方法 第11号 2001年11月3日発行 ゲスト=豊島重之 ほぼ隔月刊・配信誌「方法」は、方法絵画、方法詩、方法音楽などの方法芸術の 探求と誌上発表を目的として、電子メールで無料配信する転送自由の機関誌です。 不要な方、重複受信された方はご一報くだされば対処いたします。 * 方法主義宣言、同第二宣言 http://www.aloalo.co.jp/nakazawa/houhou/ * 方法 同人=中ザワヒデキ(美術家)、松井 茂(詩人)、足立智美(音楽家) 巻頭言 足立智美 ゲスト原稿 『方法主義宣言 04』 豊島重之 ゲスト作品 Into the Printed Undergrowth 豊島重之 同人原稿 芸術原理主義者の処世術 中ザワヒデキ Civilizationscape 松井 茂 再び芸術/政治について 足立智美 同人作品 1枚から7枚までの50円分の普通切手の組み合わせ表 中ザワヒデキ ダンス・アカデミックによる純粋詩 松井 茂 6つの楽器のためのエチュード 足立智美 お知らせ・編集後記 ↓ 以下、スクロールしてご覧ください ↓ ■■方法 第11号 ゲスト=豊島重之 巻頭言 足立智美 今号では、美術、詩、音楽以外のジャンルからの初めてのゲストとして、八戸 を拠点に劇団モレキュラーシアターを率いる演劇家の豊島重之氏を迎えました。 ジャンルの極点を垣間見せるその演劇もさりながら、『絶対演劇宣言』を始め、 実践と同じ比重で発せられるその言葉に私は幾度も刺激を受けてきました。「方 法演劇家」を名乗っての登場です。 イカノフ・ホームページ http://www.hi-net.ne.jp/icanof ■ゲスト原稿と作品 『方法主義宣言 04』 豊島重之(方法演劇家) (1)この一文を私は一人で書いている。さまざまな他者の言葉に接触して加速と失 速、蛇行と横転を繰り返しつつ書き継いでいる。そう言ってよければ、私は他者 や死者とともに書いている。しかし、それを方法とは言わない。(2)誰も一人で書 くほかなく、それがどんなに苛酷であっても、そしてその一人の内実がどんなに 複数的であったとしても、それを方法とは言わない。(4)ある一文を二人で書くこ と。それを方法と呼ぶ。(5)一人が「二人で」書き、もう一人もまた「二人で」書 く。それは共作でもコラボレーションでもない。二人で手分けして書き、それを 持ち寄って編集するという手合いとも違う。それは場の共有や面の分有とは異な る事態なのではないか。(9)言い換えれば「n—1」で書くこと。それを方法と呼 ぶ。(11)方法の「方」の字形は、二艘の小舟を並べて舳先を繋いだフォルムに由 来する。それゆえ「方」は、流れに抗して突き進む、今まさに割って入ろうとす る、といった原義をもつ。そこから時間空間血縁地縁に絡むさまざまな意味が派 生する。たとえば、四方の気を村はずれの境界に迎える古来の祭祀を「方」と称 するのも頷けるところであろう。「方」とは、気の衰えた時空を切開する刃物で あり、人知の及ばぬ異界に陥入されるゾンデなのだ。(12)こうして、方は「2」と して作動する。それは「2」であることによって、全ゆる次元に閃光のような亀裂 を走らせ、「2」を刻印していくのである。(13)この刻印された「2」、それこそ 方法の「法」にほかならない。法はもともと2という「数」を意味した。時空を二 分する、割る数、除法の基数のことだった。ところが、除法の一語が示す通り、 たちまち魔除けの意味合いが強化された。混沌を嫌って秩序に就き、非道を排し て道理を通す、というように。けれども、法の原義が、単に2という絶対数であっ たことを忘れるわけにはいかない。(21)方は「2」として作動するが、それはある 種、盲目的な作動であって、方そのものは2であることを知らないと言うべきだろ う。それを知るのが法である。「方-法」、それが2であり、二人で書くことの方 法性もまたそこにある。(22)「n—1」の1とは何か。言うまでもなく、それは正負 の符号を縦横に張り巡らされた「法」を意味する。「1」とは文字通り、一人で書 くことを吊り支えている統辞法、いわば内在と超越のシンタックスのことなのだ。 (24)要するに主体性、それが差し引かれた中空にこそ「方-法」は作動する。そし て、マイナスとハイフンの段違い平行棒めいた「主体制」の舳先を問うのだ。 (42)「n—1」という数式が使い古されたタームだとしても臆することはない。 「方-法」が見出されるのは、きまって掘り尽くされた定型の廃墟なのだから。 (44)カフカの「事実-観察」の書法。ヴィトキェーヴィチの定款の書法。ルーセル の推敲の書法。ベンヤミンの脚註の書法。そしてべケットの「5・9・5・6・4・6 ・7・7」や「6・6・6・5・6・5・7・7・7」、即ち畸型連歌とも散文的連句とも、 ただの中間数の散逸ともつかぬ「散数」の書法。(41)二人で、しかも「n—1」で 書くこと。それを「方-法」と呼ぶ。 Into the Printed Undergrowth 豊島重之 http://www.aloalo.co.jp/nakazawa/houhou/g011toshima.html ■同人原稿と作品 芸術原理主義者の処世術 中ザワヒデキ 「人生のための芸術」か「芸術のための芸術」かという議論は繰り返されてき た解決不能命題だ。にもかかわらず「人生のための芸術」が自明であるかのよう に、多くの芸術関係者が特に九月の同時テロ以降、芸術は社会や人生に有用と語 る。それは、単に米国での国威発揚や、逆に反戦を芸術で訴える場合にとどまら ない。以前からの表現活動をたゆみなく続ける姿勢自体まで、「芸術は善」とい う言説に取り込まれそうだ。「芸術のための芸術」の立場の私は危機感を覚える。 芸術はむしろ悪である。「芸術のための芸術」の語は背徳擁護にも働くし、未 来派は「世界で唯一の洗浄法である戦争、軍国主義、テロ、女性蔑視」を称賛し た。赤瀬川原平の模型千円札は、椹木野衣風には「芸術である、だけど犯罪であ る」。そして仏教原理主義者による地下鉄サリン事件は反芸術のハプニングを連 想させたし、イスラム原理主義者によるとされる今回のテロは、物心両面で世界 を変えた強烈な芸術と見ることもできる(WTCビルの映像を同時進行で見てい た私は、ペンタゴン炎上の第一報に、予定調和的世界の崩壊する戦慄を覚えた)。 芸術基礎論的見地から「人生のための芸術」を批判する私は、「芸術は悪」を 肯定する美術家だ。方法主義は人道でなく、論理に依拠する芸術原理主義である。 分銅を台秤に載せる私の作品は、日本でも米国でもアフガンでも変わらないし、 予定調和の欺瞞から逃れるためには、突然人々にEメール作品を送りつける。 だが私も他方ではテロの卑劣を憎み、戦禍に心を痛め、炭疽菌を恐れる市民で ある。飢餓にあえぐ反グローバリズムの地で、食材でなく分銅を台秤に載せるこ とに説得力を感じないし、文字化けのようなEメールは、芸術云々以前に迷惑だ。 美術家であることは市民であることに背反する。市民をやめて、かつての前衛 美術家のように自爆することは、しかし解決ではない。「人生のための芸術」と 「芸術のための芸術」が解決できないことが解決であるように、美術家と市民は 私の中に二者択一も止揚もされずに共存する。そして、それを処世術と言うので はないか? 多重人格の仮面によって、美術家として芸術原理主義を全うする。 Civilizationscape 松井 茂 “自由詩”と呼ばれる現代詩を書くことによって知ったことは、自由というも のが絶対的なものとしてあるわけでなく、相対的なものだということ。翻ってみ れば“定型詩”も現代においては絶対的なものではなく、相対的なものだ。 しかし、芸術は、どのような手続きを経ていようが、絶対的な存在とならざる を得ない。「無知の知」ではないが、作品はせめて「相対化を知っている絶対化」 としてありたいし、さらには「『相対化を知っている絶対化』を相対化すること を知っている絶対化」としてありたいし、さらにさらには……、という思考の途 上として、世界に提示されるべきだろう。 たんなる絶対化に立脚する芸術は、ポストモダニズムが招来したなんでもあり 的な状況に甘えた傲慢であり、帝国主義やテロと全く同じことだ。