方法 第6号 西暦2000年12月31日発行

ゲスト=鈴木治行

ほぼ隔月刊・配信誌「方法」は、方法絵画、方法詩、方法音楽などの方法芸術の
探求と誌上発表を目的として、電子メールで無料配信する転送自由の機関誌です。
不要な方、重複受信された方はご一報くだされば対処いたします。
* 方法主義宣言 http://www.aloalo.co.jp/nakazawa/houhou/
* 方法 同人=中ザワヒデキ(美術家)、松井 茂(詩人)、足立智美(音楽家)

二十世紀最後の日に  中ザワヒデキ
ゲスト原稿 形象と体験のことなど  鈴木治行
ゲスト作品 ほうほうの体(てい)  鈴木治行
同人原稿 素材の自明と感動の不要  中ザワヒデキ
     「同語反復」抜書  松井 茂
     ジャンル 断絶と横断について  足立智美
同人作品 バンフ・Eメール・ピース  中ザワヒデキ
     東京の夢  松井 茂
     INSOMNIA  足立智美
お知らせ・編集後記       ↓ 以下、スクロールしてご覧ください ↓



■■方法 第6号 ゲスト=鈴木治行

二十世紀最後の日に  中ザワヒデキ

 二十世紀の諸学諸芸への言及を出発点とし、ちょうど明日で満一歳を迎える方
法主義の活動にとって、大晦日の今日はひとつのメルクマールです。『方法 第
6号』では、ジャンルを超えた知と思考を毎月下記サイトにお書きしている、作
曲家の鈴木治行氏をゲストにお迎えしました。「音楽」の範疇にとどまりながら
も映像やテクストとの対話をそこに持ち込み、ジャンルの齟齬を不可避的に浮か
び上がらせる氏の作品に、方法主義に通ずる問題を垣間見ることもしばしばです。
今月の鈴木治行のすべて www.netlaputa.ne.jp/~hyama/db/suzuki/subete.html



■ゲスト原稿と作品

形象と体験のことなど  鈴木治行

 連続した、統一された全体を持つある一つの形象が、その形象の内部の必然か
らではない、外部からの一方的な干渉によってその形象を変形されてゆく、とい
うあり方というものにずっと興味を持ってきた。形象が、その本来の自然に反す
る地点において切断され、無理矢理別の部位と接合される時、そこに偶発的に生
成してしまった新たな形態は、見慣れてくるうちに今度はそれが本来必然を持っ
てもともとそこに存在していたかのような印象をあたりに波及させ、そして再び
新たなる切断と変形へと供されてゆく。この作法をより効果的たらしめるのに最
もふさわしいのは、余計な装飾を過剰に身にまとった「豊饒な」音響などではな
く、むしろよりシンプルな、でき得ればただの1本の線、であることが望ましい。
こうした作業の反復によって不断に変形し続けてゆく線の様態を観察してゆくと、
一体何がオリジナルな形だったのかは既に記憶からは消えている。ここでのある
時は厳密にシステマティック、ある時には不確定的なアプローチには、「方法」
とも相通ずる姿勢が見え隠れしているとは思う。元の形象をどうするか、変形の
作法をどうするか、などといった初期設定の変更によってまだまだ多様なヴァリ
エーションを生み出せるのは間違いなく、どこまでも形式主義的に線の変形作業
を続けていくならばそれはそれでよかったろう。しかし、その作業の裏に流れる
時間がスタティックなものであることに気づくと、その時間体験自体を揺さぶり
たいという思いが強まってきた。
 いつの頃からか、形象を切断、接合した結果としての新たなる形への関心以上
に、その切断面のザラついた感触の方が自分の中で関心の上位を占めるようにな
った。事物が分節されることによってそれと知覚されるのならば、「時間」もま
た例外ではなく、区切られることで体験される。音という素材を越えて時間体験
それ自体を問題にする時、素材は体験を導くための素材となり、体験という最終
的な目的地に達するためならば素材の選択は副次的なものとなる。ここにはおそ
らくまだ形式主義的なアプローチが残存してはいるだろう。こうして、形象や音
響それ自体は何よりも優先すべき最重要項目ではなくなり、どんな素材でも自分
の音楽の中に投げ込めるという確信がそれ以後の自分の音楽を方向づけた。もは
や、音楽に立ち現れる形象は文字通りの「線」である必要もない。連綿と続く「
時間体験」を、切断の楔を打ち込むことで揺さぶることさえできるならば。その
後作曲のスタイルはいくつかの路線に分岐したが、基本は今でもここにある。


ほうほうの体(てい)  鈴木治行
http://club1.s-direct.com/users/rubiko/hdk/suzukihouhou/
今回の原稿を書いてからこの小品にかかったら、自分で書いた原稿の影響を露骨
に受けてしまった。ここに見られる作法はシンプルなものだが、90年代にはこの
やり方の延長上でいくつかの器楽作品を作った。ここに聞かれる音色や古典的な
素材の意匠は作品の本質とはほとんど関係がない。



