中で触れられている 「9回の逆進がある列車移動」は一定の規則にしたがって列車を乗り降りするもので、現地では20名程の観客を連れて 実演されたもので、北九州市立美術館のウェブサイトにその様子が一時期掲載されていたが、経営方針の変更により現在では データは削除されているとのことである。なお、「9回の逆進がある列車移動」のスクリプトは方法のサイトに掲載されている。
「大根と分銅と筆触」という一風代わった題名は、それまでの方法機関紙の中ザワの文章のむずかしそうな題名が 読者を尻込みさせていたことから、楽しそうな雰囲気を出すためにつけられたものである。中ザワの思惑通り「今度のは 楽しく読めそうです」という反応が本文を読む前から来るという成功を収めたが、内容は例によって楽しく読むという感覚的 な理解を禁じるものである。
当文献の執筆のきっかけになったのはレントゲン藝術研究所で2001年5月に中ザワが出品した 質量シリーズについての反応である(なお、まったく同時にギャラリーセラーでは金額シリーズの展示が開催されていた)。 中ザワは分銅を大秤に乗せることで同語反復性の無意味をおちょくるという むしろ「快楽にまみれた」作品を制作したのだが、その「きれいであればあるほどバカバカしい」ことのバカバカしさが 来場者に伝わらず、作品の意図はまったく誤解されたまま鑑賞されていた。そのことに衝撃を受けた中ザワは 「わからないのなら説明しなくては」と思って執筆に取り掛かったという。
質量シリーズを一例として書き始められているものの、本文献は素材(メディア)と構造(データ)に関する中ザワの 一般理論である。中ザワはコンピュータが明白に具現化した二進法のデータ形式の登場に、交換可能性というコンピュータ時代の新しい リアリティを見出している。データの交換可能性はコンピュータという形式にも縛られず、データがコンピュータから絵画という形式へと 移行することも当然可能である。この意味で、中ザワのデータに対する執心は、コンピュータという機械に立脚するコンピュータアートの素材への愛着とは 本質的に異なるものである。方法主義はそうした交換可能性に対する中ザワの反応であり、音楽も文学も絵画もデータである という認識から出発している。そして、データという素材間の交換可能性の中では、音楽や文学や絵画といった素材に立脚した 形式は無効化し、同様に、終局的には素材へと還っていく形式還元も無効化する。かくして、対位法などといった方法あるいは 構造に還元の照準を合わせた方法還元という新しい還元主義を中ザワは定立する(形式還元/方法還元の区別については前回の文献研究逐次報告の 整理を参照せよ)。
なお、当文での「私の興味は、無意味が有意味を償還すること以前の問題系にある」という記述は、方法機関紙第七号 「方法主義確認、アイロニー」、『BT』2001年1月号の「方法鼎談」、そして方法機関紙第十号「大根と分銅と筆触・その二」に より詳細な議論がある。
「大根と分銅と筆触・その二」と珍しくタイトルが繰り返されているのは、この楽しげなタイトルが好評だったからだという。 当文献では前号の「大根と分銅と筆触」で簡単に触れられていた「無意味が有意味を償還すること」あるいは禁欲が快楽に転じることについての 例証を試みるものとなっている。そして「無意味は存在しないと結論づけられる」と、ダダという無意味の追求さえもが有意味さに転じており、 真のダダ・真の無意味は存在しえないと結論付けている。そして、この結論について中ザワは他で詳しく書くことをしていない。中ザワの作品 に対する中ザワという作家の存在・立場について中ザワ自身が言明しない領域についての貴重な参考文献である。
中ザワによれば、この文献は9・11以前の時代の空気をよく表しているという。この号の方法機関紙が配信された10日後に9・11 が起こり、中ザワはそれによって時代が変わったことを感じたと述べた。中ザワが「クリントン時代は重箱の隅まで行けた」と諧謔的に 表現するように、9・11によって多様性が調和から抗争に転じる以前は、アートは重箱の隅をつっつくように記号と戯れることが可能であった 。しかし9・11以後は徐々にモダニズム=権威の復権が見られると中ザワは感じている。
「芸術原理主義者の処世術」は芸術と市民社会の関係について書かれたものであり、中ザワの「芸術は犯罪」という立場を 初めて言明している文献である。この号は9・11の後に配信されたもので、方法同人の松井・足立もやはり9・11についての 見解を述べている。この号では未来派を擁護する中ザワと未来派を批判する足立の芸術観の相違が表れており、後に方法同人となる 三輪眞弘が中ザワの立場に賛同するメールを中ザワに送ったという。
