方法 第9号 2001年7月7日発行 ゲスト=高橋悠治 ほぼ隔月刊・配信誌「方法」は、方法絵画、方法詩、方法音楽などの方法芸術の 探求と誌上発表を目的として、電子メールで無料配信する転送自由の機関誌です。 不要な方、重複受信された方はご一報くだされば対処いたします。 * 方法主義宣言、同第二宣言 http://www.aloalo.co.jp/nakazawa/houhou/ * 方法 同人=中ザワヒデキ(美術家)、松井 茂(詩人)、足立智美(音楽家) 巻頭言 足立智美 ゲスト原稿 方法から反方法へ 高橋悠治 ゲスト作品 て(楽譜) 高橋悠治 同人原稿 大根と分銅と筆触 中ザワヒデキ 複行詩・単行詩 松井 茂 アルゴリズムと即興について 足立智美 同人作品 「質量第一番〜第五番」組成表 中ザワヒデキ 272の顔文字による詩 松井 茂 朗読詩「せかんのしゅ」 足立智美 お知らせ・編集後記 ↓ 以下、スクロールしてご覧ください ↓ ■■方法 第9号 ゲスト=高橋悠治 巻頭言 足立智美 1992年から書き進められたエッセイ「音楽の反方法論序説」というタイトルに 端的に表れているように、高橋悠治氏の立場は(氏はそれが「立場」であること も否定されるでしょうが)反方法といってよいでしょう。しかし作曲家/ピアニ ストとしてだけではなく、その卓越した知性をもって各方面に多大な刺激を与え 続けている氏の思考は、ある時期には極めて方法的でさえありました。そして方 法から反方法、あるいは非方法へと描かれた軌跡が興味深いだけでなく、氏の言 葉には芸術という営みに対する根本的な問いかけがあるように思われます。 楽 http://www.ne.jp/asahi/gaku/gaku99/ 水牛 http://www.ne.jp/asahi/suigyu/suigyu21/ ■ゲスト原稿と作品 方法から反方法へ 高橋悠治 目標があれば、それに近づくための方法がある。ただしい方法とは、まちがわ ずに目標にたどりつく方法である。音楽をつくる方法は、結果として音楽が生ま れるような方法で、音楽は目標だとすれば、方法は音楽ではない。しかし、音楽 でない方法からどうして音楽をつくることができるのか。方法があつかうのは素 材である音で、音にさまざまな操作を加えると音楽になるのだろうか。では操作 される対象となる音は、どこにあるのだろう。 音はここにあるとか、そこにあるとか言えない。音はどこにもない。しかし、 音はないとは言えない。音はきこえる。音がきこえなくなったときはじめて、音 がきこえた時に音はあってもないものだとは言えなかったことがわかる。そのよ うにまた、音はあるのでもないのでもないとは言えないこともわかる。あるので もなく、ないのでもなく、あってないのでもなく、あるのでもないのでもない、 そういう音はきこえ、きこえた音はきこえなくなる。きこえるから音であり、き こえなくなるから音である。こうして音は、かってにふるまっている。きこえる 音をきかないことはできない。きこえない音をきくこともできない。 思うままにならない音を操作することはできない。操作しているのは音ではな く、音の概念だ。概念は名づけることができる、記号であらわすことができる、 紙に書くことができる。音は見えないが、概念は見えるからあつかいやすい。音 楽の方法論は、音や音楽がなくても論じられる、ないほうが論じやすい。方法は 増殖する。方法は発展する。方法は完成される。 音楽と方法の関係は、世界と知識の関係にどこか似ている。世界について知る ことは、世界を知ることではない。世界についての情報は、世界の部分に光をあ てる。世界の部分は世界だが、世界は部分ではない。部分でないものでもない。 部分と部分でないものをあわせたものでもない。情報は増殖するが、世界にはと どかない。世界を知ることは、世界について知っていることが世界ではないと知 ることだ。世界を知ることは、世界を生きることだ。知識の増殖ではなく、知識 をすてて、問い直すこと、その答をすて、その問いをすて、もう一度世界にきく こと、ここで世界は音楽の問題とつながる。はじめもおわりもない、決して完成 されず、とどめようもなく消えていく音楽だ。 