1997年01月のまるちめ日記(97.01.01〜97.01.31)
97.01.01(水)
マックにまで「あけましておめでとうございます」と言われるようになってはや幾とせ。今年も「まるちめ日記」をよろしくお願いいたします。
暖かい元旦。10時前に起床しぱぐちょも乗せてgo to "江ノ島水族館"。大重美幸先生、御世話になっております。じゃなくて、もとみやがクラゲの標本を志村さんから受け取るため。そしてそのまま平塚の実家へ新年の挨拶に行く。弟達は渡米中なのでわれわれのみ。母は印種でお願いした英訳をしてくれているうちにかなりMacに慣れた様子である。父が興味を持っている俳句ページを検索エンジン使って探してみたりする。しかし288モデムだとこんなにほーむぺーじ見るのって遅いのか。128K回線でも遅いと感じるページは多いが、やはり遅いってのは罪悪なのでは。これはハードの問題ではなくソフトのデータを作る側の責任だと思う。実家では沢山ごちそうをいただいてしまい、夜帰る。96年印種エキスポモニタの128K回線は、もう今日になったら切られてしまうかと思っていたが、どうやら今晩もまだ使える様子。
97.01.02(木)
家を建て替え中で借家住まいの国立の義母がどうやら風邪をひいてしまったようなので、こたつ、加湿器、灯油ストーブなど買って届けに行く。一月末までの仮住まいなので、あまりきかないエアコンしか使ってなかったようだ。かをるが雑煮を作り食べる。ぱぐちょは昨日も今日もお出かけで嬉しそうだ。暖房器具一式はちょっと過剰かとも思ったが、暖かいと安心していただけたようだったので良かった。帰ってからオブジェクト図形型の作品の試行錯誤。
97.01.03(金)
念願のアナログメールの整理。95年の時分からのがなんだかたまっていたのだ。去年の年賀状も全部クリアにして、やっと今年の年賀状を心置きなく整理できるとゆわけ。夜中オブジェクト図形型の作品の続きの試行錯誤を少々。
97.01.04(土)
昨日に引き続いて今日も青空が澄み渡る西高東低の甲子園型気圧配置。のため寒いが小田急線沿いの道から富士山が散歩時はっきりと見える。宮坂の世田谷神社にぱぐちょ連れて初詣に出かける。ここのとこ作業BGMはずっと後期Webern。いいよねやっぱり。イラストレーション誌連載「バカCGからマルチメまで」の原稿書き。前回途中まで書きかけて分量多くなり切り捨てた「第13章マルチメディアアートの可能性と不可能性」の後半部分。前半部分は、今読み返してみると苦しいところもあるが、まあまあよく書けている。結局ジャンルの話なのだが、それを「定型」の問題に結びつけて考えるとゆのは、結局ここ数カ月悩んでいるところの自身の身の振り方問題と、そう言えばシンクロしていたのだった。
97.01.05(日)
6時起きしたまった年末年始のゴミ出し。雪が降るとの予報外れて晴天底冷えの大気の中をぱぐちょ散歩。イラストレーション誌原稿。今回は、以前から「やりたい/やらねば」と思いつつも自重していた、脚注の中にさらに脚注をつけるということを、ついにおおっぴらにやることとする。つまり「注」の中の「注」(注01)。午後さるすべり夫妻来アロ。なんと近所の宮ガ坂に引越の最中とのこと。ワープロの話で以前から両名に聞いてほしいと思っていたことなどを聞いてもらう。夜になりもとみやも外出先から帰ってきて、いつの間にか冷たい大雨となった(注02)中を一緒に夕食後、イラストレーション誌原稿でほとんど徹夜。
(注01)さらに『「注」の中の「注」』の中に「注」をつけるという事(注a)までしてしまった。原理的にはさらなる入れ子構造が無限に可能。当たり前だが。
(注a)要するに(注)のフラクタル構造ということだが、これはハイパーテキストのフラクタル性ということと関連して論じられなければならない事態である。
(注02)つまり「洗濯物失敗!」な事態。
97.01.06(月)