■同人原稿と作品

素材の自明と感動の不要  中ザワヒデキ

 原子論は原子の自明性に立脚している。原子論によって世界が解釈できるとす
るなら、それは世界を自明なものの積算と見立てているからである。原子論的世
界に運動や感動はない。自明なものの積算に、イデア論的な意味の生成崩壊はな
いからである。原子論的世界に変化や快楽はある。自明なものの積算に、自明な
原子同士の配置の差異はあるからである。
 あなたが化学者ならば、運動ではなく変化を研究するべきだ。なぜなら物質を
科学する化学は、これ以上分割できない原子の自明性に立脚しているからである。
意味の生成崩壊という運動は、物体を扱う物理学者に任せればよい。そしてあな
たは、素材である原子の自明を疑ってはならない。運動の惹起を防ぐためである。
 あなたが色彩画家ならば、感動ではなく快楽を追求するべきだ。なぜなら色彩
を芸術する絵画は、純粋色の画素の自明性に立脚しているからである。意味の生
成崩壊という感動は、形態を扱う素描家に任せればよい。そしてあなたは、素材
である画素の自明を疑ってはならない。感動の惹起を防ぐためである。
 一九〇八年のノーベル賞は、元素崩壊を研究した受賞者ラザフォードを困惑さ
せた。物理学者を自認し「化学より物理が上」と考えていた彼に、ノーベル化学
賞が授与されたからである。そう、たとえ放射性「物質」が対象でも、その自明
を疑えば原子は「物体」である。今日その領域は原子物理学と呼ばれる。
 「原子論よりイデア論が上」と考える芸術家も少なくはない。「絵画より素描
が上」と考えたミケランジェロ、「ミニマルよりコンセプチュアルが上」と考え
たコスース等。だが二十世紀の形式主義は、原子論をむしろ優位に位置づけた。
 さて、あなたが感覚生理を捨象してもなお色彩画家を自認する方法芸術家だと
しよう。あなたが生理的画素の代わりに用いる論理的な記号は、自明なものであ
るべきだ。JISコード、五十音、音符、碁石、元素記号、素数等。これらは美
術外部の体系ゆえに、逆に美術の側から自明として採用できる。作文字や作音符
等は禁止される。生理を捨象した論理的快楽の抽出に、感動は不要だからである。


「同語反復」抜書  松井 茂

 「同語反復」とは、論理学のいうところの恒真関数を表す式をさす。つまり、
恒(つね)に真となる論理式である。対して恒に偽となる論理式をもつ恒偽関数
は、矛盾式となる。以下ウィトゲンシュタイン『論理哲学論考』より抜書。
4.461「同語反復と矛盾は、それが何も語らない、ということを示す。(中略)
同語反復と矛盾は意義を欠いている」 4.462「同語反復と矛盾は現実の像ではな
い。それらは可能な状態を描出しはしない」 6.1「論理の命題は同語反復である」
6.11「従って論理の命題は何も語らない」
 このような思考方法としての「同語反復」に対して、詩のもっとも重要な素材
でもあり、フィールドでもある言語行為の現場における「同語反復」に目を移そ
う。「AはAである」と実際に話されるとき、この構文は、事象Aとまた別の事象B
とを連続的にとらえるカテゴリー観に対し、両者を非連続的とするカテゴリー観
を提示し、前者を否定する意義があるとされる。またAとBが異なる事象であると
いう否定の意義もある(参考:中村芳久「勝ちは勝ち」「負けは負け」)。
 このことは、世界を認識する上で不可欠な意義を持つことだろう。AとBに相当
するそれぞれの単語のカテゴリー観を、二項対立させる図式で意味づける構文で
ある。だから、言語行為の現場において交わされる構文上の「同語反復」は、単
語、つまり事物の存立にかかわるものなのだ。
 「同語反復」は、自然科学的な理想空間においては、何事も語りはしないだろ
う。現実の行為として、特定の文化に拘束された言語を使用する「同語反復」は、
必然的に何事かを語り始めることになるだろう。既成の言語を使用する限りにお
いて、何も語らないということはあり得ない。方法主義は「同語反復」を原理と
し、その外部を語ることはない。ゆえに方法主義は、論理の限界を指し示すこと
になるだろう。再び以下ウィトゲンシュタインより抜書。
5.6「私の言語の限界が私の世界の限界を意味する」 5.61「論理は世界を満たす。
世界の限界は論理の限界でもある」


