方法 第13号 2002年3月3日発行 日本語訳
ゲスト=豊嶋康子
機関誌「方法」は、転送自由のEメール隔月刊誌です。その目的は、方法絵画、方法詩、方法音楽などの方法芸術の探求と誌上発表です。受信に差し支えあるようでしたらご連絡ください。ご希望に添えるようにいたします。
- 「方法」同人: 中ザワヒデキ(美術家)、松井茂(詩人)、三輪眞弘(作曲家)
- 方法主義宣言 http://aloalo.co.jp/nakazawa/method/
- 日本語訳 http://aloalo.co.jp/nakazawa/method/index_j.html
英語での刊行 中ザワヒデキ
ゲスト原稿:
人称空間 豊嶋康子
ゲスト作品:
Saving Figures 豊嶋康子
同人原稿:
色彩ドットの代わりの記号 中ザワヒデキ
詩の純化 松井茂
「あり得たかもしれない」音楽 三輪眞弘
同人作品:
180個の回文数から成る集合(集合第三番) 中ザワヒデキ
0225〜0301 松井茂
新しい時代、布教放送 三輪眞弘
お知らせ、編集後記
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方法 第13号 ゲスト=豊嶋康子 日本語訳
英語での刊行 中ザワヒデキ
本号は英語による機関誌「方法」の最初の号です。今まで本誌は日本語のみで刊行されてきましたが、この第13号からは英語で刊行します。日本語訳は上記のウェブページにあります。
さらに、足立智美が同人から脱退し、三輪眞弘が代わりに加入したことも、この場でご報告しなければなりません。方法主義第二宣言の起草者である足立は、二年もの間、同人でした。方法主義第三宣言の起草立会者である三輪は、本誌第3号に初の音楽家ゲストとして登場いただいた方でもあります。
さて今回、脚光を浴びる日本のコンセプチュアルアーティスト、豊嶋康子をご紹介できることを嬉しく思います。「ミニ投資」などの彼女の作品に、しばしばわれわれがスリルを感じてしまうのは、それが美術であるという証拠を作品の内に全く見つけることができないからです。かといってそれらは、反芸術というわけでもありません。むしろ私は、証拠がないにもかかわらず、あるいは証拠がないがゆえに、それらの作品を美術の核心であるとさえ考えているのです。
- 豊嶋康子 http://www.h3.dion.ne.jp/~yasukoto/
ゲスト原稿と作品:
人称空間 豊嶋康子
1996年、過去の市民運動の手法としての「一株運動」を偶然知り、合法闘争とされたその論理そのものに物事の認識の仕方、事象との関わり方の好例をみた思いがしました。自分が相反するものと捉えていた対象の一部分になることによって、事象の全方位を理解しつくすという仕組みです。その整合性を確信した私は同年証券会社に口座を開設し、私個人の作品として「ミニ投資」を開始しました。利ザヤ目的でなく、自分の身体の一部分のように株を維持し続けるものです。自分自身とあらゆる現象とを理解するために、アーティスト自身が個人投資家になることはこの資本主義社会を生きるうえで論理的に正しい方法です。それは私達自身が私達の価値、定義付けを、無意識のうちに既にしているということを実証することになります。機関投資家に替わり、アーティストは自分自身と状況のシステムを責任持って取り扱えるのです。
翌年の1997年には、山一証券や三洋証券の自主廃業、拓銀の破綻などが8件が相次いで発表されました。それらの一円になった株を1000株買い求めて1998年の最後の株主総会に参加した事は私自身若干予想を超える展開となり、それ以降の認識を深める契機になりました。私の引用した定式が、それ自体の構成上の理由によって破たんした場合こそ、私の意図は成功したと捉えるべきなのです。非体系的(unsystematic)な領域の出来事というものは存在しません。なぜならその非体系性それ自体はそのsystemの一部分に過ぎないからです。
1996年からは銀行に口座を作り続ける「口座開設」という作品も始めています。証券会社でつくった「口座」という言葉から連鎖的に銀行を思い出し現在迄に55の口座作りましたが、相次ぐ統廃合により、同じ銀行に複数口座を持つという事態に変容し始めています。