今日より弊社も通常営業。朝パソイラストは済ませたものの、昨年末延ばしていただいて今日絶対原稿締切となっていたイラストレーション誌連載、なかなか仕上がらず。しかし予定は予定なので、夜今井里砂宅でうどんすき新年会。オヌキくん木野さんのほか、10年ぶりくらい久々のさか井みゆき氏も。アロアロからの今年の「まるで町の印刷屋で刷ったような」年賀状は、本気でやってるのかと誤解されやすかった様子。そう言えば母も例年と違うと驚いていたっけな。ぱぐちょを描いた夏らしい絵も入り、われわれの間ではアロアロになってからの賀状デザインの中で一番いい出来と思ってたのだけれど。集まった中で唯一未電脳化のさか井氏にマックを2・3個買わせようと、みなでそそのかす。一ヶ月くらいで急速にマック依存症となった今井氏には、「スキャナよりモデムが先だよ」とそそのかす。
97.01.07(火)
早朝起きしずっとイラストレーション誌原稿。「注」の膨大文字量削減リストラのため見直してるうちに、かえって字数が増えたりしつつひねもす作業し、24時近くにやっとNIFTYにてデータ入稿。吉田さま、今回も締切守れなくって申し訳ございませんでした。おっとここで時間軸逆行(注01)。今年も週一くらいで来てもらうことになった池松さんには、残業してもらいつつ年賀状返事整理&住所録の古い住所リストラ等。小銭が足りず、バイト代のおつりを外貨でもらう。平林螢都氏よりメールの返事で、いろいろ有り難い助言をいただく。
(注01)つまり現実世界はハイパーテキスト的なのに、文章は1次元なので、うまく折り込めないことがあるノダ。
97.01.08(水)
昨日池松さんが残業しても終わりきれなかった年賀状整理の続きだけでどんどん時間がたってしまう。昨日と今日とで、年末にこちらから発送した分と同数以上の賀状を結局出す事となる。夜いとけい氏にTELして遺伝子工学等の学術分野における3次元ツールの状況を聞く。中高と同級生だった氏は「毎日研究室で使っているツールと概念が同じなので」デジネンを面白いと思った旨を賀状に書いてきてくれていたのだ。気になってたボクセルスキャン方面の従来技術は、編集装置という概念にまで持ってってるものはどうやら皆無だったようだ。
97.01.09(木)
15時半ジャパンミックス貝瀬氏いらっしゃり5月刊行予定の「スーパー西洋画人列伝」(仮題)の打ち合わせ。長時間かかったがページ数、体裁等決まる。かなりいい本になりそうだ。途中、装丁デザインのフォーマットの件で社長氏と電話し、氏にマーケティングのなんたるやを教えていただく。
97.01.10(金)
眼科後散髪してからプロペラ社行き江並氏とタワシの作品CD-ROMその他の打ち合わせ。ほんと、タワシのCD-ROMについては94年からずっと、「あとはタワシが作るだけ」とゆ状態になったまま手つかずでいて申し訳ないと思っているのだ。しかしいろいろ江並氏にはご親切にしていただき、また、ビジネスとしてのみならず情報交換というかんじでも沢山お喋りする。そのうちきっと、CD-ROM制作出版お願いします>デジタローグ様。のあと、デジタローグギャラリー行きジョン前田氏とフロプロ氏のフロッピー購入。さらに近所の原宿画廊にて多田文昌氏の個展パーティー(オープニングではない)。オーナーの岡田姉妹と挨拶し、キノトリ氏に出会いまたまたいろいろ喋る。次のもとみやの個展の情報が載っている掲載誌を沢山岡田摩耶嬢が見せてくれる。帰ったら今日午後、ついに印種128K回線が切られてしまったとのこと。つまり96年インターネットエキスポが終了した12月31日の後も、モニタだったため使用できていた128K回線がまだつながっていたのだったが、ついに回線シャットオフ工事が施工されたとゆわけらしい。ザンネン。タワシのモデムはまだ144なので、これで144に逆戻り。これじゃ牛のように遅い。今年って牛年? それにしても今晩は寒い。特に首筋のあたりが。風邪か? と思ったら、そういえば今日は散髪して寒いのだった。(文字数の無駄使い)
