近代美術史テキスト | 西洋画人列伝 | 現代美術史日本篇 |
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(デザインは変わる可能性があります。) 拡大 |
1989 | 2001 | 2004 (執筆中) |
企画:(有)トムズボックス | 出版:NTT出版(株) | 出版:(有)アロアロインターナショナル (著者が経営する会社) |
A6判変型 105mm x 150mm、44頁 | 四六判変型 126mm x 194mm、295頁 | A6判変型 105mm x 150mm |
日本語 (横書) | 日本語 (縦書) | 日本語と英語 (横書) |
手書き文字 手描き図版 |
活字 (CGによる)手描き図版 |
活字 写真図版 |
標準文体 美術史家を演技 |
一人称文体 各画家を演技 |
標準文体 美術史家として執筆 |
印象派からシミュレーショニズムまでの主に西洋の近現代美術史、ならびに日本のヘタうまイラストレーションの流れ | ジオット(ルネッサンス)からウォーホル(現代)までの西洋の画家60人の列伝 | 第二次大戦後から2000年代までの日本現代美術史 |
第1章 印象派 第2章 野獣主義と立体主義 第3章 ピカソ「ゲルニカ」とマチス「ナスターチウムの花と«ダンス»」 第4章 戦前期20世紀美術 第5章 「ダダ」とはお馬ドウドウの意味 第6章 戦後アメリカ美術の誕生 第7章 ジョーンズとジョーンズ以後 第8章 フォンタナ「空間概念」 第9章 イヴ・クラインと三木富雄の時代 第10章 現在美術(その1) 第11章 現在美術(その2) 第12章 ネオ・ジオの真意 第13章 シミュレーション100%: ジェフ・クーンの「芸術?」 第14章 ヘタうま-パルコ-反イラスト 第15章 スージィ甘金とイラストの心 |
第1章 イタリア・ルネッサンスとマニエリスム 第2章 北方ルネッサンスの画家たち 第3章 バロックおよびロココ芸術 第4章 新古典主義、ロマン主義、写実主義 第5章 印象主義から後期印象主義へ 第6章 象徴的傾向と十九世紀末美術 第7章 二十世紀の美術 |
第1章 敗戦後の美術状況 (シュルレアリスム: 1945頃-) 第2章 具体、九州派、アンフォルメル (前衛: 1955頃-) 第3章 ネオダダとハイレッドセンター (反芸術: 1960頃-) 第4章 もの派、概念派、美共闘 (還元主義: 1965頃-) 第5章 ニューウェーヴあるいは新表現主義 (ポストモダニズム: 1980頃-) 第6章 東京シミュレーショニズム前後 (ネオポップ: 1990頃-) 第7章 2000年代Jアートシーン (超平面: 2000頃-) |
歴史は、個人の視点から主観的かつ能動的にとらえられるべきものであると主張し実践した書。/ ポストモダニズムもモダニズムとして解釈し、近現代美術史全体を「死を繰り返すモダニズム史」として記載した。(書名の「近代」の語は、近代を超克して現代が始まるという史観の拒否に由来。) / 1980年代の日本では美術よりサブカルチャーの方が見るべきものがあったとして、当時の日本のイラストレーション史を、西洋近現代美術史に接続して記載した。(その渦中にいた著者は、本書上梓後に肩書をアーティストからイラストレーターに変更した。) / 本書自体は、美術史書というよりは、「美術史書のシミュラクル」のつもりだった。しかし刊行後、わかりやすい美術史書として広く読まれたというハイパーリアルな現象が起きた。(2004年の時点で第12刷、通算12000冊。) / 本書自体が「手書き」と「手描き」によって、権威を相対化する悪意を含んだ技法としての「ヘタうま」の作品であった。(「美術史は印象派から始まる」という本書の出だしは、本書自体が「ヘタうま」的存在であることの布石。) | 「美術史は理論である」と主張。すなわち事象を個別に見るのではなく、歴史を普遍法則の顕現と見る「歴史法則主義」にもとづいて美術史を記載。(芸術学における「芸術意志」の拡大解釈。) / 理論の一つ目は、現在に連なる絵画史を色彩主義と形態主義の間断ない対立と見ること。(著者は1990年代前半にCGイラストレーターだった体験と、3DCGソフトウェア開発ならびに同特許を取得した体験から、デジタル世界にも存在するこの対立を過去のアナログ世界に逆算する形で再解釈した。) / 理論の二つ目は、中世終焉以降の美術史を同語反復に至る「意味の喪失史」と見て、「権威の喪失史」としての政治史と連動したと見ること。/ 一人称文体を契機として、独自の自説を随所に挿入した。/ 本書に隠されたもうひとつの目的は、著者の美術家としての美術作品を、本書を通して解説することだった。すなわち、個々の画家が一人称文体によって著者を介して語る言葉は、著者が画家たちに語らせた自作解説ともなっている。(著者は1997年に肩書を美術家に変更し色彩論にもとづく作品を発表し、2000年から「方法主義」を唱えて同語反復の復権を目論んでいる。) / 手描きのCG図版は一人称文体に対応。 | ナショナリズムの問題を、アイデンティティに関わる問題として著者自身が直視するために本書を執筆。すなわち日本人でありながら、西洋出自の美術に、美術家として主体的に関わろうとすること自体が内包する問題を、敗戦以来の自国の美術史から位置づけようとするもの。(著者の米国滞在経験も関係。) / その問題は「美術をするのに日本というくくりは必要なのか」という問いに帰着するが、逆に言えばこの問いこそが日本というくくりの存在を露呈している。(ちなみにこの問いに対する著者の答は「不要」。) / 第二次大戦後に覇権を握ったアメリカを「中心」として認め、日本をそれに対する「地方」すなわち相対性の場と認めた上で、そのような相対性の場で、主体性をもつ表現が可能かどうかがテーマ。(ちなみに著者は「不可能」と考えている。) / 他方では、相対性の場という視点から逆算する形で、日本現代美術史を歴史法則主義によって記載することを可能とし、実践した書である。/ 日本の置かれた相対性という場を表す最適な手法として、日本語と英語で記載。 |