方法 第8号 2001年5月5日発行 ゲスト=松澤宥 ほぼ隔月刊・配信誌「方法」は、方法絵画、方法詩、方法音楽などの方法芸術の 探求と誌上発表を目的として、電子メールで無料配信する転送自由の機関誌です。 不要な方、重複受信された方はご一報くだされば対処いたします。 * 方法主義宣言、同第二宣言 http://www.aloalo.co.jp/nakazawa/houhou/ * 方法 同人=中ザワヒデキ(美術家)、松井 茂(詩人)、足立智美(音楽家) 巻頭言 中ザワヒデキ ゲスト原稿 最終予言 松澤 宥 ゲスト作品 タイムリミット 松澤 宥 同人原稿 間芸術、多芸術、単芸術そして方法芸術 中ザワヒデキ 朗読から音響詩へ 松井 茂 コラボレーションについて 足立智美 同人作品 方法舞踊第一番 中ザワヒデキ 表示詩 松井 茂 Schwitters Variations 足立智美 お知らせ・編集後記 ↓ 以下、スクロールしてご覧ください ↓ ■■方法 第8号 ゲスト=松澤宥 巻頭言 中ザワヒデキ 美術家の松澤宥氏は、芸術を突き詰めると物質が消滅して観念のみに還元され ることを、1964年から欧米のコンセプチュアリズムに先駆けて示し続けている日 本概念派の代表作家です。一方では「コミュニケーションは愚である」と言い、 他方では必ずしも人類を対象とせずに湖(諏訪湖)や『すべての生物ならびに無 生物』、あるいは宇宙人(ウンモ星人)に向けた作品を発表しています。1988年 の『量子藝術宣言』以降もますます目が離せない同氏をゲストにお迎えしました。 松澤宥参考資料『機關13号』 http://www.bea.hi-ho.ne.jp/voice/kikan.htm ■ゲスト原稿と作品 最終予言 松澤 宥 わたしの方法は人類の論理による方法 ハ ではないしかし仮に金剛界マンダラに ハ 姿をかりて9×9の倍数に身をやつし ハ この真に末期の世に身をさらしている ハ −−−−−−−−−|−−−−−−−−−|−−−−−−−−−|−−−−−−−−− 2001年4月3日|永長元年丙子五月九|1949年わたしは|人類の歴史は200 桜咲く上野の博物館|日大電雨十二月廿四|似キリストという詩|1年9月17日にハ の醍醐寺展の初日を|日辰時大地震動と平|をしたためた黙示録|終ると計算されたハ 訪れた1598年の|安の世に法主慶安が|では反キリストを獸|クフ王のピラミッド 4月吉日に秀吉がハ|醍醐寺記の巻第七に|と呼んでいるそれは|の周辺の365.24 豪華な花見を催して|したためたのをガラ|誰そ何処に現れるや|ピラミッドインチハ から402年たつた|スケースの展示の中|1982年PLOは|を基準にした符牒ハ そしてこれから80|に見つけた今日も日|包囲されていると気|から割り出されたハ 年で人類は滅亡する|本列島はゆれるハハ|づいたそれから?ハ|とか●●真実の?ハ −−−−−−−−−|−−−−−−−−−|−−−−−−−−−|−−−−−−−−− 七七の斎も無にてハ'97年に発見された|あと80年の人類ハ|それを完成と呼ぼう 二六三八の供も無ハ|超新星がこれまでハ|絶滅後残つた宇宙は|人類滅亡だ80年後 二三化Cの毒にてハ|最も遠い113億光|10*年後に特異点に|だ人類滅亡のシナリ アップアップアップ|年先に在ることがわ|まで縮小して数学上|オは紀元前十世紀に アップアップアップ|かつたという宇宙は|の存在になるかすべ|は出されていたとか アップアップアップ|未来も膨張しつづけ|てのエネルギーをハ|最後のひとつだ CO2 みんな一緒に窒息ハ|ることも判つたとし|失って無時間の中の|の大増大だここまで 八〇年後人類滅亡ハ|かし人類はあと80|熱的死の存在となる|やつたという知の頂 おとしまえつけたハ|年で滅亡する?ハハ|かor未知の理論で?|点をのこして滅亡だ −−−−−−−−−|−−−−−−−−−|−−−−−−−−−|−−−−−−−−− 人肉を食べた恐らく|光のとどかない山中|宇宙のすべての理論|22節にもしもその 同じようにその屍も|をあてもなく這うハ|が潰えさる人類はハ|期限が縮められない 空腹の極みで倒れた|よりものろく進んだ|それを知らないもう|なら救われる者はハ だろうその空腹をし|道ばたの名も無い小|直だ永くて80年だ|ひとりもないであろ のぐため一緒に人肉|さな花がひとつと傍|人類は滅亡するのだ|うと記されているハ を食べさせたかつた|に屍が眼にうつつた|窒息だ水面に鼻先を|その期限とは CO2ハ 二人とも奴を咒つた|力盡きて横死した屍|出してパクパクする|危機クリアーの期限 80年前のことだ後|空腹に耐えず思はず|魚のように人類は一|でありその件はハハ 80年で人類滅亡だ|近寄つてはじめてハ|斉にパクパクしてハ|明かに不可能ハハハ −−−−−−−−−|−−−−−−−−−|−−−−−−−−−|−−−−−−−−− ○○○○○○○○○ ○○○○○○○○○ ○○○○○○○○○ ○○○○○○○○○ 編集部注:10*年後…「10の130乗」年後(テキスト形式のため注記とした)。 