97.01.11(土)
デザイン部がミラノにある時計屋からの仕事は、昨年夏の大変な時に大変なままやってしまって心残りがないわけではないのだが、またそこから追加の仕事のFAXが来ている。一応返事を書き送る。タイガーメンテ。ここのとこ悩んでいた「ハードディスクの容量増え問題」、つまりパーティションを230MB以下で切っているにもかかわらず細かいファイルのサイズが230MOで見るより増えているという現象を試行錯誤の上解決する。さらにデスクトップの「アイコン誤認問題」も解決する。これらのことが起こったらHardDisk ToolKit等でイニシャライズ後、もいちどFinderから「消去」し直すといいみたいなのだ。
97.01.12(日)
FTFがうまくいかないのをFileSaverのせいのようだとひとまず解決。でもFileSaverは必要なのでうまいこと管理が必要だろう。沢山ある課題のうち、久しく更新していないほめぱげ作業をまず片付けることにする。すなわち母にちゃんとした英語に訳してもらった英語ページのアップ。午前中に終わらせようと思っていたのに、それどころか一日たっても終わらず。アロアロ商品情報の文章がちょっと恥ずかしいノリだったので、日本語から手直ししたりしていたからなのだけど。
97.01.13(月)
今日になったらFTFがうまくいかないのはFileSaverのせいではなく、Mouse2のせいであるとゆふに状況が変わってしまって、なんか不安定。つかのはもとみやてつだい(明日からの個展搬入)。6100用に使っていたIBMの借り物ディスプレをもとみやに貸し出すことにする。寒い。昨日の続きのほめぱげ作業で、さらに前回「TOP2」に新設したほめぱげ「メ成長の記録モ」を、「中ザワ&アロアロ共通のページ」に移動。そして同ページをさらに大幅改定。朝方になりやっとほめぱげ更新。
97.01.14(火)
今朝またぱぐちょU2。ここのとこぱぐちょのうんち袋が不足していてとても困ってるとゆーのに。余ってるコンビニ袋をキノトリ氏がくださると言ってくれていたが、それまで果たしてもつかしら? もとみや一行は今日から個展なのでぱぐちょ連れて早々と会場へ。タワシはよくわからないまま帝国ホテルに12時に着き、ロータリー例会とかいうものに両親と出る。今回の会の世話人か何かを父がしてるらしく、3F富士の間にて人間国宝の青山次郎、大和久満両氏による「島の千歳」とゆ日本舞踊が今日の特別の出し物とゆこと。わけわからないまま年輩の偉そうな人達にいろいろ挨拶する。「ふるさと」はいいが「ロータリーの歌」(!)をみなで歌って昼食後、舞踊鑑賞。舞踊はとても厳しく、隙無く、大変素晴らしいものであった。その後母と原宿画廊行きもとみやの個展「RABBIT PROJECT 2」(うさぎ計画其の二)。一点壁の掛け軸が未完成だが今回もよく出来ている様子。入口から奥に向けて土から芝が伸び、大うさぎへと至るさまは、さながら地球規模の生物進化の雛形か。この入口から奥の突き当たりまでの数メートルに20億年の歳月が凝縮されてるのだ……などと岡田さん相手にバカ話をする。ばたばたしていて出発が遅れ、タワシのみ川口現代美術館へ。今日は松澤宥展のオープニングでパフォーマンス(正式には「プレゼントデイ」)もあるのだ。いつもいつも、なぜか松澤氏のパフォーマンスはなにか別の用と重なっている。自然渋滞でだいぶ遅くなり、結局パフォーマンスは見れず。すっかりパーティーモードのところへ到着。なんだか大事そうな作品がいっぱいあるが、どうも落ち着いて見れない。パーティーだから当然、また日を改めよう。ロンドンに留学していたという川村今日子さんにとても久々に会う。森田さんとお話しし、以前「太陽」誌に書いて辛口すぎたかと心配していたタワシの「追悼榎倉康二展」レビューは、実は一番ちゃんと書いてくれていて有り難かったとのこと。