方法への還元
建畠 晢
多くのアーティストにとって、ジャンルとは自明の理のようなものであるに違いな
い。彼らは自らの宿命としてそれを受け入れたのであり、他に選択肢があったわけで
はない。アーティストは“後継者”としての自らの資質に悩むことはあるかもしれな
いが、ジャンルそのものの可能性が疑われることはない。ジャンルの論理とはつまる
ところは継承の論理なのである。もちろんアーティストが自らのジャンルの本質につ
いて批評的な意識を有することはあるだろう。たとえば絵画は久しく“絵画論的な絵
画”であり続けてきた。だが、そうした自己批評的なアプローチはジャンルの制度性
を客体視するものではなく、むしろその規範を内側から強固に支える営為であったと
いわなければなるまい。
もしジャンルが制度的に維持されているということに自覚的であるならば、彼はす
でにジャンルの土俵を降りていることになる。デュシャンが絵画は網膜的な芸術に過
ぎないと述べたとき、それは不可避的に絵画の死を意味してしまったようにである。
制度論はジャンルの内側の論理ではありえない。制度としてのジャンルを論じること
と、ジャンルの自己批評との間には決定的な距離があるのだ。
*
この問題は中ザワヒデキが先に発表した「方法主義宣言」をどう解釈するかという
ことに密接に関わっているように思われる。
Eメールで配布されてきたこの宣言の日付は2000年の1月1日であった。新た
なミレニウムの出発点で発せられた言葉ということになるが、中ザワ自身にとっては
おそらくこの日付は二十世紀の“諸学諸芸”を見晴るかす特権的な視座を意味してい
たはずである。宣言の冒頭に彼はこう記している。
「二十世紀の諸学諸芸に民主主義体制の結果として林立した同語反復は、形式では
なく方法への還元によって、再び単一原理として語られ始めなければならない。」
“諸芸”に関していうならば、この同語反復とは芸術の自己目的性の究極的な命題の
謂である。周知のようにフォーマリズム批評はモダニズム芸術の展開の方向性をジャ
ンルに固有な属性の自己純化の過程として捉え、それを弁証法的な歴史の力学によっ
て正当化しようとしたが、当然ながらその立場ではあるジャンルにおける本質的な要
素は、別のジャンルにあっては放逐されるべき不純な要素と見なされてしまうことに
なる。ジャンルを越えた単一原理などというものは、少なくとも現象学的に観察=記
述の対象としては想定されえないのだ。
もしここに制度論的な視点を導入するならば、私たちはジャンルの規範を現象学の
軛から解放することが許されるだろう。しかしそのことは直ちに自己批評的な継承の
論理の埒外に出ることを意味せざるをえない。外部からの眼差しは、表現への愛を欠
くがゆえにジャンルを越えた単一原理を容易に把握しうるだろうが、それはもはや創
造のための論理ではありえないのである。
「形式ではなく方法への還元」を主張する中ザワは、そのような立場とは無縁であ
る。表現者としての自己批評の眼差しを維持しつつ、なお“諸芸にまたがる単一原
理”を創造のための論理として賦活させようというのが、彼の掲げる方法主義の冷静
にして壮大なる意図なのであり、そのためには同語反復を禁欲的な倫理として捉え直
さなければならないというわけである。ナンセンスの感覚ともきわどいそのラディカ
リズムを、厳密なる戒律としての恣意性と言い換えることもできよう。
方法の自己目的化とは、エモーショナルな表現の可能性の一方的な規制に他ならな
い。不条理といえば不条理な抑圧である。だが、そこには一つの逆説が潜んでいる。
その規制、その抑圧こそが、彼の整合的な論理に密かな官能的な気配を宿らせている
のだ。
*
戒律としての恣意――。方法主義のこのスリリングな位相の先駆をなすのは、聡明
なる異端の詩人、篠原資明であるに違いない。十年来、彼は飽くことなく厳密な法則
性に従った“方法詩”の制作を続けているが、自ら説明するところによればそれは
「新たな型を提案し、その型に自ら服しつつ詩作するタイプの詩」ということにな
る。言葉は易しいが、しかし本来の定型詩のありようを思うなら、これは極めて奇妙
な、いや考えようによってはいささか不穏でさえある情熱に捕らわれた詩であるとい
わなければなるまい。
定型詩が定型詩でありうるのは、その型が恣意的なものではなく、継承の論理に支
えられているからである。フォーマリズム的にいえば、歴史の試練にさらされて純化
