方法 第17号 2002年11月3日発行 日本語訳
ゲスト=野村誠
機関誌「方法」は、転送自由のEメール隔月刊誌です。その目的は、方法絵画、方法詩、方法音楽などの方法芸術の探求と誌上発表です。受信に差し支えあるようでしたらご連絡ください。ご希望に添えるようにいたします。
- 「方法」同人: 中ザワヒデキ(美術家)、松井茂(詩人)、三輪眞弘(作曲家)
- 方法主義宣言 http://aloalo.co.jp/nakazawa/method/
- 日本語訳 http://aloalo.co.jp/nakazawa/method/index_j.html
巻頭言 三輪眞弘
ゲスト原稿:
しょうぎ作曲(1999) 野村誠
ゲスト作品:
「しょうぎ作曲」楽譜 野村誠
同人原稿:
外観:ユークリッド幾何学からトポロジーへ 中ザワヒデキ
詩を書く機械 松井茂
新しい宗教をつくる 三輪眞弘
同人作品:
正六面体型回路第二番 中ザワヒデキ
量子詩第50〜60番 松井茂
ハープのための「総ての時間」より、フラグメント 三輪眞弘
お知らせ、編集後記
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方法 第17号 ゲスト=野村誠 日本語訳
巻頭言 三輪眞弘
今回のゲストは日本の音楽界で最もユニークな活動を続ける作曲家の一人である野村誠さんである。例えば彼が近年続けている、集団作曲の試み「しょうぎ作曲」は、その明確なルールだけに注目するならば「方法」音楽そのものとさえ位置づけられるものだろう。しかしそのような知的な挑戦を誇示するのではなく、あくまでも音楽が本来持つ(持っていた)悦びを追求する姿勢に彼の魅力はある。それは発音する悦び、物語る悦び、音楽の持続の中で世界が変化していくことに驚く悦びなのだ。それらの快楽はまさに方法主義の禁ずるところだが、彼の音楽は、身体だけが知っていることを行為として構造化する、その手際が単なる快楽の追求に終始しない点にある。
P-blot http://www.arts-calendar.co.jp/P-blot.html
ゲスト原稿と作品:
しょうぎ作曲(1999) 野村誠
しょうぎ作曲は、音楽的背景も音楽的能力もそれぞれに違った人たちによる共同作曲のレシピのようなものです。テーブルを囲んでするカード遊びに似ています。テーブルを囲んだ数人の演奏家が、カード遊びの代わりに、短いパッセージを次々に作曲していきます。どうぞ、新しい面白い音楽づくりを楽しんでください!
1)演奏家の人数
しょうぎ作曲には少なくともふたりは必要です。理論上は10人以上でもできますが、人数が増えるにつれて時間もかかります。実際には3人から6人ほどが適当です。演奏家は楽器か何か音の出るものをそれぞれ用意します。
2)紙と色ペン/色鉛筆など
しょうぎ作曲のために、音楽を書きとめる紙を用意しなければなりません。演奏家は自分のやり方で音楽を書いていいのですから、もちろん五線譜である必要はありません。画用紙でも、不要のカレンダーでもポスターでも何でもいいのです。
色ペンか色鉛筆なども用意します。各人それぞれ1色を選び、いつもその色だけ使います。
作曲が終わったとき、その紙は楽譜であると同時に芸術的な絵でもあるのです。
3)進行過程
まず、誰から始め、どちらに回るかを決めます。それから、最初の人が自分の楽器などで自分のパートの作曲を始めます。作曲が終わったら、それを紙に色ペンか色鉛筆で自分のやり方で書きます。ただし、後で思い出せるやり方で書きとめてください。演奏のしかたを絵に書いてもいいし、文章でもいいし、何でもいいのです。書き終わったらすぐに次の人に紙を手渡し、さきほど自分の作曲したパートを弾き出して、再び自分のところに戻ってくるまでそれを弾き続けます。
同様に、次の人は最初のパートに合うような別のパートを作曲して、紙にすでに書いてある最初のパートの隣に自分のやり方で書きとめます。紙を次の人に手渡して、再び自分のところに戻ってくるまで自分のパートを弾き続けます。
この過程を同じように続けます。最後の人が書き終えたら、それを最初の人に手渡します。そうしたら、最初の人は演奏を止めて他のみんなが弾いている音を聴き、それに合うようなパートを新たに作曲して紙に書き、次の人に手渡し、再び自分のところに戻ってくるまで新たなパートを弾き続けます。
