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なすび画廊・地蔵建立・相談芸術
初期の小沢剛展
            中ザワヒデキ  マルチメディア・アーティスト

 この展覧会の観客は、2通りに分かれると思います。1つには初めて「なすび画廊」「地蔵建立」「相談芸術」という彼の作品シリーズに出会い、純粋に驚いたり面白がったりするタイプ。もう1つには、実はこれら3つのシリーズは現代美術関係者にはすでにおなじみですから、これら小沢氏の定番ネタを熟知した上で、あらためて「初期の小沢剛展」という展覧会タイトルに驚くタイプ。
 私は後者なのですが、本誌読者には前者の方も多いと思われるので、一応簡単に解説します。
 「なすび画廊」とは牛乳箱のギャラリーで、小沢氏自身が画廊主を務め、実際多数の有名無名のアーティストが本当にここで個展を行っているというもの。この世界一(?)小さいミニ・ギャラリー自体が小沢氏の作品なわけで、ポータブル・ギャラリーというそのアイディアはダダやフルクサスの系譜でもあります。
 「地蔵建立」は、天安門をはじめ世界各地に作者が出かけていって、そこで紙に描いた地蔵を作り、風景にマーキングするというもの。境地としては河原温のデート・ペインティングに近い、存在論的なものでしょう。
 「相談芸術」は芸術の専門家・素人にかかわらず相談によって芸術しようとするもので、アマチュアリズムの問題にまっこうから取り組んだ痛烈な美術批判でもあります。昨春水戸藝術館で行われた「相談芸術大學」は、その拡大版。
 さて、その軌跡をずっと見てきたつもりの私としては、今回の展覧会ではむしろ「ご苦労さま」「お疲れさま」と言いたいのでした。私は、小沢剛は村上隆とともに、日本現代美術史における90年代前半の「ダダ再々来」を担った最重要新人アーティストとしてその名を後世にとどめるだろうと観測しているのですが、そのための道具立てがこれら3つの作品シリーズだったと思うのです。そしてその再々来したダダの有効な数年間を真に立役者として牽引してきた小沢氏が、実はそろそろその役割に終止符を打ち、活動に区切りをつけたそうにしてるという事は、なすび画廊発行「なすび新聞」の最近の休刊宣言を見るまでもなく、はたから見れば結構明らかだったわけなのです。
 「初期の○○展」という、偉そうな年輩の巨匠かのようなパロディ感覚のネーミングではありますが、それにしても氏の活動を知る人に幾分自虐的に見えるであろうこの展覧会名。本人すら「まとめないと、次へ行けない」と自ら言い、画廊主の大田さんとは「何も新しいネタ無いよ」「では過去のを全部出せば」とやりとりしてやっと実現した展覧会との事。形としては、小沢氏がちょっと苦しそうに見えるわけです。
 そう、「初々しいダダ」は、そのダダ性が徹底されていればいるほど、その数年後にまさにそのダダ性ゆえに瓦解するという事は、幾多の歴史が教えてくれる通り。そして定石通り作者自らその崩壊の引き金を引いたという図式になるわけだけど、ところでここで私がさらに述べたいのは、唐突ながら「しかし、全然大丈夫」という事。
 そう、いくら壊れようとも、いくら苦しみが外の人にもわかられようとも、おそらく本人が苦しんでいるのと全然関係ないところでこの人は全然大丈夫なのではないか? ……というような事は、展覧会直前にたまたま彼が何かの用事で私の家に立ち寄った時、久々に彼の顔つきや体つきを見ただけで直観してしまった事なのです。本当は私はこの確信だけを、この場を借りて、記したかったのかもしれない。
 しかし肝心のそれが一体どういう事なのか、それは私にもよくわかりません。あえてたとえて言うなれば、決して詩情など認めない科学者のつもりで点描画を描いていた新印象派の画家スーラの絵に、実はどうしようもなく高貴な詩情が立ち現れてしまっているという事と、似たような事態であろうという事。つまり小沢氏本人の思惑とはまるで関係ないところで、どうしようもなく高貴な「小沢芸術」が立ち上がってしまうのではないか?
 芸術家は何をやってもいいんだという話を、決してするつもりはありません。しかし、あるいは極端な話、作品を見なくても、作者の顔を見るだけで事足りる芸術というものも、あってもいいと考えております。そんな芸術の存在、読者のあなたは信じてくれるでしょうか?