「art」とは、現実的なものから偶像的なものへ、特定のものから普遍的なものへ、集合的なものから、個人的なものへ、またはそれらの逆方向に循環させる装置の代名詞です。
ご存知のように、「art」は新たな論理を発見したり創りあげたりすることはできません。既にある論理の一部分を実証するだけです。私達がいかに蝕知しがたい私達の内部/外部の習慣をトレースしているかを逆説的に指し示す役割を担うことによってのみ、その存在価値を確認できるのです。
Saving Figures 豊嶋康子
http://www.h3.dion.ne.jp/~yasukoto/sv.html
数字を保留する目的で、今現在は使われていない、ハイパーインフレ−ション時に発行されたお金を収集しています。今回提示するのはユーゴスラビアのアーティストから頂いた、1億ディナール紙幣や5億デイナール紙幣などです。ミロシェビッチ政権のインフレ政策で1993年に発行されました。(他国のこの類いの貨幣をお持ちの方、ぜひお譲りください。連絡先:yasukotoyoshima@hotmail.com )
同人原稿と作品:
色彩ドットの代わりの記号 中ザワヒデキ
ビットマップ・コンピュータグラフィックス(CG)の構造は単純である。それは色彩のピクセルドットの集積にすぎない。ビットマップCGにおける白のカンバスは、白いドットの集積である。何かを赤く塗るということは、該当するドットの色を白から赤へと変更するということである。ビットマップCGの画像は、白と赤の差異のような、ドットの色彩における差異が立ち現れたものである。従って、ビットマップCGの構造は二つの特徴を兼ね備えるといえる。ひとつはドットの多数性であり、もうひとつはドットの多種性だ。
印象主義の理論も同様である。一枚の印象派絵画は、筆触、すなわち色彩ドットの集積だ。印象主義の極限としてのスーラの点描を思い出せ。いわゆる筆触分割とはドットの多数性のことであり、色彩分割とはドットの多種性のことである。
われわれはこの理論をヴェネツィア派絵画に適用することができるのみならず、デモクリトスの原子論的世界観にもできる。世界の構造は原子の集積であり、木と鉄はそれぞれ違った原子からできているのだ。原子論の本質も、多数性と多種性だ。そう、ヴェネツィア派からビットマップCGに至る色彩絵画の理論は、その構造において、原子論とつながっている。
私は作品に、数字、文字、硬貨、分銅等といった記号を、色彩ドットの代わりに使用している。私の作品は記号の集積であり、その記号は、相異なるいくつかの記号を含んでいる。従って、私の作品の構造は色彩絵画と同じである。多数性と多種性だ。
色彩を考えるにあたっては、二通りの立脚点があることを指摘しておこう。ひとつは生理学への立脚で、もうひとつは構造への立脚である。前者は、たとえば赤というような、網膜的感覚のことである。もし前者に立脚するなら、赤のみで覆われた平面は、多数性と多種性を欠いているにもかかわらず、色彩絵画と呼ばれうる。もし後者に立脚するなら、記号の集積は、網膜感覚を欠いているにもかかわらず、色彩絵画と呼ばれうる。
私は、二十世紀の還元主義つまりモダニズムは、前者の追求しかしなかったと考えている。だがわれわれは今日、後者を追求すべきだ。というのは、「原子からビットへ」(ネグロポンテ)の時代にあっては、すべては記号、0と1からできているからだ。それが、色彩ドットの代わりにあるいは色彩ドットとして、私が記号を使用する理由だ。そしてそれが、私が自作を「今日の印象主義」と標榜する理由なのである。
詩の純化 松井茂
詩とは何か? 昔から世界中で絶えず繰り返されている問いだ。問うこと自体が詩であるかのようだが、問いと同じくらい昔から常識とされていることが二つある。ある人が言う「詩とは韻律」だと。またある人が言う「詩とは抒情」だと。
詩の韻律とは、視覚や聴覚を構造化した記号を選択することだ。これは、詩に用いる文字を選ぶ方法である。
詩の抒情とは、物語的な時間を構造化した記号の順序だ。これは、詩の文字列を作り出す方法である。
言うまでもないが、詩の記号は、我々が日常用いる言語とは異なる。言い換えれば、詩の意味は、文字通り書かれた言葉の意味とは異なる。普遍の形式こそが詩の意味なのだ。
