2018/02/27 0:33 松下学→中ザワヒデキ(抜粋)

NAUTILUSは記事もおもしろいですが、コメントがおもしろいですね。ナイーブだという批判がありますが、彼らが引用するアートの定義・前提の方がよほどナイーブです。過程すっとばして言いますが、白人の世紀の終わりを示唆するいい反応です。

2018/02/27 13:31 松下学→中ザワヒデキ(抜粋)

記事への反応は反射的に人間主義を持ち出す人や、無思慮な楽観的AI万能論だと断罪する人が目立ちますね。
前提の違いを考慮どころか認識せず、自分の前提ばかり話す人が多いという印象です。上の方のコメントの中ザワの意見はナイーブだという、ナイーブな人間中心主義で反射的に書かれた言葉を見て腹が立ちました。
また、あくまで人間の模倣が到達点だという前提を疑わず、人間の優位性を説く人も目立ちました。相違と優劣は別物だと思うのですが、自分たちがAIの創造主だという意識がそうさせるのでしょうか。

とはいえ、コメントの展開を丁寧に追うと、全体的には論点のスペクトラムが幅広くカバーされているいい文献になっていました。

アートとは何かという定義が問われ、「人間の表現である」という人間中心的な回答が何度もなされ、二名を除き、誰もがそこで立ち止まっている。本来なら、では人間とは何か?という線引き問題に発展すべきなのに、人間の自明性があまりにもナイーブに受け入れられ、AI脅威への倫理的・道徳的反抗の中でごまかされている。そうしたカテゴリ1の典型は、結果的には同語反復的になり、人間による・人間の表現が・芸術である。という熱い表現主義を待望しているようにも見えます。

一方で、Klaus Rohdeがとても丁寧な議論をしています。彼はカント美学の問題系(人間の認識の限界と、その外部にある不可知の世界)に関わっている人ですね。彼のサイトも読みましたが、人間主義における「意識と知性の同一視」を疑問視しながらAIについても論じています。基本的には、AIの社会的役割については「万能論と脅威論があるけど言うほど万能でも危険じゃないよ」というバランス型ですが、意識/知性という点については人間と機械の線引きを自明としない視点です。
Jonathan Morganも発言は簡素ですが中ザワさんの意図を汲み、議論の方向修正をしようとしていました。拾う人がいなかったようですが(見当違いな反応されています)。このふたりはカテゴリ1-4の全体を見通してはいますね。

コメントすべてに通底する前提は、オーディエンスはあくまで人間であるということです。機械オーディエンスという論点は研究会では語られましたが、記事では触れていないのでそういう読み方になるのも仕方ないですね。少し乱暴ですが、手短にそのことを示唆するなら「芸術=制作」/「美学=観賞」と図式化して「人間芸術=人間制作」や「機械美学=機械観賞」といったタームを導入するもいいのかもしれません。

2018/02/27 13:41 松下学→中ザワヒデキ(抜粋)

>「芸術=制作」/「美学=観賞」と図式化して「人間芸術=人間制作」や「機械美学=機械観賞」といったタームを導入するもいいのかもしれません。

制作にも美学が関わりますね。芸術と美学の関係についてはそういえば昔中ザワさんに質問して明確化してもらった記憶があります。↑のことは忘れてください。

2018/02/27 14:43 中ザワヒデキ→松下学(抜粋)

この図式
>「芸術=制作」/「美学=観賞」と図式化して「人間芸術=人間制作」や「機械美学=機械観賞」といったタームを導入するもいいのかもしれません。
は、ほぼまったくこのとおりです。
ただご指摘のように制作にも美学が関わるので「美学→芸術」もありますね。
土曜日にやんツーさんと国立新美術館のDOMANI展の会場でトークセッションをおこなったのでしたが、彼の今回の出品作が鑑賞するAIだったので、 この図式の話にもなりました。

2018/02/27 15:12 松下学→中ザワヒデキ(抜粋)

「美学→芸術」 =「観賞→制作」
このリンクが「学習」なのかもしれませんね。


中ザワヒデキ文献研究 講義用覚書 2017年度第14回 2018年2月28日(水)19:00-22:00
Japanese only | Back | Encoding: UTF-8