12個の9x9の字塊は中左から「の」の字形で読める(マンダラの降下門の読み順)。 タイムリミット 松澤 宥 http://www.aloalo.co.jp/nakazawa/houhou/g008matsuzawa.html ○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○ ○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○1936年タスマニ アンタイガーは絶滅した絶滅させた人間の罪を償いたいとオーストラリアの科学 者チームはクローンで復活の研究をはじめたそしてあと80年で人類は滅亡する ■同人原稿と作品 間芸術、多芸術、単芸術そして方法芸術 中ザワヒデキ 方法芸術は芸術の問題を突き詰めたからこそ、その芸術に固有な素材への服従 を不要とした。それは自ジャンルからの逸脱でも、他ジャンルとの合流でもない。 「自ジャンルからの逸脱」とは、例えばフルクサスの理論家ヒギンズが唱える インターメディアのことである。AとBの間にあって、もはや単純にAともBと も呼べない地点に彼は積極的な意義を見いだした。「間芸術」と呼んでおこう。 「他ジャンルとの合流」とは、例えばコラボレーションを是とした60年代のマ ルチメディアのことである。A+BはAやBより面白いという総合芸術的発想で、 90年代の電脳文化状況にも同じ単語が使われた。「多芸術」と呼んでおこう。 間芸術も多芸術も、単芸術Aに対する何らかの不満……領域を閉じ歴史を自明 とする権威性、あるいは「すでにやりつくされた」との思い……に根ざしている かもしれない。だが現況で必要なのはむしろ権威であろう。また、単芸術Aはや りつくされたわけでは全然ない(その先に同語反復しかなく、正面からそれに向 かうとしても)。その立場から方法芸術は「単芸術Aの嫡子」として提唱された。 さて、ここで起こりうるのが、Aの素材を限定しないため生ずる次の事態であ る。すなわち単芸術Aの嫡子が、同時に単芸術Bの嫡子ともなるということだ。 例えば、『第一回方法芸術祭』市内編(2001年3月10日、6th北九州ビエンナー レ)で発表した中ザワヒデキ、松井茂、足立智美『9回の逆進がある列車移動』 http://homepage2.nifty.com/method/20010310.html。 本作は、形態の問題から 単一曲線を凹凸させた美術作品である。同時に、文章列の問題から逆接を繰り返 した詩作品である。同時に、旋律の問題からセリーを振幅した音楽作品である。 翌日の『方法カクテル』 http://homepage2.nifty.com/method/20010311.html も同様だ。色彩混合であり語並列であり和音である(ちなみに6月再演予定)。 これは何を意味するか。間芸術でも多芸術でもなく、単芸術のまま追求される べき統一原理抽出の可能性である。まさにモダニズム的発想だが、その批判を口 走る前に、まずはその追求に邁進することこそ自らに課すべき戒律であるはずだ。 朗読から音響詩へ 松井 茂 北園克衛は、1931年、朗読によって発表した「詩の朗読に関するエッセイ」に おいて、朗読を「(1)文化的の効果を目的とするもの」、「(2)文学的の効果 を目的とするもの」に分類した。前者は、詩の形状を不完全な形で、一般に流布 するものである。90年代を通じ現在にいたる、昨今の朗読の大半もこれである。 それに対して後者の朗読は、いまこそ再び顧みられるべき種類のものだ。 (2)で北園が念頭に置いたのは、ダダや未来派の作品であった。「(2)の場 合は一貫した文学上の理論や傾向のデモンストレーションとして行われるもので あって、寧ろ挑戦であり、一種の戦闘形式である。即ち此の場合に於ける詩の朗 読の目的は既に存在した詩の概念を具体的に破壊し否定すると共に全く新しい詩 の概念を詩に依って示し且つ肯定せしめようとするものである」と。「此の場合 に於ける詩の朗読」とは音響詩を指しているだろう。