ジャンル 断絶と横断について  足立智美

 その起点はランボーに置かれても、あるいはカントに置かれてもよい。文芸学
の分野ではアリストテレスまで遡れるにしてもジャンルという概念はいずれにせ
よ近代という時代に特有のものである。この類型概念が内容ではなく形式におけ
る領域画定に基盤を置くことも一応確認しておこう。しかしまたジャンルにおけ
る形式という概念が感覚的現象と素材の属性という局面からのみ理解されてきた
ことも事実であり、関係を規定するものとしての形式は無視されてきた。それは
ジャンルがその素材によって区分されざるをえないことの当然の帰結である。方
法主義は後者の形式に芸術を還元することによって、芸術の存立から素材を追放
した。そこでは絵画が平面に還元された挙げ句に立体と化してしまうような転倒
は起こり得ないであろう。しかしかといって芸術に素材が必要ないという事態も
起こらなかった。素材を持たない芸術などありえないからである。いかなる素材
を用いるかによって芸術の帰属するジャンルは規定される。方法芸術はジャンル
の融解ではなくジャンルの断絶こそを改めて顕在化したのだ。
 ところでジャンルの画定とは、法の概念に極めて近いものである。共に権威と
境界の問題であり、個別と一般を媒介するものでありながら個別によって一般が
規定されるのか、一般によって個別が規定されるのかはもはや問うことができな
い。したがってジャンルの横断とは端的にいって犯罪である。法と犯罪との対置
をイデア論/原子論、あるいは実念論/唯名論という二元論と取り違えてはいけ
ない。それらはたかだか普遍法と判例の対立に過ぎず、犯罪とは法の境界での出
来事なのである。方法主義とは主権者のいない国家のようなものだ。素材は芸術
の境界を越えてやってくる。芸術は全て犯罪と化すであろう。方法主義でいかな
る転回も起こったわけではない。そもそも素材とは近代芸術の外部であったのだ
から。犯罪が常に具体的であるように、芸術とは常に具体的である。犯罪者の群
は果たして国家を駆逐することができるだろうか?それとも国家を拡充するに終
わるだろうか?われわれは今一度犯罪の特異性に立ち戻るべきだろうか?


バンフ・Eメール・ピース  中ザワヒデキ
http://www.aloalo.co.jp/nakazawa/houhou/houhou006.html
先月、バンフ(カナダ)でのアーティスト・イン・レジデンス中に、四百名以上
に電子郵便芸術として配信した方法色彩絵画の再録。本誌で発表してきた異種画
素配置シリーズでもある「第一〜五番」ならびに「付記」。化学元素記号と素数
を画素としたのは、原子も素数も「これ以上分割できない」自明な素材だから。


東京の夢  松井 茂
http://www11.u-page.so-net.ne.jp/td5/shigeru/tokio.html
2000年12月31日を過ごすために。2001年1月1日にはまた別の夢を見ることだろう。


INSOMNIA  足立智美
http://www5.ocn.ne.jp/~atomo/houhou/work6.html
演奏行為のモデル化。眠れない夜のために。HTMLによる。



■お知らせ

(鈴木治行)
・2001年3月11日、調布映画祭の一環として、調布グリーン・ホール(調布駅前)
にてエイゼンシュタイン監督作品『戦艦ポチョムキン』に生演奏で音楽をつける
イヴェントを行う予定。出演はThe Birds他。

(中ザワヒデキ)
・レントゲンクンストラウムのグループ展「掌(たなごころ)7」(2001年1月
11日-2月10日)に出品します。 http://roentgen-kunst.org/
・本誌4号に書いたビットマップ3Dのソフトウェア特許に引き続き、同原理の
三次元プリンタも国内特許査定されました(米国では三年前に特許化)。
・アート誌「蟋蟀蟋蟀」で海上宏美氏と往復書簡予定。佐野画廊で個展開催中。

(足立智美)
・2001年1月5日発売号の『図書新聞』に刀根康尚について寄稿。

(方法)
・「美術手帖」2001年1月号に同人3名の鼎談が8ページにわたり掲載されました。
・中ザワが参加する「6th北九州ビエンナーレ〜ことのはじまり〜」(2001年3月
3日-3月25日)で「方法芸術祭」予定。www.city.kitakyushu.jp/~k5200020/6th/
・本誌既刊号(ゲスト=篠原資明、古屋俊彦、三輪眞弘、建畠晢、岡崎乾二郎)
は以下の頁です。 http://www.aloalo.co.jp/nakazawa/houhou/haisinsi/
新規に配信を希望される方は、既刊号の要・不要を添えて同人まで連絡下さい。


■編集後記

「美術手帖」の鼎談も、本号におけるポーカーフェイスも、全部明日への布石で
す……と書いたところで、どれだけの方々がいまだ多忙の師走の本日中に本誌を
お読み下さるのでしょうか。ともかくこの一年間、おかげさまで着実に活動を展
開し、12月14日の朝日新聞夕刊「回顧2000 私の5点」でも選者の篠原資明氏にお
取り上げいただきました。二十一世紀もどうぞ宜しく。よいお年を。(中ザワ)

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方法 第6号 西暦2000年12月31日発行(ほぼ隔月刊)
お問い合わせ=TEL/FAX03-5351-6874(アロアロインターナショナル内)
中ザワヒデキ nakazawa@aloalo.co.jp http://www.aloalo.co.jp/nakazawa/
松井茂 shigeru@td5.so-net.ne.jp www11.u-page.so-net.ne.jp/td5/shigeru/
足立智美 atomo@theia.ocn.ne.jp http://adachi_tomomi.tripod.co.jp/

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