て(楽譜) 高橋悠治 http://www.aloalo.co.jp/nakazawa/houhou/g009takahashif/te.pdf 1999年に和楽器グループ「糸」のために書いた、作品というより演奏プロセスの 提案。前半は各楽器の古典からのカットアップ、後半はペルシャ音楽の引用。最 後にジャワの神々が登場するときにとなえるマントラ。楽譜は、各楽器でちがう 伝統記譜法によって書かれている。 ■同人原稿と作品 大根と分銅と筆触 中ザワヒデキ 大根を台秤に載せて「この大根は○グラムだ」と述べることには、測定の意味 がある。しかし200グラムの分銅を台秤に載せても、目盛りが200グラムを 指すだけで、測定の意味がない。分銅が台秤に載っている光景はダダ的だ。 大根を一本一本台秤に載せて「この大根は○グラム」「その大根は○グラム」 と繰り返せば、測定の意味は並置される。この場合の並置は、印象主義の描法に 似ている。印象主義では「あの木陰は紫だ」「隣の灌木は青い」と一筆一筆繰り 返し、生理感覚的な意味を並置するからだ。しかし、分銅を一個一個台秤に載せ て「200グラムの分銅は200グラムである」「100グラムの分銅は100 グラムである」と繰り返したところで、測定の意味はやはりない。ところが無意 味の繰り返しの並置はあり、それは大根の時と同様、印象主義の描法に似る。 多数の大根を同時に台秤に載せて「大根○本で○グラムだ」と述べることにも、 測定の意味がある。この時、全体で「○グラム」という一つの数値となることは、 多数の筆触から成る絵画が一枚のカンバスであることに似ている。絵画は一枚の カンバス全体で、一つの絵画的意味を担うからだ。しかし、多数の分銅を同時に 台秤に載せても、目盛りが分銅の合計を指すだけで、測定の意味はやはりない。 ところが無意味な一つの数値とはなり、大根の時と同様、一枚のカンバスに似る。 先日の個展で私は、多数の分銅を台秤に載せて作品と宣した。ダダ的滑稽は自 明として、印象主義の描法とカンバスの単数性を、ダダ的無意味と同居させた。 私の興味は、無意味が有意味を召還すること以前の問題系にある。ダダイズムは オブジェやコラージュ、すなわち形態の単数性や少数性を基軸に展開し、画素の 多数性を旨とする印象主義の美学と対立した経緯があるのだ。しかし画素のレベ ルにおけるダダは、印象主義の描法とは矛盾せず、最終的な単数性をも獲得する。 多数の分銅を台秤に載せた作品は、印象主義的な絵画と反絵画の折衷ではない 本質的な同居を問題としている。その根底には、大根と分銅と筆触を同じ画素と して扱うことに違和感を覚えない、コンピュータ時代のリアリティがある。 複行詩・単行詩 松井 茂 「詩の純粋形式」について考えたいと思う。方法主義宣言にもあるように、 「詩は方法自体と化した文字列である」という命題のもとに出発する。 文字列には、複行と単行の分類がある。ゆえに詩にも、複行詩と単行詩の分類 がある。複行詩は、改行コードを用いた詩だ。単行詩は、改行コードを用いない 詩だ。改行コードを用いた詩は、原稿用紙上に配置された点である。改行コード を用いない詩は、原稿用紙上に引かれた線である。原稿用紙上に配置された点は、 その文字列の切断によって空間を点描する。原稿用紙上に引かれた線は、その文 字列の持続によって時間を構成する。空間を点描する詩の文字列は、物質となる。 時間を構成する詩の文字列は、事象となる。物質が点描する空間は、絵画に近づ く。事象が構成する時間は、音楽に近づく。絵画に近づいたひとつの物質は、新 たな文字となる。音楽に近づいたひとつの事象は、新たな韻律となる。ただし複 行詩は、改行コードを使うこと自体が方法であり目的であり「新たな文字」は、 純粋形式化の結果に過ぎない。ただし単行詩は、改行コードを使わないこと自体 が方法であり目的であり「新たな韻律」は、純粋形式化の結果に過ぎない。 以上のように「詩の純粋形式」を追求する際に、複行詩と単行詩という分類の もとで前者を視覚詩、後者を音響詩と理解することができる。これは、文字と音 の対応でもある。現在、詩を自由詩と定型詩に分類することが一般的だが、「詩 の純粋形式」から考えれば、複行詩=視覚詩と単行詩=音響詩の分類が正しいと 思える。