この過程を同じように続けます。書いたものが他人に分からなくても構いません。後で自分が理解できて弾ければ、どんな書き方でもいいのです。
各々のパートも同じ長さである必要はありません。例えば、最初の人が4/4拍子で4小節のフレーズを作曲した場合、次の人が7/8拍子の2小節のフレーズをつくってもいいし、10秒の図式のパートを描いてもいいのです。
この過程を紙に余白がなくなるまで途切れずに続けます。紙に余白がなくなったら、作曲は終わりです。紙に余白がある間は止めないでください。どうしてもトイレに行きたくなったら、自分が作曲する番まで待ってください。自分の番の時だけ、すばやくトイレに行くことができます。音楽的な理由から、作曲中の中断は絶対によくないのです。
4)演奏
演奏するにあたって、まず最初の人が自分の最初のパートを弾きだし、次の人に紙を手渡します。そしたら次の人は自分の最初のパートを弾きだし、その次の人に紙を手渡します。同様にして、全員が各自のすべてのパートを弾くまで続けてください。
演奏する前に、どのように音楽を終えるか相談して決めましょう。よい演奏ができるように、しょうぎ作曲でつくった自分の曲を演奏前に何度も練習してください。
例えば、作曲に2時間かかったとしても、たったの6分で演奏できたりします。
各々の演奏者にその紙をコピーしてあげてもいいでしょう。
「しょうぎ作曲」楽譜 野村誠
http://aloalo.co.jp/nakazawa/method/g017nomura.html
記譜されたしょうぎ作曲の楽譜の数例。
同人原稿と作品:
外観:ユークリッド幾何学からトポロジーへ 中ザワヒデキ
どの芸術も論理と感覚の双方に関係するが、方法芸術は感覚より論理に関係する。例えば、通常の美術は視覚が決定する外観に厳しく支配されているが、方法美術は外観の支配を常に受けているわけではない。むしろそれは、方法や構造や論理の厳しい支配を受けている。方法芸術の追求は感覚を捨て論理を選び取ることだが、それは、幾何学用語を使うなら「ユークリッド幾何学からトポロジー(位相数学)へ」ということである。
電池と豆電球と、それらをつなぐコード2本から成る単純な電気回路を想定してみよう(*1)。もしこの回路が通常の美術作品ならば、コードが5インチの長さか7インチの長さかということは重大な問題である。なぜならそれらは異なる視覚的外観だからだ。しかしこの回路が方法美術作品ならば、5インチか7インチかということは重大な問題ではない。なぜならそれらは同じ方法や構造や論理、すなわち同じ電流、同じ電圧だからだ。これら二つの立場は次のように説明できる:通常の美術は形のみならず量を扱うユークリッド幾何学の支配を受けるが、方法美術は形のみを扱うトポロジーの支配を受ける。
CGはより卑近な一例だろう。もしあなたが通常の美術家ならば、あるCGデータを5インチ角に出力するか7インチ角に出力するかは重大な問題である。なぜならそれらは異なる視覚的外観、すなわち異なる量だからだ。しかしあなたが方法美術家ならば、5インチ角か7インチ角かは重大な問題ではない。なぜならそれらはCGデータとしては、すなわち形としては、全く同じだからだ。
あるいは、私の美術作品のいくつかはテキスト仕様である。もし私が通常の美術家ならば、どの書体を使うかは重大な問題である。なぜならそれらは異なる視覚的外観だからだ。しかし私が方法美術家ならば、書体は重大な問題ではない。なぜならそれらは同じ文字列だからだ。これはもうひとつのユークリッド幾何学とトポロジーの例である。修飾はユークリッド幾何学だが、順序はトポロジーだ。
私は、この議論は美術以外にも適用可能であると考えている。例えば、音楽の演奏はユークリッド幾何学だが、音楽の作曲はトポロジーである。
(*1) 私の美術作品の新作に「回路」シリーズがある。
詩を書く機械 松井茂
詩の始まりには神がいた。神は、不可知の外界の擬人化だ。人間の予測を超えた現象は、神の意志の表現とされた。たとえば、自然現象は、神の意志の表現だった。だから、自然の変化や季節について書くことは、神の意志を知ることだった。そして、神の意志を文章化したものが詩と呼ばれた。神の言葉は、日常語とは異なる構造を必要とした。
