方法 第4号 西暦2000年9月22日発行

ゲスト=建畠晢

ほぼ隔月刊・配信誌「方法」は、方法絵画、方法詩、方法音楽などの方法芸術の
探求と誌上発表を目的として、電子メールで無料配信する転送自由の機関誌です。
不要な方、重複受信された方はご一報くだされば対処いたします。
* 方法主義宣言 http://www.aloalo.co.jp/nakazawa/houhou/
* 方法 同人=中ザワヒデキ(美術家)、松井 茂(詩人)、足立智美(音楽家)

巻頭言  中ザワヒデキ
ゲスト原稿  偶然のソネット  建畠 晢
ゲスト作品  パトリック世紀  建畠 晢
同人原稿 絵画から塑像へ  中ザワヒデキ
     漢字で詩を書く〈理〉  松井 茂
     マニエリズムという同時代  足立智美
同人作品 巾七高七奥七の異種画素配置第四番  中ザワヒデキ
     響・〇  松井 茂
     ブラウザーのための文字映画第2番 〜数字による〜  足立智美
お知らせ・編集後記       ↓ 以下、スクロールしてご覧ください ↓



■■方法 第4号 ゲスト=建畠晢

巻頭言  中ザワヒデキ

 昨秋、諸芸術との思想的連繋を意識した自らの美術活動にそろそろ名前が必要
と考えていた折、篠原資明の「方法詩」の語を媒介に、結果的に示唆をくださっ
た方の一人が建畠晢氏でした。フォーマリズムが説得力を持った時代に自らの進
退も詩人と美術評論家の別々の肩書に分けざるを得ず、視覚詩人、新國誠一への
オマージュを『失われたパサージュ』と題した同氏…。今なお、そのパサージュ
の復活は不可能なのでしょうか? 本誌は現在、詩人、美術家、音楽家をゲスト
としてお招きしておりますが、本号では再び詩人にご登場いただきます。
建畠晢ホームページ http://plaza17.mbn.or.jp/~tatehata/



■ゲスト原稿と作品

偶然のソネット  建畠 晢

 私はこれまで三冊の詩集を出したが、一篇だけの例外を除いて、収録したのは
すべて散文詩である。考えてみれば、おそらく中ザワヒデキの掲げる方法詩から
もっとも遠いところに位置するのが、この散文詩という領域ではなかろうか。端
的にいえば、定められた方法がないからこその散文詩なのだ。
 ヴァレリーの例の“ダンスと歩行”の論理からすれば、いかにも自己矛盾その
ものであるこの領域について(あるいは非領域についてというべきかもしれない
が)私見を述べるのは別の機会にしよう。ここで紹介するのは、「パトリック世
紀」と題した唯一、散文詩を離れた作品である。
 パトリックといえばアイルランドの守護聖人を思い浮かべる人もいるだろうが、
私にとっては、たまたまニュースで知っていた投獄中のIRAの戦士の名であり、
また親しかったフランス大使館のカルチュラル・アタッシェの名でもある。この
詩の最初の草稿はフランスで書かれたが、その時、実は私は大使館の彼と一緒に
美術館巡りの旅をしていたのだ。草稿といっても時差で眠られなかった夜にふと
浮かんだ言葉をメモしただけの話だが、その背景にはマルセイユのあるコレクタ
ーのホーム・パーティーに呼ばれ、港を見下ろす庭に佇んでいたときの印象があ
ったように思う。
 例外的といったのは行分けで書かれているばかりではなく、三行、四行、四行、
三行という四連からなっている、つまりまがりなりにもソネット的な十四行詩の
体裁を整えているからである。しかしそれは結果的にであって、不思議なことに、
私はそれまでソネットなど書いたことはなかったし、枕元でメモした時も、形式
については何ら意識していなかったのである。後から多少、手を入れなかったわ
けではないが、基本的にはソネットの形式は、マルセイユのホテルの眠られぬ夜
更けに偶然に生まれてしまったのだ。事実、その後も私にはソネットの詩は一つ
もないし、書こうと思ったことすらない。
 もちろんソネットとはいっても行数のレベルの話であって、マチネ・ポエテッ
クのように押韻にまで及んでいるわけではない。それが偶然の産物であるからに
は、“方法”としてのソネットについて、私に語る資格があるわけでもない。し
かし、(私が自惚れているように)もしそれなりの“形式美”が「パトリック世
紀」に宿っているとすれば、それはやはりソネットという大いなる小世界の定型
の力といわなければならないはずである。