これらの芸術 を正当化するために掲げられる理念が“自由主義”であろうと“原理主義”であ ろうと、理念が絶対的である点においては同値の事象であり、そこには優劣も善 悪もない。いずれも狂信にすぎない。 たかが詩を書くくらいで、と言われるかもしれないが、一歩踏み外せば、詩人 の表現も、無知蒙昧で傲慢な態度として、侵略やテロと同値の事象となってしま うことは意識されるべきだ。つまり結果として、加害者となってしまう可能性の 大きさを常に意識すべきなのだ。 芸術は、侵略やテロと同値の事象を回避する方法を見出す行為として、そのメ タ的な事象として行われるべきである。とにかく今日現在の私には、自己の情動 に基づいた芸術を実行することに全くテロリズムを感じるし、それを忌避したい と思う。 ただし、自身が相対化をしているといくら断ったからといって、私の芸術作品 が、絶対化を免れているとは思わない。私はただ、未来永劫、絶えざる相対化を 持続し提示するのみだ。 再び芸術/政治について 足立智美 9月11日にニューヨークで起こったテロ、そしてそれに続く一連の出来事を芸 術論の地平で語ることは危険を伴う。具体的な危機に対する不安と躊躇を克服し たとしても、芸術の政治参加というそれ自体何ら非難されるべきでない言説に絡 めとられ、芸術論と政治学の素朴な混同に終わるか、政治参加の素朴さを嗤い芸 術の自律を説くことで、結局のところ言説を封じるだけに終わるか、どちらにし ても茶番じみた歴史の反復にすぎないのではなかろうか。反戦の署名運動に参加 したところで、それが芸術とどう関わるのか悩んでいる間に空爆は始まってしま う。芸術論として語らないことが、一番有効な戦略であるのかもしれず、しか し、芸術と生活と戦争がどう関係を結ぶかは結局問われないままである。 芸術の自律という徹底した無根拠は、しかしその無根拠をアリバイにすること で閉ざされたシステムに逃避する口実を与える。芸術は生活とも戦争とも関係が ない。まったくその通り。そういう自律によって現れる社会性だってある。しか しここには転倒がある。社会が先か、芸術が先か、社会がなくして芸術は存立す るか。芸術の無根拠は社会の無根拠として生きられた時に初めて意味=無意味を 獲得する。そう考えると、この数週間の悲惨な熱狂に抗する根拠=無根拠が与え られもしよう。 100年前のイタリアの未来派は社会のダイナミズムから芸術を捉え直し、その挙 げ句にファシズムと惨めな心中をした。やはりわれわれの進む道は芸術の政治化 でなければもちろん政治の芸術化でもない。あらゆる暴力に反対する芸術家は暴 力を必要としない社会モデルを芸術で提示すべきなのか。あるいは暴力の代替を 芸術に担わせるという考えだってあり、単純な反映論やカタルシス理論以外の芸 術理論をわれわれは持ち合わせているわけでもない。 芸術と社会というこの解決不可能な二項対立は、決して静的なものではなく、 相互がその否定性を媒介とするダイナミズムの中にある。私はそのダイナミズム の中に身を置こうとしている。 1枚から7枚までの50円分の普通切手の組み合わせ表 中ザワヒデキ http://www.aloalo.co.jp/nakazawa/houhou/houhou011.html 50円切手1枚でも、40円切手1枚と5円切手2枚でも、郵便はがきとして投 函できる。六月にギャラリーセラーで発表したシリーズ『普通切手』では、『a 枚から成る50円分の普通切手のb通り』の変数aに1から7までの数値を代入 し、bの和である443通りの郵便はがきを自宅から画廊宛に投函、展示した。 ダンス・アカデミックによる純粋詩 松井 茂 http://www11.u-page.so-net.ne.jp/td5/shigeru/ballet.html ダンス・アカデミック(クラシック・バレエ)の技法による「純粋詩」(0809〜 0909)( 0910〜1006)(1007〜1103)。三文字をひとつの組としてひとつのムー ブメントとする。三文字の一番目の文字を頭、二番目の文字を腕、三番目の文字 を脚のムーブメントとしている。 