方法 第3号 西暦2000年7月14日発行

ゲスト=三輪眞弘

ほぼ隔月刊・配信誌「方法」は、方法絵画、方法詩、方法音楽などの方法芸術の
探求と誌上発表を目的として、電子メールで無料配信する転送自由の機関誌です。
不要な方、重複受信された方はご一報くだされば対処いたします。
* 方法主義宣言 http://www.aloalo.co.jp/nakazawa/houhou/
* 方法 同人=中ザワヒデキ(美術家)、松井 茂(詩人)、足立智美(音楽家)

巻頭言  中ザワヒデキ
ゲスト原稿 うたわれる歌と"新しい"こと  三輪眞弘
ゲスト作品 IAMAS校歌  三輪眞弘
同人原稿 色彩絵画の帰結  中ザワヒデキ 
     break through  松井 茂
     フルクサスについて スコアと演奏(後編)  足立智美
同人作品 縦八横八の異種画素配置第三番  中ザワヒデキ
     朗読のための短歌的音響  松井 茂
     ブラウザーのための文字映画第1番 〜三原色による〜  足立智美
お知らせ・編集後記       ↓ 以下、スクロールしてご覧ください ↓



■■方法 第3号 ゲスト=三輪眞弘

巻頭言  中ザワヒデキ

 三輪眞弘作曲モノローグオペラ『新しい時代』初演からはや三カ月。毎度の事
ながら、音楽自体を自問し時代と愛と方法を丸裸にする彼の達成を前に、同時代
者そして同じ表現者として、同じ難問の共有に気付かせられる苦痛と快感を味わ
います。『方法 第3号』ではアルゴリズミックなコンピュータ作曲で知られる
超多忙の同氏に(今日もロッテルダムで自作初演に立ち会われているはず)、方
法主義に対する賛同・非賛同にかかわらず原稿と誌上作品発表をお願いしました。
三輪眞弘 http://www.iamas.ac.jp/~mmiwa/  みわと http://www.miwa.to/



■ゲスト原稿と作品

うたわれる歌と"新しい"こと  三輪眞弘

俳句有限説とでもいったものを聞いたことがある。5+7+5のマス目に置ける
ひらがなの組み合わせの数は有限であり、その中で日本語として意味をなすもの
はさらに限られてくるのでいつの日か新しい俳句は作れなくなるだろうというも
のだ。 近代における創造とは現在までの蓄積の上に"新しい"何かを加え、その
蓄積を延長していくということであった。そしてその創造されたモノはモノ自体
によって何らかの"新しさ"を証明することを要求されてきたと思う。それらは音
楽ならば新しい音響なり音符なりの組み合わせとして提示される。例えば歌の旋
律を考えてみるときにもそうである。メロディーの剽窃事件などの例を待つまで
もなく、旋律において楽譜的、作曲的に多くの人が覚えられ口ずさめるような歌
はどう考えても"組み合わせ-的に"出尽くしている。つまり"新しい"モノをつくり
「確かにこのような組み合わせは今までなかったことを認ム」とお墨付きを与え
る社会的権威を前提にしている世界では普通の人がうたえる歌などつくれないの
である。 でもぼくはどうしても"新しい"歌が作りたかった。そこで"組み合わせ
-的に"は特に新しくない旋律に、旋律が語る(象徴する)世界とは異なる別の世
界を結びつけるやり方を考えた。ここで言う「旋律が語る世界」とはいわゆる歌
詞の内容だけでなく旋律そのものが語ってしまう何かのことである。映画におい
て音楽が同じ映像に様々な意味を与え得るように、それはうたわれる旋律のメタ
レベルにおける操作とも言えるだろう。さらにそれは旋律が本来担っていた意味
を異化させ積極的に再利用する試みでもある。もし作品が持つ-ようにみえる-
様々な意味は鑑賞者がそれぞれ与えているものであり、その根拠は作品内部にお
ける音符の"組み合わせ"にはそもそも内在しないとすれば、それは難しいけれど
も可能であろうと考えたのだ。 今までぼくは、うたわれる旋律を伴奏している
ようでいてしかしそれと遊離しているような構造(近作のオペラ)を考えてきた
が、今回実験的に、映画の例で言えば"映像も音楽も至極まっとう"でありながら
それ全体が異化され、別の意味が担わされているような歌を作ってみた。敢えて
試みたのは、芸術歌曲の対極にあるともいえる、大勢の人によって歌われるため
の歌-校歌-である。 この実験で確認できたことは、メタレベルの意味に対する
理解とは別に、実際に(みんなで)歌うという行為そのものが持つ楽しさや快感
が問答無用で存在するという事実である。それはまさにぼくがうたわれる歌を作
りたいと思った必然に答えるものでありながら、メタレベルにおける表現という
戦略を青白くか弱い知的な遊びとしてしまいかねない強力な経験でもあった。 
今後精進したいと思う。


