1997年03月のまるちめ日記(97.03.01〜97.03.31)

97.03.01(土)
とても晴天。ぱぐちょ散歩時思わずジャンパー減らすがなお暑い。もう春じゃ。沈丁花の香り。と思ったらだんだん曇り昼より雨。タイガーメンテ、昨日までの金沢行きで溜まった雑用。池松さんより驚きのまんががFAXで届いている(まんが時ペンネーム:辛酸なめ子)。これはもとみやがデザインのディレクションをするたまごっち本に収録されるため。

97.03.02(日)
寒く冷え々々とした曇天。まだまだ冬じゃ。イラストレーション誌「バカCGからマルチメまで」の原稿にやっと着手。今回でおそらく最終回。お題は予定通り「新大陸論」。これは95年8月号の「ガロ」誌に発表した「新大陸論」とほぼ同主旨なので、すらすら書ける。というか、最近推敲をしすぎてかえってよくなくなってしまうことが多い気がするので、あまり推敲しないで一気に書こうと心がけてみたわけ。推敲が簡単にしやすぎるというのもまた問題なのか>ワープロ? てな話は紀田順一郎氏的話題。夜、アップリンクで松前公高氏のソロライヴ。西宮で昨年末やって好評だったものを東京でも、というもののよう。スタイルは、その西宮で初めてやったという「3曲同時演奏」等で、聴体験としても非常に面白い。世界はポリフォニー? マーラー、アイヴズ、そしてベリオはたまたジョン刑事? 氏自身のフライヤによれば「ただ『サンプリング』の楽しみのみを再認識する作品を全曲新たに制作しました」とのこと。氏自身の語りによれば「反復でない、どんどん変わっていくことをやりたい。そこが今までのテクノとの違い」とのこと。とにかく面白かった。後半は岸野雄一氏とのセッション。「グッチ」「たまごっち」の話題から「血」の話題へ。血判そして血を分けた兄弟。それから「蛍光灯」に「けいこうとう」という語の響きは、はたして合ってるのだろうか、等々。

97.03.03(月)
三時のおやつはひなあられ。ずっとイラストレーション誌原稿書き。夕方久々のまえだと大岡がたまごっち本の打ち合わせにもとみや取締役のところにやってきて、その後予定通りまえだの退社おつかれ&英国留学激励会をおフランス料理屋で。いけまつ発案「色紙」は、ロンドン行きの飛行機の中で一人でまえだが開封し、最初おかしくて笑うが、そのうち嗚咽に変わるものであるという発案者の企画。色紙であることはまえだには内緒。でも感づいてました。……ラジオ体操を一緒にしてくれたまえだっち。プールにも一緒に行ってくれたまえだっち。しかし退アロとともに脱茶パツ化し、今日はストレートの黒髪も長く伸び、全然慣れない。本日は何度か地震あり。ちょっと風邪気味。

97.03.04(火)
10:30プリンタの営業の方(ニチメン木幡さん)来られる。結構風邪気味。一日のクリネックス使用料が1箱以上。ずーっとイラストレーション誌原稿書き。

97.03.05(水)
今朝はさらにだるかったりして。しょうがない。イラストレーション誌原稿書き。18時ASK本田氏来アロ。いろいろ話す。デジネンのキッズ版はうまく行けば筆圧をZ軸に反映するペン型タブレットとセットで出るかもしれない?

