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東京オリンピックの年の「多様(^^;)」な美術
日本の美術−よみがえる1964年 中ザワヒデキ マルチメディア・アーティスト
困りました。面白いはずなのにどうも後味がよくないのです。同じ東京都現代美術館で昨年開催された、欧米の60年代美術展「レボリューション/美術の60年代」を興味深く拝見した私にとっては、今回の展覧会の「日本の美術−よみがえる1964年」というタイトルは、思わず「そう来なくっちゃ!」と言いたくなるような企画だったはずです。欧米の現代アートもいいんだけれど、やはり自国の美術をこそ、見たいものですから。またタイトルに特定されている1964年という年号も、結構ハメてくれる意味を持ちます。すぐに思い付くだけでも、まず日本の概念美術の雄とされる松澤宥が「オブジェを消せ」との啓示を受けたのが64年だし、ハイレッド・センターによる帝国ホテルでの「シェルター・プラン」や銀座並木通りでの「首都圏清掃整理促進運動」も64年、さらには赤瀬川原平の千円札事件裁判も、清掃イヴェントのきっかけになった東京オリンピックだって64年の事です。それから読売アンデパンダン展中止が64年で、それを受けて「アンデパンダン64」という自主企画展覧会だって開催されたわけだし、……などなどと、思い出せばきりがないほど、日本の前衛美術にとって64年はエポックメイキングな年だったわけなのです。
ところがタイトル以外に何の予備知識も無いまま、不用意に会場にたどり着いてしまった私にとってはまったく予想外だった事に、この展覧会には日本画や洋画のコーナーがあったのです。私が期待していた当時の前衛芸術も、日本画や洋画と対等に「反芸術的傾向」の1コーナーとして展示されていたのにすぎなかったわけなのです。
確かに、特定の1年だけにスポットを当て、歴史の縦軸を極小に区切ってしまうという事のかわりに、同じ「美術」の語でくくられるジャンルの横軸を拡げ、それらを同列に置いて展示して見せようという冒険的姿勢は面白いでしょう。大体、美術という言葉の中にすでに何重もの構造があるという、日本独特の美術の体制自体、真摯な問題意識のもとに、再検討されるべきです。しかしながら結果的に見て、どうも釈然としない印象を受けた展覧会であった事も、また否めません。
それでけジャンルの横断が、簡単なようでいて難しいという事なのでしょうか? おそらく日本画だけ、前衛美術だけという風に見られたらもっと後味はよかった事でしょう。もっとも洋画だけは、カタログのテキストでも指摘されてるようにどうも説得力に欠けている様子ではあります。また、ジャンルの横断と言っても、前衛美術と前衛音楽なら断然相性がよかったはずで、問題は同じ言葉にくくられていながら同居できない、身内同士の反目というわけなのです。
あるいは、いつの時代もその時代の批評家はその時代の事を「多様性の時代」と呼んでしまいがちな事が、ここにもこのような形で現れているのかもしれません。すなわち何年か距離をおいて、見る側が意識的にしろ無意識的にしろ取捨選択という編集作業を施せば、その時代の特徴は自ずと立ち現れてくるものなのです。それを、近視眼的にその時代の中だけに埋没してしまうと、取捨選択力は必然的に鈍り、そのすべてを言い当てようとすると、逃げでしかない「多様性」という形容の仕方になってしまうわけなのです。この展覧会で見たものは、決して「反芸術という大変革の64年」ではなく、「東京オリンピックの年の多様な美術」でした。しかしまあ、逆に言えば過去をそのようにそのまま、あえて呈示するという展覧会も、逆に意味があったかもしれないのです。
一応私が期待していた前衛作家達の64年における作品群については、かつての収蔵先の東京都美術館で見知っていたものも少なくなかったのですが、しかしそれなりにやはり楽しいものでした。特に篠原有司男の作品や赤瀬川原平の模型千円札などが、中でもわかりやすいところでしょう。このあたりに着眼している限り、反芸術が可能であった時代という意味での、今から見ればうらやましいまでの「よき時代」的側面が、ほうふつとされたわけでした。