IAMAS校歌  三輪眞弘
http://www.miwa.to/IamasSong/top.html
拙文で触れた校歌である。更にそれに付随する作者のコメント、学内MLで流さ
れたメール、実際の録音も資料として掲載した。作者の箕輪こあらは今回の試み
にのみ使われたアーティストネームで、岐阜県のある高校で音楽教師を長年務め
た作曲家という想定だ。



■同人原稿と作品

色彩絵画の帰結  中ザワヒデキ

 ドラクロワは、コンスタブルが描いた木々がなぜあんなに光輝く緑色に見える
のか解明しようとして、「さまざまな段階の緑が多数並置されているから」とい
う結論に達した。日本語で「さまざま」を「色々」と言い換えてもいいように、
色彩は、多数性や差異性をその本質とするようである。
 とするなら、カラーフィールドペインターが単色で覆った平面は、「色彩」絵
画とは言いがたいのではないだろうか。作品を外部空間と比べたり、鑑賞者の身
体生理に照らしたりした場合、単体としてのそれに色彩はある。しかし多数性や
差異性を内部に持たない単体は、構造としての色彩を持つとは言えない。
 今の時代なら「ドロー」と「ペイント」というCG(コンピュータグラフィッ
クス)の二大方式が、その考えをうまく説明する。カラーフィールドペインティ
ングの変形カンバスは、ドローソフトで作成した一個のオブジェクト図形に相当
する。単一の方程式の演算結果を線と認識するドローCGにとって、面は線で囲
まれた不等式領域、色彩はオプションにすぎない。つまりはフィレンツェ派の形
態線描美学であり、方程式をイデアとするイデア論的な単数構造が本質だ。
 一方コンスタブルの風景画は、ペイントソフトで作成したビットマップ画に相
当する。多数の色彩画素の集合を面と認識するペイントCGにとって、線はジャ
ギを伴う偽物、形態は認知心理学的な非実体にすぎない。つまりはヴェネツィア
派の色彩点描美学であり、画素を原子とする原子論的な多数構造が本質だ。
 以上を踏まえ、「色彩絵画」を再考する。その具象画段階における帰結は、多
数の画素配置を徹底したスーラの点描画だ。抽象画段階における帰結はカラーフ
ィールドペインティングではなく、細部の多数構造に依拠するヴァザルリやライ
リーのオプアートだ。しかしオプアートは、身体生理を捨象していない。次段階
では身体生理を捨象し、多数構造のみへの還元が果たされなければならない。
 それは、私の「方法絵画」である。身体生理を排した画素として、互いに差異
性を有する記号を採用した、多数構造だ。現段階における色彩絵画の帰結である。