97.03.06(木)
今日は体調楽。もう治ったみたい。今回が最終回のイラストレーション誌原稿やっと書き終えDTPデザインも終え、TIS総会に久々に出てみる。山口マオ氏や添田あき氏、大鹿智子氏らといろいろお話しする。

97.03.07(金)
眼科後原宿ギャラリーの第1回アートグッズカリスマ宣言を見に行く。予想よりもずっといい展示。アートグッズ販売って一般論的にひどいことになりがちだが、本展は展示としてもしっかり鑑賞できるものとなっている。岡田真耶嬢もいらしていていろいろお話しする。のあと池袋サンシャインまで行きIPPF。写真関係のエキスポでタワシは写真に興味あるわけではなく、最近写真でも目玉の大判プリンタ目当てとゆわけ。マックエキスポのときと同じ人がデモしてたりとか。の後ギャラリーTAGAの原健展見てみる。すごく暑い一日。

97.03.08(土)
家事。図書館後ATOM現代美術センターで深山径世氏のトークレクチャー「作品制作の学知的可能性 〜美術作品と、『歴史』及『伝統』の現象学〜」。ここのとこ伊豆で群発地震多発。

97.03.09(日)
タイガーメンテ。今回は先見ゼミ100回記念出題なのだ。昨日借りたクレンペラーのブラームスがいい。そしてバッハ「音楽の捧げもの」のカノンにはまる。夜虎ノ門ホールで天理大学雅楽部による第22回東京公演とかで、踊ったり劇があったりとかの変わった雅楽のコンサート。学芸会のようなものかもしれないが珍しい。田島さんにもお会いする。タワシは途中で抜け出て、アップリンクで岸野雄一氏ソロライヴ。ミントリ伴奏の岸野氏語りの最中にも、突然地震。ミントリ氏とっさに地震をメロディーで表現。何事にも曲をつけないではいられない。

97.03.10(月)
朝パソイラスト。「CM NOW」誌イラスト。たまった郵便物をちょっと整理。本日はアロアロから徒歩30秒だが、しかし死角で見えない場所にある「牛鉄」本店で、なんとなくアロアロ主宰の焼き肉大会。先見関係のみなさんや、まだ日本にいるまえだのほかに、1月のもとみやの個展でもとみやが世話になったSFC関係の方々(デニーロ氏ほか)もお呼びして。ここの焼き肉はいつも行列だが安くておいしい。

97.03.11(火)
昨年末から集め始め、先月マックエキスポで集め、この前IPPFで集めた大判プリンタ関係の資料整理。14時武藤工業の木村氏プリンタ営業に来アロ。16時過ぎ「CM NOW」誌切明氏来アロ。氏はだいぶ以前にイラストレーション誌で御世話になっていたのだ。雑務が多く、今月いっぱいで入稿予定の「画人列伝」にはなかなかとりかかれない。
97.03.12(水)
15時半に博報堂の隔月刊「広告」誌の編集長氏と池田氏来アロ。なんと池田氏は、タワシのホームページの膨大デジネン文章にとても感激してくれてタワシに連載依頼をしてくださったのだ。「こんな面白いことって、ほかにないじゃないですか」とのこと。デジネン自体も課で買ってみなでハマッてくださっているとのこと。まあなんて奇特な……。「広告」誌さんとは名古屋NADIYA PARK「不可視関数試論」の紹介の件でのたまたまのお付き合いだったのに、こんな風に進展するからこの世の中は面白い。ホームページのデジネン膨大文章もほとんどダメモトのつもりで掲載しているのだが、マンボウの卵が無意味でないように、このようにインターネットもちゃんと孵り成長する可能性がまったくの0ではないということだ。連載の話は、ちょうどイラストレーション誌の長大文章連載が終わったところなので、こちらも有り難い。書きたいこともちょうどたまっているところでの、好き勝手書いてくれとのこと。第一回は5・6月号からで、文章量は5000字ジャストということで。

97.03.13(木)
プロバイダのサイバー社より変なメールが来ている。そのうちホームページのプロバイダ業務をやめるかもしれないことのよう。何事! 日記のヴィジュアル用とゆこともあり、640X480ドットのカラー静止画を新たに試行錯誤。JAPAN MIX貝瀬氏17:30に来アロし、装幀関係の打ち合わせ。タワシがデザインやることになってたが、個展もあるしデザインは専門外なので失敗しないとも限らないし原稿執筆に専念したいし、でも自分でフルDTPしたい気もするが……などと話しているうちに、デザインと装幀は貝瀬さんオススメのデザイナーの高橋氏に頼もうかということになる。みすず書房から出てるようないい感じの本を出したいですねー。近所の「楽」で飲む。貝瀬氏のお気に入りメニューはペペロンチーノ風うどん。