それはよかった。パーティー途中だが、もとみやのオープニングパーティーに戻るためお先に失礼。戻りの道は行きより空いてゐる。戻ると大勢来ていて、しかし前回の去年のデジタローグの時とはなんとなく違う顔ぶれ。そう言えば前回のもとみや個展オープニングの日にタワシはぱぐちょを伊勢丹で買ってパーティー会場に連れてってたのだっけ。もうこんなに大きくなって人々に食べ物をおねだりしているが。キノトリ氏に「ぱぐんち袋」一式いただく。これは沢山。どうもありがと。折り畳まれていて大中小とあるらしい。大事に使わせていただきます。ぱぐちょも大丈夫なエスニック系のお店で2次会。のあと、経堂方面組はまえだと大岡とぱぐちょともとみとタワシで車に乗り込み、大岡くんは昨年末以来だが元気そう。そしてアロアロバイト歴最長のまえだは春よりロンドン留学のため今日でアロアロ仕事納め。長いことおつかれさまでした。まえだの仕事納め留学激励会はまた日を改めて。
97.01.15(水)
成人の日。ひねもす雑用。家事。夜ビットマップ型作品の試行錯誤……思ったようにはうまくいかず。
97.01.16(木)
雑用に追われ、さらに日記書き。この日記、意外と読んでくださっている方が多いようでありがとございます。一体自分にとって、そしてあなたにとって、この日記は何なんでしょうね。
97.01.17(金)
朝5時起きして日記書きするも午前までに終わらず寺谷さんスミマセン(^^;) 眼科後銀座の画廊めぐりし、村松で見た狗巻賢二氏の作品がタワシの考えてることと方向性が似てる気がしてちょっと気になる。他にはGANの野村仁氏、プラクティスにまた戻った(?)彦坂尚嘉氏、等々も記憶に残るが実は一番強力だったのはヘンリー・ダーガーだったのではないか? 帰りの電車内で偶然個展の会場帰りのもとみやに会い下北で買い物と食事。
97.01.18(土)
イラストは「不可視関数試論」で作成したものを使うことにして、先月の日記をやっと入稿。今月は遅れてかなりまずかったとのこと。申し訳ございません寺谷さん、以後気を付けます。図書館行く。貝瀬氏からワープロに関するエッセイ集の本が届く。ありがとございます。タイガーメンテ。
97.01.19(日)
朝のぱぐちょ散歩コースのうち、線路際のマンションがひとつ取り壊しで無くなってる。そういえばこのマンション、最近どうもゴミの出し方とかずさんでうらぶれてきた、と思ってたのだ。川口現美の松澤宥展、前回ちゃんと観なかったので、あらためてちゃんと観に行く。空いていたこともあったが非常に良い。前期後期入れ替え制でカタログは後期に出来るそうだが、印刷にはたしてちゃんと文字まで映るかわからないので、時間をかけてしっかり読む。中2階のプサイ函もいいが、2階の「プサイの部屋」の壁もとてもいい。ハガキ絵画の文句にもいちいち驚かされる。後期展示も楽しみだ。
97.01.20(月)
土曜日に入稿した日記の原稿、なんと手違いでタワシは推敲途中の段階のものを送ってしまっていたことが判明。滅多にこんな数字管理上のヘマはしないのだが、そういえば送る時に修正日時を見て「?」と思ったまま、間違って打たれた通し番号の方を信用してしまっていたのだ。寺谷さんに事情を理解していただき、直し箇所をFAX&NIFTY。本当お手数おかけして申し訳ございません。朝パソイラスト。番号管理しているMO全部をFileSaver保護。松澤展に同じく感動していた原久子氏よりメールの返事いただき、氏はついに大学をやめて、やりたいことをするとのこと。いい話だ。ワープロのエッセイ集、FEPと文書編集機の区別もできてない年輩の執筆者が多く、どうしてみんなこの程度にしか事態を認識できないのかと、申し訳ないが読んでて歯がゆいものが多い。そんな古い本じゃないのに。もうちょっと理論的にはいってく人はいないのか?