さらに定義次第ではあるが、詩という形式がある時点で自由詩という語 は矛盾するのだから。 「詩の純粋形式」の追求の次の段階は、複行詩と単行詩のインターメディア化 ということではないかと思う。そこで思い出されるのは、篠原資明『さい遊記』 (1989)に所収の「蟹」。この作品は75文字75行、つまり1行1文字で書かれた作 品だ。今回の私の作品も、複行詩と単行詩のインターメディア化をテーマにした 作品だ。「新たな文字」による「新たな韻律」は映画に近づくといえるだろう。 アルゴリズムと即興について 足立智美 あるアルゴリズムがあって、そこに素材を代入すれば自動的に作品が産出され るという考えは、前世紀のモダニズム芸術でいくどもなく繰り返され、最終的に アルゴリズム自体が作品であるという考えにまでたどり着いた。こうして芸術は 再び無名性を帯びてくるように思えるが、実際にはアルゴリズムの作者はいつも 残っているし、仮にアルゴリズムの改変可能性を強調したところでそれはプログ ラムを書き換えるか、タブローに絵の具を付け足すかの違いに過ぎない。 もし素材が代入される項にすぎないなら、何も作品は記述、固定される必要は ない。その都度産み出されれば良いわけで、それは即興の方法論として利用でき る。その萌芽は1960年代にダンスの分野で興ったジャドソン派の活動に見て取れ る。例えばトリシャ・ブラウンのノートには任意の文章を運動の方向に変換する 即興の方法が記されている。ダンスはここでバレエの系譜の形式主義とダンカン から始まる反形式主義の対立を一時的に精算することになった。音楽の分野では 即興/作曲の2元論を脱するのにそれから10数年かかることになるのだが。 しかし固定した作品を作るためにアルゴリズムを用いる際と即興にアルゴリズ ムを用いる場合で異なるのは、即興の場合、アルゴリズムは単に改変可能なだけ でなく、不可避的に改変を強いられることであろう。例外事項に対処するために アルゴリズムは書き換えられなければならない。逆に言えば容易に改変できない ようなアルゴリズムは役に立たないのだ。こうしてアルゴリズムは成長していく がそれはあらゆる状況に対応できようになる、というよりある特定の状況に適応 していくといってよい。適応し過ぎたアルゴリズムは今度は捨てられるだろう。 現在の技術ではこのような自己自身を改変するアルゴリズムは身体の論理とし て獲得されるしかないように思われる。現実にはコンピュータはフィードバック 装置としてしか役に立たない。アルゴリズムは普遍でありながら常に個別の身体 においてしか立ち現れないという矛盾を抱え続けることだろう。それが生き延び るかどうかは訓練によらない伝達手段の獲得にかかっている。 「質量第一番〜第五番」組成表 中ザワヒデキ http://www.aloalo.co.jp/nakazawa/houhou/houhou009.html 五月に東京のレントゲンクンストラウムで発表したシリーズ『質量』においては、 『a個の分銅から成るbグラム』という個々の作品タイトルこそ内容である。変 数aとbに具体的数値を代入し、実体として展覧したのは、美術展というある種 の儀式にそぐわせるための方便にすぎない。これは、その方便に使用した表組み。 272の顔文字による詩 松井 茂 http://www11.u-page.so-net.ne.jp/td5/shigeru/sectioaurea.html 34文字×8連からなる詩。短歌8首の作品でもある。顔文字は「a-i-u-e-o-n」の6 字が使用されている。34はフィボナッチの数列から短歌の音数31の近似値として 選択された。各連内は黄金分割によって句に分割。各句内の顔文字は音声学者ダ ニエル・ジョーンズの母音表にならった語順。黄金分割点と連末に「n」の脚韻。 朗読詩「せかんのしゅ」 足立智美 http://www5.ocn.ne.jp/‾atomo/houhou/work9.html 万葉集所収の山上憶良作の長歌による。山田うんのダンス作品「11月11日」の音 楽として作られた20パートのテープ作品のうち2パートと同じ方法を用いて作製。 ■お知らせ (高橋悠治) ・「Deluxe Improvisation Festival」、「高橋悠治ピアノ・リサイタル」、 「Art Summit Indonesia III」、コンサートシリーズ「闌声」、「追悼 クセナ キス」、「高橋悠治・アキDUO」等のスケジュールを下記に載せています。 http://www.ne.jp/asahi/gaku/gaku99/TAKAHASHI/YOTEI.html (中ザワヒデキ) ・新刊著書『西洋画人列伝』(NTT出版)関連 …… (1) 7.1発売の図書新聞に長文 の自己言及書評『降臨する「芸術意志」』執筆。(2) ウェブ雑誌「アートスケー プ」6.15号の村田真氏の書評『美術の内へ/外へ』で大きく取り上げられました。 www.dnp.co.jp/museum/nmp/artscape/ 他、東京新聞ほか数誌で紹介されました。 (3) 8.18にリブロ東池袋店で「カフェ・リブロ・トークサロン」。要予約。詳細 は (4) 西洋画人列伝ページ www.aloalo.co.jp/nakazawa/retsuden/ ・展覧会情報 …… (1) 名古屋のギャラリーセラーでの個展は本日7.7まで。(2) 香川の佐野画廊で8.31まで個展開催中。要予約。(3) 7.22-8.26「地雷展」参加。 http://hello.to/fads よりたどれます。 (4) 10月には東京のカナダ大使館ギャ ラリー、愛媛の病院ギャラリーでグループ展、11月にはバンクーバーで個展予定。 ・私の『数字詩』が足立智美ロイヤル合唱団のCD(下記参照)に収録されました。 (松井 茂) ・ 8.19 「BG(M or P)?」くヲ(音)+松井茂(詩)+滝本あきと(ダンス) Pepper's gallery http://www.peppers-project.com/gallery/index.htm ・9.25 テンプス・ノヴム第12回演奏会『アレンジメントの妙味』 宮木朝子作品「Still voice」テキストと朗読 北とぴあ・つつじホール (足立智美) ・足立智美ロイヤル合唱団のCD「NU」がようやく発売のはこびとなりました。 問い合わせ abtulma@nona.dti.ne.jp(naya records) ・主な公演予定。 7.17 パフォーマンスがみたい!(die pratze) 7.22 實松亮 Horizonal Tone(ICC) 8.20 VACA(山田うん+足立智美)名古屋公演(Tokuzo) 9.6 VACA(山田うん+足立智美)神戸公演(BigApple) ・以下SSW(山田うん、丹野賢一)ツアー。足立は山田うんの音楽、演奏担当。 7.10-11 大阪公演(TORII HALL) 8.17 名古屋公演(愛知県芸術劇場小ホール) 9.5 大阪公演(扇町ミュージアムスクエア) ・その他、詳しくは http://adachi_tomomi.tripod.co.jp/a/schedule.html (方法) ・本誌既刊号(ゲスト=篠原資明、古屋俊彦、三輪眞弘、建畠晢、岡崎乾二郎、 鈴木治行、石井辰彦、松澤宥) www.aloalo.co.jp/nakazawa/houhou/haisinsi/ 新規に配信を希望される方は、既刊号の要・不要を添えて同人まで連絡ください。 なお既刊号で失われていたリンクを上記頁では更新しました。更新後の号を再送 希望の方はその旨連絡ください。 ■編集後記 ダンスの音楽担当として全国を回っています。今は沖縄で本誌締切を迎えていま す。(足立) ■奥付・注意 機関配信誌『方法』 第9号 2001年7月7日発行(ほぼ隔月刊) 中ザワヒデキ nakazawa@aloalo.co.jp http://www.aloalo.co.jp/nakazawa/ 松井茂 shigeru@td5.so-net.ne.jp www11.u-page.so-net.ne.jp/td5/shigeru/ 足立智美 atomo@theia.ocn.ne.jp http://adachi_tomomi.tripod.co.jp/ 本誌は転送自由ですが、執筆者の著作権は放棄されていません。改ざんや盗用は 禁止します。転送は転送者名を明記の上、各自の良識のもとに行ってください。