97.03.14(金)
眼科後、アールヴィヴァンの元店員の人達が働いてる(<これは言っちゃいけないのかな?)新装開店のNADiff(表参道)に行ったら偶然小倉正史氏、ハクションの岩根氏、デジタローグの梅本氏に出会う。店員の五十嵐さんも冨田さんも元気そう。ディ・クネーデル、em:tのカエルジャケ等購入。本日オープニングのパルコ木下氏個展(デジタローグギャラリー)に寄ってから銀座の画廊巡り。今日はすこぶる暑い。帰ってもとみやと外食。カラー静止画試行錯誤続き。

97.03.15(土)
なかなか寒い一日。夜吉祥寺のWIND GALLERYにて、前回松澤宥展パーティーでお会いした川村龍俊氏の主宰するWIND'S CAFE。今回は音響詩がテーマということ。そういった作品を先月作曲し、NWの個展オープニングで披露しようとしていたタワシとしては、ちょっと色々な意味で興味のあるところ。ところが車で出かけたら大渋滞で大幅遅刻。大きな目的だった足立智美氏のレクチャーは最後の5分しか聞けず。しかしタワシの作曲とはあまり関係なさそうな話だったようだ。夕食タイム後は演奏・朗読会で、まず足立氏のボイスパフォーマンス。タワシはHAT ARTのCDで持っているシュヴィッタース「URSONATE」等々の「演奏」。なかなか圧巻。同曲が、部分的な作りがフィリップ・グラスの初期に似ているという氏の指摘にはなるほどと思う。また、最後に氏が披露した「その日の新聞を読む」というパフォーマンスも非常に興味深い。その後は芳賀徹氏の自作の詩の朗読。これはとても胸を打つ、大切な時間の流れを感じさせてくれるものだった。こんないいことがこの世にあったのか。帰社後タイガーメンテ。カラー静止画試行錯誤続き。

97.03.16(日)
雨。カラー静止画やっと完成。これでRYGCBMものは2点となった。文章と併せて日記を寺谷氏宛に入稿。

97.03.17(月)
寺谷氏より何やらハイテンションな「しべ通」第2弾届く。なかなかハイパカ。併せて池田和宏な話題(サブリミナル)。たまった雑用全然終わらず。夜朝パソイラスト、鳩よイラスト。6月の個展の件でNW遠藤さん宛に告知関係のFAX。個展のタイトルは「中ザワヒデキ展」のほかにサブタイトルとして「世界没落体験」と付けようか? 個展のオープニングイヴェントで一ノ瀬氏に協力をお願いするメールを正式に送る。口頭ではとっくに先月お願いしておいたのだが、「具体的にしてほしいことは、こうこうこういうことです」と、2月に作曲した2部形式の曲の楽譜を結局修正せずにそのまま送る。

97.03.18(火)
北風に太陽が勝ち、ぱぐちょ散歩時すでにコートの前を開けて歩いてゐる人多し。
6月の個展の内容はとことん理論的なミニマルものなので、サブタイトルだけちょっと謎かけのつもりだった妄想知覚初期体験を表す精神医学用語の「世界没落体験」。しかしそれだと、鑑賞者に世界の没落を体験させるような「体験型マシーン」を中ザワが展示するのかと誤解されてしまいそうなことに気づき、一切「世界没落体験」とは言わないこととする。つまり「中ザワヒデキ展」だけがタイトル。副題なし。こういった経緯は日記にでも書いておかない限りは、忘れ去られてしまうだろう。たまった雑用全然終わらず。夕刻、もとみやの作品をお買いあげいただいたインターアクティブのはやしとしお氏が、もとみやとの打ち合わせに来アロし、タワシもちょっとお話しする。並んでるクラシック3台に「これが噂の」と反応され、まるちめ日記読んでくださってるとのこと、ありがとござます。うちも何年も前からインターアクティブ編「Macintoshなんでも用語事典」、愛用しておりますです。夜はずっと松本弦人氏「オレのオレ本」(5月発刊予定)に寄せる564字の原稿書き。