されたジャンルの本質的な属性のみが定型の名に値するのである。ところがこの不逞
の学匠詩人にとって、型とは自らが新たに考案したものでなければならず、その意図
を鮮明にするためには逆に恣意性を激化させる必要があるのだ。それは未来の定型詩
を志向するものでさえあってはならない。型がいずれ定着に向かうのであれば、恣意
的な戒律に服するという不条理な禁欲がかもすはずの“密かな官能的な喜び”は力を
失い、すべては明証性の白々しい光にさらされてしまうことになるのである。(幸か
不幸か、私たちの詩の現在は、そうした明証性をしも蒼白のエロスと呼びうるほどの
“狂気”をあらかじめ奪われてしまっていると言わなければなるまい。)
詩の詩による自己批評を、純粋に方法の問題へと還元する意志は、中ザワの“方法
絵画”への意志と深く通底するものであるだろう。主義としての方法は、どこかで無
根拠性に触れている。あえていうならば彼らの絵画や詩は方法への欲望がそのニヒリ
ズムの深淵から励起させた異例のフェティッシュなのである。
*
「方法絵画とは、偶然と即興を禁じて方法自体に重ね合わされた色彩平面である」
と、中ザワは先の宣言の中で定義している。篠原の場合と同様の平易な言葉だが、し
かし注目すべきなのは、そこにさりげなく付け加えられた「ただし、快楽に直結する
実際の色彩は、周到に他の物質に置換されることもある」というセンテンスであろ
う。
たとえば中ザワは、コンピューターからプリントアウトされたモノクロームの文字
のみによる平面作品を「色彩絵画」と称する。見る側の日常的な感覚にすれば理不尽
な話だが、その理不尽さをあえて生み出すことが、絵画の本質を感覚的に顕在化させ
るための「病気の状態の演出」なのである。絵画とは究極的には彩色された“ドッ
ト”である。そして「データ構造として見た場合、色光のコードをたとえばJISの文
字コードに置き換えたところで、なんら構造的変化は生じない」。
つまり色のドットの代わりに文字を代入した絵画が「色彩絵画」なのだ。しかしこ
の“病んだ”絵画は、彼に言わせれば、絵画としてはより“完璧な”ものである。色
光では発色も不安定であり、見る側の色感もあてにならない。それに対して既成の文
字表に依拠する限り、文字は誰にとっても「極めて安定である」。「これを逆向きに
言えば、文字は、より完璧な色彩ドットだということだ。つまり文字は色であり、文
字パレットは色のパレットであり、文字を配置した文書は色彩絵画である。私は完璧
な色彩絵画を描くために、今回文字を使用した」。
色彩絵画を前にして、私たちは困惑する。なぜならそれは文字列であり、しかもす
べて可読性を有しているからである。彼は言う。「たとえば『二九字二九行の文字座
標型絵画第一番』の右上隅と左上隅の漢字群がそこはかとなく緑色に見えるとすれ
ば、それはその箇所の漢字がJIS部首表の木偏群に相当するからである。そのすぐ下
の箇所の漢字群は、はたして赤く怒っているようだろうか?」
もちろんそれはそこはかとなく緑色でもなければ、赤く怒ってもいない。たとえ精
緻な代入のシステムを知らされたところで、“色彩の感情”は湧いてこないのであ
る。しかしこの困惑は、見る者にとって官能的な困惑である。私たちはすべてを理解
した上で(何一つ理解しないままにといっても同じことだが)、感官の不穏なざわめ
きともいうべきものが、自らの内に引き起こされていることを知るだろう。
これはジャンルなのだ。発生状態にあるジャンル、今、ここに戦慄的に立ち上がり
つつあるジャンル、すべてが形式以前の状態に還元されてしまったが故に、感官の仕
組みに直接働きかけてくるような何ものかなのである。その純粋に感覚的な出来事で
ある異例のフェティッシュを、とりあえず私たちは方法への還元というニヒリズムの
言葉によって語るしかないが、そのことは(事後的にそれが絵画と呼ばれようと詩と
呼ばれようと)ジャンルは自らを自らの力で発生させるしかないという、哀しくもま
た荘厳な宿命を明らかにしている。
中ザワは諸学諸芸の無根拠性におもねた感覚主義的な快楽への埋没を否定する。方
法主義宣言のいう単一原理とは、何らジャンルの弁別を無化するものではない。それ
は禁欲の不条理を引き受けつつ、ジャンルの生成の場所に不断に身を置こうとする
アーティストの、敢然たる意志の表明なのである。 (美術評論家)
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