97.01.21(火)
おねだりの効果ありけりぱぐのワン
おっとこれも季語が無い。新しく急に出来てきたもとみやのポストカードの扱いをめぐって、緊急に商品会議。鳩よ!イラスト。プリンタの営業の人が来る。TIS会内報のため定型詩タイプで「自画像」作成。風が強く寒くて、もとみやのアッシーをさせられる羽目となる。その後「海の景」にトライ。
97.01.22(水)
今日も引き続き超寒い。昨日の続きで「海の景」を仕上げ、12月から試行錯誤していたものの中では初めて、まぁ人に見せても大丈夫かなというレベルまで行く。その後やっと澤田さん関係の仕事に着手。昨日とは違うプリンタの営業の人来る。ちょっとタメになる。
97.01.23(木)
どうもだるく、どうも風邪の様子。ジャパンミックス貝瀬氏いらっしゃるが、ゴメンナサイ、タワシの方に何も進展が無く、打ち合わせもそれほど進まず実りなく。その後もひねもす澤田さん仕事。
97.01.24(金)
風邪は治癒。眼科後、WAD'Sで視力表ポストカード納品後、タワレコでジェームズ・テニーとリンドベリィ購入し、渋谷LE DECO、そして銀座の画廊をまた巡る。その後13日から無くなってて不便しているPowerMac6100用にモニタを買いに秋葉原へ。タッチパネル、液晶ディスプレイ等で手頃なのがあったらほしかったのだが、まだそれらは全然手頃では無い様子。中古屋でClassic3台並んで展示されているのを見つけ、非常に高貴なもののように感じる。やはりマックはこのサイズが正しい。凹凸のあるアップルマークも、ロゴの位置も大きさも、こんなにちゃんと計算ずくだったのか。今まで他の事務所でクラシック見たりしてもそれほどどうとも思ってなかったのだが、こんなに心引かれるのは3台並んでいるからか? モニタ求めて他店をいろいろ回っててもクラシック3台が気になり、結局戻り3台とも買ってしまう。1台28000円。ちなみにタワシが当時100万円弱で買ったIIcxはいまや9500円だ。3台あれば展示に使えるだろう。もともと仕事用ではない。店頭テストで漢字トーク6.0.7が立ち上がるが、漢字トーク6用のOsaka12ポイントもこうして見ると9インチサイズモノクロで見るのがぴったり。これが本来のパーソナルコンピュータって気がする。以前もとみやが格安で中古のアナログ8mmカメラと映写機を買ったときに、「Quadra買ったときより全然嬉しい」と言っていたが、タワシも今回は「PowerMac買った時より全然嬉しい」。そして他店で一番安物の15インチのマルチスキャンディスプレイもちゃんと購入するが、そちらはあんまり嬉しくない。
新お茶の水駅から千代田線に乗り、表参道に新しくできたギャラリーで萩原悦子氏の展覧会オープニング。以前観たものに新作が少々付け加わったものだったが、やはりこれはオブジェクト図形方式絵画の格好の例のように思え、評論意欲をかき立てられる。会場はフライコミュニケーションズのある懐かしいサントロペ南青山で、やはりフライが少々かんでるとのこと。飯倉くんに8年ぶりくらいにお会いし、8年くらい前にP3がオープンしたての時に催された「神」展に出品した本の形態の作品を、こんなところで、しかし確かに返却される。帰ってきて懐かしいので見てみると、もとみやがこれは松澤宥のようだと言い、たしかに絵を一切排し言葉だけを定着させてるのでそんなかんじがしないでもない。当時はタワシ、松澤宥のこと全然知らなかったんだけどね。選んだ言葉はすべて楳図かずおの「わたしは真悟」の中からセレクトしていて、それを聖書の言葉の抜き書きのように「第何巻第何章第何コマ」の記載付きであしらっているのだ。今は懐かしいImageWriterIIでプリントアウトしたものである。
97.01.25(土)
タイガーメンテ。家事。アトム現代美術研究所なるところで古屋俊彦氏の講演会。お題は「反価値をめぐるギャンブル」。以前川崎市民ミュージアムで見たものが一層はっきりする。特に氏の何故偶然性にこだわるかが、氏のステロイド治療体験に根ざしていることを知り動機的な納得がいく。また、何故「美術」なのかについても説明があった。……つまりもはや美術は視覚ではなく「存在」自体を扱うものであるとか、美術家は何事にも興味を持たなければならずヒエラルキー的に最高位であるとする、ダ・ヴィンチ流の(とは本人は言わなかったが)立場である。ほかには、自然界には偶然は存在しないことを自然科学の立場において証明したという氏の論文が過去にあるらしく、話は突っ込まなかったけど興味がある。つまりラプラスの悪魔はいるということだ(とは本人は言わなかったが)。
97.01.26(日)