97.03.19(水)
サイバーにバイバイしてサバイバルするためのプロバイダ調べ等、業務山積なので今日はつかの9時出社。このくらいだと午前中の時間が長く使えてよいかも。夕方、神奈川県民ホールギャラリーにて「明日への作家たち」展オープニング。この場所はタワシが高校生の時、油彩画作品が賞をいただき展示された場所なので、少々懐かしい。あのとき死ぬ気で描いてた作品がどこにもひっかからなかったら、タワシは今頃まっとうな医者でもやってるのだろうか。今回の展覧は12人展だが以前太陽誌で取りあげさせていただいた諸泉茂氏の新作がとてもよい。両端に溜めのある2方向からの直線温度計。氏に久々にお会いしお話しし、太陽誌に書いたタワシの文は「ここまで僕の作品を理解してくれる人がいたのか」と驚き喜んでくれていたのだったとのこと。そして「ベクトル」という言葉をタワシの文章によって逆に発見し、以後自作の概念を考えたり説明するときに使うことができるようになり、感謝してくれているのだという。こうまでおっしゃっていただくと、タワシも書いた甲斐があってよかったと本当に思う。帰社し、母からだいぶ前に訳が出来上がって届いているデジネン文章英語版を整備し、ならびに「逃網」等、久々に印種作業。

97.03.20(木)
春分の日。午後には印種更新完了。下北沢CACギャラリーで西尾康之展を観てから、渋滞の中を北浦和へ。埼玉近美にて開催中のユルゲン・クラウケ展に立ち寄った後、同じ北浦和の駅の反対側にある池松江美宅で「先見ゼミ出題100回記念」を名目にした「仮面舞踏会」。つまり仮面で入場して誰が誰かわからない状態で語り合ったりダンスをしたりして、夜9時の鐘が鳴ったら仮面を外しみなで楽しくという、赤ペソ先生らしいアイディア。ハンズで売ってるボール紙の仮面をつけると、もう誰が誰だかわからない。ダンス用の一部屋では面妖なる石膏像のまわりに葡萄もあしらわれ、天井には色とりどりの飾りもつき、図書館で借りたというウィンナワルツ等の舞踏音楽が終始ラジカセで鳴ってゐる。食べ物の買い出し&盛りつけ、石原みどりさんも手伝ってくれてたそうでありがとう。緑ペソ先生媒体の日比さんが風邪ひいて来れなくなってしまったりとか、残念なことにドタキャンの人もいたようだったけど、逆にアヤシイ雰囲気は増強されたかもしれない。「黒髭のお方」「赤い仮面の貴女」「青い翁のレディ」(おっと、翁は扇のミススペリング)等々相手を呼び合い、社交界な(?)会話。池松さんの用意した素敵な舞踏帳「Dance note 〜Senken 100th Memorial Masked Ball〜」が一人に一冊ずつ配られ、互いにダンスの予約や会話の予約を書き込んだりする。こうゆう「ダンスノート」なるしきたりって、知らなかった。赤い糸で綴じられたダンスノートに池松さんがあしらった中世っぽいイラストが、また雰囲気満点。夜9時を回り仮面をはずしたが、今回初対面のまつばらあつしさんがヘルメットとサングラスを外すと、生顔は全然さっきまでとは違った印象。こんなことってほんとにあるんだ〜。そのあと100円のプレゼント交換をしたらタワシの買っていった消臭剤はパンチきき過ぎで顰蹙を買い、その後池松さん作成の例の昨夏先見臨海学校でやったゲームに打ち興じ、池松さんの高校同級生の殿岡さんが「久々」と懐かしがる。なわけで、ヘールボップ彗星に乗ってやってきた春の彼岸の一日は埼玉で暮れゆく。帰社したら今東京に来ているもうすぐフリーとなる原さんがいらしていて、もとみやの展覧会ツアーの話などしつつ、アロ泊。氏は花粉症か風邪かみたいで、つらそうにしてはる。

