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対異星人芸術に見るコミュニケーション是非論
松澤宥「量子芸術宣言・四〜地球よりはるか遠く」
     中ザワヒデキ マルチメディア・アーティスト

 芸術はコミュニケーションであるか、ないか? ……と問われても、表現という事に切実に携わらない限り、この問いの意義を直ちに観ずる事は難しいかもしれません。ではここで「芸術」の語を「われわれが生きる事」や「われわれが存在する事」に、そして「コミュニケーション」の語を「言葉」や「言語」に置き換えてみましょう。するとたちどころにこの問いは次のような普遍的課題として了承されます。すなわち、他者を まったく介在させることなく、果たしてわれわれは何を為し得るというのでしょうか? 言葉無くして、何の意味をわれわれは自らに見出し得るというのでしょう?
 「概念芸術」を創始した松澤宥氏が一貫して追求している最重要のテーマは、このコミュニケーション是非論です。1964年に「オブジェを消せ」という啓示を受け、言葉だけによる美術を開始したそのはるか以前に、実は彼は詩作を長く行っており、その詩がやがて美術へと変貌したそのいきさつが重要です。すなわち、ある時彼は、日本語で詩を書くことの空しさを悟りました。世界中の人に向けて詩を書くのなら、一国の言葉で足りるわけがない。だからといって英語とかエスペラント語というわけでは勿論なく、全宇宙にも等しく言葉は発せられるべきという観点から、彼は記号詩(シンボル・ポエム)を書き始めるに至ったのです。それが視覚言語を媒体とする美術への糸口となったのは言うまでもなく、つまり彼の美術家としての経歴の最初から、コミュニケーションそれ自体が切実な課題として意識されていたのです。
 そして1996年4月22日。私は岡崎球子画廊にて彼の「地球よりはるか遠く」という、真に感動的な芸術を覗き見ることができました。午後2時22分、「ア・イオオヤ・アムミエエ・ウォア」と一音一音しっかりと発声しながら、松澤氏自身がその発音を記した9枚の紙を並べていくのです。それはまさしく彼が宇宙に向けて芸術を行った最初の瞬間であり、「異星人言語で書かれ 異星人に見せろとう 地球上初めての美術……」(本人の言葉どおり)と、後から貼り紙された次第です。  解説によるとこれは一応、ウンモという十数光年離れた惑星に棲む、高度の知的生命体の言語であるとの事。私は初耳でしたが、ウンモについては何冊か書物が徳間書店から最近出版され、売れているとの事です。その真偽のほどは別として、その実在を少なくとも一部の人が科学的に信じている言語で芸術を行ったという事が、この場合重要なのでしょう。つまり架空のおとぎ話なわけではないのです。そしてさらに付け加えさせていただくと、かつて松澤氏は「すべての生物および無生物のための白紙絵画」というメールアートや、諏訪湖に向けて「湖に見せる根本絵画展」という、やはり非人間を対象とする重要な芸術を実践しております。という事は、そのコミュニケーションの対象が、このたびは文字どおり「地球よりはるか遠く」突き抜けた結果であると申せましょう。
 ここで注意しておきたいのは、この強度な「コミュニケーション是」の立場に一見とらえられかねない彼の芸術が、実は強烈な「コミュニケーション非」の意識に支えられているということです。そう、一方で彼はかつて「コミュニケーションは愚である」と記し、また言葉については「捨てられるものなら捨てた方がいい、これを捨てたら全部捨てることができる」とも語っているのです。
 結論を急ぐと、この事態はモダニズムという事の本質を、目を逸らすことなくまっすぐに見つめた唯一の正当な結果なのでしょう。すなわちまず人間は人間たろうとし、言葉やコミュニケーションを最高に加速させようとするのです。これがモダニズムです。その加速は、ついには言葉自身の完全性を得んがために、「無」を希求しなければならなくなります。たとえて言うなれば、どんな実際の白色の円も、本当の白色の円ではないわけですが、実体を指し示すことなく「見よそこに ただ白色の円を」と命令形で語れば、やっと完全が得られるのです。この方向の行き着く先が「言葉を発するなかれ」と帰結するのは、もうおわかりでしょう。そしてさらに補足すれば、彼がほかにもテーマとしている「終末芸術」や「量子芸術」などの概念も、みな究極的にはこの「言葉を捨てよう」と同義となるところのものであります。
 つまりこのたびの、飽くなき意志拡大にも解釈されかねない「対異星人芸術」の概念は、同時に完全な意志消滅のための観念でもあり、モダニズムやアンチ・モダニズムがこれほど世間では議論されながら、松澤宥氏ほどにその両面を正面からきちんと実践している人物を、私は他に思い当たらないのです。