そういえばぱぐちょは一昨日で満一才だったのだ。そのうちうるまでるびさんの実家のぱぐ犬と馬込淳さんの飼ってるぱぐ犬とで「ぱぐミーティング」をしようと言ってるのだが来月になっちゃうかな。どのみちもう大人犬なので、元服名を与えねば。「まさつぐ」が立派でいいのでは。漢字で「正嗣」だ。「ぱぐちょ」は幼犬名または愛称ってことで、これから本名は「正嗣」。おお、ご立派な犬よのぉ。2年くらい前に途中まで読みかけたままになっていた榎本正樹著「電子文学論」を読破。いろいろ参考になる。ひねもす澤田さん仕事。
97.01.27(月)
Classic届く。やはりこれが本来の大きさ。しかし置き場が無いのではんすうぇぐねるの上に取りあえず3台並べる。長々とかかってやっと澤田さん関係の冒頭文を書き終えたと思ったら、途端に大いなる誤謬を発見。または大いなる新発見という言い方もできる。ここ一週間ほどの努力は全部振出に戻るわけだが、発見が大きなことのため、もしかするともうひとつ別方面にコマを進められるかもしれない。というか、進まなければならない気がする。
97.01.28(火)
八重洲ブックセンターに行き本探し。コンピュータ関係の本は、やっぱここまで来て探さなければあまり意味がなかったことがわかる。の後、芝浦の博報堂。ガビンさん、八谷さん、うるまさん&でるびさん、そしてタワシで同社発行「広告」誌のための座談会。すなわち名古屋NADIYA PARK「体験の場」の出品作家としてですね。日展の山本氏も名古屋から来られていて、博報堂の笠原氏はCD-ROM Fan誌のタワシの日記の該当個所を蛍光ペンで律儀にチェックしてくださっている。一通り終わった後、20階(だっけ?)のラウンジで食事をいただく。設計工場の渋谷氏高橋氏もいらっしゃる。ところで話し方で「……的には」ってゆう言い方、流行りはじめてるんすか? タワシ的にはそゆ話し方、今回初めて沢山耳にしたけど。八谷君が開発しているPostPetの話題の中にたまごっちとゆ単語が出てきて、「たまごっちって何?」と聞くと、「また中ザワさん世間のこと知らない……」ってかんじでガビンさんが教えてくれる。ふーん巷では昨年末そゆものが流行ってたのか。アロアロ的には上司二人が世間知らずなので、そんな上司に面白がって巷のことを教えてくれてたのはまえだだったのだが彼女はもういない。つかのさんにどんなもんだか聞いてみよう。
97.01.29(水)
寺谷氏よりメールでシベ通(シベリア通信)と称するシベリアスタック届く。なにやら氏の友人がこの極寒の中シベリア行って、そこで作ったバカスタック系作品を印種で送ってきてくれたのだとゆこと。いやいや感動もさることながら、スタックのバカさ加減も懐かしいハイパカな感じを醸し出しててよいですね〜。ちょっと753なかんじ。昨日届いた安物モニタは1280X1024ドットの白黒市松でモアレが出る。問い合わせると安物なのでしょうがないらしい。白根ゆたんぽ氏の「ナマぬル」単行本化に寄せて頼まれていた文章2つを書き上げSalucolo氏宛にTiger入稿。夜640X480用のビットマップ画を試行錯誤してみる。構想してたのとは違う気もするが以前に比べてかなりな進展あり。朝5時まで。
97.01.30(木)
今日も澤田さん関係で文章の書き方に進展あり。もう通し番号は100番を数える分量。昨年末話が振られた韓国でのデジネンその他の作品展示は、エンターテインメント系の企業が参入してきたら違うノリになってしまって出品を見合わせた方がよくなってしまったとのこと。
97.01.31(金)
眼科後タワレコでジョン・ギブソン、アイヴズ交響曲全集、ジョン・ケージ、リゲティ2枚仕入れ、表参道方面まで歩きPinPointでスージー甘金展、360度等回り、原宿画廊のもとみや個展会場で芝の伸びを確認。まるちめ日記を読んで面白がってくださってるらしい元気なオーナー岡田真耶嬢に挨拶、のみならずBALI以来の会已渡(かいと)くん&容子さん、三重野ちゃん田島さんもいる。さらにマヤで変な面白い絵の新人(?)フジイ・フランソワ展、そこからタクシーで、春には移転予定のフジテレビギャラリーにて「オノサトトシノブ展」。今かなりオノサトの仕事が気になってたところだったので是非見なくてはと思ってたのだ。大変興味深い。さらにそこからNW Houseゆき平河典敏・畠山直哉・東恩納裕一3人のコレクション展。遠藤さんといろいろお話しする。夜平林螢都氏とTELし、さらに澤田さん関係のことで金ペソ媒体のプログラマー古山啓一郎氏ともTEL、後者に関してはタワシがここのとこ進めてきた方向性で大丈夫なことを確認。話を面白がってくれて嬉しい。