97.03.21(金)
ちょっと暖かい。ぱぐちょは原さんが大好きなようで、散歩も一番近くの電柱でU済ませてすぐアロアロに戻る。眼科後銀座巡り。

97.03.22(土)
タイガーメンテ。一ノ瀬トニカ氏、一ノ瀬響氏にタワシの個展オープニングイベントの件について電話にてお話しし、企画自体に対しては快諾を得る。タワシはリアライズの場に関してはそれほど問題は感じておらず、むしろ企画自体(作曲家姉弟に「演奏」をお願いして失礼でないか等)を心配していたのだが、二人とも企画自体は全然大丈夫なようで、むしろリアライゼーションの具体的なところに不安を感じてられた様子。それに関してはゴールデンウィーク頃に一回ミーティングすれば大丈夫でしょう、ということに。そうそう、もしかしたら響さんの方は「音楽?」といった面で不安があったのかもしれない。なにしろお渡しした楽譜は文字ばかりだったのだから。タイトルは「二声の追復曲」としていたのだが、理論的に言うとカノンではなくインヴェンションと称した方が良いかもしれないという示唆をいただく。やはりバッハのインヴェンションにインスパイヤされとるからな>タワシ。

97.03.23(日)
昨日の問題は「二声のインヴェンション」だとバッハの特定の曲群をほうふつとしすぎるし、翻訳して「二声の創意」だと楽曲形式名というこだわりが出なくなるので、「二声のポリフォニー」とすることにしようか? 夕方慶應病院に入院中のるびでる氏のお見舞いにもとみやと。器用なるびでる氏の病院生活を物語る「KUNI。人形」がいっぱいなのを見る。本人の明るく元気なキャラクターはここでも炸裂の様子。うるまさんが置いていったというThinkPadを病院の公衆電話の回線口に差し込みE-Mailを見たりとか。闘病にがんばってるるびでる氏の話を沢山聞く。帰社後、「風水先生」サントラCDにCD-ROM部分として収録されている池松江美作品「五行」を見たりする。ここでもセンス炸裂の様子。

97.03.24(月)
昨晩就寝時よりどうも風邪のようで悪寒があり喉の痛みがあったが、今朝も引き続き同症状。むしろ悪化。つかのに指示出ししてから昼までちょっと休むが、ずっと悪寒はとれないまま。だが昼に一応復活。マックエキスポに刺繍プリンタを出していたアイシン精機の木和田氏が14時に見え、もしかしたら6月の個展の際に試させていただけるかもしれない。16時にはジャパンミックス貝瀬氏とデザイナーのタカハシコウイチ氏見え、では「画人列伝」デザインはすべてお願いいたします、ということとなる。にしても体調悪く悪寒とれず。暖かい水分を沢山摂取。熱風ヒーターの前に張り付いてぱわぶく作業しても指はかじかみ喉は痛い。つかのに買ってきてもらった龍角散のど飴舐めつつ仕事。寺谷氏よりしべ通続き届く。ノリが一定していてなかなか楽しい。業務終了後すぐ就寝し、夜中には汗をかいて悪寒から解放される。

97.03.25(火)
悪寒は治り気力的にも復活したものの咽の痛みはまだ続く。年末よりたまっていた古新聞をやっと古紙回収に出す。もとみやもどうも体調悪いらしい。イタリアの時計屋に連絡する等の雑用後、「画人列伝」は第1番のジオット書き進みやっと終わる。第2番のウッチェロに着手。夕方にはかなり体調回復。