また、インターナショナル に通用する普遍的な詩の方法論を模索していた彼にとっては、特定の言語と意味 にとらわれない音響詩は魅力的なものだったとも推測される。しかし、どういう 事情からか「新しい詩の概念」を音響詩として彼が作品化することはなかったの である。彼が提示した「新しい詩の概念」は、1956年に発表されたプラスティッ クポエムと称された写真だった。 私は、北園が残した写真を詩と呼ぶことを躊躇する。彼自身「紙屑やボール紙 やガラスの切れ端によって、ポエジーを演出する」と語っているが、ここには詩 の原理は何も示されていない。任意に選択され配置されたオブジェが存在するに 過ぎないのだ。「詩の純粋形式」を追い求めプラスティックポエムにいたったと いうことは、なにかが過っていたのだ。彼が詩から逸脱することになる遠因は、 おそらく音響詩の可能性を見誤った時点であったと思われる。彼の詩論に従えば、 音響という「作象」によって、「応化観念」を招き寄せることが困難と判断され たからなのだろう。しかし、それは試されていない道だ。1931年の「詩の朗読に 関するエッセイ」に戻り、いまこそ音響詩の可能性を改めて検証する必要がある。 コラボレーションについて 足立智美 マイケル・フリードは芸術の堕落とは演劇だと規定している。演劇とはジャン ルとしての演劇ではなく、さまざまなジャンルの混淆として理解しておこう。フ リードの見解は60年代のモダニズム芸術に照準をあわせた議論であるにしても、 モダニズム/還元主義芸術にとってジャンルの混淆は敵そのものであったことは 間違いない。しかし複数ジャンルの共作、コラボレーションが常にジャンルの混 淆であるわけでもない。その一例を20世紀の最も優れたコラボレーションである マース・カニングハムとジョン・ケージの40〜60年代の例で見てみよう。 良く知られるようにカニングハム/ケージはダンスと音楽が対等にある舞台芸 術を作り上げた。その関係は主に3つの種類に分類できる。平方根を用いた作品 での1.構造の共有(Root of an Unfocus 1944)、偶然性に依拠した2.無関係 (Antic Meet 1958) 、エレクトロニクスを介した3.動き/音響の物理的変換 (Variations V 1965)である。 その後のカニングハムとケージの作品はほぼ2.型 のスタイルをとることになるが、無関係といっても、ダンスと音楽が偶然性 (chance operations)という同一の方法を用いていることは留意しておこう。つま り方法の共有である。 音楽から演劇を標榜したこの時期のケージの姿勢は、もちろんケージが音楽を やめて演劇に移行したことを意味しない。音楽の概念を拡張し時間軸上に起こる あらゆることがらを「音楽」と呼んだときに全てのジャンルに引き起こした緊張 こそが重要なのだ。それはジャンルの混淆とも、さまざまなジャンルを統合する 総合芸術とも厳密に区別されなければならない。 私が昨年に開始したダンサーの山田うんとのデュオ「VACA」はダンス/音楽と いう対等に自律した枠組みをとりあえず前提としている。だがその前提から生ま れる相互侵犯の危険性はわれわれの出発点でしかない。歴史の成果を忘却するこ とはできないが、50年も前に確立された方法論に安穏と依拠することもまたでき ないのである。原理的に、そして具体的に先に進もう。 方法舞踊第一番 中ザワヒデキ http://www.aloalo.co.jp/nakazawa/houhou/houhou008.html ラバン記譜法による。昨年発表した『方法舞踊習作』を改訂増補し『第一番』と した。習作との共通部分は「手運動と足運動の対位法」、逆進を含む増補部分は 「変曲点のある単一曲線」。実際動作は歩行に類似。ダンサー黒沢美香による初 演は5/10(木)表参道路上にて。観覧希望者は17:55までにラフォーレ原宿前集合。 表示詩 松井 茂 http://www11.u-page.so-net.ne.jp/td5/shigeru/hyoujishi.html 朗読会場において表示したテキスト原稿と、それを「表示」した状態の写真。テ キスト原稿は、上代特殊仮名遣い表記による「朗読のための短歌的音響」より乙 類部分の6作を使用。各句のつながりが五韻相通であることを明確にしめすために、 各句の間にスペースを入れた。 Schwitters Variations 足立智美 http://www5.ocn.ne.jp/‾atomo/houhou/work8.html 4月25,26日のSTスポットで のVACA公演で初演された「変奏曲」のうち足立のパートを抜粋、改題し、演奏指 示を削除したもの。