パトリック世紀  建畠 晢 
http://plaza17.mbn.or.jp/~tatehata/poetry1.html
 最後の一行は発表の度に結語の言葉を逆転させている。最初に詩誌に掲載され
た時は「二十一世紀は近い」であり、年鑑のアンソロジーに収録された際は「二
十一世紀は遠い」に置き換え、詩集では「近い」に戻し、今回のH.P.では再び
「遠い」とした。その時々の感覚であって、なぜかは説明しにくいのだが。



■同人原稿と作品

絵画から塑像へ  中ザワヒデキ

 一九〇〇年頃ドニが発した「絵画は色彩平面である」という提言は、「絵画は
色彩である」と「絵画は平面である」の二文を含んでいる。だがその後の一世紀
は、形式還元として後者が支配的だったようだ。単色で平面を覆いさえすれば、
あとは平面性のみが絵画のアイデンティティとされた。しかし色彩の本質は、印
象派の筆触分割と色彩分割に明らかな多数性と差異性である*1。それゆえ「絵画
は色彩である」という方法還元は、いまなお、追求されつくしたとはいえない。
 もっとも、グリーンバーグが近代絵画のルーツを色彩主義のヴェネツィア派と
したことまでは正しかった。過ちは、形態主義のフィレンツェ派を退けた理由を、
それが彫刻美学に近しいため「平面性を損なうから」としたことだ。私は、ヴェ
ネツィア派は「塑像美学に近しい」と指摘する。つまり、色彩か形態かの議論と、
平面か立体かの議論は、別物である。色彩平面が絵画、色彩立体が塑像、形態平
面が素描、形態立体が彫刻だ。視覚性や演劇性という鑑賞の問題を介さずとも、
単色絵画は形態平面としてミニマル彫刻に近しいのだ。逆向きに言おう。「絵画
は色彩である」という方法還元は、絵画と塑像を区別しない地平に向かうだろう。
 今なら「ドロー」と「ペイント」というCGの二大方式が、アナログ時代の誤
認を正してくれる*2。境界線をオブジェクト図形として扱うフィレンツェ派的な
2Dドローは、変数をひとつ増やしただけで、表面をオブジェクト図形として扱
う3Dドローとなる。それは、ミケランジェロの単体大理石彫刻美学の今日形だ。
 一方、微小正方形をビットマップ画素とするヴェネツィア派的な2Dペイント
は、変数をひとつ増やしただけで、微小立方体をビットマップ画素とする3Dペ
イントとなる。カラーネンド的なそれは、ロダンの群像青銅塑像美学の今日形だ。
 ただ、いわゆる3DCGは前者である。後者のビットマップ3Dは、私が『デ
ジタルネンド』(株式会社アスク、1996)を発表するまで世界に存在しなかった。
同ソフト原理は昨年の国内特許化に続き、今月(2000.9)、米国特許となった。
*1拙稿『色彩絵画の帰結』本誌前号 *2拙稿『デジネン誕生の意義』web他1996