97.03.26(水)
すっかり体調は回復。午後SCAIで申明銀氏の展覧を観てから芸大に行き、一ノ瀬響氏と市原恭代氏による「色と音の調和実験」の展示を見る。MAXで同期プログラミングしたものとのこと。しかしそれ以上のものではないだろう。この春で新潟に帰ってしまうという永田氏に会う。夜かなりウッチェロ書き進む。

97.03.27(木)
ウッチェロを一応終え、午後より列伝第3番ボッティチェリに着手。夜には大体終わる。

97.03.28(金)
眼科後タワレコでまーらー、ない万、里下ティ、ばっは、つぁ村ママスマンな。銀座巡り後ヤマハで図解音楽事典、新音楽辞典、対位法。消費税アップ前の駆け込み購買。石川翠氏よりTELあり明後日のことなど。

97.03.29(土)
ジオット、ウッチェロ、ボッティチェリの手直しに意外と時間かかり丸一日費やしてしまう。ボッティチェリは図版も気に入らなかったので描き直す。この調子だと5月発行はやはり無理か。オヌキ氏より今号で最終回のイラストレーション誌の連載、とても面白かったとゆメールいただく。こんな身近なところにあの連載をちゃんと読んで面白がってくれていた人がいたとは。そうそう、この連載もいずれ単行本にするなりしておきたいのですが、どなたか奇特な方いらっしゃいませんか? (J社Hさん、いかが??)

97.03.30(日)
朝タイガーメンテ。の後、文字座標型作品にちょっとだけトライしてから埼玉県の久喜市というところまで行き、なんと松澤宥氏の孫にあたる松澤梓嬢の通ってるバレエ教室の発表会。駅で石川翠氏、渡辺登氏と待ち合わせ、久喜総合文化会館にちょっと早目に着いたらプラネタリウムがあったので、バレエの開演前にプラネタリウム見ることに。春の星座って乙女座なのか。つまり、9月には乙女座に太陽が入るってことか。タワシの召使い座はどこなのだろう。後半はNASAの広告みたいな感じでちょっとつまらない。そして今旬な話題のヘールボップ彗星の話が口頭で始まる前に、もうバレエの開演時刻を回っていたため抜け出る。バレエはほんとに教室の発表会なかんじで、覚悟はしていたがこんな体験初めて。梓嬢はゲストの男性ダンサーと踊る、中でもトップクラスのダンサー。メニュー後半は発表会なノリからうって変わって、なんとプロコフィエフの「シンデレラ」を、きちんとちゃんとやっている。きっと本公演のためにまるまる2年くらい準備していたのだろう。大変な力作で面白く、こちらも楽しめた。仙女役のバレエ教室主宰の先生と、継母役のゲストの年輩の男性(つまり女装)が、非常に濃ゆいかんじ。この強力さは先月金沢で出会った蓉子さんを思い出させる。公演終了後は松澤宥氏とわれわれ3人で久喜の駅前で飲む。渡辺氏は卒論で松澤論をものし峯村敏明先生に絶賛されたらしい。タイトルは「諏訪の土人」で、以前の松澤氏自身のエッセイのタイトルから取ったとのこと。諏訪で数年ごとに催される祭りがものすごいのだそうだ。石川氏は小山市の美術レクチャーで松澤さんもお呼びするなど、いろいろ活躍されるらしい。われわれ3人とも松澤氏に結局ご馳走になってしまい、有り難うございました。

97.03.31(月)
今朝のぱぐちょ散歩では近所の桜も満開。白樺は最近新芽が出てきていたと思ったら緑色の長い花が咲いている。朝の会議で今後自社でプロバイダを立ち上げるという方向を確認し、サイバーにはいられるだけいようという方針も確認。OCNエコノミー導入の件を担当するつかのが頑張り、OCNの担当者が2人で午後来てくれる。タワシはひねもす文字座標型作品試行錯誤。トイレで「かなの倒立」を思い付く。啓示はやはり、風呂場やトイレか?