日本の古代においては、音数律と反復が神の言葉の主な特徴とされた。その結果、神の意志を知るための詩型が完成した。日本の伝統詩、和歌、である。神の意志を文章化し一般人に伝えることは、祭政一致の時代では、宗教家と政治家の仕事だ。古代日本では、それは天皇とその周辺の貴族たちだった。だから、彼らは詩を作るようになった。
神の意志は、季節の移り変わりや葬送といった年中行事の際に文章化された。そして、それらの表現は自ずと類型化する。ゆえに時を経るにしたがって、定型はドグマとなる。例えば、自然現象A'の時はAの詩が書かれ、自然現象B'の時はBという詩が書かれる。詩の定型は、関数のようになった。神の意志は、定型にしたがってオートマチックで詩に変換される。神の意志の表現は固定した。天皇と貴族は、神の意志を知る目的でなく、自分の存在を保障する目的で詩を書くようになる。しかし20世紀に神は死んだ。日本では1946年に天皇が自らの神格を否定した。つまり、詩も死んだ。しかし、形式と行為は伝統として残った。この歴史上にいる私が詩に関わるとすれば、その伝統形式と行為の一部になるしかない。ゆえに、私は詩を書く機械となった。
新しい宗教をつくる 三輪眞弘
ある人が「宗教を信じている人が羨ましい。私も心から何かを信じてみたい」と言った。この発言の不思議さは、そもそも信じるという言葉の意味が、主体がある対象に対して働きかけるという他動詞の定義を越えているところから来ている。つまり「信じる」とはそもそも能動的なものでも意識的なものでもなく、疑いを持てない状態に陥っていることを指しているからである。そして彼は、自分が宗教的な何かを信じていないことを信じているのである。
同様に、インターネット上に流れ続ける出所不明のストリーミング・データが神からのメッセージであると信じるか信じないかもまた、それに対する科学的な説明が可能であるかどうかの問題ではない。IPアドレスが調べられ、出所不明だったはずのデータが何者かによって意図的に生成されていたということが明らかにされたとしても、信じている人は、それは神が彼を遣わしてやらせたことなのだと説明するだけである。更に言えば、人間の理解を越えたもの(神)に操られているのだから、データを流している本人さえそのことを知らず、「これは私が考えた新しい音楽の発表形態なのだ」と信じきっていることもあり得るのだ。しかし、そのような彼の行動についての説明をひとたび彼自身が疑い、それが、あり得るひとつの解説にすぎず、また、人は自分の意志なるものによって動いている、という信仰から生まれたものでしかなかったことに気付く時、彼は日々の行いのほんとうの意味を悟り、そこに宗教は生まれるだろう。
(*1) 「信じる」は英語ではある場合には自動詞だが、日本語では常に他動詞である。
(*2) 参考: 新しい時代、布教放送 http://www.The-New-Era.org/
正六面体型回路第二番 中ザワヒデキ
http://aloalo.co.jp/nakazawa/method/work017.html
電池は権威、電球は意味、そして回路は権威を意味へと受肉する装置である。シリーズ「回路」は点や色ではなく、線や形を扱っている。「回路第二番」の形はトポロジー的には正六面体(立方体)と合同だ。二個の電池の存在は権威の複数性を象徴するが、それは、美術の文脈ではコラージュということである。
量子詩第50〜60番 松井茂
http://www11.u-page.so-net.ne.jp/td5/shigeru/QuantumPoem.html
9月3日から10月27日までの作品。
ハープのための「総ての時間」より、フラグメント 三輪眞弘
http://www.iamas.ac.jp/~mmiwa/F-AllTime.html
ハープ作品「総ての時間」のために書いた旋律を視覚化したものである。この作品におけるすべての音高は自己フィードバックするアルゴリズムのみによって生成されている。
参考:ハープのための「総ての時間」 http://www.iamas.ac.jp/~mmiwa/AllTime.html (日本語のみ)
お知らせ:
野村誠より
- 新譜CD「せみ」が12月にスタインハントからリリースされます。ジャワガムランのための「せみ」(2000) 、31人の箏アンサンブルのための「せみBongo」(2002)、21人によるしょうぎ作曲作品の「せみ小倉」(2002)の3曲です。