抒情と韻律による普遍の形式を詩と定義することができる。私は、その定義で「純粋詩」という作品を製作し続けている。この作品は詩の最小限の原理で製作されているが、最大限の意味にリアライゼーションされる可能性を持っている。「純粋詩」の意味は、他のあらあゆる詩よりも可能性をはらんでいる。
私は、2001年1月7日以来「純粋詩」を製作し続けている。2002年3月1日現在、27編発表されている。各詩編のタイトルは、製作期間を付している。例えば、最新作は「0225〜0301」となる。それぞれの1編は、当初、漢字によって書かれた400文字で構成されていた。用いた漢字は「1」「2」「3」。それらは、書く行為と文字自体の意味が一致した純粋な文字ということができるだろう。漢字の「1」は1本の水平の線分である。「2」は2本の水平の線分である。「3」は3本の水平の線分である。
今年から、翻訳の問題を解消するために、私は、漢字を用いることをやめ、ローマ数字の垂直の線分「I」「II」「III」を用い始めた。これによって、漢字は象徴性を保ったまま国際的な文字列に変換される。
3種の記号で構成された400文字は、20マス×20マスを1単位とする日本の原稿用紙上に配列されている。ゆえに、書く行為は日本文学の感覚と照応する。日本文学の時空間は正方形なのだ。文字列は水平から垂直に変化するのに対して、正方形は永久不変だ。
「純粋詩」は国際的な文字列と日本的形式で構成されている。
「あり得たかもしれない」音楽 三輪眞弘
随分前にぼくは自分から「方法音楽、はじめました」というメッセージを中ザワさんに送ったことがあった。ハープのための作品「すべての時間」を完成させた時のことだ。なぜそう考えたのかといえば、「方法主義宣言」で語られている定義はよそに、まずはこの作品が純粋にコンピュータ・アルゴリズムで作曲されたものだったからにすぎない。乱数すら使わず、初期値が決まれば曲全体(永遠、あるいは2昼夜続くことになっている)のピッチはもちろんリズムまで、楽譜に定着されるべきすべてが決まってしまう音選びの規則をぼくはこの作品で考えた。
ぼくがハーピストに渡した楽譜は西洋の伝統的な記譜法で音符が記され、誰が見てもある作曲家が創った作品だと思ってくれただろう。しかし、実はこれはもう普通の意味では音楽ではないし作曲とは言えないのかもしれない。それはただ、ハープという音の出る道具を使ってこのように行為せよ、と示した覚え書きである。それが音楽と呼ばれるものになるのかを約束しようとはしていない。そしてぼくは、ハーピストの行為を指定する基本原理をコンピュータ・テクノロジーを使ってみつけた誰かである。それでも、ぼくがこの地上にそのような音楽が「あり得たかもしれない」と確信できればそれは、少なくともぼくにとっては音楽なのである。「あり得たかもしれない 音楽」と言う時、その前提は演奏可能であるということと、コンピュータなどを使わなくてもこの世の誰かが思いつくことが可能だった原理を持っているということである。即ち「あり得たかもしれない」音楽であるためには人間に実現可能な(演奏)行為の仕組みがなければならない。それは、もしかしたらコンピュータがなくても地上のある民族が行っていたかもしれない音楽や伝統、考え方を考えることでもある。
しかし、カオスやフラクタルの基礎理論は紙と鉛筆で考えることができても実際の研究はコンピュータが生まれなくては進まなかったように、今ぼくが考えているこの「方法音楽」もそのような意味でテクノロジーによってはじめて可能になる新しい、演奏規則にのみ着目した音楽であり、それは行為の「方法」によって音楽を考えてみることでもある。
180個の回文数から成る集合(集合第三番) 中ザワヒデキ
http://aloalo.co.jp/nakazawa/method/work013.html
この集合を作成するにあたって、私は単純な規則を用いて「12321」のような回文数を180個抽出した。これは数の集積であり、またこれらの数は互いに異なってもいる。ここで、各々の数が色彩の筆触であると考えてみてほしい。赤や青のような実際の生理学的色彩を欠いているにもかかわらず、ある種の論理的色彩感覚を、あなたは想像できるだろうか?