break through  松井 茂

 現代(詩)において美を考えることは困難なことなのだろうか? たしかに世
界のあらゆるものは、等価に並存しているかのようにも思える。ゆえに、美醜の
価値判断の基準が消失しているかのようにもみえるのだ。しかし、既成概念とし
て差別が偏在していることは確かであろう。ここでいう差別とは、様々な思想的
な事象も含むが、ひとが二次元の視覚風景を三次元の立体として認識することそ
れ自体が、本来差別的性質を帯びているということを指している。この三次元の
世界認識(既成概念)は、人間にとって生得のものなのか、獲得される事象なの
か、わたしは知らないが、この世界認識の方法は、言語無くしてはありえないだ
ろう。そして言語それ自体の持つ傾向として差別はある。言語の体系が、差別の
体系であることは確認するまでもないことだ。そして差別の体系とは、美的判断
に基づいて形成されている。だから言語の傾向を美醜の問題としてとらえること
はたやすい。つまり既成概念に基づいて、美を提示することもたやすいといえる。
しかし、その提示が単なる差別の是認に終わってはならない。それは「世界は平
等で、様々な局面を差別化せずに等価にとらえるべきだから」ではなく、局地的
な視点による臆断に過ぎないからだ。この提示によって、差別の検証が行われる
べきなのだ。この際の検証としての提示は、美醜の概念のあり方の、あらゆる可
能性を示すシステムとして行われるべきであろう。このとき作品は、未成の美的
概念を定立するために、既成の美的概念をbreak throughするためのシステムに
なるはずだ。このように美醜を検証することは、単に世界の差異をもてあそぶ戯
にすぎないのだろうか? 否、既成概念を過去へと辿り、ありえたかもしれない
現在や未来を想定する、つまり既成概念を検算することができたとすれば、ある
時点から別の論理を経て、未成の概念を構想することができるであろう。一方、
世界の局面を等価に並存するものとして認識することは、膨大な情報を眼前に、
思考停止しているようにみえる。つまりは怠惰にすぎないだろう。未来を招来す
るためにも、我々はいまいちど驕慢にあるべきなのではないか?


フルクサスについて スコアと演奏(後編)  足立智美
 
 (前号からの続き)おそらく、主観と客観の相克で捉えられた「演奏」とは異
なる演奏が要請されている。
 例えばフルクサスの一員であったと言ってよい、ハイ・レッド・センターのメ
ンバー達は近年の対談の中で当時を振り返ってこう語っている。「なにか行動す
るには口実がいる。−口実がたとえばルールであったり言葉であったり、それを
丹念にひとつづつ糞真面目にやってみる。−ディテールが欲しいんだよね。−デ
ィテールがリアリティを持つわけだね。」(赤瀬川原平『東京ミキサー計画』よ
り赤瀬川、中西、高松の発言を抜粋)。スコアに存する何かを現象が指差すので
はなく、スコアが現象−いや主観の眼差しを想起させる現象という言葉ではなく
−事件=イヴェントを現前させるためにこそ存在しているということ。
 ほとんど繰り返しになってしまうが、ディテールとは再現されるものでも反復
されるものでもない。フルクサスのスコアがほとんど意図的に演奏結果の細部に
無頓着であるのを思い出すまでもなく、ディテールとは演奏の度に現前する「い
まここ」にしかない何物かである。それは演奏の結果に対するフェティシズム=
解釈によってでは決してなく、スコアに対する忠実さ−理不尽なまでの服従によ
ってのみ「リアル」に立ち現れるはずのものだ。
 フルクサスがなんらかの意味で破壊的であったとしたら、そんな現前をあっけ
ないほどに単純な時間、空間の操作によって実現されることを示したことによっ
て近代芸術の技術論を組み換えてしまったことにあるのかもしれない。しかしむ
しろ私はこの小論のなかで「演奏」というかなり一般的な用語を使ったことで見
えてくる、この演奏という営み−別にパフォーマンスと言い換えても一向に差し
支えないが−が、理念と感覚などの二元論の狭間にではなく、もっと根底的な唯
物的状況の中にあるのではないかという可能性を強調したい。フルクサスにおけ
るスコアの絶対性は幾分特殊な事態であるかもしれないにしても。
 そして、おそらくここからもうひとつの視線、「読む」行為が始まるのだ。


縦八横八の異種画素配置第三番  中ザワヒデキ
http://www.aloalo.co.jp/nakazawa/houhou/houhou003.html
画素数の少ない本作は多数性が弱く色彩絵画としては不安定。しかし単体に近づ
くことで可動性を増している。詳述しないが色彩は植物原理、形態は動物原理と
対応するからだ。本作は8×8なので、初の「i−mode対応」方法絵画でも
ある。 http://www.aloalo.co.jp/i/ からも、可動性や携帯性を確認できる。