漢字で詩を書く〈理〉  松井 茂

 日本語といわれる文字記号を使用して詩を書くことを想定すると、その表記法
は、かな、カタカナ、漢字によるものとなるだろう。そして、かなもカタカナも
漢字から派生しているという歴史的事実にゆきあたる。日本語の表記法は、中国
大陸からの漢字の移入により可能となったことは周知のことだ。漢字の構成法が、
そのまま日本語に適応し成立したということである。こうして、漢字がアルファ
ベットなどと同様に、異言語間にわたる文化圏を形成するに至ったのは、その構
成法が、中国語以外の言語の表記法としても対応することができる、普遍性を有
していたからにほかならない。
 漢字がアルファベットと大きく異なるのは、その起源が象形文字だという点で
ある。現在使用されている世界中の文字記号のうちで、象形文字を起源に持つ文
字は、じつはたいへん稀少だ。ある学者は漢字のみだともいう。
 象形文字から発達した文字記号の特徴は、まず絵としての側面をもっているこ
と。次に単なる絵とは異なり、言葉と対応していること。つまり、意味範囲(概
念)をもっているということだ(アルファベットの一文字ごとに意味はない)。
そして、言葉と対応することによって音記号としての役割も果たしていることが
あげられる。形・声・義が1文字に凝縮されていることは、おそらく象形文字一
般の特徴だ。漢字は絵、音、言葉に普遍するインターメディアとして存在する。
 特に漢字が、象形文字一般から飛躍的な発達を遂げるに至った最大の理由は、
意味概念を捨象し音記号としてのみの転用法をもったことに起因するだろう。つ
まり、ある程度の象形による文字(『説文解字』では735文字)が成立した時点
で、意味的に文字を構成する方法(会意)と同時に、象形化しにくい抽象語を音
によって構成する方法(仮借)を持ったのだ。こうして漢字は如何なる言語にも
対応できる普遍性を有した、インターナショナルな文字記号となったのだった。
 日本語を母語とする私が、インターメディアかつインターナショナルな漢字と
いう文字記号を使用して詩作することは、方法という普遍の提示にほかならない。


マニエリズムという同時代  足立智美

 シリアス・ミュージックとポップ・ミュージックの峻別は当分なくなりそうも
ない。音楽上の理念としてはいかなる意味においてももはや正当な理由で区分で
きないにも関わらず、製作、流通や消費の側面、つまり経済的諸関係が決定的に
異なっているからである(*1)。しかし私はそのような断絶を越えて、この二者に
並行関係を見出すことができると考える。ジャンルの平等は問題にしない。古典
的階級性を越えて、同時代性を帯びていることを指摘したいのである(*2)。そし
て私はこれから述べるこれら90年代に否定的である。
 ここでの90年代とはシリアス・ミュージックにおいては新複雑性、ポップ・
ミュージックにおいてはテクノである。前者は例えばBrian Ferneyhough、後者
はAphex Twinに始まりOvalに至るプロセスと考えよう。この言明には異論がある
ことだろうが、少なくともヨーロッパの一部及び日本でこの潮流を指摘すること
は困難なことではない。ではこの二者の共通項はなにか。それは「マニエリズ
ム」(*3)という言葉で言い表せる。二者の間には現実的には全く何の交流もない
のは明らかであるが、しかし新複雑性は楽譜において、テクノは音響においてマ
ニエリズムなのである。Ferneyhoughの複雑極まりない楽譜は基本的に実現不可
能である。演奏という局面と乖離している。もちろんそれはモダニズムの文脈で
は非難されることではない。しかしトータル・セリーの伝統に属しながらも、明
晰を欠いた分析不可能な楽譜はセリエリズムの持っていた普遍性を放棄している
(*4)。テクノにおいては音響は置換不可能である。それはいかなる理論にもよら
ない。いかにプロセスを強調しようとも「音そのもの」だけが問題なのである(*
5)。なんら構造を持たない、しかし感性的な必然に支えられた音響(*6)。普遍へ
の探究ではなく普遍のスタイル化。貧しさからの出発ではなく、貧しさの演出。
 これら90年代音楽では言葉/論理という他者への回路が切断されている。それ
が自我の倫理のもとに正当化されもする。これが90年代の貧困であったのか。
*各註は http://www1.webnik.ne.jp/~atomo/houhou/ch3.html


巾七高七奥七の異種画素配置第四番  中ザワヒデキ
http://www.aloalo.co.jp/nakazawa/houhou/houhou004.html
文字平面は頁、文字立体は本であり、画素平面は絵画、画素立体は塑像である。
透明画素で満たされた7×7×7の空間に記号を画素として配置し、内部構造を
持ちかつ表面にジャギのある立体物とした。『デジタルネンド』の生理色を論理
色とした方法塑像である。本の厚みを時間軸に置換すれば、塑像は映像ともなる。