0225〜0301 松井茂
http://www11.u-page.so-net.ne.jp/td5/shigeru/no027.html
この作品は「純粋詩」シリーズの27作目。
新しい時代、布教放送 三輪眞弘
http://www.The-New-Era.org/
アルゴリズムによる作曲の究極の表現形態をいつも考えていた。その答えとして永遠に音を生成し続けるコンピュータからの出力をそのままライブ放送(ストリーミング)するという試みがぼくを魅了してやまない。ドメインの命名から3台のコンピュータ上で24時間稼働し続ける複数のデーモンの設定まで、この放送システム全体でひとつの作品なのである。
お知らせ:
豊嶋康子より
- 「マガジンプロジェクト メルボルン-東京」3月14日(木)〜4月21日(日) ナディッフ(東京)、CCP(メルボルン) 。企画:ラリッサ・ホース、大友恵理、平野到。アーティスト:マルティーン・コロンプト、 キャンディ・ファクトリー、ラリッサ・ホース、守章、ナタ−シャ・ジョーンズ-メッセンジャー、サキサトム、マサト・タカサカ、豊嶋康子。雑誌の発行と巡回展。
-「ひとりのために」6月3日(月)〜25日(火)サイギャラリー(大阪)、6月8日(土)〜30日(日)メディアショップ(京都)。企画:箭内新一。アーティスト:イチハラヒロコ(日本)、ノエル・カプンズ(オランダ)、アン・ズイーバ(ドイツ)、豊嶋康子(日本)。コラボレーション・グル−プ展。 http://www.table-b.net/2s_yanai_e.htm
中ザワヒデキより
-「プログラム・シード」3月8日-24日 京都芸術センター …149101枚の硬貨を使った新作発表予定。コンサートに関しては「方法」からのお知らせ参照。
- 個展 4月6日-27日 ギャラリーセラー(名古屋)
-「日韓現代版画展」5月17日-6月9日 ギャラリーOM(横浜) 草間彌生、金享大、他と出品。
-「春の常設展」北九州市立美術館
- 高橋悠治が私のピアノ作品を弾きます。4月16日 カザルスホール
- 松井茂、他によって私の作品がリアライゼーションされます。同氏からのお知らせ参照。
- 美術手帖2月号に松澤宥作家論を、3月号に実験工房展と瀧口修造展の展評を執筆。
- 美學校にて講座「方法主義宣言」5月-7月。
- ビットマップ3Dソフト「デジタルネンド」Mac版が現在無料で入手できます。
- 詳細 http://aloalo.co.jp/nakazawa/info_e.html
松井茂より
-「現代詩手帖」3月号で新川貴詩と対談掲載
- 水牛に寄稿 http://www.ne.jp/asahi/suigyu/suigyu21/
- 出品「Poetic Free」3月9日 http://homepage2.nifty.com/poeticfree/
- 出品「オキュルスヴィジュアルポエトリ−ビエンナーレ2002」5月15〜25日
- コンサート 詳細は近日発表。
三輪眞弘より
- 今、明らかにされる布教放送のすべて!インタビューon 「サウンド&レコーディング」3月号
- 3月30日、代官山クラシックス、木ノ脇道元CD発売記念コンサートで、「極東の架空の島の唄II」が10年ぶりに再演!
- 新CD2タイトル、「言葉の影、またはアレルヤ」、「新しい時代信徒歌曲集」タワーレコード(新宿、渋谷、心斎橋店)、ナディッフで発売中
- 詳しくは、http://www.iamas.ac.jp/~mmiwa/ToDo.html
「方法」より
- 三輪眞弘+中ザワヒデキ「方法音楽コンサート&トーク」(「プログラム・シード」関連イベント)3月24日1:00-3:00 pm 京都芸術センター講堂 入場無料。出演:三輪眞弘(作曲家)、中ザワヒデキ(美術家)、天野一夫(京都造形芸術大学助教授/トークのみ)。…三輪は「流星礼拝」決行、中ザワは単旋律の新曲発表予定。
- 「第二回方法芸術祭」4月に東京で開催。詳細は同人のウェブページで近日発表予定。
- 既刊号は日本語から翻訳中です。参照 http://aloalo.co.jp/nakazawa/method/index_e.html
第12号までのゲスト:篠原資明、古屋俊彦、三輪眞弘、建畠晢、岡崎乾二郎、鈴木治行、石井辰彦、松澤宥、高橋悠治、田名部信、豊島重之、刀根康尚。
- 本誌の購読申し込みは、同人までご連絡ください。
編集後記:
英語での出版は想像していたよりはるかに大変でした! こんな苦労をしてまで英語を採用しましたが、それは母国語を捨てるということを意味しません。他国語を通じて、自国語をさらに発見できると考えています……ちょうど、方法詩人が方法音楽を作曲できるように。ともかくわれわれは、方法芸術をより国際的に追求したいのです。(HN)
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隔月機関誌「方法」第13号 2002年3月3日発行
発行:中ザワヒデキ、松井茂、三輪眞弘
nakazawa@aloalo.co.jp http://aloalo.co.jp/nakazawa/
shigeru@td5.so-net.ne.jp http://www11.u-page.so-net.ne.jp/td5/shigeru/
mmiwa@iamas.ac.jp http://www.iamas.ac.jp/~mmiwa/
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