したがってこれは詩である。クルト・シュヴィッタースの 「ウアソナタ」(1922-32)の4つの主題による変奏。ドイツ語のウムラウトを使用 しているため文字セットの設定(Western, Central European等)が必要。 ■お知らせ (松澤 宥) ・2月1日から4月29日まで開催された20世紀の世界の九大都市の芸術と文 化を検証するというロンドンのテートモダンの“センチュリーシティ展”のオー プニングに館長のラーシュ・ニットヴェ氏やキュレーターの富井玲子氏に直に心 臓を蝕らせ人類の滅亡を予感させるパフォーマンスをしました。 ・4月1、2、3日催された松澤宥に捧げるという成瀬信彦舞踏歌公演“禁色” の楽日に人類滅亡のレシタティヴパフォーマンスをしました。 ・9月8日から開催される軽井沢のセゾン現代美術館のアニュアル展でゲーデル の数学的実在論の援用によって作った反文明論によらないとうたった新作“反文 明の第2誕生”を発表します。 (中ザワヒデキ) ・東京と名古屋で個展。『質量』&『金額』。www.aloalo.co.jp/nakazawa/4&5/ レントゲンクンストラウム 2001/05/10木-06/02土 初日18:00イヴェント*A ギャラリーセラー 2001/05/18金-06/09土 (Part 1) 初日18:00イヴェント*B 2001/06/15金-07/07土 (Part 2) 初日18:00イヴェント*C *A=ダンサー黒沢美香が表参道を歩行(方法舞踊) *B=方法音楽 *C=方法カクテル ・著書『西洋画人列伝』発刊(NTT出版)。ルネッサンスから二十世紀美術まで。 刊行記念トーク 東京…5/11ナディッフ、5/22ABC本店。名古屋…5/18日進堂 (仮)、6/16ヴィレッジヴァンガード(仮)。www.aloalo.co.jp/nakazawa/retsuden/ ・iWeekトーク「禁欲と戒律」5/12 15:15渋谷QFRONT 5F ・佐野画廊個展開催中 (松井 茂) ・去る4月28日、「連鎖する歌人たち〜マラソン・リーディング2001」に参加。 詳細は本誌上発表作品を参照ください。 (足立智美) ・主な公演予定。 7.1 竹屋啓子CDC実験公演(下井草竹屋啓子CDCアトリエ) ダンスの振付をします。 7.2 VACA(山田うん+足立智美)沖縄公演(マセット) ・以下SSW(山田うん、丹野賢一)ツアー。足立は山田うんの音楽、演奏担当。 6.23 札幌公演(琴似日食倉庫コンカリーニョ) 7.4 沖縄公演(大地アトリエ) 7.10-11 大阪公演(TORII HALL) ・その他、詳しくは http://adachi_tomomi.tripod.co.jp/a/schedule.html (方法) ・『第一回方法芸術祭』完了…2001/03/10市内編、03/11美術館編、於6th北九州 ビエンナーレ。多くの映像を撮りました。http://homepage2.nifty.com/method/ ・本誌既刊号(ゲスト=篠原資明、古屋俊彦、三輪眞弘、建畠晢、岡崎乾二郎、 鈴木治行、石井辰彦) http://www.aloalo.co.jp/nakazawa/houhou/haisinsi/ 新規に配信を希望される方は、既刊号の要・不要を添えて同人まで連絡ください。 なお既刊号で失われていたリンクを上記頁では更新しました。更新後の号を再送 希望の方はその旨連絡ください。 ■編集後記 御本人の意向もあり、松澤氏の指示書きの一部をスキャンしてゲスト作品頁に 載せました。こまやかな意図がよく伝わる画期的な資料となりました。また、概 念芸術といえども文字の物質性に負うところも垣間見え、重要に思います。次号 『方法 第9号』のゲストは、音楽家の高橋悠治氏を予定しています。(中ザワ) ■奥付・注意 機関配信誌『方法』 第8号 2001年5月5日発行(ほぼ隔月刊) 中ザワヒデキ nakazawa@aloalo.co.jp http://www.aloalo.co.jp/nakazawa/ 松井茂 shigeru@td5.so-net.ne.jp www11.u-page.so-net.ne.jp/td5/shigeru/ 足立智美 atomo@theia.ocn.ne.jp http://adachi_tomomi.tripod.co.jp/ 本誌は転送自由ですが、執筆者の著作権は放棄されていません。改ざんや盗用は 禁止します。転送は転送者名を明記の上、各自の良識のもとに行ってください。