響・〇  松井 茂
http://www11.u-page.so-net.ne.jp/td5/shigeru/sound0000-01.html
“響”という文字は、四方に音が拡がることを意味する文字。「響・〇」は、
“響”をモチーフに、音が四方へ拡がり減衰してゆく様々な経路を形象化した作
品である。響の文字をクリックすることで19の経路が提示される。これ自体が、
ひとつの詩としての文字であるともいえるだろう。


ブラウザーのための文字映画第2番 〜数字による〜  足立智美
http://www1.webnik.ne.jp/~atomo/houhou/work4.html
習作。映画前史への言及を含む映画。1-9の数字を用いる。セリー音楽で用いら
れる原型、逆行型、反行型、逆行反行型を順次反復する。ただしイヴェントの処
理は連続して行われない場合もあるので音価は表示イヴェントの回数として現
れ、現実の時間とは必ずしも対応しない。Javascript による。



■お知らせ

(建畠 晢)
ホームページを新設しました。urlは
    http://plaza17.mbn.or.jp/~tatehata/
大阪の国立国際美術館で開催中の「北辻良央展」に、かつて北辻氏と共作した
“オブジェ+詩”の作品が8点出品されています。興味のある方はのぞいてみて
下さい。

(中ザワヒデキ)
名古屋港artportでの「メディアセレクト2000」出品中(〜9.24)。
佐野画廊(香川)にて個展間近(2000.10.10〜2001.8.31)。
10〜12月バンフにてアーティストインレジデンス、電子メール作品制作予定。
他、特許新規取得等の新情報は http://www.aloalo.co.jp/nakazawa/joho/
を、また、今号記載の『デジタルネンド』や関連のテキストに関しては
http://www.sscn.or.jp/aloalo/shrine/NAKAZAWA/nendo/ をどうぞ。

(松井 茂)
「←→」(ヒダリヤジルシミギヤジルシ)11月26日(日)15時開演。三軒茶屋キ
ャロット・タワー4F生活工房。内容は詩と音楽に関わること。音楽家の一ノ瀬響
さんと行います。このイベントは「Pre2001 Project きつねと炭坑」の一環とし
て行われます。詳細はhttp://www.mmjp.or.jp/pre2001/

(足立智美)
タワー・レコード発行のフリー・ペーパー「ミュゼ」9.20発行号に現在の私の音
楽の方法論、立場を分かりやすく書きました。以下主なライヴ予定。
10.15、足立智美ロイヤル合唱団(Art Link上野-谷中 2000)
10.20、足立智美ソロ+黒沢美香(新宿シアター・プー)
10.24、TEMPUS NOVUM(北とぴあ)足立智美ロイヤル合唱団ヲノサトル作品演奏
11.17、足立智美ソロ(ドイツ、ミュンスター)
11.19、足立智美ソロ(ドイツ、ドルトムント)
などなど。詳しくは http://www1.webnik.ne.jp/~atomo/schedule.html

(方法)
「図書新聞」8月26日発売号に『方法鼎談2000』が掲載され、9月10日、美學校で
そのリアライゼーションを行いました。HPには公式写真が掲載されています。
本誌バックナンバー(ゲスト=篠原資明、古屋俊彦、三輪眞弘)は以下の頁です。
新規に配信を希望される方は、バックナンバーの要・不要を添えて同人まで連絡
ください。 http://www.aloalo.co.jp/nakazawa/houhou/haisinsi/


■編集後記

名古屋「ARTEC」といえばメディアアートですが、その流れを汲む「メディアセ
レクト」展に参加して面白かったのは、私とほぼ同世代の作家が、一斉に今年、
脱コンピュータ化したことでした(少なくとも作品の表層レヴェルにおいて)。
次号『方法 第5号』のゲストは、美術家の岡崎乾二郎氏を予定しています。
(中ザワ)

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方法 第4号 西暦2000年9月22日発行(ほぼ隔月刊)
お問い合わせ=TEL/FAX03-5351-6874(アロアロインターナショナル内)
中ザワヒデキ nakazawa@aloalo.co.jp http://www.aloalo.co.jp/nakazawa/
松井茂 shigeru@td5.so-net.ne.jp www11.u-page.so-net.ne.jp/td5/shigeru/
足立智美 atomo@mail1.webnik.ne.jp http://www1.webnik.ne.jp/~atomo/

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