- Pブロッ(鍵盤ハーモニカ5重奏)のコンサートが2003年1月12日に東京の門仲天井ホールで、3月16日に奈良のさざんかホールで行われます。
- Pブロッの1stCDを3月にリリースします。
- 三味線とマリンバのための新曲が高田和子と通崎睦美によって3月8日に京都で初演されます。
- 箏デュエットのための新作も菊地奈緒子と市川慎によって2003年3月9日に初演されます。
中ザワヒデキより
- 現在ニューヨーク市のISCPに参加しています。一年間米国滞在予定です。
11月10日…アジア現代美術週間の一環としてのオープンスタジオ。
12月13-14日…ISCPオープンスタジオ展覧会。 http://www.iscp-nyc.org/
- 大阪のサイギャラリーで11月9日まで個展「集合」開催中。(名古屋のギャラリーセラーでの個展「回路」は11月2日に終了しました。) http://aloalo.co.jp/nakazawa/200210cellar&sai/
- 東京のレントゲンヴェルケで11月23日までグループ展「掌8」。
- 試論「第三の超現実主義、その矛盾 --アートセラピーの"可能性"?」フィルムアート社MOOK近日刊行(日本語のみ)。
- 海上宏美氏との往復書簡 第二信 蟋蟀蟋蟀 近日刊行(日本語のみ)。
松井茂より
- KitKat+に寄稿。 http://www2u.biglobe.ne.jp/~artbooks/kk/
- 水牛に寄稿。 http://www.ne.jp/asahi/suigyu/suigyu21/
- 2002年12月7日に東京で朗読の予定。 http://plaza13.mbn.or.jp/~rensyu/Reading.html
- 「方法詩について」うらわ美術館
「方法詩について」は、詩人と美術家による「融点・詩と彫刻による」展の関連イベント。パフォーマンスとレクチャーのプログラムを松井茂が構成した。
第1日:「方法詩とは何か?」2002年12月21日午後2時開演
第2日:「松井茂の詩による1時間」2003年1月5日午後2時開演
第3日:「朗読会 〜方法詩とその周辺〜」2003年1月19日午後2時開演
http://www11.u-page.so-net.ne.jp/td5/shigeru/info.html
三輪眞弘より
- 12月19日、オペラシティーリサイタルホールにて、フォルマント兄弟(三輪眞弘+左近田展康)作曲 独奏チェロとコンピュータのための“N市役所福祉局保育課業務日誌より” を世界初演! 中田 有(vc)
「方法」より
- イベント「方法詩について」…松井茂の情報参照。
- 既刊号 http://aloalo.co.jp/nakazawa/method/index_e.html
第16号までのゲスト:篠原資明、古屋俊彦、三輪眞弘、建畠晢、岡崎乾二郎、鈴木治行、石井辰彦、松澤宥、高橋悠治、田名部信、豊島重之、刀根康尚、豊嶋康子、クラーレンス・バルロー、ジョン・ソルト、村上隆。
- 本誌の購読申し込みは、同人までご連絡ください。
- 「方法」の活動を手伝ってくださるボランティアを募集しています。
編集後記:
今回で「方法」もメンバーの三輪眞弘が足立智美さんと交替してから、また英語版で出版しはじめてから5回目を迎えました。その間、個人の活動はもちろん第二回方法芸術祭や毎回のゲストとの出会いなどを通して方法主義は多くの人々に理解され、また批判されることができました。これらの手応えをひとつの財産として我々は現代社会における方法主義の方向を明確化させ、それをさらに発展させていけそうだと感じています。今後の展開にご期待ください!(MM)
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隔月機関誌「方法」第17号 2002年11月3日発行
発行:中ザワヒデキ、松井茂、三輪眞弘
nakazawa@aloalo.co.jp http://aloalo.co.jp/nakazawa/
shigeru@td5.so-net.ne.jp http://www11.u-page.so-net.ne.jp/td5/shigeru/
mmiwa@iamas.ac.jp http://www.iamas.ac.jp/~mmiwa/
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