朗読のための短歌的音響  松井 茂
http://www11.u-page.so-net.ne.jp/td5/shigeru/tanka.html
31音×4行のトリプティーク。1行目は甲類清音。2行目は甲類濁音。3行目は乙類
清音。4行目は乙類濁音。甲乙と清濁の美的階層による差別がある。その検証の
ために朗読することが目的。音響の側面を肥大化させた短歌ともいえる。短歌と
してとらえれば、各句は同じ母音を持つ音が使用され、句と句の接続は五韻相通。


ブラウザーのための文字映画第1番 〜三原色による〜  足立智美
http://www1.webnik.ne.jp/~atomo/houhou/work3.html
習作。ディスプレイは光の反射ではなく光源そのものであるが、時間軸上で変化
する平面であるため「映画」とした。基幹をなす文字列は対称性を持つ。ただし
視覚的な現れは、見る側のブラウザ及びコンピュータの種類、設定に依存する。
JavaScriptによる。



■お知らせ

(三輪眞弘)
多分この号が公表される日(14日)にロッテルダムでゼフュロス(トランペッ
ト)とコンピュータのための「Mega-Phone-m」という作品が初演される予定です。
この作品ではサンプリングされた先の校歌が度々使われています。また、
ダルムシュタットで再演された後にDSPサマースクールで日本初演されます。
大垣ですが時間があったら是非聴きにきてください。サマースクールも充実した
ものになるはずです。
「Mega-Phone-m」については、
http://www.iamas.ac.jp/~mmiwa/megaphonem.html
DSPサマースクールについては、
http://dspss.iamas.ac.jp/
をご覧ください。
また8月5日に横浜みなとみらいホールで開催されている「アジア音楽週間」の
中で電子・コンピュータ音楽のコンサートを担当し「18さいのし」という作品
が東京では初めて演奏されます。是非聴いてください。
「アジア音楽週間」については、
http://www.composer.or.jp/


(中ザワヒデキ)
雑誌「美術手帖BT」8月号…「東京直接表現小史」執筆。
雑誌「STUDIO VOICE」9月号…村上隆氏と対談(ヒロ・ヤマガタ問題について)。
雑誌「Z-kan」連載中…第一回「文字の風景」、第二回「表面の両面」。
ウェブ「Bijutsuyaro!」…インタビュー掲載。http://art.myplanet.ne.jp/by/


(松井 茂)
現代詩手帖(7月発売)…川端隆之の詩「アメリカ」のリミックスが掲載。このリ
ミックスは、99年6月に、同人紙「ミて」主催で行われた第4回の「カタって」(
勉強会。当日は川端隆之、水原紫苑による発表があった)の際に行われた。リミッ
クスに参加したのは、「ミて」同人の新井高子、坂輪綾子、高橋悠治、藤井貞和、
松井茂と発表者の水原紫苑。


(足立智美)
ソロCD『ときめきのゆいぶつろん』をつくりました。店頭販売はまだですが、
通販は承ります。メールを下さるか、
http://www1.webnik.ne.jp/~atomo/naya.html をご覧下さい。
少し前ですが7/1発売の「図書新聞」に高松次郎展の展評を書きました。前号、
今号と続いた私の小論とちょうど相互補完的な内容になっています。


(方法)
バックナンバー(第1号ゲスト=篠原資明、第2号ゲスト=古屋俊彦)は以下の
頁です。新規に配信を希望される方はバックナンバーの要・不要を添えて同人ま
で連絡ください。http://www.aloalo.co.jp/nakazawa/houhou/haisinsi/


■編集後記

来年三月の「北九州ビエンナーレ」(北九州市立美術館)に向けて五月の終わり
に灼熱の北九州に詣でました。「方法」三人でのタクラミゴト進行中。(中ザワ)

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方法 第3号 西暦2000年7月14日発行(ほぼ隔月刊)
お問い合わせ=TEL/FAX03-5351-6874(アロアロインターナショナル内)
中ザワヒデキ nakazawa@aloalo.co.jp http://www.aloalo.co.jp/nakazawa/
松井茂 shigeru@td5.so-net.ne.jp www11.u-page.so-net.ne.jp/td5/shigeru/
足立智美 atomo@mail1.webnik.ne.jp http://www1.webnik.ne.jp/~atomo/

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