当文献で中ザワは、方法主義の拠って立つ原理は人道ではなく論理であると再確認している。 中ザワは、 人道と論理はルネサンス期には一致していたが、第一次世界大戦ごろから分離して人道=善/論理=悪という対立図式に至っている という見解に立っている。それが如実に表現されたのが9・11によって惹起された一連の議論であり、 そこで「芸術は善」という言説が支配的だったことに違和感を覚えた中ザワは、方法主義がそうした潮流に回収されることを 避けるための原理主義者としての言明を行った。 なお、これをきっかけとして足立は次号の方法機関紙で芸術原理主義に対する批判を展開し、以後方法主義と袂を分つことになる。
ここでの中ザワの人道主義に対する拒否はヒロヤマガタ問題の再来である。もし芸術が市民社会に調和し人々を幸せにするための ものであれば、その評価基準は人々の支持の多寡に頼ることなり、ヒロヤマガタのような快楽を追求した作品こそが最高の芸術であるという結論に 達してしまう。方法第二号の「ヒロヤマガタ問題」において述べられているように、この問題意識がシミュレーショニズムの徹底としてイラストレーターを選んだ中ザワに、 方法主義へと向かわせたと中ザワは再確認した。
余談として、9・11の二日前に開催されたビニプラアートカフェという名古屋のレクチャーで 中ザワが芸術をテロリズムになぞらえて主張していたことが触れられ、それに関連してシュトックハウゼンが WTCビルの崩壊を芸術として評価する発言が予定されていた彼の講演のキャンセルにつながったことなどが 話された。
関連文献については以下の通りである。中ザワの「芸術は犯罪」という主題は芸術と市民社会の関係を扱った 「なそ説」第四回の結語にも登場している。また、文中の「芸術基礎論」という語はサワラギの著書から引用している。 また、タイトルの「芸術原理主義者の処世術」のうち、「芸術原理主義者」はサワラギに「中ザワさんは 原理主義者だよね」と言われてその言葉を気に入ったことからきている。また、「処世術」は旧ソ連の作曲家 ショスターコヴィッチの証言をまとめた『ショスターコヴィッチの証言』という本の紹介から着想を得たもので、 「芸術原理主義」とだけ名乗るのは当時の雰囲気では大変だったことから「処世術」と付け足したという。
「単数性の屹立」は作品が作品たる条件を、数という観点から扱った文献である。この号の 方法機関誌は第三宣言発布の直前であり、足立が方法同人として最後の執筆を行う号でもあった。 前号に現れた9・11に対する見解の対立を踏まえ、 足立が芸術原理主義に対する批判を行うであろうと予測した中ザワはあえてまったく関係のない主題を選んだ というかけひきがあったという。また、本文献は数字や言葉を規則に従って取り出している中ザワの 「集合」シリーズについての唯一の文献であり、中ザワは「集合」を自らの最大の達成として評価している と付け足した。
関連する文献として、中ザワの数に対する見解は「高松次郎と数の宇宙」にもっとも詳しい。また、 第二段の「作品が作品として成立する瞬間に自動的に発生する権威を〜」の部分は方法機関誌第5号の 「加速の要請」の主題となっている。
予定された文献を読み終え雑談に入ると、中ザワは「題名が作品、内容は作品のイラストレーション(解説)」と いう話題を出した。これは、作品の構成理論を明示した題名がイデアとして働くのに対して、その理論のひとつの 表現形である作品が従属的地位にあるという方法主義以来の中ザワの一貫した立場である。これに触発され、 現代美術界のおもしろい瞬間となぜかやたらと遭遇することには定評のある研究員・半田は、青森で中ザワの作品に 触れた吉増剛三のエピソードを紹介した。2004年に八戸美術館でICANOFが 主催した「風景の頭部」展に訪れた吉増は展示されていた中ザワの作品の題名を見て「こんな題名見たことない」と 深く感心し「いやー、こんなの初めて見ましたー」と感動をあらわにするも、実際の作品を見るなり「こっちは、 いまいちだな」と発言して去っていったという。これを聞いた中ザワは、最高に望ましい反応だと大喜びしていた。 なお、このできごとはちょうど撮影されており、映像はICANOFの映像クルーであるCAN OF ICANOFが保有しているという。
なお、報告者田村の無責任と怠惰によりこの文研究逐次報告は半年以上の休眠状態となっていた。文献研究 については未整理のテキスト資料を残しているために正確な再現が可能であるが、これまで恒例として報告してきた 研究後の食事についてはおいしかったという記憶以外なくなっている。したがって今後の食事報告は「おいしいご飯」という 抽象表現に統一する。この日も研究後はおいしいご飯を食べた。
20090101 文責:田村将理