6つの楽器のためのエチュード 足立智美 http://www5.ocn.ne.jp/‾atomo/houhou/work11.html 写真。 ■お知らせ (豊島重之) ・豊島重之の新作公演が2002年1月に東京赤坂で行われます。題して「直下型演 劇 Perpendicular Theatre Directly Above Its Epicenter」公演。プラージュ (Plage)タイプとプリアージュ(Pliage)タイプの二作一挙上演という初の試み。 1月25日(金)7:30pm〜 26日(土)2pm〜/5:30pm〜 27日(日)1pm〜 計4ステージ。 会場は国際交流基金フォーラム(南北線溜池山王12番出口)。事前予約が必要です。 モレキュラー Molecular Theatre 090-2998-0224/fax 0178-45-9247 /mail(中ザワヒデキ) ・カナダ大使館ギャラリーの展示にお越しいただいた皆様有り難うございました。 http://apm.musabi.ac.jp/act/dia2001/ にインタビュー掲載予定。今回の原稿に も関係するEメール出品作 www.aloalo.co.jp/nakazawa/houhou/houhou006.html は「Z-kan」4号に解説があります www.zkai.co.jp/syoseki/hon/zkan04.html 。 ・「蟋蟀蟋蟀」最新号に演出家の海上宏美氏とのコアな往復書簡第一回が掲載さ れました。芸術批判のための芸術とは?等。問合 niwasei@gakusen.ac.jp ・個展予定…ユニットピット画廊(バンクーバー) "Method" 2001.11.16-12.8 ・展示中…病院ギャラリー(伊予三島):日曜のみ/500円/要予約090-1006-2628 ・発売中…西洋画人列伝(NTT出版)、近代美術史テキスト、作品パンフ(通販可) (松井 茂) ・「第4回ヴィジュアル・ポエジィ・パリ展」に作品出品 日程:2001.11/10〜11/24 日月休 場所:サテリット画廊 Galerie Satellite (足立智美) ・VACA(山田うん+足立智美)ヨーロッパ・ツアー 11.17. EXTERRITORIAL (ウィーン) 11.22. SPRITZENHAUS (ハンブルク) 11.26. galerie rachel haferkamp (ケルン) 11.29. les voutes (パリ) ・その他、詳しくは http://adachi_tomomi.tripod.co.jp/a/schedule.html ・ExMusica誌で演奏会評を担当します。とりあえず http://www.exmusica.com/ でその一部あるいは全部を読むことができます。 (方法) ・本誌既刊号は右にもあります。www.aloalo.co.jp/nakazawa/houhou/haisinsi/ 第10号までのゲスト……篠原資明、古屋俊彦、三輪眞弘、建畠晢、岡崎乾二郎、 鈴木治行、石井辰彦、松澤宥、高橋悠治、田名部信。 新規に配信を希望される方は、既刊号の要・不要を添えて同人まで連絡ください。 ■編集後記 期せずして今号の同人原稿はすべてテロ事件に関わるものとなりました。とは いえその扱い方は三者三様です。次号『方法 第12号』のゲストは、音楽家の 刀根康尚氏を予定しています。(足立) ■奥付・注意 機関配信誌『方法』 第11号 2001年11月3日発行(ほぼ隔月刊) 中ザワヒデキ nakazawa@aloalo.co.jp http://www.aloalo.co.jp/nakazawa/ 松井茂 shigeru@td5.so-net.ne.jp www11.u-page.so-net.ne.jp/td5/shigeru/ 足立智美 atomo@theia.ocn.ne.jp http://adachi_tomomi.tripod.co.jp/ 本誌は転送自由ですが、執筆者の著作権は放棄されていません。改ざんや盗用は 禁止します。転送は転送者名を明記の上、各自の良識のもとに行ってください。