中ザワヒデキ文献研究 講義用覚書
2019年度第03回 2019年7月3日(水)19:15-22:15
中ザワヒデキ Hideki Nakazawa
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ヒロヤマガタ問題、ラッセン問題
日本の現代美術界には「ヒロヤマガタ問題」あるいは「ラッセン問題」というものがある。前者は中ザワが2000年頃に、後者はアーティストの原田裕規が2012年頃にそれぞれ提唱しており、要はかつてのヒロ・ヤマガタやクリスチャン・ラッセンをその典型とするような、「ごく少人数からの嫌悪と、圧倒的多人数からの賞賛と感動と涙に包まれ」るような人物が存在するということだ。
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- 授業スケジュール http://bigakko.jp/bunken/sch
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【1】ヒロヤマガタ問題、ラッセン問題
以下は近日公開予定の未発表原稿からの抜粋です。
- 日本の現代美術界には「ヒロヤマガタ問題」あるいは「ラッセン問題」というものがある。前者は中ザワが2000年頃に*1、後者はアーティストの原田裕規が2012年頃にそれぞれ提唱しており*2、要はかつてのヒロ・ヤマガタやクリスチャン・ラッセンをその典型とするような、「ごく少人数からの嫌悪と、圧倒的多人数からの賞賛と感動と涙に包まれ」るような人物が存在するということだ。「ごく少人数」とはほぼ日本の現代美術界のこと、「圧倒的多人数」とは現代美術以外の美術愛好家も含むほぼ世間一般のことである。特徴としては、技巧的な具象絵画であること、商材もしくはイラストレーションに見えること、更新され続ける現代美術史の今日的な文脈とは無関係なこと、作家本人や取り巻く業者のビジネス的努力が金銭的成功をもたらしているように見えること、等が挙げられる。
- ここで前述の「嫌悪」は、業界内部の一部の者からは、むしろ単なる「無視」かもしれない。だが、民主主義の世における最大多数の最大幸福という正義に最も合致するのは彼らの側で、決して訳の分からない現代美術などではないということとなれば、単なる無視は根拠の乏しい棲み分けと自らの正統性に疑義を抱かない、悪しき無自覚の別名ということとなろう。合理的に思考すればヤマガタやラッセンを忌避すべき理由はどこにも見当たらず、売れて目立つ者へのやっかみでしかないような現代美術の狭小性にこそ非があるように思える。つまりはヤマガタやラッセンという、現代美術界からは放逐されている存在から、業界自体を逆照射することによって、これらはまさに日本の現代美術界のタブーチックな問題となるのだ*3。
- *1 中ザワヒデキは2000年に機関誌「方法」第2号に「ヒロ・ヤマガタ問題」を寄稿、スタジオボイス誌9月号で村上隆と対談「ヒロヤマガタとは?」を行った。
- *2 原田裕規は2012年に「ラッセン展」を企画(CASHI)、2013年に編著書『ラッセンとは何だったのか?−消費とアートを越えた「先」』(フィルムアート社)を刊行した。
- *3 詳述しないが、日本固有の問題ではなさそうである。例えば米国では、リアリズム絵画を描く類型がある。
【2】参考 (1)
【3】参考 (2)
【4】お知らせ等
2019-07-03
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